第9話 未帰還者
悠斗はペンを握り直して、廊下を進んだ。
扉がいくつも閉じている。
その一つ一つで、名簿と人数が合わないかもしれない。
階段の近く、二年二組の扉の前に、生徒が集まっていた。
声は大きくない。でも、言い方がきつくなりかけている。
朔が先にいた。腕を伸ばして、人の流れを止めている。
「ここで固まるな。通路を空けろ」
「確認は中でやれ。廊下で揉めるな」
朔の声は短く、鋭かった。
悠斗が近づくと、朔が目だけ動かした。
「この教室の人数が合わねえ。さっきから同じ話してる」
「俺が中を見る。廊下は頼む」
悠斗は扉をノックした。返事は小さかった。悠斗はゆっくり扉を開けた。
教室の前方に、生徒が一人、紙を持って立っている。クラスの係らしい。紙を持つ指が、細かく動いて落ち着かない。
「今、名簿を読みます」
「呼ばれたら返事してください」
返事が次々と上がった。机に突っ伏したままの生徒でも、声だけは出した。
途中で係の声が止まった。
「……返事がありません」
教室の空気が固まった。
悠斗は前に出た。声を落として言う。
「その名簿、見せて」
係が紙を差し出した。待機者名簿の写しだ。ひよりの字で書かれている。
読みはある。番号もある。でも、その一行だけ返事がない。
後ろの席の男子が口を開いた。
「昨日の夜、言ってました」
「家が気になるって」
別の生徒が続ける。
「朝に教室を出るって。止めたけど聞かなかった」
「家に連絡がつかないから探しに行くって」
悠斗は息を吐いた。頭の奥に、短い言葉がよぎった。
記録改変。
悠斗は係に言った。
「この教室の確認は、いったんここまで」
「勝手に探しに外に出ないで」
「倉庫前の確認係に任せる」
「確認係……?」
係が聞き返した。
「篠宮だ。倉庫前にいる。困ったらそこへ行ってほしい」
悠斗は扉の外へ出た。朔がすぐに近づいてきた。
「どうだ?」
「まだ場所は分からない」
「家のことで焦って、朝に外へ出たらしい」
朔が一瞬、眉を寄せた。それだけだった。
「校門に向かった可能性は?」
「はっきりしない」
「裏口の話も出た」
朔が頷いた。
「なら、廊下は俺が押さえる。人が増えると崩れる」
「頼む。俺はひよりに伝える」
悠斗は倉庫前へ戻った。
倉庫前には、机の上に紙が並んでいた。
名簿、訂正の記録欄、確認の手順。
ひよりが紙の端をそろえていた。悠斗の気配に気づいて、顔を上げた。
「悠斗。どうだった?」
「二年二組で一人足りない」
「家のことで焦って、朝に外へ出たみたいだ。裏口から出たって話も出てる」
ひよりの目が少し細くなった。でも声は落ち着いていた。
「分かった。今は未確認外出として扱う」
「読みと、最後に聞けた場所は?」
「読みはこの行」
「場所はまだ確定していない。裏口の話が多い」
ひよりは紙を一枚引き寄せた。
【未確認外出(受付)】
・名前(読み)
・最後に聞けた場所(校門/裏口)
・確認した時刻(何時何分)
・確認者(確認係)
ひよりは読みを書き、時刻を書き、確認者欄に自分の名前を書いた。
余計な言葉は足さなかった。
倉庫端末が鳴った。
ピ。
画面に白い文字が出る。
《外出扱いは記録を要する》
ひよりは端末を確認してから、紙に目を戻した。
「外に出るなら記録が要る」
「勝手に出る人が増える前に、形を作ろう」
悠斗が言う。
「紙が増えると面倒だ。今はこの一枚に集めよう」
「そうだね。管理しやすいし。」
ひよりは頷いた。
その時、廊下の向こうから足音が駆けてきた。
息の切れた声。
「こ、ここ……! 校門に貼り紙がありました!」
「未記録の外出は、未帰還者になるって……!」
女子生徒だ。顔が赤く、肩が大きく上下している。
ひよりが一歩前に出て言った。
「大丈夫。落ち着いて」
「お名前、教えてもらえますか?」
「は、早瀬です。早瀬、葵です」
「早瀬さん。ありがとう」
「貼り紙の文、もう一度。短くでいい」
早瀬は唇を噛んで、言葉を探した。焦っているようだ。
「未記録の外出は、未帰還者って……!」
「未帰還者がいる間は……配布が止まる、って……!」
ひよりが頷いた。
「十分。助かったよ」
「貼り紙はどこにありましたか?」
「校門の内側です! 右の柱のとこです!」
悠斗は早瀬を見た。焦りながらも分かりやすい情報を伝えてくれている。
朔が廊下の端から声を飛ばした。
「校門は人が集まる。誰も行かないでくれ。」
朔の声が廊下に届いた。
ひよりは紙に一行足し、区分を書き替えた。
【未帰還者(受付)】
・貼り紙が出たら、未確認外出を未帰還者へ切り替える
ひよりはゆっくりと早瀬に向き直った。
「早瀬さん。今は走らないで」
「あなたにお願いしたい役がある」
「え……わ、わたし……?」
「連絡係」
「教室や倉庫と学内をつなぐ役」
「見たことと、聞いた情報を伝えてほしい」
早瀬の顔が固まった。指先が震えている。
「ど、ど、どうしよう……」
「大丈夫。判断はこっちがする」
ひよりが静かに言った。
早瀬は息を整えてから頷いた。
「……はい。分かりました」
悠斗は一歩前に出た。
「早瀬さん。連絡を任せる」
「これからも頼む」
倉庫端末が鳴った。
ピ。
画面が一瞬だけ変わる。
《連絡係:承認》
すぐ元に戻った。
早瀬が目を丸くした。
「え……今……?」
ひよりが言う。
「今は考えなくていいから。深呼吸して」
「これから連絡係をお願い」
「は、はい……!」
早瀬は廊下へ向かった。走ってはいないが、速い。
悠斗は朔を見た。朔は廊下の先に目を向けたまま言った。
「俺はここで人を止める。集まるとパニックになるから」
「裏口は悠斗とひよりの二人で見てくれ。」
ひよりが頷いた。
「分かった。私も行くよ」
悠斗も頷いた。
「行こう。二人で裏口を確認してくる」
朔が短く言う。
「頼む。戻ったら教えてくれ」
「分かった」
悠斗とひよりは裏口へ向かった。
廊下の角に、また人が集まりかけた。朔が短く声をかけて散らした。
「集まらないで。通路を空けてくれ」
道ができた。
裏口の扉の前に、貼り紙が増えていた。
【裏口の通行】
・通行は確認係の指示に従う
・未帰還者がいる間は不要な出入りを控える
ひよりが眉を動かした。
「裏口にも貼り紙が増えてる」
悠斗は扉の隙間から外を見た。薄い光が差し込んでいる。風の匂いがする。
遠くで声がした。弱い声だ。
「……戻りたい……」
ひよりが小声で言う。
「いた?」
「近い。声が聞こえる」
二人が外へ出た。裏手の道。フェンスの向こうに、男子が一人立っている。
目が揺れている。顔色が悪い。
「戻れない……」
「校門が……通れない……」
悠斗はフェンスに近づいた。向こう側に手が届かない距離だ。
男子が焦って言う。
「家が……家が……!」
悠斗は声を低くして言った。
「落ち着け」
「戻りたいなら、勝手に動くな」
「なんとか戻れる形を見つけてみるから」
男子は震えながら頷いた。
悠斗の頭に、短い言葉がよぎった。
記録改変。
ひよりが言った。
「私から緊急連絡を回します」
「先生や早瀬さんにも、裏口の件を伝えてもらう」
悠斗は頷いた。
ポケットの端末を確認する。画面の下に小さな数字がある。
次の更新までの残り時間。数字は減り続けていた。
悠斗は端末から目を離して考えた。
未確認外出は貼り紙ひとつで未帰還者に変わった。
近くにいるのに、校門の内側へ戻れない人がいる。
校門と裏口どちらにも貼り紙が増えている。
無視して勝手に動けば記録の外側に落ちる。
悠斗は裏口の男子を見た。
彼をこちらに戻せる条件が、まだ足りていない。




