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第二十一話

「いいこと? マミ。これから話すことは絶対に誰にも言っては駄目よ」

 あたしが十歳の誕生日を迎えて3日後。家の裏にある小高い土手に大きな岩があるんだけど、夕闇迫る日没時、母さんはあたしをそこに連れ出した。

 当時のあたしの背丈の三倍はある巨石に放り上げられて、母さんは軽く飛んで登ってきた。頂上に二人で座り、落ち行く太陽を眺めながら、紫色から藍色に侵食されていく空に切なくなったりもした。

 そんな時間を過ごすうちに、不意に母さんが言い出したことだった。

「これから教えることは、本当は知らなくてもいいことなの。今では使える人もいるかどうかだし、知識として知っている人ですら数人でしょう。このまま生きていっても、きっと習うこともなければ聞くことさえないかもしれないわ」

 あたしの方を見ることもなく、ただただ夕日に向かって話しているかのような母さんは、いつになく難しい表情というか、険しい表情といっていいかも知れなかった。

「誰も知らないのに、何で母さんは知ってるの?」

 素朴な疑問も当然だろ。知らない、使えないってんなら存在もしてないってことだろ。

「母さんの母さん、マミからしたらお婆ちゃんね。その人から教わったの」

 優しく微笑んであたしを見る母さんは、さすが夜の女帝と呼ばれているだけあって、夕闇に白い肌が映える。子供心ながら見惚れてしまうほどだ。母親に見惚れるってのもどうかと思うけど。

「教わった晩は怖くて眠れなかったわ。眼を閉じるとそれが見えそうで…」

 そこで言葉を切ると、再び暮れ行く地平に視線を戻して、すっと眼を細めた。不安そうな顔にも見えた。

 太陽は既に姿を隠し、名残りのように薄紫色を地上に送っている。

「マミ。約束して欲しいの。もし教える魔力が使えるとしても、決して使わないって。誰にも話さないって。約束してちょうだい」

 あたしの方など見ないで話す母さんは、何だかとても苦しそうで、泣いてるんじゃないかと思えるほどだった。だからあたしも

「わかった。約束する」

って言ってたんだ。

「今の約束、忘れないでね」

 ん〜。念を押されるってことは、信用されてないのか、それともそれだけ大事なことなのか。

「マミに教えるのは『命の魔力』っていうの」

「命の魔力?」

「そう。そもそも生きる全ての物は魔力を持っているわ。マミが使う魔力とは違う、生きていることで使われる魔力なの。マミの心臓を動かして、怪我しても治して、身体が成長する度、大きくしたりして使われるの。それは生まれた時に量が決まって、事故や病気で死なない限り寿命を保つものなの。つまり、その魔力がある限り生きていられるけど、尽きてしまえば死んでしまうってことなの。それは普段は使えないし、自然に働いているものだから、魔力だと気付いていない人が大概なのよ。それが使える条件もあるし、素質にも左右されるわ。だからこそ貴重な魔力とも言えるんだけれど、本当の意味はもっと違うところにあるの」

 母さんは中空に瞬きだした大きな星に目線を向けていた。ちょっと上向きになった母さんの顔は、暗くなった空気ににも白く際立っていたけれど、それが嫌に悲しく見えた。

「この魔力を使うには、何物にも代え難いと思う心。そうね…とても大事に思うことと、それをどうしても守りたいって思うこと。これが無いと使うことができないの。それだけじゃなく、素質もあるわ。使いたくてもその素質っていうのかしら、資格なのかしら? それが無いと使えないの」

 東の空にチラホラと現れ出した星の輝きを横目で確かめて、夕刻の未練のような藍色の西の地平線を見比べているのか、母さんの瞳はなおも細められていた。

「…マミ。眼を閉じて」

 重々しくなった空気に抗うことも出来ないあたしは、母さんの言うがままに瞼を降ろした。

「自分の鼓動…心臓の音が聞こえる?」

 普段は意識してない心臓の脈動。それを聞くってことは意外と難問だった。けど、集中すれば無理なことはない。あたしは、母さんに頷いて見せた。

「…じゃ、心の中に水溜りを思い浮かべてみて。どんな大きさでも深さでもいいわ」

 あたしは、大きな水溜り、いや、もはや水溜りとは言えないような大きさと深さを思い描いていた。だって、創造するなら大きい方が気持ち良いじゃん。

「思い浮かべた? じゃ、心臓の音に合わせて自分がそこに歩いて行くことを想像してみて」

 沈んじゃうじゃんって思ったけど、どうせ想像なんだから溺れることなんか無いよね。ただ、鼓動に合わせてっていうのが想像でも苦労する。だってリズムだと思うでしょ? 結構、心臓って規則正しく動いてくれないんだよ。ほんの僅かなズレだけど、予想してると空かされたりするんだって。嘘だと思ったら寝る時にでもやってみてよ。鼓動に合わせて歩くってイメージ。きちんと歩けたら、その人ってすんごいと思うよ。

「そのまま歩き続けてみて。何か見えてくる?」

 歩いて水溜りってか湖みたいだけど、そこに歩いて沈んで行くイメージ。ユラユラする視界には何も見えてはこない。暗い水の中に沈むような不安定な感覚に震えがきそうだった。

「… 何か見える?」

 母さんの声が少し遠くに聞こえる。あたしは首を横に振って答えた。だって、眼を閉じてるんだから見えるわけないよ。

 自分の心音を聞く、っていうより感じるのって集中力が大変。油断して他のこと考えてたりしたら一拍くらい消えたりする。

 それを感じながら、あたしは心の奥底に歩いていく。

「…そう…マミには素質がなかったかな?」

 残念そうな言葉なのに、母さんの口調にはどこか安堵の溜め息が入っていたみたい。

「…あっ!」

って声を挙げたのはあたし。ユラユラ揺れる水の中で、あたしの位置よりずっと下の方に、何かが見えた。

「どうしたの?」

「何か見えるよ。ちっちゃい光りみたいなの。緑色でね、落とした針が光ってるみたい」

 素直な感想だったんだ。ずっとずっと、すんごい遠くで針の先が光ってるような。でも、良く見ると強く弱く明滅するようだ。そう、あたしの鼓動と同調するような…。

「…それは、どこに見える? そこに近付ける?」

「う〜ん、どうかなぁ。ずっと下の方にあるよ。近付けるかなぁ。足の下だから行けそうもないよ」

 遥か下に見える光りに跪いてみたものの、ガラスで出来た地面なのか見えるけど行けそうもなかった。

「…そう…もう、いいわ。眼を開けて」

 そう言われて瞼を持ち上げる。つもりなのに重りが乗っかってるのかと思うほど開けない。身体の方も何故かグッタリとしていて、酷い疲労感がある。

 もたもたとしているようにでも見えたのか、母さんがあたしの両眼を指先で押し開けた。既に夕闇というより夜といった空気に眩しさは感じなかったけど、アップになった母さんが眩しい。っていうか、母親としての優しさは無いのかよ。無理矢理、瞼、開くってどんなだよ。

 一度開けば楽になったけど、疲労感は抜けない。グラッと身体が揺れて岩から落ちそうになった。寸前のところで襟首をひっ捕まえられて猫の子のように吊り上げられて、母さんの膝の上にダッコされた。こんな母親なんだよな。あたしも猫も扱いは変わんないんだから。

「いいこと、マミ。あなたは『命の魔力』が使える人みたいなの。今の光りがそうよ。今はその光りに手が届かなかったかも知れない。けれど、本当に守りたいもの、自分を犠牲にしてでも守ってあげたいものが出来た時、同じように進めば届くようになるの。『命の魔力』はとても強くて、何物にも負けないほどの力を与えてくれるわ。でも、裏腹にマミ、あなたの命も同時に使うことなの。使い切ってしまえば生きてはいられない。使う時が来ても、出来るだけ短く…いいえ、使わないで欲しいわ。いいわね」

 母さん、あなた、本気で睨み効かせてるでしょ。それもドアップで。その相手は自分の娘なんですがねぇ。

 あまりの怖さにゴクッと喉が鳴った。

「そうよ、とても怖い魔力なの」

って、勘違いしてません? あたしが怖いのは母さん、あなただよ。トホホ…。

「この魔力のことは誰にも話しちゃ駄目よ。例えお父さんでもね。…もし、言ったりしたら、一ヶ月間、日替わりで罰を受けてもらうから。わかった? うふっ」

 ……おいおい、一番最後の『うふっ』てのが最高に怖いっての。眼が無くなるほどの妖艶な微笑みだけど、その裏のサディスティックな想像は知りたくないよ。

 と言っても、それから一週間後、学校の友達にイタズラしたのがバレて、罰と称して山の中に置き去りにされ3日、自力で帰って来たら母さんと親父は旅行に出ていて、更に3日放置されるという拷問を受けたあたしに、『命の魔力』を語ることはおろか、記憶に留めることも危険と悟り思い出すことさえ無かった。




 その力が、今は欲しい。死んじまいたくはないけど、このままなら同じ結果になる。

 今や翼龍は、じじぃの傍まで近付いた。手を延ばせば届く。

 地面に伏した慎一郎は、僅かながら足が動いた。

 まだ大丈夫。まだ間に合う。

 ゆっくりと瞳を閉じた。心の中に水を満たして行く。子供の頃に描いた湖のような広さは浮かばなかった。精々が沼って感じかな。心臓の鼓動を感じて、その水に入って行く。膝丈から腰、やがて全身が水の中に入る。

 時間の感覚が無くなり、ただ黙々と鼓動と共に歩く。光りが見えたのは子供の頃より早かった。それも下にあったはずなのに、今は腰の高さに浮かんで、丸い1メートルほどの球体だ。

 淡い緑色で新緑の木の葉色。鼓動とシンクロするように脈打ちながら小さく大きく光りを放つ。

 あたしはそれに手を延ばした。けど、眼の前にあるはずのそれには届かない。見えない壁が球体の周囲を覆ってるような感じで、いくら殴ろうが蹴ろうがビクともしない。

 どうなってんだよ、母さん。今こそ必要なのに。今だから使いたいのに。

 母さんが優しく微笑んだ顔が浮かんだ。なんだよ、そんな顔も出来るんだな。

 フッと消えて、ソロモンじぃさんの姿が浮かぶ。

 じじぃ、結局、あたしの世界への出口、教えてくれなかったな。なんだよ、笑ってんじゃないよ。

 またも消えて、今度はホウヤの姿が浮かび上がる。淋しそうに背を丸めるホウヤ。

 ホウヤ、可哀想なことをしたな。初めて出会った時に気付いてりゃ、こんなに苦しい思いしなかったかもな。悪いことをした。そんな顔で笑うなよ。

 霞むように消えて行く。その後に、慎一郎の後ろ姿が現れた。なんだよ、後ろ向きかよ。

 あたしの弱味に付け込んで、あたしの唇奪いやがって。弱っちぃくせにあたしを庇ったり、突然すんごい魔力使ってみたり。ほんと、わけわかんねぇ奴。こっち向けよ、馬鹿。なんで死にそうになってんだよ。弱いんならあたしの陰にでも隠れてりゃいいじゃん。お前にあたしが守れるわけないじゃんよ。

 くっそ、なんでぼやけてんの? まさかあたし泣いての? 慎一郎ごときがあたしを泣かせたってぇの? 有り得ないよ。

 なんだよ、こっち向けってぇの! 顔くらい見せろよ。死んだりしたら承知しないかんな。

 ……死んだり…しないよな……死ぬなんて……お前は、死なないよな……死なせない……慎一郎! お前だけは、死んで欲しくない!!

 例えあたしの命と引き替えにしても、慎一郎だけは守りたい!

 背を向けたままの慎一郎に、どうしても抱き付きたくなった。こんなこと普段のあたしなら死んでもしない。だけど、振り向いてもくれない慎一郎の背中を見つめると、妙に切なくて胸の奥が酷く痛い。

 涙でグシャグシャな視界が、慎一郎の姿を消してしまいそうで、我慢できずに両手を延ばした。

「慎一郎、行かないで…ここに居て……しんいちろう!」

 水に溶けて行くかのように薄くなる背中に飛び付いた。情けないことに慎一郎の名前を叫びながら。

 慎一郎に届く瞬間、眩い光りの乱反射に包まれた。それは新緑のライトグリーンだったが、砕けたガラスのような細かい光りに変化すると、まるであたしを包むように浮遊して眩しいばかりのエメラルドグリーンに輝いた。

 あまりの光量に眼も開けていられない。閉じた瞼の裏からも、砂の結晶のように流れる光りの粒が見えた。

 なんだ、これ? 慎一郎の姿なんてどこにもない。光りの粒子に包まれて、不思議な浮遊感があたしの身体を持ち上げる。

 浮いていく。浮上するって方が正しいのかな? ゆっくりとした速度だけど、あたしは意識の表面に連れていかれてるんだと確信した。

 静かに瞳を開く。盛緑の光りが膜のようにあたしの視界を包んで、景色をエメラルドグリーンに染めている。発光は実際の光りとしても作用しているのか、あたしの周りも光りに照らされているように見える。

 眩しいくらいのエメラルドグリーンに世界が染まっている。

 それだけじゃないんだなぁ。いつのまにやらあたしって、現実の世界に戻ってきてた。眼前には倒れた慎一郎がいる。ちょっと胸が痛い。

 倒れてたあたしも無意識に立ち上がっていて、驚くことにしっかりと剣まで握り締めてる。

 大きく深呼吸をひとつ。それからクリッと振り返る。

 呆然とあたしを見つめる翼龍と視線が合った。じじぃを捕まえて持ち上げたところだったらしい。じじぃがバタバタと手足を踊らせてた。ちょっといい気味だけどな。

「なんでだ? なんで立ってんだ? その気色悪い緑の魔力はなんだ? お前、瀕死のはずだろ。魔力なんて溜められるわけがねぇ。いったい、何をした?」

 まぁ、驚くのも当然。あたしって先刻までほとんど死んでたって言って良かった。身体は血まみれ、背中は裂けてるし、左腕もプラプラだよ。生きてんのが不思議なくらいだよな。

 けど『命の魔力』。これって絶大だぜ。身体の痛みなんて感じない。神経全てが研ぎ澄まされたように、離れた慎一郎の浅い呼吸も聞き取れる。始終、魔力を送らなくちゃ維持出来ない剣も、溢れ出る魔力で充分なほどだ。こんなの今まで感じたことない。

「どんなだろうど構わないがな。そこで待ってろ! ソロモン王をあの世に送ってから相手してやる」

 ベロリと見たくもない舌を出して翼龍が大鎌を振り上げる。

 慎一郎。もうちっと、我慢して待っててくれ。すぐにこいつとの決着つけてやるからよ。

 それまで死なずに頑張んだぞ。

 ああぁ、それからついでに助けてやるよ、じじぃ。

 さぁ、翼龍くん。最終ラウンドだ。あたしには、もうこれっきりで後が無いんだかんな。あたしの命の灯、消せるもんなら消してみな。




                 つづく





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