第2話 暫定ルール
配布が落ち着いた。
倉庫の前の列が短い。
廊下のざわめきも静かになった。
それでも安心はしない。
端末の暫定が減っている。
あの数字が目に入るたびに胸が締まる。
《暫定:残り 35:02》
「減ってるな」
朔が端末を見て言った。
「減るのは普通」
悠斗が言う。
「その普通が怖いんだよ」
朔は笑い切れずに肩をすくめた。
ひよりは紙束を机代わりの台に置いた。
配布記録。
監督の交代表。
追加の注意事項。
紙が増えるほど場は落ち着く。
それが分かった。
分かったのに嬉しくない。
「先生」
ひよりが入口の先生に声を掛けた。
「どうした」
「次。帰宅の判断を出してください」
先生は一拍置いた。
迷っている。
「一度。職員で話す」
「早めに判断してください」
ひよりが言った。
短く。
逃げ道を作らない。
先生は苦笑して頷いた。
職員が二人集まる。
小声で確認を始めた。
悠斗は距離を取った。
朔が近づいてくる。
声は低い。
「無事に家に帰れるのかな」
「帰れる人は帰る」
「お前はどうすんの?」
「分からない」
「分からないばっかだな」
「分類しか分からないからな」
朔は鼻で笑った。
笑ったあと真面目な目をする。
「帰れないと困るぞ。うちは冷蔵庫が正義だから」
「その正義は今日だけ負けてくれ」
「やだ、美味しいもの食べたいし」
ひよりが紙を叩いた。
軽く。
合図みたいに。
倉庫前に人が集まる。
体育館ほどではない。
それが助かる。
先生が前に立った。
息を整えてから言った。
「帰宅できる人は帰宅」
「帰宅が困難や不安な人は学校待機だ」
生徒の顔が揺れた。
帰りたい。
帰れるか分からない。
先生が続ける。
「暗くなる前に動く」
「ただし。勝手に学外に出ないこと」
「帰宅者は記録する」
その言葉の直後。
倉庫端末が鳴った。
ピ。
悠斗の背中が冷える。
嫌なタイミングだ。
画面に白いウィンドウが出た。
短い文。
《帰宅は記録を要する》
悠斗は指を近づけた。
触れる寸前。
頭の奥に落ちる。
規約改変。
「来たな」
朔が小さく言った。
先生は端末を見て言葉を飲んだ。
飲んだだけで場がざわつく。
「今のは無視します」
ひよりが先に言った。
「無視できるのか」
先生が言う。
「無視じゃない。紙で記録します」
ひよりは紙を出した。
もう慣れている。
「外出記録」
「名前」
「目的」
「同行」
「戻った時刻」
「確認係サイン」
ひよりが顔を上げる。
「確認係。二人にする」
「一人だと回らない」
「朔もやって」
「え」
朔が目を丸くした。
「さっき紙ならできるって言った」
「言ったけど」
「ほら言った」
朔は降参の手を上げた。
「はいはい。確認係やりますよ、やればいいんでしょ。」
ひよりは悠斗を見る。
目だけで聞く。
「見に行く?」
悠斗は頷いた。
帰宅の判断は出た。
でも。
帰れるかどうかは別だ。
悠斗は一度だけ手を挙げた。
「先生」
先生が向く。
「帰宅を試すなら一組だけ先に出した方がいい」
「理由は」
「外がどうなってるか分からない」
「そうだな」
「ただし、学校にすぐ戻れる範囲の人で」
先生は頷いた。
頷いたあと視線をひよりに向ける。
現場の中心がどこか分かっている顔だ。
「篠宮。候補はいるか?」
「朔がいいです」
ひよりが即答した。
「俺かよ」
朔が言う。
「めちゃくちゃ元気だし」
「雑な人選だな」
「褒めてる」
朔が笑ってから手を上げる。
「じゃあ俺。ついでにコンビニとか店が生きてるかも見てくる」
「目的が軽すぎる」
先生が言った。
「食べ物を仕入れる場所は必要です」
ひよりが返した。
同行は誰にするか。
先生が迷う。
迷うとまた揺れる。
「俺が行きます」
悠斗が言った。
言ってから胸が少し痛い。
でも必要だ。
ひよりが悠斗を見た。
止めない。
止めない顔だ。
「二人で」
ひよりが言った。
「学校に戻れる範囲」
「校門まで十分の距離までね」
外出記録に書く。
朔の名前。
悠斗の名前。
目的。
校門の外の状況確認。
同行。
互いの名前。
確認係サイン。
朔がペンを走らせた。
雑だ。
読める。
それでいい。
「行ってきます」
朔が言った。
「行ってこい」
先生が言う。
「危なかったら戻ってきて」
ひよりが言った。
廊下を歩く。
校舎の外が近づく。
窓の外が妙に明るい。
明るいのに薄い。
「なあ」
朔が小声で言った。
「なに」
「校門ってさ。あんな遠かったっけ」
悠斗も同じことを感じていた。
距離がずれている。
でも言葉にしない。
言葉にしたら増える気がする。
校門に着く。
門は開いている。
でも貼り紙が増えている。
悠斗の視線が吸い寄せられる。
指が止まる。
触れる寸前。
頭の奥に落ちる。
規約改変。
貼り紙は短い。
短いほど嫌だ。
「外出は記録を要する」
「校内への持ち込みは確認を要する」
「持ち込みって何だよ」
朔が言った。
「水」
悠斗が言う。
「食料」
朔が続ける。
「全部だな」
校門の外へ一歩。
空気が変わった。
冷たいわけじゃない。
音が減る。
車の音が遠い。
人の気配が薄い。
朔がスマホを見た。
眉が寄る。
「圏外じゃない」
「じゃないのになぜか繋がらない」
朔は発信ボタンを押す。
呼び出しが鳴らない。
画面に短い表示。
《参照層:L-01》
悠斗の喉が乾く。
職員室で見たやつだ。
校門の外でも同じ。
悠斗も地図アプリを開いた。
地図は出る。
でも地名が薄い。
大きい表示が抜けている。
駅名は出る。
その上が空欄。
「やっぱり」
悠斗が小さく言った。
朔が道を指す。
「人はいるな」
人はいる。
二人。
三人。
ただ。
すれ違う距離が変だ。
向こうはこっちを見ていない。
見えていないみたいに通り過ぎる。
悠斗は目を細めた。
見間違いじゃない。
肩が触れそうで触れない。
空気の膜が一枚ある。
指が勝手に伸びる。
触れる寸前で止める。
頭の奥に落ちる。
仕様改変。
場所は。
校門の外。
分類は。
仕様改変。
「朔」
「どうした?」
「近づくな」
「見えてないんだろ」
「分からない」
「分からないばっか」
「でも分類は出た」
朔の顔が真面目になる。
「やばい?」
「やばいって言い方はしたくない」
「じゃあ」
「学校に戻るぞ」
朔は口を尖らせた。
でも頷く。
校門へ戻る。
門をくぐった瞬間。
音が少し戻る。
朔が息を吐いた。
「世界。二重になってない?」
「二重かは分からない」
「でもなんか薄い膜みたいなのはあった」
悠斗は頷いた。
言葉は増やさない。
事実だけ持ち帰る。
倉庫前に戻る。
ひよりがすぐ見た。
紙を持っている。
確認係の顔だ。
「早かったね」
ひよりが言う。
「ただいま」
朔が言う。
「戻った時刻を書くよ」
ひよりが外出記録に視線を落とす。
「時計見るから待って」
朔が言う。
「分だけでいいよ」
ひよりが書く。
続けて悠斗が報告する。
「校門の外はなぜか音が聴こえない」
「人がいるのになぜかすれ違わない」
「端末と同じ表示。参照層L-01」
「分類。仕様改変」
先生が顔をしかめた。
でも声は強くしない。
「帰宅はどうする?」
先生が言いかける。
「慎重にしましょう」
ひよりが先に言った。
ひよりは周りを見る。
不安な顔が多い。
不安は長く引っ張れない。
「帰れる人は帰ってもいい」
ひよりが言った。
「ただし」
言葉を切る。
場が静かになる。
「家が近い」
「複数名で帰る」
「安全に戻れる道だけ」
「帰宅も記録します」
先生が頷く。
そこに重さはない。
運用の重さだけだ。
朔が手を上げた。
「俺やっぱり帰らない」
先生が驚く。
ひよりも少しだけ目を丸くする。
「理由を教えてくれ」
先生が聞いた。
「帰ってもゲームみたいにセーブできないし」
朔が言った。
「なんだそれ意味分からんぞ」
先生が言う。
「まあ要するに不安ってことですよ」
朔は笑って言い直す。
「ここならみんな居るし、一人じゃない」
ひよりが紙を一枚増やした。
帰宅記録。
書く項目は少ない。
「名前」
「帰宅先」
「同行者」
「学校へ戻る判断基準」
「戻る判断基準って何」
誰かが言った。
「迷ったら戻る」
ひよりが言った。
「それでいい」
笑いが少し戻った。
重くならない。
その温度で行ける。
悠斗は倉庫端末を見た。
暫定の数字がまた減っている。
《暫定:残り 28:44》
減っている。
でも紙は増えた。
役割も増えた。
学校に戻る基準も作った。
積み上げは消えない。
悠斗はそれを信じた。
ひよりが悠斗を見る。
目だけで言う。
「今夜。ここは拠点」
悠斗は頷いた。
帰れる人は帰る。
帰れない人は残る。
拠点に残った人が各々の役割を全うしなければ。




