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紅茶ペンギン腹ダヌキ

「今年も学園祭の季節がやってきましたねえ、シアさん」

 予算計画書を前に、ウィスタリアが微笑んだ。

「そうだな、ウィスタリア」

 ウィスタリアの正面に座っているシアも微笑を返した。

 賢者の学院部活用校舎二階の一室。入り口のプレートには、ごくまじめな文字で「征服部」と書かれている。時間帯は日差しも穏やかな放課後。隣の神秘学研究部の部室からは怪しげな呪文、反対側の生物部部室からは得体の知れない生物の鳴き声が響いてくる。

 それらの音を別にすれば、征服部の部室はきちんと整頓が行き届き、窓もレースのカーテンも大きく開け放たれ、壁紙も白く明るいものが選ばれていて異常なまでにさわやかだ。

「とりあえず、私がクラスをどれだけ征服できているかがこれで試されるのよね」

 そんなさわやかな背景を背負いつつ、一年F組学級委員でもあるウィスタリア・ギアルギーナは、ニヒルな笑みを浮かべて頬杖をついた。シアもやはり悪役にふさわしいニヒルな笑みを浮かべたまま、そうだな、とうなずき返す。

「今回の学園祭を成功させられれば、次期部長の座は私のものかしら?」

「そうなるだろう」

「なおかつ、たまには悪役らしいこともしておけば完璧?」

「その通りだ。素晴らしいぞ、ウィスタリア」

 征服部部員の二人は顔を見合わせてほくそえみ合い、さわやかなはずの部室にどこか濁った雰囲気が漂う。

「まあでも、今年は生徒会長様の手を煩わせない程度にしとこっか。ただでさえこの時期は残業続きなのに、かわいそうだもんね、オルキス」

 ウィスタリアはゆっくり体を起こし、予算計画書をまとめて枚数を数え始めた。部室にさわやかな空気が戻ってくる。

「そうだな。あの苦労性王子にこれ以上苦労をかけるのも酷な話だろう。しかし、エレメンジャーくらいは出し抜かないと話にならんぞ」

 同じクラス同じ班に所属する、あだ名でも冗談でもなく本当にこの国の王子であったりする男子生徒の顔を思い浮かべたシアは、沈痛な面持ちでうなずきつつも手近にあったファイルから部活動案内のパンフレットを引っ張りだした。付箋が貼られていたページを開くと、そこには全身カラータイツの生徒が五人、ずいぶん練習を積んだらしい決めポーズを取って映っている。シアが指先で軽く叩いた箇所には、『精霊戦隊エレメンジャー~諸悪の根源、征服部に対する最後の砦~』というあおり文句が踊っていた。パンフレットの下部に小さく書かれている「部活昇格まであと五人、求む、正義の味方」という文字が哀愁を漂わせているような気がしないでもないが、それを除けば大変テンションの高いチラシだ。

「だよねえ。せめて食堂ジャックくらい派手なことはしたいしなー。爆発背景に高笑い、は火薬無しオール幻覚魔法くらいに妥協するとして。んー……」

 ウィスタリアはしばし考え込み、部室のあちこちへ視線をさまよわせた。

 五メートル四方の四角い部室の真ん中には、互いに少しずつ間隔を取って事務机が三つ置かれている。そのうちの一つ、今二人が囲んでいるのは、征服部一年生に割り当てられた机だ。書類が山と積み上げられた残り二つの机と違い、上には今ウィスタリアが書いていた書類以外は何も載っていない。

「とりあえず、手の空いてそうなエージェントには声掛けておいてくれる?」

「うむ、了承した」

 シアは隣の散らかった机の上からエージェント名簿を掘り出しながらうなずいた。


 三十分後、シア・セーリナは精霊信仰研究部の部室の前に立っていた。

「まあ、今回は協力させていただくけどね」

 半開きの扉に手をかけて部室の中に立っているこの部の部長、アンドレア――貴族的な笑顔と押しの強さで弱小精霊信仰研究会を部に昇格させた人物で、シアとウィスタリアにとってはクラスメイトでもある――は、感情を完璧に押し殺した調子でシアに向かってうなずく。

「助かる。学院征服の暁には、精霊信仰研究部の予算についてもいろいろと考慮させてもらうぞ」

「……いや、賄賂は結構。金銭は合法的に手に入れた方が後々面倒にならないからね」

 アンドレアは呆れた様子で首を横に振った。

「それより、文化祭を盛り上げようという気概と企画は結構だけど、ほどほどにしておいてほしいな。オルキスも疲れるし、私としてもあまり騒がしいのは好みじゃない」

「安心したまえ、今回の企画者はウィスタリアだ。去年のようにエージェントが暴走して収拾がつかなくなったりはしないさ。カリスマ指導者だからな」

 シアが得意げに言うと、アンドレアは無表情で肩をすくめ、感情のこもらない声で「期待している」とつぶやいた。


「おや?」

 それから数件の依頼を取り付けるべく各部室を巡っていたシアは、最後の一件を終えた部室の前で立ち止まった。廊下の向こうに、背中に苦労の影をしょい込んだ生徒会長殿の姿を見つけてしまったのだ。

「オルキス!」

 敵役とてクラスメートには変わりなし、と、シアは明るい声でオルキスを呼び止める。のろのろと振り向いたオルキスの顔には、やっかいな奴に見つかってしまったと大書されていた。

「調子はどうだ? って見るからに悪そうだな。班会議の時から思っていたのだが、疲れているんじゃないか? オルキス・グリシーヌス」

 つかつかと歩み寄りながら、シアはまくし立てた。

「……そう見えるか?」

 オルキスは困り果てたように額に手をやる。

「うむ。目の下に隈が」

「え?」

「あったりはしないが」

「……シア」

「なんとなく雰囲気がだな。……いや、やはりよく見ると目の下に隈もできている。ちゃんと寝ているか?」

 シアはさらに一歩近寄ってしげしげと顔を観察しながら言う。

「……まったく寝ていないわけではないんだが」

 オルキスは気まずそうに一歩下がり、視線をそらしてつぶやいた。

「そうか? その顔は昼寝でもした方が良いぞ。そんな調子では執行部の連中も心配するだろう。健康管理も指導者の大切な仕事だ。ウィスタリアも常々そう言っている。……そうだ、オルキス。我々の部室で休んでいくといい。今日は私しかいないから静かだし、ちょうど折り良くお茶の時間だ。ごちそうするぞ」

 シアは両手を打ち合わせ、嬉しそうに宣言する。もちろん、断られるという選択肢はシアの頭の中には存在しない。


 そんなわけで有無を言わせぬ強引さで征服部の部室へ引っ張ってこられたオルキスは、お茶を淹れるシアの一挙手一投足を疑いの眼で見つめることとなった。当然のようにその視線に気付いているだろうシアは、しかし全く頓着することなく鼻歌なんぞ歌いながらお茶を淹れ続けている。

「今度は何を企んでいる?」

「それは今現在の話か? それとも次の学園祭の?」

「できれば……」

 オルキスは大げさにため息をついた。

「両方、教えていただけると助かるんだが」

「うむ。ぜいたくを言ってはいけない」

 紅茶をカップへ注ぎながら、シアは楽しそうに答える。

「ボスクラスの幹部は最終対決までネタばらしはしないものだ。安心したまえ。その時になったら嫌と言うほどべらべらしゃべってやるから」

「その時って学園祭当日だろう。勘弁してくれ……」

 オルキスはシアが目の前に置いたティーカップに向かってため息をついた。

「なに、生徒会長殿にもしっかり見せ場は用意してある。オルキスならば立派に、悪と対するその役を成し遂げられるだろう。これでまたファンが増えるぞ」

 シアは言い終えると、思い切り良く紅茶を口にする。シアの紅茶が一気に半分ほど減ったのを見たオルキスも、警戒しつつカップを口へ運んだ。

「我々『ザ☆非常識しすたーず』の計画に抜かりはない」

 オルキスは口にした紅茶を吹き出しかけ、盛大にむせかえる。

「それ……誰のネーミングだ……?」

「我々の偉大なる先輩、名は明かせぬが現在の部長殿だな。征服部でも幹部クラスともなればそれなりに名乗るべきチーム名が必要だ。そこで代々、その時の部長からチーム名を授かることになっているのだ。本当ならもっとクールな名前を付けたかったのだがな」

「……クール?」

「うむ。クールな名前だ。『腹ダヌキ冒険隊』とか、『踊るペンギンライン』とか」

「……『ザ☆非常識しすたーず』の方がよっぽど的を射ていると思うが」

 クールかどうかはともかく。

「そうか? ちょっとダサくないか?」

「ダサいとかダサくないとかいう問題ではないのでは……」

「そうか!?」

 いきなり瞳を輝かせて立ち上がったシアに、オルキスは椅子ごと半歩身を引いた。

「お前は本当に素晴らしい敵役だな」

「……は?」

「名前よりも本質。……そう、本質こそが大切なのだ!」

 胸に手を当てて陶酔したように語るシアを、オルキスは心底不気味そうに見上げる。

「我々が『腹ダヌキ探検隊』であるか、『踊るペンギンライン』であるか、それともやっぱり『ザ☆非常識しすたーず』のままなのか。それは我々の努力によって積み上げられる本質の中にこそあるのだ。お前の言うことは正しい」

 そんなことを言った覚えはない。単にダサいとかダサくない以前の問題だと言いたかっただけだ。しかもやっぱり『ザ☆非常識しすたーず』が一番本質っぽい気がしてならない。ていうか腹ダヌキ探検隊って何だ? 最初は冒険隊って言ってなかったか?

 オルキスの心のツッコミに気付くはずもなく、シアは延々とシュールな演説をぶちまけている。

 何だかよくわからん演説を聞きながら紅茶をいただいているうちに、だんだんまぶたが重くなってきた。緊張感が途切れてしまったのか、眠くて眠くてたまらない。

「……シア」

 絶好調で演説を続けるシアに、オルキスは力なく呼びかけた。

「なんだか疲れた。私はもう失礼するぞ」

 演説を途切れさせたシアは、不満げな表情でオルキスを見下ろす。

「そうは言うがオルキス、このままここを出て行けば絶対にどこかで倒れるぞ。ほら、もう眠くてたまらなくなってきているはずだ」

「何……?」

 異常なほど回らない頭でその意味するところを考えた末、オルキスは悔しさに奥歯を強く噛みしめた。

「……くそ。一服盛ったな……」

 途端、シアの不満げな顔が満面の笑みに変わる。

「うむ。よくわかってらっしゃる。そんなわけだからな、きりきり自分の足でベッドまでは歩いてくれ。私にはお前をベッドまで運べる自信はないのだ。私に欠けているものは数少ないが、その数少ないものの一つに筋力が含まれているからな。残念ながら」

 シアは机を回り込み、オルキスの隣へやって来ながら何度もうなずいた。

「ベッドで休んだ方がいいぞ、絶対的に」

「お茶には何も入れていないはずだろう……見てたぞ……なのにいったいどうやって……」

 心配そうに覗きこむシアを、オルキスは精一杯目に力を込めて睨み付ける。しかしもちろん、シアがこたえた様子を見せることはない。

「何を言っている。お茶っ葉を入れていたではないか。この茶葉は遠くフェルーナの森より運ばれてきた睡眠薬の原料ともなるヴェッサの葉だ。事前に花の蜜を摂取しておくと眠くならんという特性がある。そして私は蜜を摂取しており、お前は摂取していない。ちなみに取り扱いには資格が必要なんだが、私はそれをばっちり持っている。用法・用量はきっちり守っているから安心して眠りたまえ」

「……本人の意向を無視しておいて何が安心しろだ……!」

 恐らく、最初からすべてシアの計画通りだったのだろう。オルキスはやり場のない悔しさに身を震わせた。まさか茶葉自体が眠り薬になっているとは思わなかった。油断した。さっきの妙な演説も時間稼ぎのためだったのかと、今ならば納得できる。

「何、どうせ本日の部活動はもう終了している。私以外には誰も来ないさ。他言もしない。約束する。だから、寝ろ。……私のためだと思って」

「私が寝てどうしてお前のためになる」

 机に置いた腕に力を込めて立ち上がりながら、オルキスは低く訊ねた。シアの考えていることはいつもよくわからない。

「ん? だって、その方が張り合いが出るだろう。征服部のライバルとしてはエレメンジャーはまだまだ役者不足。やはり生徒会長殿にがんばっていただかなくては」

 それに、と、穏やかな微笑を浮かべながら、シアは立ち上がったオルキスを支えた。

「同じ班員としても、お前に倒れられては何かと往生するからな」

 耳元で囁かれた言葉の調子は優しく、歩きながらも眠りに落ちていくオルキスの意識に静かに染みこんでいく。本当にそれだけかと訊ねようとした言葉は、多分声にならなかった。

 シアの考えていることはやっぱりいつもよくわからない。

 どんな理由があるにせよ、あまり自分を甘やかさないでほしい。今は学院内のまとめ役で済んでいるが、いずれは国家を動かす身なのだ。自己管理くらい自分でしなくてどうする。甘えるわけにはいかない。たとえ――たとえ彼女の馬鹿馬鹿しいほどの存在感が、奇妙な安らぎを自分にもたらしてくれるとしても。

 そう思いながら、オルキスの意識は眠りに呑み込まれた。


 征服部の隅に置かれたベッドにもぐりこんですぐに寝息を立て始めたオルキスの顔を覗き込み、シアは満足げに微笑んだ。机に戻り、エージェント名簿に今回の協力者たちの名を書き込んでいく。

 しばらく経ってから顔を上げたシアは、頬杖をついてオルキスの寝顔を眺め、また穏やかな笑みを浮かべた。

「……役得だな」

 さわやかな風がレースのカーテンを揺らし、穏やかな陽光が明るく部屋を満たす。

「片思いというのも、これでなかなか楽しいものだ」

 シアとしては最大限の甘やかさを持った台詞をそっと口の中で転がすと、なんだかくすぐったいような心地になった。

 カーテンを揺らして部室に入り込んできた風は、身体を冷やさない程度に優しく涼しい。シアの微笑み方を別にすれば、湿り気のない気持ちの良い午後だ。

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