第3話 確認係
水と食料は渡せていた。
でも悠斗は落ち着かなかった。
周りでは誰かが冗談を言って小さく笑っている。
「朔。列はどうだ」
ひよりが紙の上から目だけ上げて言った。
「伸びてる。けど誰も揉めてない」
朔が箱を抱えたまま答える。
「なら合格」
ひよりは短く言って配布表に目を戻した。
紙に書いた交代表がある。
班の名前がある。
監督者の欄がある。
確認係の欄もある。
全部さっき作った言葉だ。
場が止まらないように作った言葉だ。
この言葉で世界が増えないでほしい。
悠斗はそう思った。
悠斗は倉庫の端末を見た。
画面の下に緑の文字がある。
《権限:保管係(暫定)》
《暫定:残り 43:05》
端末の残り時間だ。
数字が減っている。
減るのは当然だ。
でも悠斗は嫌だった。
「四十三分」
悠斗が思わず声に出した。
「何が」
朔が箱を抱えたまま首だけ向ける。
「暫定の残りだ」
悠斗が端末を顎で示す。
「ゲームかよ」
朔が眉を上げて言った。
「ゲームならセーブさせてほしい」
悠斗が笑わずに返した。
朔は肩をすくめて列へ戻った。
戻る背中が軽い。
朔は軽いまま真面目に働いている。
ひよりが悠斗の横に来た。
視線は端末に向いている。
声は小さい。
「さっきの封筒」
ひよりが倉庫の奥を見たまま言う。
「まだ触ってない」
悠斗が頷いて返した。
「うん。今は水」
ひよりが念押しみたいに言う。
「今は水」
悠斗も同じ言葉で返した。
同じ言葉で確認する。
それだけで悠斗の胸が少し落ち着く。
先生が倉庫の入口に立った。
落ち着いているふりが上手い先生だ。
ふりが上手いけど目が忙しい。
「篠宮。配布の記録はどうしている」
先生がひよりに聞く。
「紙で残してます」
ひよりが即答する。
「端末に入力はしているか」
「してません」
先生の視線が倉庫端末に移った。
その瞬間に端末が小さく鳴った。
ピ。
画面が切り替わる。
白いウィンドウが出る。
短い文が表示された。
《配布の実施は記録を要する》
悠斗の喉がきゅっと鳴った。
端末の表示が一行増えた。
増えたのに文章は整いすぎている。
悠斗は指を近づけた。
触れる寸前。
頭の奥に短い言葉が落ちた。
規約改変。
「……また増えた」
悠斗が小さく言った。
ひよりが短く息を吐く。
「記録ね」
ひよりが先生ではなく端末に向けて言った。
「端末に入力しないと駄目という意味か」
先生が言った。
「紙の記録は記録じゃないんですか」
ひよりが先生に返す。
「記録は記録だが」
先生が言いかけた。
「なら紙で残します」
ひよりが言った。
ひよりは迷わない。
ひよりが迷わないから現場も迷わない。
悠斗は画面の下を見た。
小さな文字がさらに増えている。
《記録方式:端末》
《監督者:要》
《確認係:要》
ひよりが眉を上げた。
上げるだけで伝わる。
「確認係を作ったのは正解だね」
ひよりが言った。
「正解ならいい」
悠斗が返す。
「正解。でも足りない」
「何が足りない」
悠斗が聞き返す。
ひよりは紙を出した。
配布ルールの紙。
その下に新しい紙。
「配布記録」
「名前」
「受け取り」
「時刻」
「確認係のサイン」
「時刻は大雑把でいい」
悠斗が言った。
「分だけでいい」
ひよりが頷いた。
「細かいと揉める」
「揉めさせない」
朔が戻ってきた。
汗を拭きながら言う。
「なんか増えた?」
「端末の表示が増えた」
悠斗が答える。
「また?」
「また」
ひよりが短く返す。
朔は笑ってから紙を見る。
笑いが薄くなる。
「記録か」
「紙でやる」
ひよりが言う。
「紙なら俺でもできる」
朔が言った。
朔がペンを取った。
字は雑だ。
でも速い。
速さは正義だ。
列が動く。
水が行き渡る。
食料も行き渡る。
サインが増えていく。
「ありがとう」
「助かった」
声が混ざる。
声が混ざるほど場が落ち着く。
悠斗は受け取り欄を見た。
名前が並ぶ。
学年が並ぶ。
クラスが並ぶ。
番号も並ぶ。
そこに違和感がある。
一つだけ。
名前の表記が一致していない。
同じ人物なのに書き方が違う。
漢字。
カタカナ。
ひらがな。
悠斗の指が止まった。
触れる寸前の距離で止める。
頭の奥に短い言葉が落ちた。
記録改変。
「やっぱり記録が一致してない」
悠斗が紙を指して言った。
「どの範囲だ」
ひよりが覗き込みながら聞く。
「この紙だ。ここ」
悠斗が言った。
「原因は分かる?」
「分からない。分類だけだ」
悠斗はそこで止めた。
万能じゃない。
分からないから積むしかない。
悠斗はそう思った。
「表記が違うくらいなら」
先生が言いかけた。
「くらいで済まない」
悠斗が言ってしまった。
悠斗は少し後悔した。
重くしたくない。
「先生。今は配布が先です」
ひよりが間に入る。
「……そうだな」
先生が引いた。
悠斗は職員室端末の画面を思い出す。
参照層。
L-01。
この紙の違いも参照層L-01と同じだと思った。
でも悠斗は断定しない。
断定したら重くなる。
「同じ名前でも字が違うだけじゃね」
朔が紙を見て言う。
「そう見える」
悠斗が答える。
「お前は違うって顔してる」
「違うって顔してるだけだ」
「便利な顔だな」
「表記は後だよ」
ひよりが紙をトントンと叩いて言った。
「今は水」
「今は水」
悠斗が合わせる。
同じ言葉があると迷わない。
今はそれが助かる。
倉庫端末がまた鳴った。
ピ。
画面の下の数字が更新される。
《暫定:残り 39:18》
悠斗は声を出さずに見た。
ひよりも見た。
朔も見た。
「減り方。早くね?」
朔が口を曲げて言った。
「俺が焦ってるだけだ」
悠斗が言う。
「それで済むやつか」
「済ませる」
ひよりが短く言った。
配布が一段落した。
列が短くなり箱が減る。
紙のサインが増える。
悠斗は配布記録の紙をまとめた。
端が少し揃っていない。
揃っていない。
だから作り物じゃないと思えた。
悠斗は少し楽になった。
「これお願い」
悠斗が紙束をひよりに渡す。
「うん。わかった」
ひよりは紙束を受け取った。
「最初の一時間で学校が役所になった気がする」
朔が空になった箱を指で弾いて言う。
「役所に失礼だ」
悠斗が返す。
「じゃあ何だよ」
「拠点」
ひよりが言った。
悠斗は頷いた。
拠点だ。
避難所じゃない。
悠斗は倉庫の奥の封筒をもう一度見た。
まだ開けない。
必要になった時に開ける。
このやり方で行く。
無理に壊さない。
手順を整えて配布を続ける。
暫定の時間が減っても紙の記録と手順は残る。
悠斗は紙束の重さでそう思った。




