こんにちは皆さん
冷やかしながらも、気を利かしてか友人たちは少年を一人残して後にした。場に残った空気は重い。
少女は相変わらずだんまり、少年は居心地の悪さに視線を泳がせて頭を掻く。
「それで…どうしたのかな?」
そう言いながら改めて少女を見る。
小柄な体格に綺麗な栗毛の長い髪を後ろで一つに縛っている。焦っているのか、丸く大きな瞳は動きを絶やさない。リスのような小動物的な可愛さを持った少女だった。
「えっ!うーんと…その…あーもう!いいからとにかく来て!!」
少女はしばらく人差し指を額に押し当てていたかと思うと、勢いよく千種の手を取って走り出した。それこそ、彼の反抗すら挟ませない程の勢いで。
階段を駆け上がり、扉を乱雑に引き、たどり着いたのは屋上だった。膝に手をついて呼吸を整えていた彼女だったが、握り続けていた手に気付くと、慌てて飛び退く。
「慣れてない訳じゃないから!東条君の手が汗ばんでて気持ち悪かっただけだから!」
何故か下手なファイティングポーズをとりながら、聞かれてもいない言い訳をする少女。
「っはは、そっか。初めまして、東条千種です」
「…知ってる。何でこの流れで自己紹介?」
相変わらず少女の臨戦態勢は崩れない。
「一方的に名前を聞くのは失礼だと思ってさ」
「あ…そっか…一条桜花。二年一組」
「へー、同学年なんだ。俺四組なんだけど、知ってる?」
「うん、二年四組二十八番、席は後ろから二番目、窓側から三番目」
「おぉ、何でも知ってるね。桜花さんはどこら辺に座ってるの?」
「えっと、私は…真ん中ぐらいの…じゃなくて!!」
顎に手を当てて真剣に考え出していた桜花だったが、即座に両手で頭を抱えながら天を仰ぐ。
「違う!違うのよ!私がしたいのは雑談じゃないの!」
「桜花」
大げさなリアクションに笑顔の千種。そんな和やかな雰囲気の中に割って入る抑揚の無い声。
声の主は二人が入ってきた扉のさらに上、大きな給水タンクの上に仁王立ちしていた。そこから華麗な跳躍をし、見上げる二人を飛び越して音も無く着地する。
振り返った姿。黒革の無骨なブーツ、赤いミニスカートにスパッツと口元まで隠れる緑のパーカー。青みのかかった肩に掛からない程の短めの髪、顔には笑った表情の白いお面。
「…個性的なお友達だね」
「違う!いや、違わないけど…あなたが思っているのとは何か違う!」
相変わらず忙しい桜花である。対して新たに現れた彼女はパーカーのポケットに両手を入れるだけ。
「桜花、何してる?桜花の仕事は仲良くなることじゃない」
「わっ、分かってるわよ!今からやるんだから!」
そう言うと桜花は千種を残して少女の方へと走り出し対峙する。そして、千種をびしっと指差した。
「東条千種!あなたに特殊な能力がある事は分かっている!逃げ隠れせず、大人しく、正々堂々と私と戦いなさい!」
発せられたその言葉に飄々としていた千種の表情が変わる。悲しみや嫌悪や負の感情が入り混じったものに。
「…やっぱりそっち関係なんだ。じゃあ、駄目だ。俺はこの能力が嫌いだから」
桜花は毒気を抜かれたように指をおろし、もう一人の少女は一歩前に出る。
「ふふっ…それは好都合だよ、東条千種。尚更、キミが欲しくなった」
張りつめた空気を裂く凛とした声。その主は先ほどの少女と同じように給水タンクの上に仁王立ちをしていた。
腕を組んで少しふんぞり返っている分威圧感は三割増しぐらいではあったが。
「凛!?」
「…みんな高い所好きだね」
驚く桜花と軽いデジャブに半ば呆れ気味の千種。タンクの上の少女は長い黒髪を靡かせ、端正な顔立ちを悪戯を思いついた子供のようににやつかせる。
仮面の少女はそれを見るとすぐに彼女のそばに飛んで戻る。
「嬢、接触はしないはず」
「カタい事言わないの、雪。思い立ったら即行動あるのみ!」
不満があるのか無いのかも分からない程の平坦な言葉を並べながらも、元気な少女の体を優しく抱えて静かに屋上に降り立つ。彼女はこの学校とは違う紺色のブレザーに赤と黒のチェックのスカートを着ていた。
「凛、どうして?」
「一旦は桜に任せたけど、やっぱり自分の目で見たかったし、他の学校に潜入するのも楽しそうだったし。って事で、雪に無理言って連れてきてもらったのでした」
舌を軽く出しながら両手を合わせて、形だけの謝罪を見せる。そして相変わらずの微笑を浮かべ、振り返って千種と対峙する。
「こんにちは…いや、こんばんわ?まぁ、どっちでもいいか。僕は姫川凛子。清華高校の二年生だ。悪いけど桜、もとい桜花とのやり取りは全部見てたし、聞いてた」
「聞いてた?」
「雪がしっかり盗聴器仕込んでくれたからね、桜に」
悪戯っぽい笑顔を桜花に見せて、胸を人差し指で指す。慌てて桜花が制服の胸ポケットを調べると小さなマイクが現れた。
「いつの間に…」
「桜花は隙だらけ」
「あっと、雪の紹介がまだだったね。彼女は柊雪菜。仮面はあまり気にしないで欲しい。彼女はシャイなんだ」
凜子のそばで仮面の少女はパーカーのポケットに手を入れたまま桜花を諭す。凜子はそんな事は気にせず紹介をする。桜花は自分の今日の発言を振り返ったのか、顔を真っ赤にして一人で頭を抱えて悶える。
「それを踏まえて、キミは非常に面白い。柔らかな紳士じみた物腰の裏に鋭いものを秘めた二面性。能力を憎むというスタンスも素敵だ」
政治家の演説のように雄弁に語る。しかし、千種の警戒が相変わらず解けていない事に気付くと、彼女は小さく笑った。
「うん、回りくどかったな。では、ハッキリと言おう。僕はキミが欲しい。何が何でもね」
恥じらいも迷いも一切無く、彼女は真っ直ぐ千種を見つめる。あまりに突然の事に千種は思わず視線を横に泳がす。
「全然分からないよ。そこまで言い切る根拠がさ」
「昨日までは全く興味が無かった。しかし今日、実際会って心が躍った。間違いなく、キミは私にとって必要な人間だ。これでは足りないか?」
「俺の事何も知らないのに?」
「そう、だから一番信じられる自分の直感を信じる。当然じゃないか」
曇りなく、突抜ける。彼女は太陽のようだった。
「…そういうの、嫌いじゃないんだけどさ。この能力で関わりは持ちたくないんだよ、ごめんね」
力なく千種は笑って背を向ける。凜子はそれでも動じず、力強く腕を組む。
「その能力は罪でも罰でも咎でもない。それはただの個性の一つだ。誰しもが持ってる。自分だけが特別悩みこんでいる訳じゃない。それと、僕はしつこいぞ!」
振り返ったその顔は清々しい程の笑顔。しかし、今は不敵なものにしか感じなかったが。
「…凜子さんは一体何者?」
「ふふっ、キミの味方だ!」
「はぁ、なるほどね」
夕暮れの屋上での出会い。それは、千種にとって生涯忘れる事の出来ない鮮烈な出会いとなっていく。