第十七話
ボコって感じで膨らんだホウヤの胸が、服の限界を超えていく。ビリビリと引き裂かれていく上着の下から素肌が現れた。その皮膚までが縦に横に裂目を生じ、内側から新たな紫をおびた藍色のような肌が溢れだしてきた。変化は腕に足に続いて、可愛げな顔にまで及ぶ。鼻の突起がグッと迫り上がり、口を大きく開いて、裂目が耳元まで達した。
そこまでの変化を見届けて、あたしは眼を反らした。これ以上のホウヤに対する侮辱は見るに堪えない。けど、ホウヤの姿が異形に歪むのは瞳の奥に焼き付いた。これ以上は見ていたくない。
見えなくても音が聞こえる。変化は骨格にまで作用してるのか、バキバキっていう嫌な音がする。べチャリと軟体が発てる音も混じる。
うぅ〜、あの可愛くてカッチョ良かったホウヤが、きっと今は見るも無惨なバケモンに変身してるなんて、なんて悲しい出来事なんだ。
「マミさん!!」
慎一郎が叫ぶ声と背後に急速な圧迫感が襲い掛ったのは同時だった。意識するまでもなく身体の方が素直に反応した。前転するように飛び込んで空中で一回転、右足を蹴り出し地面で弾んで、もう一回転して着地。ちゃんと両足で立ってるし、何処も汚れてないぞ。
「マミさん…」
ありゃりゃ? なんだよ。慎一郎のとこまで飛んで来ちまったよ。まだ、コンニャロを許してないんだかんな。あっち行ってろ!
「はぎゃ!」
大袈裟なんだよ。ちょっと小突いただけだろ。何でそんなに転がって行くんだか。
まぁ、良い気分転換くらいにはなったよ。ちょっと気分が滅入ってきてたんだ。
さぁ、御対面といこうか?
振り向いたあたしの眼に最初に飛込んできたのは、紫色と藍色とがマダラに混在した丸太のようなものだった。その表面は街灯に反射して濡れ光っているようにみえる。あたしの背より幾分高い。それが今まであたしが立ってた場所に鎮座してる。
グラリと持ち上がったそれには、見紛うこと無き4本の鉤爪が、そこだけ白く突き出ている。指みたいなものは見当たらないが、こいつは足に違いない。
…まいったね、どうも。
まさかここまでとは思わなかったわ。足一本でもあたしの身体よりデカイってことは、あんた一体どんだけよ?
シューシューと荒い息は頭上で聞こえてくる。急激な身体の変化は翼龍にも負担が大きいのか、息遣いの中にも呻きにも似た嗚咽が混じる。
ここまで変身してりゃ、もうどこにもホウヤだった名残りなんかないだろう。まさかこんな図体で顔だけホウヤなんてことないだろ。
見上げた奴の胴体は街灯に照らされて予想もしていなかった鮮やかな色をあたしに見せた。どんなに禍々しい姿なのかと想像してた期待は見事に裏切られた。
まるで象のような足に爪をつけたようなマダラ模様とは違い、奴の身体はスベスベと濡れているように光り、その色は鮮やかなスカイブルーだ。所々に水に溶かしたような白い斑点みたいなものも見えるが、空に浮かんで溶けていく雲にも似て、それは見事に自然だった。
こんな奴が空に浮かんでたとしても、四肢は違和感あるかもしれないが、晴天の空に溶けこんで見事なまでの調和を見せることだろう。
んなことに感心してる場合じゃないっつうの。面はどんなもんよ。ホウヤの顔してたら承知しねぇぞ。
見上げた荒い息の出処は、行き着くまでに長い首を持っていた。およそ3メートル。身体と同じ空色で、胴体の方から太くてゴツイ感じなんだけど、頭に近付くにつれ細く華奢になっていく。
その頂点。肝心の頭は身体の鮮やかさとは掛け離れた毒々しさで、荒い息に合わせて上下していた。
似つかわしくないって言うより、ありえな〜いって感じ。だってよ、そりゃホウヤの顔じゃないよ。けどね、身体がそんだけ綺麗って言っちゃダメなんだろうけど、鮮やかなのよ。なのにその顔って、何で赤いの? おまけに細かい黒の斑点模様。それが細かすぎるために、頭全体が紅蓮のような気色悪さを醸し出す。ついでだから、もうひとつも突っ込んどくわ。その頭の天辺の半端な王冠みたいな三本の角はなぁ〜に?
さすがに龍の血族ってことかな? 気持ち悪さも天下一品ってとこだね。
顔自体は大型の鳥のような長く突き出した口が特徴的だけど、その縁取りはワニよりでかい鋭利な歯がびっしりと並んで、夜眼にも眩しいくらいに白く光っていた。
こんなデカイなんてちょっと反則行為だわ。堕龍くらいを想像してただけに、その差に泣きが入りそう。
「まぁ、こんなもんかな」
はふぅっと大きく息を吐いて翼龍が吐き捨てた。驚いた事に、翼龍の奴はきちんと口で喋ってやがる。
「ん? 何だよ、その不満そうな顔は? あまりに立派な俺様に驚いてるのか?」
器用にクチバシのような長細い口を動かして喋るのは、一見滑稽にも感じる。
でも、その口振りは不遜な野郎だ。『俺様』だってよ。まったく、龍の血族って奴はこんなんばっかだな。堕龍も口は利かなかったけど偉そうだったしなぁ。
「立派な姿の割にはトレードマークの大仰な翼が無いようですけど、やはり出来損ないですか?」
いつの間に復活してきやがったんだか、慎一郎があたしの隣で腕組んで仁王立ちしてやがった。何かお前も偉そうだな。ちょっとイラってしそう。
「あ? ああぁ! マジで羽根が無い! ったくよ〜、何だってこんなとこが無くなるかなぁ。俺様の羽根はなぁ、光り輝く薄い光沢をまとった淡い空色で、そりゃあ綺麗なんだぞ。一番の自慢なんだ。それが…それが足りないなんて…」
慎一郎の指摘に自らの背を振り返って見た翼龍の様子はいい気味だった。だってさ、きっと先刻の偉そうな態度と立派な姿の裏付けは、あるであろうと思い込んでた羽根にあったんじゃない? 正に裸の王様状態。
この際だ。大笑いしてやる。
「だっははははっは〜」
「あっ、てめぇ、笑うんじゃねぇっての。失礼だろ。大体なぁ、てめぇ等のせいだろがよ。あのガキをそそのかさなきゃ俺様は完全体になれたんじゃねぇかよ。人の欠点は笑っちゃ駄目だって教わったろ?」
何だ、こいつ。突然まともなこと言い出しやがって。
そりゃあ小さい頃に習ったさ。『人には優しく、長所は褒めて、短所は補い合いましょう』ってな。でもよ、それって人同士の話しだかんな。お前みたいなバケモンに適用されるわけねぇじゃん。オマケに、大量殺戮者ときては、考えるまでも無いだろ。
「あ〜ぁ、こんな姿じゃマヌケな首長竜みたいじゃねぇかよ。無くなるなら角くらいで良かったのになぁ。ったくよ〜」
けっ! 贅沢ぬかしてんじゃないっての。
こっちは堕龍の経験があるんだ。未完成な部分が弱点だってことくらいしか頼れないからな。実力差なら天と地どころか天文学的数字が出ることだろうぜ。
「あ〜ん? 何だ、その顔は? いかにも挑戦的な眼付きじゃん。あんだよ、俺様とやろうっての? 俺様、今、テンションガタ落ちだから手加減できねぇよ?」
ズルリと鳥のクチバシから舌が覗いた。舌先が3つに割れたそれは、薄紫に縦横斜に漆黒の縞模様が入り吐気を覚えるようだ。どこまで気色悪いんだっつうの。
けど、怯んでなんかいられるか。翼龍は言ってただろ。ホウヤは、まだ奴の中で生きてるんだ。
「マミさん、本気なんですか?」
慎一郎が心配そうな面持ちで覗き込んできた。
バッカ、ちけぇよ。お前の顔なんかアップで見られるか。
「やるっきゃないだろ。ホウヤが生きてるんなら、あたしもジタバタしてやるさ」
慎一郎の顔を右手で押し返して、改めて翼龍を正面から睨み付けた。デカイ奴を睨み付けるのは楽でいい。わざわざ上眼使いにならなくても自然とそうなるからな。あたしの吊り眼の三白眼はこういう時にこそ実力を発揮するんだい!
「あのなぁ、そんな眼して睨んだって、おめぇが強くなるわけでも何でもないぞ。強気なのは買うけどよ、もう少し慎重にならんと長生き出来んてなもんよ」
はっはっは。結局は空威張りってわかった? ってかさ、こんだけ力に差があると逆に感じなくなるもんなのさ。それに、長生きさせてくれる気なんか微塵も無いんだろうがよ。
「マミさん。ホウヤ君を助けるのが前提ですか?」
あ、この野郎。あたしを盾にしてやがるな。慎一郎の奴があたしの背中に回り込んで囁くような話してきた。
当たり前じゃ! 返事するまでも無い。けど、頷くくらいはしてやる。
「だったら、翼龍に致命傷は与えられませんよ」
あ? 何で?
チラリと横眼を走らせたのをあたしの疑問と取ったのか、慎一郎は身体を寄せてきて囁きやがった。
「ホウヤ君は翼龍の力に生かされている可能性が高いです。現に一心同体と言ってましたしね。とすると、翼龍への致命傷はホウヤ君の致命傷に成り得ます。…かなりのハンデになりますけど…」
ハァ〜って溜め息は今更か。
「ふげゃっ」
またも変な悲鳴を残して慎一郎は後方に飛んでった。あたしが後ろ足で蹴ったんだけどね。
「…んなこたぁ、言われなくてもわかってるっつうの。でもさ、あたしとこいつの実力差からすりゃ瑣末なことだろうぜ。全力でやってこいつはかすり傷なんて感じだろうからな」
ホウヤの姿で闘ったのも翼龍の全力とは考え難い。ホウヤの肉体レベルの問題もあるし、機能も今の姿からすれば違い過ぎる。
あの時の倍って考えても見くびってる気がする。
「ははん。やるってんなら不服は無いけどねぇ。少しは骨がないと、あっという間に終了しちゃうよん」
だぁー! わかってるっちゅうの。嘴で喋るんじゃないよ。鳥と喋ってるみたいだろうがよ。
どんだけ背伸びしたって今のあたし以上の実力は出せないんだ。思考錯誤しながらでもやってみるしかないだろ。
遠巻きに人垣が出来てるし、建物に反響してサイレンの音も遠く近くしだした。
そりゃそうか。こんな街中に怪獣が出現したんだもんな。ましてや先刻の警官も連絡を絶っちまってんだ。騒ぎにならないわけがない。
っていっても、これからにはとっても邪魔になるんだけどなぁ。翼龍にとっちゃ大歓迎だろうけどね。餌が自分から集まって来るんだから、無駄に動く必要無いんだもん。
あたしと翼龍が戦えば、この辺りの建物なんて瓦礫になっちまうだろうし、人間を気にしながら、もしくは庇いながらなんて戦えない。悲惨な破壊跡が眼に浮かぶようだわ。
「なぁ、場所変えないか?」
「あ? なに言ってくれちゃってんの? こんな好都合な場所、何で変えなきゃなんないの」
だよなぁ。まぁ、無理を承知で言ってみただけさ。
近隣のみなさん、並びに居合た方々、今の内に言っとくわ。御愁傷様になる予定です。
そうなっちまうなら仕方ない。っていうか、あたしも遠慮はしない。観客なんか居ないつもりでやらせてもらうさ。貴重な犠牲だな…。
とりあえずは魔力の溜めに入らなきゃなんない。今すぐに戦闘開始って出来ない訳じゃないけど、途中で大きく溜めさせてくれるほど甘くないだろ。
あたしは軽く後方へ飛んで翼龍との距離をとった。着地と同時に溜めに入る。身体がホタルのように淡い光りを放ち出す。それと同時に翼龍からの攻撃にも備えて身構えた。
そう思ったんだけど、肝心の翼龍は、まだ自分の背中をしげしげと眺めながらブツブツ呟いているところだった。がっかりしたのと驚いたのとチャンスと思うのとごちゃ混ぜの表情になっちまったと思うけど、仕方ない結果だろ。
「ったく、俺様の綺麗な羽根をどうしてくれるんだか…。あ? 何だ、その顔。変だぞ」
んがっ! 自覚してるのに改めて言うか? ったく、神経逆撫でする奴だよ。
しかし、こいつ、本気で戦う気あんのかってくらい余裕だよな。まぁ、そんだけ小物扱いってことだろうけどね。
「ああぁ、仕掛けて来ないのが不思議ってか? とりあえずは万全に魔力を溜めさいよ。時間掛けるなら、十分に溜められるんだったよな。中途半端なまんまじゃ、面白味もクソも無いからな。俺様を少しくらいハラハラさせてくれなきゃ、この姿になった意味もないからよ」
はいはい、そうですか。どうせチンケな小物ですからね。んじゃ、遠慮無く時間掛けて溜めさせていただきますわ。
安全に溜めて良いって言ってくれたんだから、あたしは片膝を付いて両手を拳に握り地面に押し付ける。土の地面なら良かったんだけどな。アスファルトじゃ気分出ないよ。けど、贅沢なんて言ってらんない。
即効で溜めると身体が光り出すんだけど、こうしてゆっくり溜めると徐々に青い光を帯びてくる。そのうち白い色になっていくんだけど、眩しいほどには光らない。それがやがて黄色味を経て赤色になっていく。このくらいが限界に近い。あんまり溜め過ぎるとあたしの身体に負担が掛かり過ぎる。
あたしはゆっくりと立ち上がった。一度、大きく深呼吸してみたんだけど、うまくもない空気のせいで気分的には萎えた。
「準備は整ったのか? それじゃ、いつでもどうぞ」
ふふんと首を高く持ち上げ、斜めにあたしを睨みつける眼は真紅に燃えていた。ホウヤの時とは違い色だけじゃない。ぼうっと光を放って異様な妖気を噴出してる。
やっぱり倍じゃないな。数倍でも甘いかも? 数十倍ってんなら…瞬殺かな、こりゃ。
「ん? 何だ?」
さて、一発目をどうしようかと考えていると、翼龍がぐるりと首を廻らして眼を細めた。何だろうとあたしも廻りを探ってみる。
解った。でも、変化はすんごい微妙。良く翼龍が気付いたもんだ。慎重に探ってみても僅かに感じれるほどの変化。
遠巻きの人垣スレスレに眼には見えない幕みたいなものが降りてきていた。こいつは前にも感じたことがあるぞ。眼にも見えない水の粒子。
ソロモンじいさん。……遅いよ。
つづく