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黄泉帰りの妃  愛されない平民妃は離婚を決める  作者: オレンジ方解石


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(これで、すべてがうまくいった)


 お気に入りの紅茶を淹れさせて心地よい風に吹かれる、うららかな午後。

 ロディア王妃ブリアンナは侍女たちをさがらせて一人、ほくそ笑んだ。

 一時はどうなるかと思った。

 ルドルフは卑しい平民の娘に熱を上げ、パトリシアはヴラスタリ皇子の口車に乗って、皇国へ去ってしまった。それでもルドルフが平民の娘を愛しつづけ、娘も王太子妃として最低限の体裁が整っていれば取り繕いようもあったが、ルドルフはあっさり心変わりして、パトリシアを恋しがるようになってしまった。

 けれど終わってみれば、大事な一人息子の王太子ルドルフは操られていた事実が明らかになって、本人の潔白が証明され、目障りだった平民の娘もルドルフが責められない形で王宮を去って、ルドルフは新たに妃を迎えることが可能な立場に戻っている。

 おまけにブリアンナは、あの不思議な柘榴のおかげで若さと美貌までとり戻し、疎遠になりかけていた夫、オーガスティン二世の愛までとり戻したのだ。

 めでたし、めでたし。これ以上の大円団(ハッピーエンド)はそうそうないだろう。


(あの愚か者(マレット男爵夫人)も、よく動いてくれたものだこと)


 マレット男爵夫人をけしかけたのはブリアンナだ。

 けれど夫人本人は、けしかけられた自覚すらないだろう。

 ブリアンナも、あからさまに「あの平民の娘を追い出せ」などと、証拠になるような言葉は口に出していない。ブリアンナはただ、マレット男爵夫人に『頼んだ』だけだ。


「なんとしても、あの娘を王太子妃らしく仕上げるのです」


「パトリシア嬢のように完璧に」


「あなただけが頼りです、マレット男爵夫人。あなたの実力を信じています」


 そう、くりかえしただけ。

 それだけでマレット男爵夫人はすべての許しを得たかのようにふるまい、あの娘を散々に痛めつけた。それ(虐待)こそがブリアンナの望みだったと、気づきもしないで。

 期待どおり、いや、それ以上に、あの切羽詰まった愚かな中年女はブリアンナの手の上で踊ってくれたのだ。


(馬鹿な女)


 今頃あの女は、自分が都合よく使い捨てにされたとも気づかず、ただ王宮に戻ることを切望して右往左往、奔走しているに違いない。

 むろん、ブリアンナにその気はないし、なによりルドルフやパトリシアが絶対に許さないだろう。

 ブリアンナはただ、


「優秀な夫人と思っていたのに…………まさか、命に関わる虐待をおこなっていたとは。私の見る目がなかったのでしょう、ルドルフたちには本当に申し訳ないことをしました」


 と、憂いに顔をくもらせていれば「部下の能力と忠誠心を信じたのに、仇で返された哀れな王妃」と、周囲が勝手に同情してくれるのだ。

 ブリアンナがマレット男爵夫人を利用して、あの平民の娘を追い出そう、無理ならいっそ死なせてしまおう、と画策していた真実など、誰も知ることはない。

 ブリアンナは最初から、あの平民の娘が気に入らなかった。

 平民だったから、それだけではない。

 あの娘が、ブリアンナの特に嫌いな女を思い出させたからである。

 ブリアンナの夫、オーガスティン二世は若い頃から何度か寵姫を迎えていた。

 その中でも特に寵愛したのが、シャーロット・ライリー子爵夫人。

 淡紅色の髪に琥珀色の瞳が美しい、パパルナ地方出身の美女だった。

 高級娼婦あがりのこの女は、紆余曲折を経てある貴族の後見を得、オーガスティン二世の前に出た。そして貴族の期待どおり国王に気に入られ、当時老齢だったライリー子爵と形だけの結婚を済ませると、ライリー子爵夫人として宮廷に出入りするようになり、オーガスティン二世の寵姫として王宮に一室を与えられたのである。

 妻からすれば腹立たしい話ではある。

 しかし、このライリー子爵夫人は都の高級娼婦出身だけあって、美しさや教養のみならず、立場をわきまえる賢さも兼ね備えていた。

 国王の寵愛を得ても、それを盾に王妃に喧嘩を売ってくるような真似は皆無だったし、公の場では『ライリー子爵夫人』に徹して、国王を通じて政治に口をはさむこともなかった。立場上、毎日のように周囲から贈り物をうけとっていたが、その多くを慈善事業に寄付することも心得ていた。

 それゆえ大臣たちはむろん、貴婦人たちからも『理想的な寵姫』と認められていたし、愛人の質は、その愛人を抱える男の手腕を測る指針でもあったから、このようにわきまえた寵姫を見出したオーガスティン二世もまた、その審美眼を称賛された。

 だからこそ、ブリアンナは気持ちの持っていきようがなかった。

 シャーロットが、もっと愚かで強欲な女であれば。

 物語や演劇に登場するような欲深な野心家で、王妃の座を狙って暗躍するような悪女であれば、ブリアンナも堂々と彼女を非難して断罪し、夫の愚行を責めることもできただろう。

 けれど現実には、シャーロットにはそのような隙はなかった。

 彼女はあくまで優美でひかえめで、正妻であるブリアンナの前では一介の貴婦人という態度を崩さず、ブリアンナへ気の利いた贈り物すらくりかえしていた。

 オーガスティン二世も公私のけじめはつける男で、悪女の虜となって国をかたむけるような暗君ではなかったため、ブリアンナはどれほどシャーロットの存在に苛ついても、表面上は彼女を認めているふりをして『愛人の存在を認める寛大な妻』を装わなければならなかった。

 シャーロットと夫が立場をわきまえていればいるほど、彼らを責めたり罵ったりすることは、正妻としての格を落とす行為になったのだ。

 だからシャーロットが三十歳前に流行り病で亡くなった時、国王の嘆きは深かったものの、ブリアンナは胸のつかえがとれて、すっきりした。

 さらにはオーガスティン二世本人も近年は体調が思わしくなく、新しい寵姫を探す余裕もなくなって、ブリアンナも安堵していた。その矢先。

 ルドルフがあの娘を連れ帰ったのである。

 娘は奇しくもあの娼婦と同じ、淡紅色の髪に琥珀色の瞳をしていた。

 シャーロットと同じパパルナ地方出身だったので、偶然ではあったのだろう。あの地方には多い色彩だし、顔立ち自体はまるで似ていない。

 けれどブリアンナは、この世から追い出したはずの邪魔な女が、黄泉帰ってきたような錯覚にとらわれた。


『父上は幾度か寵姫を迎えられ、そのたびに胸を痛められてきたのは、母上ではありませんか』


 国王たちを説得しようとするルドルフに、そう言われた時。

 ブリアンナが内心、どれほど絶望したことか。


(私が寵姫に悩まされてきたと知るなら何故、その小娘を選ぶのです。よりによって、もっとも陛下に寵愛されたあの(ライリー子爵夫人)、あの女そっくりの髪と瞳を持つ、生まれ変わりのような女を、私の息子である、あなたが!!)


 夫を惑わし、妻であるブリアンナを散々に悩ませた悪女が、今度は大事な一人息子を誘惑している。

 ブリアンナはそのような悪夢にとらわれ、居ても立っても居られず、ジェラルディンの追放計画を立てた。

『追放』とはいうが、実質的には「死なせてもかまわない」暗殺計画である。

 ブリアンナは、自分の家名になにより誇りを持つマレット男爵夫人をジェラルディンの教育係につけ、男爵夫人が平民の娘を嫌い、憎み、苦しめるよう、仕向けた。

 むろん、国王の代理という口実でルドルフに地方を回らせ、娘がルドルフに助けを求められないよう工作するのも忘れない。

 願いは叶った。

 ブリアンナの読みどおり、マレット男爵夫人は卑しい平民の娘を虐め倒し、けれどそれがブリアンナの差し金であるとは、周囲にも男爵夫人自身にも気取らせないまま、すべての責を男爵夫人一人が負って、この王宮から永久に追放されたのだ。

 肝心のルドルフも、潔白が証明されて本来の有能さをとり戻した。

 これでもう、なんの憂いもない。


(すべては私の思いどおり)


 おまけにブリアンナは、失ったはずの若さまでとり戻したのだ。

 この件に関してのみ、あの卑しい平民の娘には褒美をくれてやってもいい。


(本当に高貴で優れた人物は、己の手を汚しなどせずとも、周囲が勝手に動いて(忖度して)状況を整えてくれるものよ――――)


 ブリアンナは深い満足と共に、ティーカップに口づけた。

 芳しい香りが口内を満たす。





「…………?」


 しばし、うたた寝していた気がする。

 肌に触れる風の温度、運ばれる香りが変化したように感じて、ブリアンナは目を開けた。


「――――え?」


 まばたきする。

 眼前に広がっていたのは、花畑だった。

 王宮の花園ではない。暗い空の下、地平の彼方まで、さえぎるものもなく広がる花畑だ。


「どういうこと…………? ここは…………」


「ようこそ、楽園(エリュシオン)へ」


 ブリアンナが反射的に向けば、お茶会用の白いテーブルの向かいに一人の女が座っている。

 麦穂を思わす金髪に、上等な黒の衣装に身を包んだ優雅な貴婦人。

 テーブルの上のティーセットも高級品だが、どちらもブリアンナは見覚えない。


「あなたは何者です? ここは…………私はいったい、どうしてここに…………」


「ここは楽園。地の底。あなたたち人間が『死者の国』と表現する世界」


 貴婦人は平然とお茶を飲む。


「死者の国ですって?」


 ブリアンナは訊き返した。


「冗談はおやめなさい。あなたが何者かは知りませんが、ロディア王妃たる私を許しなく王宮から連れ出したこと、明るみになればただでは済みませんよ? ただちに王宮に戻しなさい」


「そうはいかないわ」


 ふふ、と貴婦人は笑う。


「あなたは、地下の柘榴を食べた。それゆえ掟に従い、今後はこの地下で暮らさなければならないわ」


「地下の柘榴、ですって?」


「そう。王妃なら、神話の一つも聞いたことがあるでしょう。農耕の女神の一人娘は、死者の国の王にさらわれ、死者の国の柘榴を食べたために、掟により、地上に戻れなくなってしまった。けれど、彼女の母は娘を手放すことを嫌がり、娘が食べた柘榴も、たった四粒。そこで一年の四ヶ月を死者の国で、残る八ヶ月は地上で暮らす、という折衷案に落ち着いたのよ」


「死者の国の…………柘榴…………」


 ブリアンナの脳裏に、あの卑しい平民の娘から献上された、世にも美味だった赤い実の輝きがよみがえる。

 そうだ、あの娘は死者の国から戻って来た者、黄泉帰った人間だった――――!!

 貴婦人は立ち上がって、ブリアンナに宣言する。


「あなたは黄泉の柘榴を食べた。ゆえに、これからはこの地の底で暮らさなければならない。ただし、情けはかけましょう、私の神話にのっとって。あなたが食べた柘榴は十粒。だから一年のうち十ヶ月を、この地で暮らしなさい。残る二ヶ月は地上に戻っていいわ」


「な…………!」


 ブリアンナは女の言葉が、いや、己のおかれた状況が信じられなかった。


「戯れを! このようなふざけた話、聞いてはおれません! 即刻、私を王宮に戻しなさい!!」


「十ヶ月が過ぎるまでは戻れないわ。言ったでしょう、理解の悪い人間ね」


「ぶ、無礼な――――! ロディア王妃たる私に、なんと不敬な! 王宮に戻ったら、ただではおきませんよ!!」


「ロディア王妃が、どれほどのものか!!」


 女は高らかに笑った。


(わらわ)は、この地下の女主人。この地の底すべての土地とすべての死者、すべての魔術と魔術師の守り手にして支配者、黄泉の王妃ぞ――――――――!!」


 金色の髪が黒く染まる。

 突風がブリアンナに吹きつけ、花弁が嵐のように舞い散って花畑も姿を消す。

 目の前に広がった薄暗い荒涼とした光景に、ブリアンナは何度も四方を見渡した。


「こ、ここは!? 今までの庭園は――――!」


『ここは黄泉』


 暗い空の上から声が降ってくる。姿は見えない。


『掟の十ヶ月間、ここで好きに過ごすがいい。亡者たちと戯れるも良し、気の済むまで荒野を歩きつづけるも良し。望むなら、女官としてとりたててやってもよかろう』


「不遜な! ロディア王妃たる私に、女官に成り下がれとは――――!」


『好きにするがよい』


 声が消え、かわりに乾いた冷たい風が吹き荒れる。


「お、お待ちなさい!!」


 岩だらけの灰色の世界にただ一人、鮮やかな紅色のお茶会用ドレスでとり残されたブリアンナは、天にむかって叫ぶ。


「私は、私はロディア王妃ですよ!? ロディア王妃に対して、このような、このような――――今なら許します! すぐに私を王宮に戻しなさい!! 今すぐに――――――――!!」


 甲高い声は地の底に吸い込まれて消える。





 ロディア王妃ブリアンナ。

 数奇な運命をたどった女性である。

 隣国からオーガスティン二世に嫁いでルドルフ王太子を産んだあと、息子が起こした事件については割愛するとして、聖なる乙女の奇跡によって若返った彼女は、若い頃のように夫から寵愛されるようになったのもつかの間、奇妙な病にとりつかれる。

 ある日突然、眠りについて、なにをしても絶対に起きない。何日も眠りつづける。

 かと思うと、前触れなしに目が覚めて、寝台から飛び起きる。

 眠る時、起きる時、眠りつづける期間などに規則性はなく、とにかく『急に』としか言い様がない。それでいて眠りつづける日数は、合計するときっかり十ヶ月間で、少なすぎることも多すぎることもない。

 ロディア国王は最初、国中から名医を集めて、王妃の病を治そうとした。けれど誰も王妃を目覚めさせることは叶わず、大神官からは、


「王妃様は神の怒りを買い、呪いをうけたのでしょう。神の怒りが解けぬ限り、この呪いが解けることもありません」


 と預言をうけ、国王は治療をあきらめた。

 一年のほとんどを眠って過ごし、いつ目覚めるかわからない王妃。

 当然、妃としての務めは果たせるはずがなく、家臣の多くはブリアンナとの離縁と、新しい若い姫との再婚を勧めたが、若返った美貌の王妃を手放すことを、国王自身が拒んだ。

 ブリアンナはロディア王宮の王妃専用の寝室で、専属の医師と侍女を侍らせて眠りつづけ、市井の人々は、呪いをうけた王妃に対する国王の深い愛情に感動し、その愛を讃えて、多くの詩や物語が創作される。

 しかし実際は、王妃が眠って役目が果たせない間、オーガスティン二世は数多の夫人と一夜の恋を楽しみつづけ、ブリアンナが数十日ぶりに目覚めた時には、新たな寵姫まで迎えていた。

 ブリアンナは憤慨した。

 けれど、眠りの病を得て王妃の役目を果たせなくなった今、文句をいうこともできない。

 ブリアンナはふたたび夫の浮気心に悩まされながら、眠りつづけてなにもできない日々、恐ろしい亡者に追われたり、荒涼とした景色をさ迷う日々を送ったのである。

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