第十一話
あたしの肩口が深くえぐられてる。大きな血管が無かった場所だからそれほどの出血はないものの、瞬間的に持っていかれた肉に付随して血が飛んだんだ。今はダラダラと流れるように腕を伝ってきてる。
ちっくしょう、いて〜じゃねぇかよ。
傷口を押さえてみても血が止まるわけないんだけど、反射的な反応なんだから仕方ないよな。
数メートル向こうでホウヤの姿をした翼龍が、爪先に付いたあたしの血と肉をなめ取ってやがる。クチャクチャと咀嚼する音までさせてやがるのには腹が立つけど、今のあたしには魔力は無い。
魔力を貯めようとするけど、肩口の傷が嫌に熱くて集中が出来ないときたもんだ。そんなに大きな怪我なわけないのに、無視できないほどに脈打ってくる。なんだ、こりゃ?
「んん〜、悪くない味だね。力もあるし、魔力も十分だ。マミおねえさんを喰らえば、完全体の近道だね」
くそったれ〜。安易に喰われてやれるかっての。無理にでも魔力を貯めないと、抵抗することも出来ないんだよ。なんなんだよ、この傷は。
「無駄だよ。知ってるでしょ? 僕の使うのは風の元素だけじゃない。毒もそのひとつだからね。爪に蛇毒が入ってる。血小板を阻害する成分だからね。血は止まらないし、そのうち神経に入れば動くことも困難になるよ」
っけ。毒かよ。姑息な真似してくれるじゃないかよ。っても、毒を中和できるような魔力なんて無いしなぁ。でも、このままじゃ遠からず動けなくなること必至だろ? それが翼龍の狙いなんだろうな。動けなくなったあたしを頭からガリガリってか。そう簡単に喰えると思われるなんてな。甘くみるな!
残った魔力を背中に集め、背骨を上へと走らせる。後頭部辺りに鈍痛が広がって体中の痛みが感じられなくなる。一種の麻酔みたいなもの。多少の運動能力を損なうこともあるんだけど、怪我をして動くには好都合な手段なんだよね。ただ、致命傷の傷にも気付けないって欠点もあるから、多用すことは命取りに直結するんだよ。
けど、今は構ってられるか。そのまま、右手に魔力を貯めて左肩の傷口を周辺部から抉り取る。血飛沫があたしの顔にまで飛ぶ。その場に投げ捨てて、一気に貯めに入る。全身が白色の白光を帯び出してから翼龍が話し掛けてきた。
「ああ〜、もったいないことするなぁ。出来ればこっちに捨ててくれれば、残さず食べてあげたのに。まぁ、いいか。魔力の貯まった身体の方がおいしそうだしね」
やっかましいっての。とりあえずは、これ以上の毒の影響は受ける心配はない。けど、ちっと深く抉り過ぎたかな? 血の量が半端じゃなくなってきてんだけど。
ええい。今は放って置くしかないじゃんか!
貯めた魔力を両手に集めて火球に変える。そのままひねって輪を作る。ちょうどドーナッツみたいな形になった。それを輪投げのように翼龍の頭上に投げ上げる。手の平サイズの火球は、2メートルくらいの高さで一気に膨張して翼龍を囲むほどの大きさになり、そのままカーテンを降ろすかのように火柱を落とした。こいつは最近発明した方法なんだ。外側には熱を放射せずに、内部に向かって集めるようになってる。外側のこっちじゃさほど熱くないけど、内部に至っては数千度を超える熱量だ。
さすがの翼龍もこれを受けて涼しい顔は出来ないだろう。ただ、決定打ってこともないんだろうけどね。
「うわわわ〜! あつい! あついよ〜!」
炎のカーテンの中から翼龍の悲鳴が響いてきた。だけど、わざとらしいったらありゃしない。ちょっと熱いシャワーでも浴びせられてるかのようなトーンだ。
このままじゃ決まらない。もう一丁、重ね業が必要なくらいわかってるっての。
一気に貯めた魔力をあたしの背丈くらいの火球に変える。それを両手で豆粒くらいに圧縮して炎のカーテンの中に放り込む。途端に火柱が倍の大きさに膨れ上がると同時に内部に放射し切れない熱があたしの方まで迫ってきた。この距離じゃちょっと危ない。軽く地面を蹴って更に十メートルほど下がった。
「うぎゃ―――!!」
今度こそ本当の悲鳴ってくらいの音量で翼龍が叫ぶ。ははん、どんなもんよ。今や中は一万度に近い熱量を中心へと放出してる。マグマの中に叩き込まれたようなもんだ。如何に翼龍だろうと無傷ってわけにはいかないだろう。まぁ、あたしを小物だと思ったお前の油断だ。甘んじて受けるんだな。
「ウぎゃ――! うぎゃぎゃ――! うぎゃ〜ん うぎゃ〜! ………なんてね」
なんてねって言葉が終わるかどうかっていう瞬間に変化は起こった。油断してたわけじゃない。こんなもんじゃ翼龍を倒すなんて真似が出来るわけ無いってのはわかってたから、これくらいのことがあるくらいは予想してるわい。
炎の火柱が縦に裂けるとあたしの背丈より巨大な風の刃物が飛び出した。もちろんあたしを狙ってる。へ〜んだ、これに当たるほどノロマに思われてたんか。横っ飛び一線ってほど大袈裟じゃないけど、2、3歩避けただけで横をすり抜けてった。
このままで済むわきゃないんで、これからに対処するために魔力の補充をしようとした時だった。大きく切り裂かれても原形を保っていた火球がほのかに震えたかと思ったら、次の瞬間に数百、数千に切り裂かれて消し飛んだ。それだけじゃ終わらない。火球を切り刻んだ細かい風の刃物が方向性も何も無く辺り一面に撒き散らされたんだ。避けるとかの問題じゃない。身体が入れそうな隙間なんてありゃしない。って考える余裕すら無いんだけどね。
残ってる魔力で身体の周りに素早く膜を張ったんだけど、残ってただけのものだから強力ってもんじゃない。紙でも巻きつけた程度にしかならないかも。襲い来る刃物を極力避ける努力をしながら後退する。やっぱり膜がもたない。一発で触れた場所が消えてなくなる。貫通までしてこないのがせめてもの救いだけど、消された場所を再生する魔力もないから、同じところに当たれば切られちゃうってこと。こいつは難しくなった。小刻みに身体をひねるようにしながら、無防備になってくところに命中しませんようにと祈って後退し続ける。最後は身体を浮かせて回転を加え身体を細くした。
一瞬のことなのに、ここまでしなきゃなんないなんて、ちょっと疲れる。
「おみごと〜って言いたいけど、そうでもないみたいだね」
前半、パチパチって手を叩いたのが何とも嫌味ったらしい。くっそ。そりゃ一目でわかるわな。服はほとんどボロ雑巾みてぇに切り裂かれてるわ、見えてる身体の部分も大小の違いはあれ、きり傷だらけだ。血まみれってほどじゃないけど、傷だらけってのは本当のことだな。
「まぁまぁの力だったんだけどね。やっぱり足りないや。どうせならあの倍は熱量が無いと駄目だね。まぁ、僕には出来ないから偉そうには言えないんだけど」
ったく、講釈かよ。そんだけ本気じゃないんだ、余裕シャクシャクでんがなぁとでも言いたいんだろうな、きっと。でも、ホントのことだけに返す言葉もないっちゅうの。あちらは傷ひとつ無い身体で、こっちときたら全身傷だらけ。魔力の麻酔効果で痛みは無いけど、出血量は相当のものになりつつあるんじゃないだろうか。そろそろヤバイかもな。貧血でダウンだけはかっこ悪い。
「けどさ、考えてもみなよ、マミおねぇさん。僕と戦う理由が本当にある?」
あ? 今更、何言い出してんだ? あたしゃ、こんなに傷だらけ。これだけでも喧嘩する理由になんぞ。
「マミおねぇさんだって知ってるはずでしょ? この世は弱肉強食ってのは摂理でしょ。僕が強食、他が弱肉なんだ。抗えないなら喰われるしかない。弱けりゃ逃げる他に途が無い。そんなことは、ネズミでも昆虫でも知ってるよ」
「けっ、何が言いたいんだよ? あたしに逃げろとでも言いたいのか?」
ふざけんなよ。今、逃げ出してみろ。道の向こうでひっくり返ってるソロモンじじいどうすんだよ。それに、何とか出来るんならホウヤも何とかしたい。出来るんならだけど…。
「だから〜、脆弱極まりない、勘違いで何の文明か文化か知らないけど、科学なんてものにすがった人間のために、異世界のマミおねぇさんが身を削って戦う理由が無いって言ってんの。わかんないかなぁ?」
あ? 何を至極もっともなこと言い出してんだ?
当然なことだろうけど、それにはあたし個人の障害もあって、素直に『そうだ』なんていえないんだがねぇ。
「あたしにも事情ってのがあるんだよ」
素っ気無く言って、あたしは魔力を貯める準備に入った。このままじゃ、さすがに次の攻撃に刃向かう手段が無い。
「あ、あ〜ん。もう、いいよ。大体のマミおねぇさんの力は判断できたから。どんなに力溜め込んだにしても、今の僕にも適わないでしょ? つまりは、マミおねぇさんにしても弱者なわけ。僕が頂点なんだよ。弱者は強者に蹂躙されるものだよ。無駄なことは、してもしなくても同じことだよ」
チチチって感じで左手の人差し指を左右に振って翼龍は呆れ顔だ。
「だから何だ? あたしに素直に喰われろとでも言い出すのか?」
「結論から言えばそうだけどね。ただ、この世界に限らず、人型の生物には、ちょっとした疑問もあってね。そこが知りたいってのもあるんだ」
「…あたしに、それを答えろってのか?」
「まぁ、正確な答えは期待してないよ。どうせ曖昧な結論しか聞けないんだろうけどね」
確かにあたしは頭がよろしい方じゃない。慎一郎みたいに機転が利くわけでもないし、ソロモンじじぃのような博識でもありゃしない。そんなあたしに問い掛けること自体が間違いのような気もするが、この際だ、聞いてやるよ。
「答える気、満々ですね? それじゃ聞きますけど『自己犠牲』って何ですか?」
へっ? 何じゃ、そりゃ?
「何だって?」
「あれ? 言葉間違ってました? 『自己犠牲』ですよ。他人のために自らを危険にさらしたり、命をも投げ出す行為です。動物の間にも稀にあるようですけど、多くは子孫繁栄のための自己犠牲でしょ。それも自らの命を落とすようなことまではしない。人型だけが命を落としても犠牲になりたがる。これって、生きる上では矛盾してるでしょ?」
何なんだ、こいつは? 聞きたいことってのは禅問答かよ。生きる価値だの尊厳だのと同じ括りだろうがよ。
馬鹿馬鹿しい。でも、答えろってんなら答えてやろうじゃないの。でも、あたしなりの答えだかんな。
「そんなもんに意味なんて無い。自分達が守りたいものを命を賭けて守るってことは、至極当然のことだ。そこに計算も打算も無い。考える前に身体が動く。だからこそ命さえも賭けられる」
「………。なるほど。つまりは考えていない故の無秩序な行動だということですか。では、今、マミおねぇさんがしていることも考えていないが故の行動ってことかな?」
こいつに言われると何か馬鹿にされてるみたいだな。あたしが考えも無く猛進してるみたいじゃん。ってそうなんだろうけどね。
「まぁ、納得できる答えではあるかな。考えて出来る行動じゃないからね。詰まるところ敬愛心とか同情心とかいう意味不明なものに左右されてるわけだ。そうなるとマミおねぇさんは、何に同情してるのかな? ホウヤ? それとも僕が喰った人達?」
「………」
「どうしたの? 黙り込んじゃって。そうか、自分でもわからないんだ。いいんだよ、わかんなくて。そもそもが無意味な感情なんだから」
一気に魔力が高まる。貯めるようなことなんて意識してなかった。ただ、翼龍の言葉に異様に腹が立っただけだ。それだけのことなのに、あたしの身体は、まるで炎をまとったかのように真紅の光に包まれた。
「…お前が、それを言うのか…無駄に人の命を奪う…お前が!」
怒りに任せるとは、このことだろう。真紅の光が渦を巻くように膨れ上がると、次の瞬間、フラッシュのように白く膨張してあたしを包む。その光の影響だろうか、髪の毛までも逆立って怒髪天って言葉そのもののようだ。
「無駄に奪うだって? 馬鹿を言っちゃ駄目だよ。僕には必要なことだし、弱肉強食の摂理だ。弱い奴らがいけない。犠牲になりたくなければ強くなればいいんだ」
せせら笑うような口調に、あたしの中で何かが切れた。音までもが聞こえたような錯覚さえした。ブチっと。
意識すらしない行動だったろう。
いつの間にかあたしの両足は地面を蹴って、翼龍に向かって突進していた。一発くらい直に殴りつけてやらなきゃ、あたしの気が収まらない。
「ありゃりゃ、無駄だって知ってるくせに」
軽く右手を凪ぐように翼龍は笑って見せた。途端に突風が横殴りに襲う。地面をも抉るような勢いの風だったが、不思議なことにあたしの身体には影響しなかった。
驚きの表情を見せる翼龍に、次の行動までの時間は無かった。右手を僅かに上げた時には、あたしは奴の目前にいた。
大きく振りかぶった右手の拳を力任せにホウヤの姿をした翼龍の左頬に叩き込む。驚きの現象は、その瞬間にも起こった。あたしを包んでいた光が瞬時に右手に集中して、光の拳になって翼龍に吸い込まれていく。
今までのあたしのパンチくらいなら翼龍に触れることさえ叶わなかったろう。いや、もし当てることが出来たにしても、痣のひとつも無く翼龍は笑っていたことだろう。
でも、今のあたしのパンチは、翼龍の顔面をクリーンヒットして、尚且つ、その身体をも吹き飛ばして、後ろに広がる小汚いドブ川に叩き込んだ。
大きな水柱が頭上高く打ちあがった。右手がジンジンと脈打っている。
こんなこと初めてだ。魔力の暴走だろうか? それとも新しい力でも身に付いたのかな?
考えても仕方ないことだなって思ってから気が付いた。あたし、座ってない? 殴り終えた後で、勢い尻餅でも付いたのかと思ったけど、起きようと腕に力を入れてみて理解した。
力が入らない。
血を流しすぎたツケが、とうとうきちまったわけだ。血が足りない。グラグラと視界まで揺れる。と、同時に全身に強烈な痛みが戻ってきた。やっべ〜。魔力が尽きたか。あれくらいで翼龍が倒せるわきゃないのに、今、ここで気を失うわけにはいかない。…いかないんだけど、意識も持ちそうにない。
ゆっくりと流れる景色は空に向かってる。倒れるな、こりゃ。って思った時には、あたしの視界は青い空に浮かぶ雲の幾つかを確かめて暗転した。
わりぃ。ここまでだわ。
誰に謝ったのかも知れないのに、消える寸前の意識の中に慎一郎の笑顔が一瞬見えた気がした。
つづく