表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/25

第十六話

 数分、佇んでいたんだろうか。頭ん中真っ白んなっちまってて、何だか呆然としてたようだ。

「マミさん!」

 遠くで誰かがあたしの名前を呼んでいる。微妙に遠くて近いような。オマケに世界も揺れてる。フワフワするような不思議な感じ。

「マミさん!!」

 あたしの左頬が、パンて軽い音を発てた。 痛くはなかったけど、多少はびっくりした。2、3度両目を瞬いて辺りを認識した。

 慎一郎がいつの間にかビルから降りて来ていて、あたしの両肩を揺さ振っている。

 お前が世界を揺らした正体か。ってあたしが揺れてたんだけどね。挙句にひっぱたきやがったな。左頬がジーンと痺れてるぞ。そりゃぁ、ぼ〜っとしてたあたしも悪いけど、叩くこと無いじゃん。

 あ? ぼ〜っとしてた? 何で?

 って疑問で全てが蘇る。

 ホウヤは…。

 相変わらずアスファルトの地面に横たわったまま、うっすら笑みを湛えてる。今やあたしの両足まで浸すように広がった血溜まりだけが、ホウヤの命が尽きたことを物語っている。

 不意に視界が揺らいだ。水の中にでも入ったみたい。なんのことはない。頬にまで伝い落ちて分かる。涙だ。

 あたし、泣いてるんだ。悲しいなんて意識はない。強いて言うなら悔しいのかもしれないけど、心の中は空っぽで特異な感情なんて湧いてこない。

 ただ、涙だけが数滴落ちただけだ。

「マミさん。大丈夫ですか?」

 あたしを呼ぶ慎一郎をこの時、初めて見た。途端に沸き上がる沸々とした怒りにあたしの眉尾が吊り上がる。

 てめぇ、よくも羽交い絞めしてくれたじゃねぇか。てめぇが邪魔しなきゃ、ホウヤはまだ生きてたはずなんだ。あたしには、その自信があった。どんなつもりか知らねぇが、覚悟できてるんだろうな。

「いやですねぇ、マミさん…そんな涙目で恐い顔したら…本気っぽいじゃないですか…そんなに怒らないで…いた…」

 みなまで言わすか! ボケ!

 たぶん慎一郎の動体視力じゃ、今のあたしが何をしたかも分からなかったに違いない。普段ならヘンテコな呻きや悲鳴を残して飛んでいっちまうとこだけど、今回ばかりは手加減もしてない本気の蹴りだ。何かを言い掛けてすっ飛んでっちまった。遠巻きにしてた野次馬を4、5人巻き込んで車道まで転がってったけど、幸い走ってくるトラックはいないんでやんの。運の良い奴だ。

 それでもよろけながら立ち上がったのは大したもんだな。誉めてやるよ。許してはやらんけどな。

 巻き添えの人達はピクリとも動かない。まぁ、飲んで騒いでた連中だ。ちょっとくらい災難にあったって文句は言わせないし、受け付けん!

 ヨロヨロしながらも意外な足取りで慎一郎は近付いて来た。こいつ、意外に効いてないな。

「はぁ、マミさん。本気は無いですよ。かなりキツイです」

 慎一郎が腹を押さえながら顔をしかめてる。口の端から僅かに赤いものが見えるってことは、身構える余裕も無かったから、口の中を噛み切ったのかもな。

「てめぇは、人一人殺したに等しいんだぞ」

 蹴られたからか、それとも良心の呵責からか、慎一郎は苦しげに顔を歪めて見せた。それでも下唇の端を噛んで

「…彼が望んだことです…」

とだけ言った。

「ふざけんな! 望めば死のうとしてる奴の手伝いもするってのか!」

 そんな馬鹿な理屈があるもんか。誰にだって死にそうなほど落ち込むことはある。でも、その度に死を選べば生きてる人なんかいなくなっちまうじゃねぇか。

「これは、彼のプライドです。自らが引き起こした悲劇に対する自らの決着には、翼龍を自分で始末したかったんです。その決意とプライドは男の僕には止められません」

 プライド? 誇り?

「だったら、何であたしをホウヤのとこまで連れて来た? あたしを止めるくらいなら知らん振りしたら良かっただろ」

「…マミさんを見れば、気が変わるかも知れないと思いました。僕も男ですからね。彼の気持ちも理解出来ます。男には、他人には馬鹿に見えても通さなきゃならない意志もあるんです!」

 ざわつく野次馬に囲まれながら、珍しく慎一郎は声を荒げた。遠くからパトカーと救急車のサイレンも騒ぎだしてる。

 あんまり長居して警察にでも事情聴取なんてされたら面倒かなって思ったけど、慎一郎はまだ続けるつもりらしい。

「彼だって男なんです。その男が出した結論なんです。それを聞いた僕も男なんです。その男同士が…」

「男、男うっせぃな!!」

 あたしの怒鳴り声、いや咆吼だったかもしれない。一瞬でざわついてた野次馬共が静かになっちまった。っくそ、注目されちまったじゃないかよ。

 でも、そんなこと、今はどうだっていい。

「プライドや誇りってのは、誰だって持ってるし、あたしだってホウヤの気持ちは分かる。そんなもんに男だ女だって囲いなんてあるもんか! いいか、プライドなんてもんはなぁ、自分一人で何とか出来るうちは立派な口上だろうよ。でもな、一人でどうにもならないで、ジタバタもがいても何ともならなくなった時には、意地って名前に変わるんだ。周り見渡して、助けてくれる奴が一人でもいるなら、素直に『助けて』って言うことだって相当な勇気がいるんだぞ。そんなことも分かんねぇクセに、ひとりよがりの意地張って、挙句に死にましたじゃ、後に残された奴らは傷付いたまんまで放ったらかしかよ! そんなことに男だなんて言い訳させねぇぞ!!」

 ヤバイ。何時に無く熱くなりすぎてる。熱弁しちまってるよ。

 あんだけ騒いでた連中も、今じゃ、誰一人口を開かない。あたしのことをじっと見つめてるばかりだ。ただ、遠いサイレンが少しづつ近付いて来てるくらいが騒がしい。

「…マミさん…」

って慎一郎が呟きにも似た言葉の後だったか。パチパチとどこかで手を叩く音がしたかと思うと、堰を切ったように拍手の波が起こった。それに乗っかるように口笛や称賛の声も掛けられる。

 止めてくれよ。照れるじゃないか。ってか、そんな素振りなんて見せないけどね。だって、ホウヤはまだあたしの足元にいるんだぞ。

  慎一郎は、ちょっとバツが悪そうな表情だけど、あたしの足元に目線を下げて下唇をぎゅっと噛み締めていた。

 仕方ねぇだろ。お前は、お前の通りに判断して行動したんだ。その重圧からは逃げられない。

 拍手も幾分収まりかけたところに、派手な赤ランプが乱舞したかと思ったら、けたたましいサイレンと共にパトカーと救急車が現れた。

 群衆が一斉にそちらを向いて注目する。もちろん、あたしも慎一郎も。

 救急車からタンカに足がくっついたストレッチャーを男2人が引っ張り出し、パトカーから制服姿の警官も2人降りて来た。車道側から人垣を分けるように歩いてくる。

 まぁ、ホウヤが飛び降りてから30分と経過していないんだから、この世界の警察も迅速ちゃ〜迅速かもね。

「飛び降りたっていう人はどこだね?」

 一番前を歩いて来た中年っていうより初老って感じの眼鏡を掛けた警官が、ぐるりを見渡すように大声を張った。

 そりゃぁ、遠い奴もいっぱい居ることは居るよ。でもよ、近くにいる奴に聞いた方が良くないか? 人が大勢いるからって、そんなに張り切らなくたっていいだろうに。

 後ろから着いて来た若い方の警官があたしを見てる。っていうのも中年の警官ががなった後に、野次馬みんながあたしの方を指差していたからだ。そう、あたしは、まだホウヤの側にいたんだ。

「その人ですか?」

 若い警官があたしに近寄って穏和なトーンで聞いてきた。でも、目付きは気に入らねぇなぁ。結構な疑いの眼じゃないか?

 それも不思議じゃないか。血溜まりの中に突っ立ってる奴なんて、あからさまに不振人物だよ。

「君が第1発見者かい? ちょっと向こうで話しを聞きたいんだけど」

 けっ。言葉は丁寧で優しそうだけど、疑心が目付きと態度に出てんだよ。あたしの右手を掴んで引っ張って行く気だ。

 その瞬間だったろうか。あたしの耳に口笛の鳴り損ないみたいな音がしたと同時に背筋に冷たい稲妻が走った。

 反射的に腰を折って頭を下げる。右手を掴まれているから逆手にされたような変な形になったけど、次に起こった現象を見れば形がどうこう言ってらんない。

 あたしを引っ張って行こうとした若い警官が、急に変な格好になったあたしを振り向いた。自然と足も止まる。

「どうしたんです? な…に…か…」

 最初の『どうしたんです』で左肩から右太股にうっすらとした裂目が見えると、次の言葉ではそこから身体がズレて若い警官は2つの塊になっちまった。あまりに切口が見事だったためか、地面に落ちてからドス黒い血が流れだした。

 悲鳴が四方八方から沸き上がる。と同時に逃げ惑う野次馬が入り乱れる。中年の警官が人波の中で右往左往しながらこちらに近付こうと必死のようだけど、弾かれるピンポン玉みたいな感じで思うように動けないらしい。

 こっちはそれどころじゃない。僅かな音だけで人間を真っ二つにするような真似が誰に出来る。背筋に走る予感が無ければ、あたしも警官と共に血の海に沈んでいたことだろう。

 ゆっくりとした動作で立ち上がるあたしの傍でバタバタと何かが跳ねる。閑散としだした周りで、その音がバシャバシャと水辺で跳ねる魚のように変化しだした。若い警官とホウヤの血溜まりが原因だろう。

 その場に残ったのは慎一郎と中年の警官とあたしだけ。

 唖然と大口を開けてこっちを見てる中年警官とは対象的に慎一郎は真剣な面持ちだ。

 あたしは、掴まれた右手を剥がすのに多少時間を食った。断末魔の叫びか、今じゃ2つになっちまった若い警官は、死んでもなお、あたしの手を握り締め、両目を見開いて空を見上げていた。

 バシャバシャ音が止んだ。代わりに背後で動く気配。あんま想像したくない光景が、きっと背後で起こってる。ホウヤの死を哀しんだ直後ってのは、どうもねぇ。

 意を決して振り向いたあたしの眼に映ったのは、想像通りの衣服を真っ赤な血に染めてうつむき加減に視線を落とし二本の足で立つホウヤだった。

 誰も口を開かぬ中、ホウヤはゆっくりとした動作で顔を挙げると肩凝りでもほぐす様に小首を傾げてみせた。

「き、君! 君は、今まで…」

「よせ!」

 我に還った中年警官が前に出ながら話すのと、思わずあたしが叫んだのはほぼ同時。でも…それでも遅かった。

 ヒュンという短い風切り音がした時には、中年警官も若い警官の後を追って腹から真横に2つになって崩れ落ちた。

「ああ〜、ひとが寝てる間に何て事してくれてんだ、このガキはよ!」

 吠えるようにホウヤが叫んだ。

「…てめぇ、生きてやがったのか」

 ホウヤが命を賭けて葬ろうとした翼龍は、またもホウヤの姿で立ち上がったんだ。

「こんな事で死んでられるかよ。バ〜カ」

 悪態を付くホウヤは憎らしげではあるものの、愛らしい顔付きは変わらない。可愛いく口を尖らせるところなんて、思わずチューしたくなるほどだけど、結局は中身が違うんだよ。これで中身もホウヤならって、感傷に浸ってる場合じゃない。

 こんちくしょうをブッ飛ばして、ホウヤの仇を討たなきゃ、ホウヤは何のために身を投げたんだ!

「結局、完全体にはなれなかったな。ホウヤの仇討ちだ。覚悟しやがれ」

 あたしの中で小さな炎がチロチロ燃えだした。ここで熱くなれないで何時なるんだっちゅうの。

「あ? 何言ってくれちゃってんの? このガキの仇だっての? この俺が?」

 大仰に両手を開いたり閉じたりしながら翼龍はトボケてみせやがる。ふっざけてんじゃねぇぞ。ホウヤはあたしの目の前で死んだんだ。トボケられる限度超えてんだよ。

「ありゃ? 信じてない顔付きだな。あのな、このガキと俺は、今は一身同体なわけよ。んでな、ガキが死んだら俺も死ぬわな。俺が死んでも同様にガキも死ぬ。ってことはだよ、どういうことか分かるよな?」

 ン? 今、こいつ何言った?

 きっと今のあたしの顔は、眉が中央に寄って眼が細くなってることだろう。んでもって、半分怒り顔で半分疑問顔っていう中途半端なヘンテコリン顔になってないか? いやいや、そんなことどうでもいいや。

「んん? これでも分かんないのか? バカなのか? 俺が、こうして生きてるってことは、ガキも俺の中で生きてるってことだ。バ〜カ、バ〜カ」

 カッチーン!

 そうかよ。ホウヤは生きてんのか。そいつは良かったじゃねぇか。けどな、なんだその態度は。バカバカと連発してくれやがって。完全にカチンときたぞ。

「マミさん」

 グッと握り締めた両拳を何と見たのか慎一郎があたしの肩に手を掛けてきた。なんだよ、うっせいな。こっちはムカムカきてんだっつうの。

「挑発されてるんですよ。わかりませんか?」

 あ? お前もあたしをバカ扱いすんのか? 放っておけっての!

「あがっ!」

 鼻の頭を押さえてしゃがみこむ慎一郎を冷ややかに見下ろして、翼龍に向き直った。

「お前、性格変わったな」

 前回対峙した時、こいつはもっと子供らしく丁寧で無邪気な喋りをしてた。なのに今はどっかのチンピラみたいな口調だ。

「こんな目に遇わされて良い子してられるかっての。さんざん人に世話になっといて、いらなくなったら死んで下さいじゃ、泣くに泣けないってなこのことだ」

「その腹いせに、この二人を殺したってか?」

 あたしの足下に転がる4つの肉塊を指して言った。こいつらは、ただ職務に忠実だっただけだ。何の罪もない。

「まぁ、貴様を狙ったんだがな。勘が良い奴には通じないわな。っつってもよ。無駄死にじゃないぜ。ちゃんと意味あるもんだ」

 そう言ってニヤリと笑うと、今や一面血の池になっている地面に右手を押し付けた。途端に起こる現象は、あたしもちょっと想像してなかった。

 翼龍が手を置くと血溜まりが収縮し始めた。そのまま勢いを増し、数秒と経たぬうちに地面は何事もなかったように黒々とした肌になってしまった。

 翼龍が血を全て吸い取った。

「んん〜、いい感じだ。全然足りないけど、目覚めの一杯なら十分だな」

 グッと伸びをするように両手を挙げて、本当に今起きたような仕草が、ホウヤのトロンとした表情とあいまって実にカワユイ。

 ああぁ、イカン。こいつは翼龍でホウヤじゃない。

「でも…」

 伸ばした両手を下げながらあたしをチラリと見る翼龍は、上唇を一度舐めて

「やっぱり貴様の方が旨そうだ」

とのたまりやがった。

「ったく、堕龍といいお前といい、冗談じゃないぞ。あたしは、お前らの食い物じゃないっつうの」

 どうしてもあたしを食いたいらしいけど、堕龍にも言ったが、そう簡単に食われてやるわけにいくか。

「ははん? これは貴様の言葉とは思えんなぁ。そいつはこの世界、人間の言葉だろう?」

 うぐっ! なんていうこと言いやがる。あたしが人間並に身勝手だってぇのか? って言われても仕方無いかもな。

「食うための弱肉強食は、貴様の世界じゃ当たり前だったな。確か摂理とか言ったか? 弱い奴は強い奴に食われても文句は言えない。自らが強くなるか、それとも代償を支払って強い者に庇護してもらうか。そのどちらも選べないのなら貪り食われても仕方ない。たとえそれが子供であっても。じゃなかったか? 子供なら助けてもらえる、弱い者だから誰かに助けてもらえるなんてことは、貴様の世界では有り得ないんじゃなかったかな?」

 ふふんと不敵に笑う仕草は格好良いともいえる感じだけど、言った言葉は可愛くない。

 だけど、翼龍が言ったことは本当だ。神聖魔界での摂理。それは、完全なる弱肉強食の世界と言っていいかも知れない。強い者は弱い者を虐げてもかまわないってことだけど…それが摂理であり原則でもあるんだけど…それだけじゃないんだ。

「あたしの世界にも詳しいみたいだな。でも、お前の言う弱肉強食とは原則のことだ。確かに助けてもらえることは無い。けどな、助けてって言う人を放っておくようなことはしない。頼ってきた人も、それだけ勇気を振り絞ってやってくる。それまで無視するような人は、あたしの世界にはいないよ」

「ああぁ、そうだったかな? なんせ大昔のことだからな。忘れてることも多いかも。まだ大きな獣が人を襲ってたような時代だったからなぁ」

 って、いつの時代だよ! まぁ、今でも山深いところに行けば大型の肉食動物はいるから、人が喰われないって保証は無いよ。でも、そんなところに人は入り込むことなんてほとんど無い。住み分けが出来てるからな。

「この格好でいるのも窮屈になってきたな。ちょいと失礼させてもらって…」

 不意に翼龍が大きく息を吸い込んだ。胸が大きく膨らむ。

 その後に起こった変化を、あたしは決して忘れない。そして、許さない。





                     つづく






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ