蝶
こちらは台本を小説に書いたものです。
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或る日、気付くと何時も視られていた。
ねっとりと、執拗に。
そうして送られてきた蝶。
添えられた手紙は白紙。
そして今日、紅い携帯電話が届く……。
視線を、感じていた。
俺に纏わりつくような、生臭い。
そんな視線。
――気がつくと何時も視界の中に存在していた。
無視することなど許されない。
灰色の世界の中で其処だけが色づく。
ひらひらと飛ぶ蝶のように、誘惑していたから。
視て、気づいてと。
僕を誘っていたから――
始まりは一通の手紙。
薄紫の封筒に、白紙の便箋。
送られてきた白い蝶。
――君の好きなものを贈るよ。君の悦びは僕の喜びだから――
日常の影に感じられる気配。
何気なく触れる、全ての物に感じられる。
何者かの意思が、見えない細い蜘蛛の糸のように、そこいら中に張り巡らされている。
そんな感覚。
――大丈夫、僕が護ってあげる。全てから、ありとあらゆる全てから――
夢を見ることもないほど深く眠ったお陰で、夕べの疲れもとれた俺は何時ものようにコーヒーを手にTVのスイッチを入れた。
何の変わりもない朝。
ニュースで流れる数々の悲劇、繰り返される惨劇。
それさえも代わり映えのない、いつもの風景の一つ。
だが今日は違う。
夕べ俺はある決断をした。
決着をつける。
もう、止めさせる。
そう、決めた。
毎日届く白い蝶。だが、昨日の贈り物は……赤い携帯電話。
――君の願いは、僕の望み。
君の望みは、僕の願い。
欲しいものが変わったんだね……大丈夫、解っているよ――
紅い携帯が鳴る。
珍しくも無い着信音。
俺は、迷うことなく応答を選択する。
「……もしもし」
「……」
電話の向こうで息を押し殺す気配がする。
「もしもし……」
「ふ、ふふふ」
堪えきれぬと笑い声が漏れて聞こえてくる。
「ああ、駄目だね……もっと聴いて居たかったけど、嬉しくてつい、我慢できなかったよ」
「……それで?」
「贈り物は……気に入ってくれたんだね……」
「……」
「大丈夫……解ってる、ちゃんと解っているから……。待ってて……ふふ、大丈夫……。ふ、ふふふ……解っているよ。おいで、おいで……ああ……たのしみだなあ……。あは、あはははあはははは……」
高揚した笑い声を最後に、一方的に切られた通話。
すぐさま送られてきた一通のメール。
其処には一枚の画像が添付されていた。
送られて来た画像は森の中の廃校。見覚えの有る其の場所、旧大森少学校に俺は車を走らせる。
着いた時には、燃えるような夕焼けで、空が真っ赤に染まっていた。
朱に染まった旧校舎。
木造のそれは、俺を少しばかりノスタルジックな気分にさせる。
「今にも崩れそうだな……」
呟く俺に、待ち焦がれたかのように呼びかける。
「たもつ」
ソレは、電話の向こうで聞こえた時より、少し高く聞こえてきた。
「どこだっ」
校舎に向かって足を勧めながら、俺も声を上げた。
「ふふ……ここ、ここだよ……捕まえて、僕を捕まえて……」
パタパタと乾いた足音。
暗い影の中の昇降口にゆらりと何かが動いた気がした。
「校舎か……。ツカマエロ? いいだろう……」
俺が入ってゆくと、階段の上のほうより、うっとりとまるで夢見心地のようなアイツの笑い声が聞こえた。
「かくれんぼだね……。楽しいなぁ……。追いかけて、ぼやぼやしてたら捕まらないよっ。夜になったら、お化けが来るよ、あはははは」
楽しくて仕方が無いといった浮かれた声音が、一層俺を苛立たせる。
正体を、見極めてやる。
あのねっとりと絡みつくように俺を追った視線、送られてきた白紙の手紙。
蝶。
何もかもを……。
ひらひらと舞う蝶を気取り、ヤツは駆けてゆく。
誘うように、時折振り返りながら。
「どうしたの? 完……。まるで、牛じゃないかっ、ああだめだよ、そんなんじゃあ、夜の闇に飲み込まれてしまう」
夜の闇……。気づくと、夕闇は其の色を濃く、深く変え始めていた。
しなやかに走るソイツは、あと少しのところで俺の指をすり抜けてゆく。
さながら、飼い主を翻弄する猫のように……。
誰も居ない、廃屋の木造校舎。
たった二人の鬼ごっこを、愉しんでいる様に。
俺は唯、確実についてゆく。
決して見失う事などない。
闇に隠れ、潜もうとも、必ず見つけ出せる。
ヤツの息がだんだんと上がってくる。
荒い息遣いが俺を益々冷静にさせる。
蝶は軌道をなぞる。
追い詰められてゆくモノの鼓動が俺の脳を甘く刺激する。
そうだ、こんな狩が俺は好きだ。
蝶の採集に胸を熱くした頃の高揚が俺の身体に広がってゆく。
「っはぁはぁ……ふふ……っ! ああっ」
「さぁ、捕まえたぞ!」
掴んだ腕は細く柔らかかった。
ナントイウコトダ。
コイツハ……。
「っふぅ、はぁはぁ、……つかまっちゃった……ふ、ふふ」
不愉快だった。
捕らえられて尚、薄ら笑いを止めぬそいつを、俺は嫌悪した。
自分でも呆れるほどに高揚が失われていった。
「さぁ、話してもらおうか」
「っふふ」
その気も無いような抗いを見せる。
苛立ちは高まってゆく。
「お前は……誰だっ」
「ふふふ、クスクスクスあはっ」
未だにその場の主を気取るソイツの蒼白い頬を俺が叩くと、小気味のよい音が校舎に響いた。
「ったあい……。酷いなぁ……なんでなぐるのさ……」
叩かれた頬を手で押さえ、俯くソイツに、疼く痛みが、今、この宵闇の廃屋の主が誰であるか、思い出させる。
ソノ憐れなイキモノの仮面を剥がす。
剥き出しになったなったモノは一体どんな色をしているのだろう。
「もう一度聞く、お前は誰だ。何故あんな事をした」
「あんな……事?」
「3ヶ月前ごろからだ、お前、ずっと俺を視ていただろう」
「ふふ……ミセテイタデショウ?」
「ああ? それと、2ヶ月前からの白紙の手紙は――」
「ホシガッタデショウ?」
「……俺が……?」
「ウレシカッタ……?」
口が裂けるかと思うほど、にぃっと笑う。
粘りつくような声が、嬉しそうに何かに勝ち誇る。
「まだ足りないの……? しようのないひと……」
「何を知ってる」
「ふふ、クスクス」
「応えろっ、何を知ってる!?」
「ぜ~んぶ」
うんざりだった。
コイツの嬉しそうな声が。
「あはは、きゃはははは、あきゃきゃきゃきゃきゃ」
俺に腕を掴まれたまま、水から上がった鮎のように身体を波打たせて嗤う。
「白い蝶……赤い蝶……黄色い蝶……。でも一番すきなのは真っ白い蝶……。大変だったんだよぉ? 素敵だったでしょう?贈り物を見たアンタの悦ぶ顔、目に浮かぶよ……。もっともっと贈り続けてもよかったんだけどさ……イロイロ面倒になってきたし、感想も聞きたかったんでね」
「感想?」
「気に入ったよねぇ?」
「まぁ……な」
「だよねぇ! ほうらやっぱり、アンタの好みを一番知っているのは僕さ」
「ほう」
「ねぇ、もっと聞かせてよっ、どうしたの? 最初に何をした?」
「それより、俺も聞きたいな。お前の貢物は確かに上等だった。だが、どうしてそれを思いついたんだ?なぜ、それを実行した。どうしてだ、何故オレをシッテイルンダ?」
「なんでも、しっているよぉ~?だって、ボクハキミダモノ。欲しいもの、手に入れたいもの。なんでもさ。白くて綺麗なまだ羽を広げて間もない蝶をむしる。甘い香りのする……綺麗な蝶……」
「そうだな……よく揃えられていた……。それも、次々と3体も」
「ほめてぇ、ほめてぇ~」
「イイコだな……」
「そうさっ、だって僕は特別だからね!……ねぇ……もう、本当はわかっているんだよね……」
「期待に沿えず残念だが、まったくだ」
「嘘だ!」
「本当さ」
「覚えてるでしょう? 僕だよ、忘れるはずなんてない、だって僕は、僕は・・・・!」
「特別……?」
「そう! そうだよ、完っ。僕だけが特別だった、君にとって。だって、だって僕は……!」
「生き残った……」
足りなかったピースがパチリとはまった。
アアそうか、コイツハ……。
「愛されてたから!」
「ワラワセルナ」
「え」
「思い出した。ああそうだ、お前は生き残った、たった一人の存在」
「嗚呼……タモツ……」
うっとりと俺を見上げ、眼差しを濡らして揺らす。至高の悦びに打ち震ええているのか。
アワレだな、アワレいて醜い。
嗚呼、なんてオゾマシイ。
「誰も教えてくれなかったか?それとも見ぬ振りをする為に正気を失ったか」
「……ダマレ」
「お前が今こうして生きているのは」
「ダマレ」
「其れはお前が」
「ダマレダマレダマレ!」
「女だからだ」
声の無い絶叫が聞こえたような気がした。そして気を失ったそいつの細い首をゆっくりと絞める。
今俺の手の中にある白い喉。だが其処にアダムの林檎は存在しない。
俺のたった一つの趣味とも言える蝶のコレクション。
其の中でたった一度の気まぐれだった。所詮気まぐれ、完璧な俺のコレクションには相応しくなかった。
蝶では無かった。
気まぐれに捕らえた、一匹の蛾。
それだけのこと。
記憶は薄れ、すっかりと消えていた。
――今日、あの人を見た。
間違いない、どうして今まで忘れていたんだろう。
私は間違っていなかった。私がこうして生きているのは、愛されていたから……僕は……愛されていたから……。
ソウ、ボクこそがカレノ、イチバン キレイナ チョウ ダカラ――
声劇の台本に書いたものを手直しして小説にしてみました。
こんな世界観が好きだったりします。
*挿絵は、ニコニコで活動されている、絵師の栞乃様に描いていただきましたホントウにありがとうございます(*・ω・)*_ _))ペコリン