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黄泉帰りの妃  愛されない平民妃は離婚を決める  作者: オレンジ方解石


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 穀物と農耕の女神の一人娘が少女時代を過ごしたと伝えられる、美しい山の麓で。

 頭巾をかぶった一人の少女――――いや、娘が腕いっぱいにひなげし(ポピー)の花を摘んでいる。

 ユージーンはつらい山登りを終え、ようやく目当ての稀有なる一輪を見つけた気がした。


「ジェラルディン嬢――――」


 呼ぶと、相手はすぐに気づいて、花を抱えたままユージーンのもとへ駆けてきた。


「ルーク先生! どうしてここに」


「お久しぶりです、ジェラルディン嬢。元気そうで良かった」


 変わらぬユージーンの優しい笑みに、ルディも涙があふれそうになる。


「ルドルフ殿下とパメラ妃殿下から聞きました。あなたがこちらの神殿にいる、と」


「はい」とルディはうなずく。


「色々考えた結果、離婚はできても、ロアーの町には戻れそうにないな、と思って」


 ロアーは小さな田舎町だ。そんなところに、王太子に見初められて結婚式まで挙げた娘が、離婚して帰ったりなどしたら、どんな好奇の視線と噂の的となることか。


「なんやかんやで、私が無事に離婚できたのも、ルドルフ殿下やパトリシアさまの潔白が証明できたのも、あの女神さまの助力が大きかったわけですから。しばらく働いて恩を返そうか、と思って。そう説明したら、パトリシアさまがフェザーストン公爵にお願いして、あの神殿を紹介してくださったんです」


 ルディが指さした先には、穀物と農耕の女神を祀る神殿がある。


「…………出家されたのですか?」


 ユージーンはルディがかぶる女神官の証である頭巾を見つめて、何故か不安げに訊ねてくる。

 ルディは首をふった。


「いえ! こんな格好をしていますけれど、誓願は立てていません。療養という名目で置いてもらっています」


 貴族の令嬢や夫人が、諸事情から神殿に入ってほとぼりをさますというのは、よくあることだ。

 ルディも便宜上、女神官の格好をしてはいるが髪は切っておらず、いつでも俗世に戻ることが可能だった。


「安心しました」


 ユージーンは心からほっとした表情を浮かべる。

 それからロディア王宮について、現状を教えてくれた。

 新たに婚礼を挙げたルドルフ王太子と、その新しい妃パメラ。

 眠りの病に罹ったというブリアンナ王妃と、王宮を永久追放されたマレット男爵夫人。

 そして、いまだ行方が知れぬブラント皇子…………。


「一応、ヴラスタリ皇国も捜索をつづけていますが、皇帝陛下をはじめ、皇宮の者たちは皇子の生存は絶望的、という結論で一致しています。仮に見つかったところで、皇子としての扱いはうけられませんし」


 皇太子の暗殺計画が明るみになったうえ、その皇太子には先日、息子が生まれた。後継者が誕生したのだ。

 言いかえれば、第二皇子に皇位がまわってくる可能性はさらに減ったのである。


「そうだ、これを」


 ユージーンが鞄を置き、装丁の美しい一冊の本をとり出して、ルディへ差し出す。


「お土産です。王都で流行している人気作です。女神から遣わされた聖なる乙女が、王太子を救って隣国の悪しき皇子を倒す、そういう内容です」


 いたずらっぽく片目をつぶったユージーンの説明に、ルディは気恥ずかしさに顔から火を噴きそうになる。

 でも、すごく嬉しい。

 ユージーンからの贈り物は二回目だが、どちらもルディのことを考えて選んでくれたのが伝わってきた。


「ありがとうございます。大事に読みます」


 ポピーの花束を片腕に、ルディは黒髪の少女が描かれた表紙を愛おしそうに見つめる。

 その嬉しそうな顔に、ユージーンも胸の熱に押されるように、言葉が口からすべり出ている。


「――――これから、どうするのですか? ジェラルディン嬢」


 見上げてきた琥珀色の瞳に、ユージーンはできるだけいつものさり気ない調子を装いつつ、内心で大いに勇気を奮って誘う。


「実は、大学を少し長く休むことにしまして。このあと、あちこち旅して回る予定なのですが。――――良ければ、一緒に来ていただけませんか?」


「え?」


「なんというか…………色々理由はあるのですが、一番は」


 そう前置きして、ユージーンはつづける。


「私はあなたに、この世界の美しさ、楽しさ、奥深さを知ってほしいのです」


 ユージーンの澄んだ水色の瞳が、ルディの琥珀色の瞳をまっすぐ見つめる。


「あのロディア王宮で、あなたには多くのつらい経験があったと察します。もしかしたら、王宮に来る以前にも。ですが、だからこそ私はあなたに、この世界がつらいことや苦しいことだけではなく、優しいことや幸せなこともたくさんある、勉強も本当はもっと楽しいことなのだと、知ってほしい。叶うなら、世界中のそういう様々な出来事を、私があなたに伝えたい。教えさせてもらいたいのです」


 ユージーンはルディが持っていた本をいったん引きとり、空いたルディの手をとる。


「私はこのあと、旅先で出会う色々な物や景色、経験、そのすべてをあなたと共有し、分かち合いたい。あなたに世界を学ぶことの楽しさを知ってほしいし、伝えたいのです、ジェラルディン嬢――――ご迷惑でしょうか?」


 普段、優しくて落ち着いた、頼れる大人だと思っていた『先生』が、ちょっと不安そうな表情を見せた。


「いいえ!」


 反射的に言葉が飛び出していた。

 ルディも想いがあふれ出す。


「いいえ、全然、そんなことはないです。わたしも、もっと先生の話を聞きたい、授業をうけたかったと、ずっと思っていました。わたしがロディア王宮で勉強を本当に、心底から嫌いにならずに済んだのは、間違いなくルーク先生のおかげです。もっと先生から色々なことを教えていただきたいんです」


「ジェラルディン嬢」


「――――連れていってください。わたしも、もっと先生と一緒にいて、先生のお話を聞いて、いろんなことを知りたい。ロアーの町ともロディア王宮とも違う、外の世界を見てみたいんです。…………『知っている』ということはとても大事だと、今なら、よくわかるんです」


 ルディの実感だった。


「わたし、なにも知りませんでした。ルディの正体も、ルドルフ殿下にパトリシアさまがいらっしゃることも。王宮がどんなところか、王太子妃がどんなに大変な立場なのか。知っていたら、もっと早くに、違う対処ができていたかもしれないのに。だから…………今度は、先に知っておきたいんです。いろんなことを。次に選ばなくてはいけない時、少しでも良い選択ができるように。…………あの、こんな理由で勉強するのは、不充分かもしれませんれど」


「充分です」


 ルディの手をとったユージーンは笑顔と共に、自分の額をルディの手の甲につけた。


「それでは、まず神殿長に、神殿を出る報告をしないといけませんね」


 ユージーンの提案に、ルディも思い出す。


「そうだ。パトリシアお姉さまと、ルドルフ殿下にもご報告しないと」


 二人、どちらからともなく見つめ合い、笑い合う。

 ルディは胸がどきどきしながらも、これまでの誰にも感じたことのない、あたたかい優しい幸せな熱に、胸が満たされる。

 ずっと忘れていた「未来への希望」という言葉の意味を、今ようやく思い出せた気がした。


「これからも、よろしくお願いします。ルーク先生」


「こちらこそ、よろしく。ジェラルディン嬢」


 ユージーンはルディの手を離して鞄を持ち直す前にそっと、ぽつりとこぼすように付け加えた。


「…………あなたにとっては、私はただの教師の一人かもしれません。ですが私は、ロディア王宮で毎日つらそうなあなたの顔を見るたび、あなたをあの王宮からさらって行きたかった」


「えっ…………」


 一陣の強い風が吹き、ルディがかぶっていた女神官の証の頭巾を飛ばす。

 春の野のひなげし(ポピー)を思わす淡紅色の長い髪があふれて、風になびいた。


「では、行きましょうか」


 ユージーンが自分の鞄を片手に、もう一方の手をルディにむかって差し出す。

 ルディはちょっと恥じらいながらも、その手に自分の手を重ねた。

 二人、並んで昼下がりの道を歩いて行く。

 ルディが『ルーク先生』ではなく『ユージーン』と、ユージーンがルディを『嬢』という敬称なしで呼ぶようになるのは、もう少し先のことである。


 穀物と農耕の女神の一人娘が少女時代を過ごしたと伝えられる、美しい山の麓に広がる花畑。

 その、どこかずっと遠くの空から、ルディは覚えのある声が風にまぎれて聞こえた気がした。



 ジェラルディン――――

『堅き槍』の名を持つ娘よ


 そなたの選択、この黄泉の女主人がたしかに見届けた――――

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