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第十五話

 走り出した慎一郎を追って、あたしは気付いた。こいつホウヤの居所を知ってる。

 慎一郎の足取りは、迷いも無く確実に方向性を持って、この辺りでは一番高いビルを目指してる。

 あのビルにホウヤが向かっているのか、それとも既にたどりついているんだろうか。

「おい! ホウヤが自殺って、どういうことだ?」

 とりあえずは、慎一郎の言ってることが事実として、ホウヤの心情は知っておきたい。本当ならばホウヤの口から直に聞ければ良かったんだけど、なんだか聞く気になれなかったあたしの軟弱さが悔やまれる。クッソ、あたしはバカだ。一番助けて欲しいはずのホウヤの声すら引き出せなかった。

 きっとホウヤは、仕事モードに入った慎一郎に頼もしさを感じたのかも知れない。

「今は詳しく話してられません。けど、ここに至って彼の中に、自らが決着を着ける決意が見られました。方法は分かりませんが、簡単で確実なことは想像出来ます」

「…何だ?」

「宿主が死ねば、寄生してる者も死ぬ」

 絶句。

 それは確かに確実な方法かも知れない。でも、それじゃぁ解決しないこともあるんだ。なによりホウヤの命が無い。一生懸命に無い頭使って考えてた今までが無意味になっちまう。

 あたし達は、何を無くしてもホウヤの命だけは助けたい。そう思ってきたんだ。

 時間は既に夜中に近い。普段なら閑散として真っ暗なビルになってるはずなのに、何故か今日は入り口に照明がともり、人の出入りもある。良く見りゃ着飾った男女が談笑しながら出入りを繰り返してる。

 こんな日に変なパーティーしてんじゃないよ!

 立て看板に『社長 祝 還暦式典』なんて書いてありやがる。ったく、年寄りになって何がめでたいってんだ。能天気野郎共が!

 こんなんじゃ入り込むなんて簡単じゃないか。ホウヤは素通りだったに違いない。

 慎一郎が先に人の間をすり抜けて行く。その後を追い馬鹿騒ぎしてる奴らの脇を抜ける。かなり強烈なアルコールの匂いが充満してて、つい自然に喉が鳴る。ったく、むかつくわ〜。

 走り抜けるついでに、手近にビール片手に談笑してやがる若い奴の足を軽く引っ掛けた。いや、ホント、すっげぇ軽くだかんね。

 なのにそいつ、大袈裟に空中で一回転したかと思ったら、人混みのごった返したフロアの中央まで飛んでった。派手な破壊音と遅れて悲鳴と怒号が響くのを背中で聞いたけど、気にしたことじゃない。こんな日に酒盛してる我が身を呪え。

 慎一郎がフロア奥のエレベーターに乗り込んで、扉を閉めずに待っている。

「お前は、それで行け。あたしは、階段使った方が早い」

 走りながらの捨て台詞になった。エレベーターの脇にある階段を二歩で二階に辿り着いた時に、下から慎一郎の「了解!」って声が追っかけて来た。遅いっちゅうの。

 あたしの足なら三十階や四十階くらい、息も荒らさずに昇れる。大体、一階に費やす歩数なんて二歩、三歩だ。軽いジョギングにもなりゃしない。

 五階くらいで階段の位置が変わっているのか、上に伸びる通路が無かった。出たところの廊下つうか通路つうか、そんなところを走り抜けると、突き当たりに非常口のサインが見えた。

 鉄の重い扉を押し開けて、冷たい空気が充満する薄暗い階段が上下に伸びてる。なんて様子を窺ってることなんてしてないけどね。迷わず飛び込んで、一気に上を目指した。

 時間にして数分だったろう。数えて無いけど、このビル、三十階くらいだろうと思う。

 最上階には鍵が掛かった分厚い鉄扉があたしを待ってた。一度だけ押して引いてして開かないことを確かめた後、遠慮無しにドアノブ辺りを蹴った。勢い良く開くだけかと予想してたが、力加減もしてなかったってか、考えてもいなかったんで、ドアが丸ごと外側に吹き飛んで、屋上の廻りを囲んでるフェンスに引っかかって止まった。

 あんなもんが下にでも落っこちた日にゃ、下で騒いでた人間の数人が下敷きになって大騒ぎになることだろう。それも面白いかなって、ちらっと思ったことも確かだけどね。

 夜の空気が嫌な湿気を伴って風に揺らいでいる。扉を一歩出たくらいだけど、ビルの廻りが色とりどりの明かりで地上が星空のように見える。反対に夜空はと言えば、地上の明るさに照らされて疎らな明滅が見えるくらいだ。

 こんなもの、星空って呼べやしない。

 ほんの数秒、たたずんでしまった。ぼ〜とするのなんて後でいい。ぐるっと首を巡らして人影を探した。暗い屋上だけど、下からの明かりでフェンスは黒い網状になって見える。人が居るなら黒い影となって見えるはずだ。

 だけど、人影らしいものは見えない。

「マミさん!」

 背中の方向から慎一郎の声がした。突き出た屋上の非常口からでは、後ろの状況までは見えない。回り込んで後ろに廻る。慎一郎がもう一つの突き出た入り口から出てくるところだった。

 ありゃ、あっちは鍵無しかよ。ってことは、あっちが正規の出入り口で、あたしがぶち壊した入り口は普段使われないってことか? 変に体力使って、余計なもん壊しただけだってか。まったく、あたしって。

 小走りで慎一郎を迎える。慎一郎も走って近づいて来た。

「どうです? 居ましたか?」

「いんや、こっちには見えなかった」

「ということは、こっちですね」

 目配せで互いに左右に分かれて、慎一郎の出てきた出入り口をぐるりとかわした。

 注意深く、見落としの無いようにフェンスにまで近づいて歩く。こちら側は下の光も疎らなのか、薄明かりというよりもべっとりと闇が塗られているように暗い。

 その奥。ビルの角辺りに、ひときわ黒い闇の凝縮が見えた。高さは、あたしの肩位。幅は、あたしより幾分細い。僅かに震えているその陰影は、人型をしている。

 間違いない。ここに、居た。

「なぁ、ホウヤ」

 どうやって乗り越えたものか、ホウヤはフェンスの向こう側で、後ろ手で金網をつかんでいた。そのギリギリまで音を起てないように近付いて、あたしにしてはできるだけ優しく声を掛けた。

 ビクンって感じで両肩が小さく跳ねたけど、あの可愛くてかっこいい顔をこっちに向けるようなことはなかった。ただ、遠い地上の光りと夜空の星々の間。何も無い虚無の空間を見つめるように、真摯な眼差しを向けていた。

「ホウヤ。なんでそんなとこにいるんだ? さぁ、帰ろ」

 優しく、そっと金網から出てる華奢なホウヤの指をこちら側から包むように握った。振りほどかれたらどうしようって思ったけど、そんなこともなく、じっと虚空を見つめたままだ。

「…マミさん…」

 あたしの動きと囁くような声に慎一郎も気付いたのか、あたしの後ろに来ていた。

「ホウヤ。帰ろ」

 なんだって気の利いたことが言えないんだろ、あたしって。こんな時にも、こんな事しか言えやしない。

「マミお姉さん…来ちゃったんだね。出来ればマミお姉さんには見られたくなかったな」

 ホウヤが、こっちを見ることもなく言った。時折吹く風に、ともすると掻き消されてしまいそうな細い声は、握った指の冷たさとは逆に、ほのかに暖かい感情の震えを含んでいた。

「ホウヤくん。君の意思が固いことは、さっき聞いたばかりだ。でも、こうして君を助けたいと思っている人も多くいるんだよ」

 慎一郎が、あたしの背中越しにホウヤに話しかける。優しい感じのする声だ。

 でも、その声にホウヤが反応することはなかった。代わりに

「お兄さん。もう、何も言わないでください。時間が来たんだと思います」

と還ってきた。

「時間?」

 そっと、吐き出すかのような、そんな感じのあたしの疑問符。本当なら『時間って、なんだ!』って怒鳴りつけたい。ただ、あたしとホウヤの間には、金網の壁がある。あたしとホウヤを繋ぐのは、こっちに僅かに出てる両手の指だけなんだ。

「…僕の中で、今回のことを僕なりに整理したんだ。最初の目的は、妹を守ることだった。でも、それは途中から変わってしまって、相手に復讐することになっちゃった。変に力を持つと、その力に依存して、力自体を正当化しようとしちゃう。その影響や歪みが何処に出るなんて考えずにね」

「そんなの仕方ないだろ。力のある奴が、力の無い奴を蔑むなんて摂理だ。ただ、力を使うってことは、自分以外を傷付けることもある。その痛みを解ってやれることが、力に溺れないってことだろ?」

 果たしてあたしの言葉は、ホウヤの心まで届いているんだろうか?

 それでも言わなきゃなんない。力なんて生きる上での道具の一つなんだ。そのどれにも特徴があって、どう使うかによって便利な道具にもなれば凶悪な凶器にも変貌するんだ。だからこそ、自分の中にルールを作らなきゃいけない。他人から押し付けられるものじゃない、自分だけのルール。自分だけが頑なに守るルールが。

「…マミおねえさんは、強いから言えるんだよ。弱い人が強くなるには、努力もいるし切っ掛けも必要なんだよ。苦労しないで力を付けると、僕みたいな勘違いな奴になっちゃうんだ」

「それは仕方ない過程の問題だろ。お前は、既に知ってるだろ? 自分の中にルールだってあるだろ? それをこれから生かすんだよ」

 じれったい焦燥が、じわじわとあたしの中で膨らむ。まどろっこしいのは性に合わない。フェンス乗り越えて襟首引っつかんで引きずり戻したいんだけど、ホウヤの今の位置じゃ、一歩踏み出せば奈落の底だ。出来るわきゃない。

「僕のね、守りたいものは、もう無いんだよ。妹も死んじゃったしね。良くしてくれたホームの人たちもいなくなっちゃった。全部、僕の中にいる奴のせいって言いたいけど、初めに受け入れたのは僕で、あいつにやらせたことも多いんだ。勝手にしちゃったことって言っても、僕も甘んじてそれを見てた気がする。僕のルールじゃ、僕のしたことは有罪で、刑は死刑って決まってるんだ。これは譲れないよ」

 こっちを見もしないで話すホウヤがどんな表情をしていのかは分かんないけど、多分、無表情なんじゃないかと思う。

 決意。確かにそんなものかもしれないとは思う。あたしだって、自分の中のルールを侵せば、死刑と言われても覚悟するだろう。でも、自分から死を選ぶことが、あたしのルールの中には無い。だからこそ、ホウヤの行動が許せない。

「死んだってしょうがないだろ。償えるわけないんだぞ。重荷も重責の背負って生きる事も必要なんだ」

 くっそ。こんなんでホウヤが考え改めてくれるわきゃないっての。ああ〜、はがゆいなぁ!

「慎一郎、お前も何か言え」

 あたしじゃ駄目だ。こうなったら慎一郎のボケじゃない仕事モードに期待しよう。

「え? 僕ですか? そうですね。ホウヤ君、そこからだとかなり痛い思いしますよ。うまく…どほ〜…」

 ったく、こんな時にボケモードって何なんだ。後ろ足で蹴り飛ばしてやった。うめきが尾を引いて下がって行ったけど、フェンスの向こうまでは行かないだろ。

「もう、いいよ。あのね、僕の中に居る奴は、もう僕じゃ制御出来ないんだ。僕の中を住処にしてるんだから、力を完全に付けてない今なら住処を失くせば死んじゃうと思う。放っておいたら、多くの人を殺して廻るよ。それも僕がするんだ。そんなこと、許しておけないもの」

「だから、それもあたしが何とかしてやるよ。心配すんな」

「いいよ。僕が蹴りを付ける。そうしないといけないんだ。あいつが目覚めるのも近いと感じるし、調度良いタイミングなんだよ。でも、最後は自分で決めることが出来て良かった。僕の意志だから」

「馬鹿、お前…」

 最後まで言えなかった。

 ホウヤの指が掴んでいたフェンスの金網をそっと放した。油断してたわけじゃない。ぎっちり握っていたわけでもないけど、絡み合うような掴み方なんて出来るわけなかったんで、上から指を重ねるような感じになってた。

 するりと抜けて、あたしの指がホウヤの掴んでいた金網の温もりを感じる。と同時にホウヤの身体が前に傾く。

 黙って逝かせると思うなよ!

 一気に金網を飛び越え、ビルの屋上の縁に左手で掴まり、ホウヤの襟首を引っつかんで放り上げる…つもりだった。けど、あたしの身体はフェンスを越えるどころか、その場から動けなかった。

 何だって思う間も無くホウヤの身体がビルの縁から消えた。どうして動けねぇって、見てみりゃ慎一郎が後ろから抱き付いていやがった。あたしを羽交い絞めにしてやがる。

「てめぇ、何のつもりだ!!」

「ぐぼうえぇ!」

 右腕の肘鉄一発で悶絶する慎一郎をかまってる暇は無い。フェンスを軽く飛び越えて下を見る。ホウヤの身体が小さくなっていく。落ちていく。

 考えるより先に身体が動く。飛び降りると同時に最上階の窓枠を蹴って勢いを付けてホウヤを追う。

「マミさん! いけません!!」

 背中に慎一郎の叫び声がしたけどもう遅いし、お前の言うことなんて今後一切聞いてやらん!

 ぐっと身体を縮めて空気抵抗まで減らして加速した。ホウヤの身体が近づいてくる。あいつ、頭をちゃんと下にしてやがる。このままじゃ確実に助からない。

 必死の思いで左手を伸ばす。足先でも捕まえられりゃなんとかなる。けど、届かない。時間にして数秒だ。

 地面がグングン迫ってくる。もうあと数センチ。くっそ〜! 届かねぇ!!

「ホウヤ―!!!」

あたしの叫び声が夜の街に木霊して跳ね返った。リフレインのように長く尾を引く。

 あたしの中で警告ランプが回る。と同時に右手が自然とビルの壁に伸びる。ガリガリと音をたててあたしの右手の指がビルの壁にめり込んで、コンクリートの破片を振りまきながら下へと亀裂を作る。

 ドサリと嫌な音があたしの足元でした。あたしの身体は、地上から1メートルほどのところで止まっていた。右手はビルにめり込んでしまっている。

 悲鳴が起こったのは数秒後のことだった。ホウヤの落ちた音を聞いてか、あたしの壁の破壊音を聞いてかは分からないけど、ビルの中の数人が出てきたんだ。一気に廻りが騒がしくなる。

 あたしは壁から手を抜いて地上に降り立った。ホウヤを踏まないように脇に避けて。

 それでもホウヤが流した血の縁までは避けられず、左足がビチャっていう嫌な音をたてた。

 周りは遠巻きに人垣が出来つつあって、口々に何やら呟いているようだけど、あたしの耳には入らなかった。

 ホウヤは顔を夜空に向けて穏やかな顔で横たわっていた。恐らくは後頭部に大きな傷があるんだろうけど、今のままなら軽い寝息をたてていたっておかしくない。ただ、その身体の下に出来つつある大きな赤黒い血溜まりさえ無ければの話だけど。

 助けられなかった。こんな…こんな結末かよ。こんな…こんな無為な結末でいいのかよ!





                         つづく



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