第二十二話
軽くダッシュして、とりあえずじじぃを助けようと思ったんだけど、こいつが何ともビックリな結果になった。
右足に力を込めて爪先で地を蹴った。と、途端に視界が流れた。とてもあたしの動体視力じゃ追いつかない。慌ててブレーキったって止まるもんじゃない。じじぃが張った水の膜まで鼻先数ミリってところで、やっと止まった。
振り向いて見れば、目測は誤ってなかったらしい。じじぃが転がって行くのが見える。翼龍は左腕を大きく上げて眼を剥いてる。
二人の間に割って入る予定だったんだけど、割って入ることには成功した。けど、自分の速さまでは予想してなかった。飛び込んで気付かないうちに通り過ぎ、二人の繋がりは切ったけど、それだけの話になっちまったってわけ。だって、自分がこんなに速くなるなんて予想してなかったし、視界が狭まるくらいなら経験あるけど、全然見えなくなるなんてどんな速さなんだよ。
まぁ、じじぃ助かったみたいだから良しとしよう。だけど、ダッシュは危険だ。自分で制御できないんなら無駄な力にしかならないし、何より行動範囲が限定されてるこの場所では命取りだよ。…その命、使ってんだけどね。
こうなりゃ、接近戦が効果的。『命の魔力』のお蔭で身体に廻る防御魔力も最大に発揮されてる。これなら、ちょっとのことくらいじゃ傷付かない。
「…今、通り過ぎたのか?……見えなかった…何の魔力だ? こんな魔力、聞いたことがないぞ」
おやおや、まだ驚いてんのかよ。悪いけど教えてやれないね。そんな時間も惜しいんでな。
油断してっと瞬殺すんぞ!
小走りな感じで距離を詰めようとしたけど、それでもいつもの全力疾走に近いレベルになってる。こいつは何倍増しなんだか。
「チッ! かなり予想とは違うな。まったく驚くことばかりだ」
へんっ。ボヤいてんじゃないっての。こっちは時間とも戦わなきゃなんないんだから、ツベコベ言ってる暇は無しじゃ!
真正面から対決する以外に選択の余地がない。迎え撃つ翼龍は、大鎌を横薙ぎに振り抜いてきた。今のあたしに死角なんかないっての。反応がちっと遅れても、ムチャクチャなこのスピードが全てをカバーしてくれちゃうんだから。
大鎌を撥ね上げるつもりで振った剣が、抵抗を感じた刹娜、ガラスでも砕けたような音と共に、翼龍の大鎌がバラバラに飛び散った。威力絶大『命の魔力』ってか。ただ、問題は使う本人が制御出来てないってこと。
あたしの剣は大鎌を粉砕しても止まらずに翼龍の嘴をかすめて腕の長さの分だけ弧を描く。勢いがついただけに止まんないのさ。
その隙に翼龍は後退して逃げた。う〜、まどろっこしくてムカツクわ。
「なんつうパワーにスピードだ。お前、バケモンか?」
化け物に化け物なんて言われたくないっちゅうの。化け物並にはなったけどな。
しみじみ砕けた大鎌の名残りを見つめて、翼龍はちょっと考える素振りをみせた。
「どうやら、こっちも力不足になってきたみたい。そろそろ補給が必要だな」
顔を歪めているのは笑っているのか、苦い表情なのかはわかんない。わかんないけど、言葉通りに受け取るなら、あんま良い事を考えたわけじゃなさそうだ。
逆関節の膝をグッとたわませると、
「マミお姉さん。その魔力、制御出来てないんだろ?」
と眼を細めて嫌な笑いを作り、音も無く跳び上がった。斜め四十五度、目標は明らかだ。じじぃが張り巡らせた水の幕。
跡を追って跳ぶことも考えたが、躊躇してしまった。今のままじゃ、翼龍に追い付いても見えやしない。流れる景色に同化しちまう。
別に追い掛けなくたって、着地するとこ狙えばいいんだから、無理することないんだよね。…その時間がもったいないけど…。
空中で大振りに左手を縦に閃かせる翼龍。途端に空間に四本の鉤裂きが出来る。水の幕が裂けたんだけど、その裂目が一気に広がっていく。翼龍の力なのか幕自体が傷に脆いのかは判断できないけど、広がった後は溶け行くように消えていった。
着地地点を目算で見当付けて移動しかけたところで、周りが騒がしくなった。最初は女の悲鳴だったが、それを切っ掛けのように喧騒が広がり、車のブレーキ音やクラクション、果ては衝突音まで響く始末。
幕の効果が消えたことで、路上の通行人や運転手にもあたし逹が見えるようになったんだ。こんにゃろが、面倒なことしやがって。
人間が驚くのも無理はない。空中には異形の化け物が浮かんでるし、あたしなんかエメラルドグリーンに光っちゃってんだから。あっ、翼龍の奴、着地狙われると予想して、空中で静止してやがる。まったく、イヤミな奴。あたしが思うように動けないと知っててだもんなぁ。
「集まるもんだな。餌にしては十分だ」
まぁ、そりゃそうだよな。あたしを食えないとなりゃ死に損ないの慎一郎かじじぃしか居なかったわけだし、食うにはあたしを何とかしなきゃなんないだし。そうなりゃ、簡単に食える外の人間ってのは、実に論理的な結論だ。
「化け物だぁ!」「ホタル人間だぁ!」「人が倒れてる!」「浮いてるぞ!」
なんやかんやとやかましい野次馬が次々に増えていく。逃げなきゃ餌になっちまうってのに、なんて脳天気な奴らなんだか。
「おぉおぉ、集まる集まる。こいつは大漁だ」
黒山の人だかりとは良く言ったもんだ。一分とせずに遠巻きにした人垣が輪を作りかけてる。
だけど、ここから始まるのは餌をむさぼる蹂躙と殺戮だ。黙って見てるってわけにはいかない。
ただ、このままじゃ駄目だ。あたしは出来るかどうか分かんないけど、眼の神経に魔力を集中してみた。
眼が飛び出るかと思うほど熱いものが眼球の奥で渦巻いた。思わず両手で押さえたけど、熱はそこに止まったまま、眼全体に広がっていった。
「あっつ〜い! あつい、あっつい、あっっつ〜いつうの!」
って叫びはあたし。我慢しようかなっても思ったんだけど、我慢の限界を越えてた。涙が流れてきたし、火傷でもしてるみたいにあっついの。きっと、デリケートな眼なんかには本人が望まない限り『命の魔力』は流れないようになってんだろうと思う。こんなあっついの我慢するって最初からだとキツイものがあるもの。
「なにを騒いでいるんだか。そんじゃ、まずは二、三匹でも食っとくか」
どうせ呆れ顔してるんだろう翼龍の声が頭上でしてる。
こうなりゃ仕方ない。我慢出来るとこまで我慢して、その後は出たとこ勝負ってことで。
そうと決まれば迷うことない。翼龍が浮いてる場所目掛けて、腰だめに剣を構えてジャンプする。うひょー、さっすがの効果。クッキリってわけにはいかないけどちゃんと見える。たぶんぼやけてるのは眼から流れるあたしの涙のせいだろう。
あたしが飛んで来るなんて予想もしてなかったのか、翼龍は身構えるのに遅れがでた。すかさず下から切り上げる。が、翼龍も速い。左手を横に振り抜いて剣を払う。
脆いガラスが砕ける音が連続で四回。剣を払うはずの小鎌が全てバラバラになって地に落ちる。
多少なりと剣の軌道が狂わされたのか、翼龍が身を捻って避けた。空振りしたからって、そうそう空中での上昇は止められない。それでも右手の剣を思い切り下に振って勢いを殺し、前転するように身体を丸めた。すぐさま背中辺りに強いショックが襲う。
隙が出来たあたしを翼龍が見逃すわけがない。蹴り飛ばしたか殴り飛ばしたかは分からないけど、感触としては足かな。急降下でアスファルトに叩き付けられる。怪我することも考えて身体は丸めたままで左を下にして墜ちた。アスファルトが丸く窪んで、その縁が粉々に砕けて散らばる。
直ぐに身体を解いてみる。すっげぇ、怪我ひとつ無いわ。痛くもない。
上空をチラリと精査して翼龍を探して焦る。ヤロウ、野次馬に飛込む気だ。
立ち上がる勢いで地を蹴った。コンマ一秒で翼龍を抜き去り、野次馬の前に出る。悲鳴と怒号が入り混じる背後は、押し合い圧し合いしてる気配だ。今のあたしの動きと緑に光っちゃいるが全身血まみれ、左腕が半分切れてるのを見れば優雅に見物してる場合じゃないことくらい分かるわな。
翼龍のことだ。遠慮も無しに突っ込んでくるかと思ったが、あたしの手前五メートルくらいでストップした。眼が恐いよん。苦々しい目付きじゃん。
あたしは優越感に浸れるから嬉しいけど、猶予はそんなに無いだろう。既に数分経過してる。
奴は空中に居るっても、今は精々が二メートルくらい。今度は飛び上がらずに地を駆ける。
あたしのスピードに反応出来て無い。太股位を狙った切っ先は、翼龍が引っ込めるスピードより速い。両足の足首から切り落ちた。
見えるようになっても直ぐには止まれない。翼龍に背を向ける形になった。いきなり空気が変わった。息苦しさに顔が歪む。
蠱毒だと分かったところで、今更吸い込んだ息は戻せない。肺の辺りが焼けるように熱い。痛くは無いのに呼吸が継げない。苦しさに膝が地に着く。
「こいつは有効だったか。まったく化け物の上を行く本当の化け物とはマミお姉さんのことだ。次から次へと人の身体切り刻みやがって、くっつける身にもなれってんだ」
背後で何かを拾う気配。両足を拾いあげて修復する気なんだろう。
「もうひとつオマケだ」
蠱毒の空気が濃く、広くあたしを包む。
息を止めて飛び出すことも考えたが、あたし自身の変化に気付いた。
光りが薄くなってる。エメラルドグリーンに輝いてた色が、今は黄緑がかった新緑色だ。光る範囲も狭まったのか、あたしの眼も普通に見え始めてる。
そろそろ限界が近いってことでしょ。
息は苦しい。けど、チャンスは逃せない。今、奴はあたしの背後で足の修復に気を取られてる。あたしのことも蠱毒で動けないと思ってる。
今しか無い。
慎一郎を死なせないためにも。いや、ここに居る全ての人間を守るため。…違うな。もっと切実に思えるんだ。何かを守りたいんだって。
覚悟は出来たなんて言えないけど、もう一撃だけでいい。あたしの命、力を下さい!
膝を着いた姿勢から跳ね上がるように身体を起こし、反転する勢いに全身の力を込めて、翼龍の右脇腹から脳天に向かうように剣を叩き込んだ。
油断していた翼龍に避ける余裕などありはしない。驚きと恐怖が入り混じった表情は、あたしに勝利の確信を告げていた。
「うっぎゃーーー!!!」
翼龍の断末魔。あたしの命、良く持った。これで明日、あたしの命が尽きたとしても本望だ。……って、えっ?
「ぎゃーーー……あ?」
き、き、切れて…ない…。
あたしの剣は翼龍の脇腹に押し付けられてはいるが、その刃は一ミリたりとて翼龍を傷付けて無い。
「お、脅かすんじゃないよ。思わず叫んじまったじゃないかよ。魔力切れだな。もう、光ってもいないぜ」
そう言われて気付く。緑の光りは、既にどこにも宿ってなかった。あたしの『命の魔力』は、今、尽きたんだ。
剣が名残り惜しそうにベルトに戻っていく。完全に魔力が抜けた証拠とも言える。
全身を経験したことがないような痛みが突き抜けて、一瞬意識が遠くなる。フラリとした上体に衝撃が来たのは次の瞬間だった。
腹に喰らった翼龍の蹴りで、あたしの身体は十メートル以上も飛び、堅いアスファルトの上を何度も跳ねた。激痛と息苦しさに不鮮明だった意識が舞い戻る。気絶も許されない痛みに悶え苦しみながら、ふっと疑問がよぎる。
『あたし…なんで生きてんだ?』
そう。『命の魔力』は文字通り『命』を使う魔力。使い切れば寿命が尽きたと同様、生きていられるわけがない。
なのにあたしは、ここで痛みに苦しんでる。母さんの言ってたことが間違いとは思えない。ってことは、自分の意思で魔力を断ったってこと? 命が惜しくて、あたしが自分で止めたってこと?
痛みとは違う意味で涙がでた。あたしの覚悟ってそんなもんだったのかよ。守るなんて大口叩いて、自分の命可愛さに最後のチャンス潰しちまうような馬鹿だったのかよ。
「…ぐぅぅ…」
悔し涙に嗚咽が混じる。もう動かない手足がこんなにも恨めしい。
「ビビったねぇ。いや、最高のドッキリだったぜ。まぁ、良くやった方だと思うぜ。俺様相手に満身創痍とはいえ、後一歩までいったんだから。けど、真龍が目覚めたら、こんなもんじゃ済まないからなぁ。今、ここで死んどいた方が幸せかもよ」
翼龍が遠くで語りかけてるようだけど、あたしには聞こえてないも同然だ。自分の無力さ、不甲斐無さ、臆病さに泣くばかりさ。放っておいてくれよ。
「弱者の泣き言は楽しいねぇ。マミお姉さんがそこまでして守りたかったものをこれから全部踏みにじってあげるよ。そこで無力な自分を呪うがいい。最後に美味しく頂いてやるよ」
そろりと翼龍が動く気配がする。野次馬の方に動いたようだ。悲鳴と逃げ惑う足音が入り混じる。
「フハハハハ、逃げろ逃げろ! どこに逃げても無駄だけどな。ちょっとだけ寿命が延びるだけだ」
逃げるネズミをいたぶる猫のように、恐らくはスピードを活かして追い詰めているのだろう。その後に巻き起こるであろう悲劇を想像して、あたしの中で悔しさが滲む。涙が止まらない。
慎一郎は?
首だけを動かして倒れてた場所を確かめた。あの馬鹿、立ち上がろうとしてる。動くんじゃないよ。血が滴ってんじゃないかよ。死んじまうぞ。
じじぃは?
転がってった方には姿が見えない。どこ行った?
悲鳴が金切り声になりつつある。惨劇が始まるのも近いと告げてる。
慎一郎が力尽きて倒れた音がした。
うう〜、何とかしたい。けど、出来ない。それでももがくって、今の状態で意味あるのかよ。慎一郎、お前が立ち上がって何が出来るんだよ。戦えないどころか、満足に立ってもいられないクセに。本当は異世界人のクセに。優しく見えてエロいクセに。賢いフリして呆けてるクセに。あたしのこと…あたしのこと好きなクセに!
もがくなら、あたしだって負けない。勝てなくたって、慎一郎より後になんて死んでやるもんか。
両手に力を込めるけど、上手く動いてくれない。筋肉が笑うとかいうレベルじゃなく、小刻みに震えて支えにもならないくらいだ。それでも頭を持ち上げる。全身が痙攣したようにガクガクしだす。
見ろよ、慎一郎。あたしだって、こんなだぞ。情けないよなぁ。
ガクガクする身体を無理矢理に引き起こして、何とか四つん這いにはなれた。気を抜くと力も抜けそう。今度倒れたらもう一度なんて気力も無くなりそうだよ。
下を向いた額に水が流れる感触がする。こんな状態でも汗が出るんだなぁ、なんて呑気なこと思ったけど、落ちた一滴は紅い色だ。全身傷だらけだから、おかしくは無いけど、汗だと思った自分が笑えた。
自然と紅い一滴を眼で追ってた。スローモーションのようにゆっくりとあたしの左手に落ちていく。
息が苦しい。落ちる瞬間まで見れかった。眼を閉じて大きく息を吸い込む。途端に全身に激痛が駆け巡って息が詰まってしまう。
あぁ〜、こんなんじゃ立つのも大変だな。身体の痛く無いところ探す方が難しいくらいだもんな。やけに左手は熱いし。きっと腕からの血で暖かいのかも? 熱いや…あつい…あっちぃなぁ…。
ん? マジであっつい。…いや!
「あっつ〜い! オマケにいった〜い!!」
思わず身体が起き上がっちまった。んなことすりゃ、ガタガタの身体が悲鳴を上げるのは当然。それでも膝立ちになれたのは奇跡だ。左手をブンブン振ってみたけど熱さは取れない。それどころかどんどんと熱が上がっていくようだ。
「あつ〜い! いた〜い! あっつ〜い! いった〜い!」
なんだか自分でもわかんないような状態になっちまってない? 熱いのは左の中指の付け根あたり。じじぃがくれて、慎一郎がはめた指輪があっつ〜い!! どんなに引っ張っても抜けないし、真っ赤に焼けたみたいになってるし、煙が出てるよ〜。
野次馬連中の悲鳴が激しくなってきた。振り向いて確かめて見た。ああ〜、なんて悪趣味な奴なんだろうね。数人が血を流して逃げ惑ってる。翼龍の奴、動けなくならない程度に噛み付いてやがるんだ。一人は太もも、一人は肩、腕、背中、手と傷付けはするが殺さない。恐怖と痛みの連鎖に逃げる気力もやがて失われ、いっそひと思いにと覚悟してしまう。身も心も奴に蹂躙されちまうんだ。
ああ〜、もう!! どうすることもできねぇし、あっついし〜! もう、ダメ。我慢の限界だよ〜!!
左手押さえて立ち上がってった。バタバタと地団駄踏みながらグルグル廻る。なんかバターにでもなりそうだけど、身体の痛みも忘れてるけど、今現在進行形の火傷の方が痛いし熱いし〜。
「どうやら間に合ったようじゃの。わしも痛い思いをした甲斐があったというもんじゃの」
じじぃ! いきなり後ろに立ってんじゃないっての。ってか、何が間に合ったんだ? あっつ〜いつうの!
「本当に熱いかの? もう一度、確かめてみたらどうじゃ?」
何言ってんだ? けむり、煙が出てんだろが。焼けてんだよ! って、あ、あれ?
「熱く…ない」
「じゃろ? 今なら、嬢ちゃんにも見えるじゃろ」
じじぃの言う通り指輪は熱くなかった。火傷でもしたと思ってたところも何も変化してない。不思議なことに身体の痛みも薄らいでいるみたい。痛くないってわけじゃないけど動ける。流れてた血も止まってる感じ。
わけわかんないけど、じじぃを振り返って見る。にこやかな顔で上を指差してやがる。額に少し血が滲んでるけど、それほど大きな傷は見当たらない。
上って空か? 今じゃじじぃの張った膜は無く、微かな星空が見えるだけだろ。なんだってんだ………。
こ、これって、なに?
つづく




