第二十五話
翼龍が消えた。
つまりは取り敢えずの危機は去ったってことだ。不満だらけの終わり方だったけど、追う手段がないんじゃしょうがない。
でも、少し安堵してることもある。っていうのも、ホウヤ。翼龍が生きてるってことは、ホウヤもまた生きてるってことだろ。厄介な奴を生き延びさせちまったけど、ホウヤを救える可能性も残ったって言える。
じじぃの話じゃ、今回のことで完全体になるまでは翼龍も出てこないだろうってことだ。あたしに切られた傷はそう簡単に治らないようだし、完全体になるにはホウヤに依存することになるってことだ。ホウヤを治して、その中でまた眠りにつくことになるらしい。復活には相当の時間が必要になったわけだ。
あたしもかなりくたびれた。
っていうのも、じじぃの指示で傷付いた人間達をあたしが治して廻ってたから。翼龍の放った犬猫共は広範囲に渡っていて、かすり傷程度の奴等は無視したけど、それでも相当の数だった。
合間にパトカーはやってくる、救急車はやってくるでバタバタしてるのを縫って、眠りこけてる慎一郎かついで逃げ出すことまでしたんだから、疲れない方がおかしいってもんだ。
それでも、こうして慎一郎の事務所でくつろげてるなんてのは、まったく奇跡だよなぁ。
帰ってきて、まずしたことといえば、担いできた慎一郎をベッドに放り込んだことと、異様なまでの喉の渇きに水をがぶ飲みしたことかな。
今は、じじぃと一緒にソファに向かい合って、まったりオレンジジュースなんか飲んでたりして。じじぃは、どこから見つけてきたものか、ちゃっかりワインを傾けている。
「なぁ、じいさん。聞きたいことが山ほどあるけど、答える気ある?」
一杯目のオレンジジュースを飲み終えて、二杯目を注ぐ。じじぃは、勝手に飲んでるから何杯目かもわかんない。でも、酔っているようには見えないようではある。
「そうじゃな。聞かれることにもよるかの」
けっ、つまりは答えないこともあるってことかよ。
「誤解するでない。答えられることは答えよう。しかしの、わしも知らんことは答えられん」
「…じいさんが嘘をつかないって保証は?」
答えること全てが真実なんて、このじじぃからは想像できない。嘘をつく保証はできても、その逆は無理だ。
「ここまで異様な事態が進んでいる以上、嘘をついたところで意味はない。つまりは、わしと嬢ちゃんとは運命共同体の中にあるようなもんじゃ」
「おいおい、勝手に巻き込むなよ。変な成り行きでこんなことになっちまったけど、あたしは元来、異世界の住人だ。帰ることができるなら、あたしは何があっても帰るよ」
「もっともな言い分じゃの。じゃがの、今回のことで、異変がこの人間界だけで済まないことは明らかじゃ。翼龍が最後に言っておったじゃろう。あ奴等は、自在に他世界に侵入できるんじゃ。翼龍がどこに逃れたかはわからんが、少なくても人の生存できる場所じゃろう。でなければ少年との共存も不可能じゃからの。嬢ちゃんが帰るのに邪魔はせん。が、神聖魔界であれが暴れんとは言い切れん」
確かに言う通りだ。翼龍は人間界から出て行っただけで、他世界では生きているってことだろう。人の多い都市部にでも出たならば排除されているかもしれないが、あの状態でホウヤの姿になれたとするなら、どこの世界に出たとしても歓迎はされなくても排除はされない。それどころか、怪我でもしてりゃ手厚い看護をされかねない。
「不穏の種は増えただけで、何にも解決してないってことか?」
「その通りじゃの。しかし、問題はそこではない。前に話した時には投げ出してしまったがの、物事の発端は疑問として残る。その疑問を埋めていかなければ、真の答えには結びつかんの」
ああぁ、言いたいことはわかるよ。あのヘンテコリンな昔話だろ? けど、それがどうしたところで、これから何が起こるってわかるわけでもないだろが。
「あのなじいさん。昔話より現実を見ろよ。結局は翼龍を殺せなかったばかりか、龍の血族は他世界に出入り自由ってことまで分かったわけさ。下手すりゃ、全ての世界を巻き込む大事件になりかねない状況になっちまってるのに、この人間界じゃ魔力は使えない、他世界との交流もない、出入りすることさえ偶然の産物に頼る始末だ。この人間界では、出来る事って限定されてんだよ」
「まさにその通りじゃ。じゃからこそ、ここで慎重な答えを埋めなくてはならんのじゃ。問題は、どいつもこいつもが口にする『真龍』の存在じゃ」
「…堕龍の時には疑ってたけどな。翼龍の口振りじゃ、もうその存在は疑うべくもないだろ」
「わしもそう思う。じゃが『真龍』なる記述はどこにも無い。ということはじゃ、今まで出てきておらん、または出てこれん状態じゃったと考えるのが妥当じゃの。では、何故に出てこられんかったのかの?」
「また、そんなことを。想像の域を出ない答え探したって意味ないっての。出てきてないってことは、眠ってるか死んでるかってことだろう」
「そうじゃ。『目覚める』って言葉を信用するなら、今まで眠っていたことになるの。それが、どのくらいの眠りだったか定かでないが、今まで記述に記された龍達が、何らかの『目覚め』の手助けをするためだったとするならどうじゃ?」
……。馬鹿なことを言うもんじゃないよ。だって、そうするとだ、数千年単位で龍の血族達は『真龍』の目覚めを促進させるために働いていたことになる。小さなことを積み上げながら、数千年、いや数億年かもしれない月日を費やしながら『目覚め』させるものって……。
「嬢ちゃんの懸念も、よくわかるの。それが何を意味するかもじゃ。じゃが、これからの覚悟はしておかなくてはならんかもしれんということじゃ」
「けっ。めんどくせぇことに首突っ込んじまったなぁ。でもな、じいさん。あたしもじいさんも慎一郎も、今っていう現実に生きてんだ。昔の話はどうあれ、あたしには眼の前で起こることにしか対処できやしない。考えても答えが出ないことに時間を費やすのは、あたしには似合わないし性にも合わない。考えることはじいさんに任せるよ」
「それが、わしが生かされてきた意味かもしれんの」
ちょっと寂しそうな表情のじじぃは、何故か歳相応、二千年の面影が宿っているようにも見えた。
「あっ、忘れるとこだった。なぁ、あたしが使えてる四大元素って、どういうことだ? あの空一面にいた奴等がそうだってことなのか?」
あたしの中に入り込んだ数知れない奴等。それから魔力とは違う力が使えるようになった。あたしの想像とはちょっと違う発現はするけど、魔力なんか比べ物にならないくらいの威力なのは間違いない。
「あれはの、そうじゃな、なんと言うべきかの」
「なんだ? 四大元素の力じゃないってことか?」
「んん〜、そうじゃな。四大元素そのものではないの。元来、四大元素というものは目には見えん。あれらは、四大元素を守る精霊の類じゃ。そやつらを媒介として間接的に使えるようになったんじゃ。だからといって、四大元素の力が使えていないわけではないし、使えているというわけでもない。その途中なのかの」
「なんか、回りくどいやり方ってわけか?」
「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるの。そもそも四大元素というものは…」
「ああぁ、もういい。小難しいこと説明されても理解なんかできゃしないんだ。それよりも、これからもこの力って使えるのか?」
この力が使えるなら魔力なんて比べ物にならない絶大な力を手にしたことになる。だって、傷は癒えるし半端な力なんて無効化できる。使い方しだいなら今まで無理だったことも可能になる。
「そいつは無理じゃな」
「は?」
「嬢ちゃんには見えておらんようじゃがの。既に大半は抜けておる」
「なに!?」
「あの時に見えたものが、今見えんようでは、これから先に使うことは無理じゃ。試しに魔力を溜めてみたらどうじゃ? 出来るはずじゃぞ」
んん〜、と唸ったってしょうがない。軽く眼を閉じて魔力を溜めてみる。じんわりとした熱みたいなものが胸のあたりで広がった。馴染みのある魔力の感触だ。
「でもさ、あたし『命の魔力』っての使ったんだ。尽きれば死んじまうっていう命を使う魔力。だけど、あたしってこうして生きてるじゃん? これってどういうことだ?」
「…あの魔力は二度と使ってはならんぞ。実に危うく不安定な魔力じゃ。…嬢ちゃんの使った命は、あやつらが止めてくれたし、補充もされたようじゃ。自らの命を削るような真似をしてはならん」
「……あたしは、同じ状況なら迷わず使うよ。そうじゃなきゃ助けられないものがあるんなら、あたしは迷わない。結局、デカイ力をもらっても、みすみす数人を眼の前で喰われちまったしな…」
「あの程度で済んだんじゃ。奇跡じゃよ。もっとも慰めにもならんじゃろうがの。事実はそうじゃ。いくら力を得ても両手からこぼれる命はあるものじゃ。それを悲しんでも良いが悔いてはならん。人の妄執に囚われてしまうからのう」
「…わかってるよ。そんなことは百も承知だ。あたしは、あたしの出来ることをするだけさ」
人々の恐怖に彩られた眼が、頭の片隅で浮かんでは消える。これまでも人の死に直面したことはあった。けど、こんな惨い死に様は見たことが無い。きっとあの人達だって自分の最後が生きたまま喰われるなんて想像もしていなかったことだろう。
んん、気分が萎えてきた。
じじぃもワインを口に運ぶのに余念がない。ボトルを覗いてみれば、すでに八割がたじじぃの腹の中のようだ。これじゃ酔いにまかせて何を語り始めるかわかったもんじゃない。
「慎一郎でも見てくるよ」
あいつでも虐めて気分を変えよう。どうせ、まだ爆睡中だろうけどな。
「あ、マミさん。すいませんでした。ご面倒を掛けたみたいで」
あたしが部屋に入ると慎一郎は上体を起こしていた。どうやら、大分前に目覚めていたらしい。ボロボロの服でベッドに放り込んだはずが、今はパジャマに着替えてやがる。まだ、寝るつもりらしい。
「身体はどうだ? 致命傷に近かったんだ。簡単には戻らないだろ」
とりあえずベッドの縁に腰掛けて、慎一郎の額に手を伸ばした。運んでくる時は、かなりの熱を帯びていた。身体があの熱量では、相当の負担だったに違いない。
「悪くはないですよ。かなりダルい感じですけど、動けないこともありません」
両手を挙げてニコッて笑うけど、熱は未だに引いていない。額に当てた手がその証拠を告げてくる。
「まだ駄目だな。大人しく寝てな。表面の傷は治せても、肉体レベルのダメージまでは完全に癒せないってことだろう。……完全に使えたら、それも克服できんのかな?」
「はい?」
「いや、こっちのことだ」
「翼龍は、逃げたんですね?」
「…ああ…」
「これから、どうなるんでしょうね? 堕龍、翼龍ときて、今度はどんな龍が出て来るんだか」
「嫌なこと言うなよ。これ以上はあたしだって御免だよ。あんなこと人生で二度も経験したら十分だよ」
でも、慎一郎の懸念はあたしも持ってる。龍の血族達が、じじぃの言う通りに長い役目を担っていたとするならば、ここに至って短期間に二匹が復活した事実と照らし合わせれば、残りの龍が復活しないとはとても言えない。
「そういえばマミさん、僕の名前を何度か叫んでましたね?」
ぐっ。嫌な予感に囚われてた思考が一気に吹っ飛んだ。てめぇ、今、それを言うか?
「さ、叫んでなんかいねぇよ。馬鹿か?」
「い〜え、叫んでましたね。泣きそうな声で呼んでましたよね?」
「なっ、泣いてない! あたしが泣くか! ボケっ!!」
「いやですねぇ。照れることないですよ。正直になりましょう」
うんうんと頷きながらあたしの肩に手を置いてくるんじゃねぇよ。まったく、しんどいくせに。乗せられた手が異様に熱い。
「てめぇは、黙って寝てろ。…これからは、なるようにしかなんねぇんだ。心配したって仕方ない。その時までに万全な態勢を作って待つ他ないのさ」
あたしは慎一郎の手を押し戻して、頭を掴んで布団に押し込んだ。こいつが何者かを詮索することも大事なんだけど、今回はまるで役に立たなかった。あたしと同様の異世界人だっていうのも、ホントはあたしの勘違いで人間なのかもしれない。変に疑問は残るけど、特別な力を発揮できないことは確かなのかもしれないし、人間並みに脆弱だってことも事実だ。
……なんか、釈然としないけど、今はどうでもいい。こいつが生きて笑ってる。それだけで、なんか嬉しいしな。
「さてと、じじぃを追い出して、あたしも寝るとするかな?」
「マミさ〜ん」
ぐっと伸びをして立ち上がったところで、慎一郎が布団から眼だけを出してあたしを呼んだ。
「…なんだ?」
「…なんでもありません」
この馬鹿だきゃ、何を考えてんだか。顔を出してニコッと微笑む顔は、うっすらと汗が滲んでいる。本当なら全身の汗を拭いてやるくらいした方がいいんだろうけど、そんなことあたしに出来るわけない。
まぁ、後で頭くらい冷やしてやるか。
不意に上体を起こそうとする慎一郎を、慌てて止めた。何する気だ?
「どうした?」
「いえ、汗の掻き過ぎですかね。喉が乾いてしまいまして。はは」
ったく。そんなことくらい、ちゃんと言えよな。あたしって、そんなこともしてくれないように思われてんのかな?
「待ってろよ。水か? それとも何か違うもんか?」
「いえ、水で結構です」
そういやぁ、病人の看病なんてしたことなかったな。なんかむず痒い感じだ。
あたしは慎一郎を押し戻して、ちょっと考えた。いや、考えてなかったかも。身体が自然と動いたっていうのかな? 変な感じ。
「あの…マミさん…」
慎一郎が呟いたみたいだけど、あたしは両手で慎一郎の顔を挟んで、どういうわけかわかんないけど、そっと唇を合わせちまった。ほんの数秒だけど。
途端に自分の行動が恥ずかしくなる。いったい何してんだ?
慌てて身体を引いて、そそくさとベッドから離れて背を向けた。顔が熱い。ヤバイ、慎一郎の熱がうつったのかも?
うう〜、慎一郎があたしの背中を見てるのがわかる。きっと、優しく微笑んでるんだろうけど、そんなの見れない。なんとか誤魔化さないと。
「か、勘違いすんじゃないぞ。あの〜、あれだ。あの、ほら、今月分の家賃。まだ、払ってなかったろ? そ、それだかんな。変な想像してんじゃないぞ。あ〜、今、水、持ってきてやるよ。ちょっと、待ってろ」
あたしが部屋を出るまで、慎一郎は何も言わずにいた。く〜っ、それが、また何とも居たたまれない気持ちにさせる。
どうしたってんだ、あたし。こんな乙女チックじゃないだろが。
ああ〜、やめやめ。考えない考えない。こんなことでこれから先、どんな顔して慎一郎と暮らしてくんだよ。
それでも、何だかウキウキしてる自分も、どっかに居たりして…。
やっぱ、どうかしてるぜ、あたしってば。
おわり
永い間の御愛読、有難うございました。
何とか最終話まで漕ぎ着けることができました。
話の流れでは、まだ続きがあるんですが、このシリーズは一端ここで筆を置こうと思います。この次を書くかどうかは、今は決めていません。
好きで読んで下さっていた方々には、申し訳なく思います。
ただ、永遠に書かないというわけでもないと思います。私自身、またマミに会いたくなったら、書こうかと思います。
もし、もし、続編を熱望される方が居られましたら御一報下されば幸いです。
稚拙な文章にお付き合い下さりましてお礼を申し上げると共に、これからの作品にもお付き合い下されば至福の感激にございます。
天中 涼介
2009/02/25