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黄泉帰りの妃  愛されない平民妃は離婚を決める  作者: オレンジ方解石


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 ロディア王宮の王太子の執務室。

 窓からは、庭園を忙しく行きかう使用人たちの姿が見える。


「あと一ヶ月ですわね」


「ああ。もう残りひと月か。正直、もう半月はほしいな」


 結婚式の準備は遅れ気味で、人手も時間も足りない。

 ため息交じりのルドルフの言葉にパトリシアは、くす、と笑うと真剣な、痛みをこらえる表情で彼を見あげた。


「殿下…………本当に、よろしいのですか?」


 すみれ色の瞳が新緑の瞳を見つめる。


「私…………私は一度、他の男と婚約した身です。それも、殿下や国王陛下を裏切るような形で…………ブラント皇子は消息不明。パトリシア・フェザーストンも見つからず、今の私は対外的にはフェザーストン公爵()の姪、パメラ・フェザーストンということになっていますが、パトリシアには違いありません。それを、本当にこんな私で…………」


「それに」と、パトリシアは視線を落とす。


「それに殿下はあの()を、ルディンのことを…………」


 ルドルフは首をふる。


「ルディ――――ジェラルディンは君の義妹で、大事な友人だ。しかし、それだけだ。今の私は、彼女を妻や恋人として愛することはできない。なによりジェラルディンには迷惑をかけすぎた。今の私が彼女にしてやれることは、彼女を自由にすること。それだけだ」


 そっ、とルドルフの大きな手がパトリシアの頬に触れる。


「こうして矢の力から解放されて、あらためて思う。私が愛しているのは、やはり君なんだ、パティ」


「殿下…………」


 ルドルフは手を離した。


「むろん、今の私がこんなことを言っても、信用できないのは承知している。矢の力によるものだったとはいえ、私は君を傷つけ、苦しめた。そして周囲もふりまわして――――」


 ルドルフは窓の外の空を見上げる。


「『本当にいいのか』は、私の台詞だ、パティ。矢の効果とはいえ、一年前、私がジェラルディンに恋したのは事実だ。だが、そのためにしたことといえば――――」


 身分を隠して彼女の店に通い、婚約者がいることを隠してジェラルディンに求婚し、身分を明かしたあとは、彼女が逃げられない状況を作った。

 王宮に連れ帰ってからも、周囲の状況を察して『寵姫でいい』と再三、訴えてきたジェラルディンの意思と気持ちを無視して、正式な結婚と妃の地位にこだわった。

 それが、かえってジェラルディンに周囲からの反感を集めると、理解できなかったわけではないのに。彼女に王太子妃教育を強要した挙句、自分は王宮から離れて、マレット男爵夫人がジェラルディンを虐待する隙を作った。

 そして、ふたたび矢の力で心を変化させられると、今度は彼女に『愛することはない』とまで言いきって、新婚の彼女を放り出した。


「感情の変化そのものは、矢の力によるものだったろう。しかし、その感情から派生した行動自体は、私自身の意思や選択によるものだ。――――初めて知った。私はこれまで、自分を理性的で賢い人間だと思っていたし、周囲もそう信じていたはずだ。しかし現実は――――」


 ジェラルディンに恋したこと自体はルドルフのせいでなくとも、もっと公正に紳士的に口説くことはできたはずだ。あるいは彼女の幸せを慮り、忘れることはできなくとも、身を引く選択もあったろう。

 また、彼女に嫌悪を抱くようになったあとも、自身が望んで娶った事実には変わりない。

 愛することはできなくとも礼節をもって接すること、人前では夫婦としての態度を貫いて、彼女に恥をかかせないよう配慮することはできたはずなのだ。

 けれど現実のルドルフは、ただただ自分の心の赴くままに行動しただけだった。


「ジェラルディンが矢の存在と力を証明してくれたのは、本当に幸運だった。奇跡としか言いようがない。あの証明がなければ、私は今も感情的で愚かな王太子として、父上や母上、大臣や貴族たちからの信頼を失いつづけていただろうし、ジェラルディンも不幸なままだった。――――私こそ、君と共にいる資格はないんだ、パティ。もしまた、あのような感情に囚われる日が来たら、私はまた同じことを…………きっと、また君を………っ」


「殿下。それを言うなら、私も」


 窓に額をつけたルドルフの背に、パトリシアはすがるように両手を置く。


「私も、恋に溺れて愚行をおかしました。恋自体は矢の力ですが、そのあとの行動はすべて私の選択です。ロディア貴族の娘でありながら、婚約者を差し置いて、安易にヴラスタリ皇子の求婚を受け容れてヴラスタリ皇国について行き…………ジェラルディンが令嬢たちから冷遇されていると察しながら、なにもせずにいました。私こそ、あなたと並ぶ資格はありません。一国の王妃や王太子妃など、とてもふさわしくない。それに…………」


「それに?」


「本当は…………自信がないのです。ふたたび、あなたを愛することができるのか…………」


 パトリシアはルドルフの背に自分の額を置く。


「ジェラルディンが現れる前までの私は…………たしかに殿下を愛していました。これが愛だと思っていました。でも、あの矢で刺されて…………自信がなくなったのです。私がこれまで愛と思っていたものは、本当にそうだったのか。神の力によるものとはいえ、ブラント皇子に感じた熱い激しい想いこそが真実の恋だったとすれば、私が今まで殿下に抱いていた想いは…………。なにより」


「なにより?」


「この先の人生で、ふたたび、あのような激しい想いを抱く日はくるのか…………なに一つ、自信がないのです」


 それはつまり、ルドルフへのこれまでの気持ちが恋だったという自信も持てなければ、今後あらためて恋する自信もない。そういう意味だった。

 あの神の道具、黄金の矢によって生まれた感情は、それほどまでに強烈なものだったのだ。

 ルドルフはパトリシアの言いたいことを正確に理解する。

 そして答えた。


「それを言うなら、私も同じだ、パティ」


 婚約者をふりかえり、苦し気なすみれ色の瞳と正面から向かい合う。


「私も自信がない。なくなったんだ。君への想いが本当に恋だったのか、そしてこの先、ジェラルディンに抱いた以上の強さと激しさで、君に恋することができるのか――――なにも自信がない。だが…………」


 パトリシアはルドルフの次の言葉に耳をすませる。


「だが、それでいいのではないだろうか」


 ルドルフは言った。


「自信はなくとも、向き合うことはできる。少なくとも私はもう一度、君と向き合って生きていきたいし、私が即位する時、隣に並んでいてほしいのは君だ。それは間違いない。私は、君が私をブラントほど強く愛していないとしても、私と向き合う努力をつづけてくれる、その事実があれば、大丈夫な気がするんだ――――」


「殿下…………」


「私と結婚してほしい、パトリシア・フェザーストン嬢。それからパメラ・フェザーストン嬢。私は、やはり君を愛している。共に生きてほしいのは君なんだ、パティ」


「ルドルフ――――」


 すみれ色の瞳を潤ませ、パトリシアは何度もうなずく。


「私も――――私も、あなたを愛しています、ルドルフ。矢の力から解放され、自由な心をとり戻した今、私がそばにいたいと願うのはやはり、あなたなのです、ルドルフ。あなたと共に生き、あなたの力となり、あなたの重荷を少しでも私に分けてほしい。そう、幼い頃から願ってきたのです」


「パティ。パトリシア」


「おそばにいます、ルドルフ。今度こそ」


「ああ、パティ。今度こそ」


 ルドルフとパトリシアはしかと抱き合い、口づける。





 ロディア王太子ルドルフ。

 彼は最初、フェザーストン公爵令嬢パトリシアと婚約していた。

 しかしルドルフは視察先で偶然、出会った少女と愛し合い、彼女を王宮に連れ帰って王太子妃教育をうけさせ、清楚可憐な令嬢へと変身した彼女を新たな婚約者とすることを、国王たちに認めさせる。

 少女はフェザーストン公爵の養女となり、レイラ・フェザーストンの名を得て、ルドルフの妃となる。

 前後して、パトリシア・フェザーストンもヴラスタリ皇国のブラント皇子と婚約する。

 しかし、ブラント皇子はロディア王家を陥れるために暗躍しており、気づいたレイラ・フェザーストンの手柄により陰謀は阻止されたものの、レイラ本人は逆上したブラントの手にかかって命を落とす。

 そしてパトリシア・フェザーストンも、ヴラスタリ皇国への逃亡を試みたブラントに人質として連れて行かれ、ロディア国境を越えた直後、乗っていた馬車が崖から落ちて、ブラント共々消息不明となる。

 その後、ルドルフの二人目の妃となったのはパメラ・フェザーストン嬢。

 フェザーストン公爵の姪で、パトリシア同様、銀色の髪とすみれ色の瞳の美姫だったという。

 即位後、有能で見目もよいルドルフには、いく人もの寵姫()()が現れた。

 けれどルドルフは、どれほどの美女に言い寄られても、心動かされることはなかった。

 人々は、ルドルフ王のパメラ王妃への愛情の深さに感動した。

 けれどパメラ王妃は、ひそかに夫から真実を明かされている。

「正直、美しいな、魅力的だな、と心を動かされる時はある。けれど『あの時の、あの激しさに比べれば』と思うと、すぐに冷めてしまうんだ」

「わかりますわ。私も時折、誘いをかけてくる殿方がおりますけれど…………あの時、あの方に感じた激しさを思い出すと、途端に誰も色褪せてしまうのです」

 王と王妃は、互いにしか理解のできない共感の笑みを浮かべ合って、寄り添う。

 ルドルフ王とパメラ王妃は、ロディア王家でも特に仲睦まじい、深い愛と信頼で結ばれた夫婦としても、ロディア史上に名を残す。

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