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黄泉帰りの妃  愛されない平民妃は離婚を決める  作者: オレンジ方解石


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 広い廊下を王太子の執務室へと向かいながら、マレット男爵夫人は少々不機嫌だった。

 色々あったが、あの不出来な平民の娘を王宮から追い出せたのはいい。

 けれど今日、彼女を呼び出したのがフェザーストン公爵令嬢だというのは気に食わなかった。

 フェザーストン嬢はたしかにあの平民の娘に比べれば高位だし、ぐっとマシな出来だが、しょせんはフェザーストン家も八十年つづいたかどうかという、新興の家。

 ロディア建国時から存在して、建国そのものにも貢献した、二百年に及ぶマレット男爵家の伝統や由緒を上回るものではない。

 それなのにむこうが公爵というだけで、こちらが従わなければならないのだ。

 マレット男爵夫人は初代とその息子以外、ぱっとした功績をあげなかった先祖を恨んだ。

 しかし、それも先代までのこと。

 今代ではマレット男爵夫人が王妃付き女官を務め、王太子妃の教育係にも抜擢された。

 この機を逃さず、手柄を立てて新たな爵位や領地を授かり、マレット家の長い伝統にふさわしい扱いを社交界でうけられるよう、国王や王妃に働きかける。

 そう、計画していたのだが。


「あなたを王宮から追放します、マレット男爵夫人」


 すみれ色の瞳に敵意にも似た強い光をたたえて。

 宣言したのは、フェザーストン公爵令嬢パトリシアだった。

 フェザーストン嬢は黒光りする執務机の前に立って、男爵夫人に罷免状を見せつけ、机にはルドルフ王太子も着席して見守っている。


「な…………どういう意味にございますか!?」


 マレット男爵夫人は罷免状を奪うように受けとり、叫んだ。


「言ったとおりの意味です、マレット男爵夫人。あなたは永久追放。王太子妃の教育係の任も解きます」


「ど、どういうおつもりですか!? 私は王妃殿下のご命令で、教育係の役目を…………!」


「王妃殿下の許しは得ています。王妃殿下も賛同してくださいました」


「!?」


「マレット男爵夫人。あなたは王太子妃にして、我がフェザーストン公爵家の次女レイラ・フェザーストンを虐待していましたね?」


「!!」


「あなたはレイラの成績不良や、自分の言うことを聞かないことを理由に、何度も彼女を鞭で打った。食事もろくに与えなかった。レイラ、いえ、ジェラルディンの母親が病床にあることを利用して、ルドルフ殿下や他の者たちに知らせたら母親の治療を止める、と脅した。あなたが罷免した家庭教師たちに、王太子妃付きの侍女や下女たち。それから、あなたが買収していた王宮付きの医師たち。全員から証言を得ています。ジェラルディン本人も我が家の医師に診察させ、ドレスで隠れる位置に大量の鞭の跡があることを確認しました。よくも、あんなひどい真似を…………」


 パトリシアの顔が痛みと怒りにゆがみ、ルドルフがマレット男爵夫人を見る目も、刃物のように鋭く冷たい。


「王妃殿下も、あなたを任命したのは自分だが『そのような野蛮な真似を許した覚えはない』と明言されました。ご自分が人選を間違えたばかりに、ジェラルディンや王太子殿下を非常につらい目に遭わせてしまったと、大変心苦しそうでした。これらの罪状を鑑み、あなたはロディア王宮から永久追放処分とします。反論はありますか?」


「お、お待ちください!!」


 マレット男爵夫人は血相を変えた。


「虐待というのは、あまりな表現です! たしかに多少、手荒なことはしてしまったかもしれませんが、私はけして、命を危険にさらすような真似はしておりません!! すべて、普通の体罰の範囲内です!!」


「鞭で何度も打ったり、食事をまともに与えないことが『普通』の範囲ですか? 命を危険にさらしていない、と言いますが、あなたがジェラルディンに与えた食事量は、間違いなく、今の彼女の栄養失調や貧血の原因です。そもそもジェラルディンは王太子妃。王太子殿下の御子を、次代の王太子を産む役目を担う立場です。国内の誰より健康に気を遣わねばならぬ女性に、健康を害することばかりくりかえすとは、あなたはロディア王家を断絶の危機にさらすつもりだったのですか!?」


「い、いいえ! けして、けしてそのようなつもりは!!」


「では何故、ジェラルディンにあのようなことをしたのです!!」


 パトリシアはルドルフの執務机の上に、ばさっ、と紙の束を叩きつけた。


「あなたのジェラルディンに対するこれまでの行為をまとめた、報告書です。ユージーン・ルーク卿の進言をうけ、彼女の授業内容も確認しました。私がうけた王太子妃教育よりはるかに科目が多いのは、どういう理由です? それも、ロディア王妃には必要と思えない科目まで、多数まじっています」


「それは、一国の王妃たるもの、幅広い知識や技術を身につけるべきです! それによって体面もたもたれ、民の信頼も集まるのです!!」


「だとしても、あの科目数と内容はいきすぎです。王妃殿下にも確認していただいたところ、王妃殿下も『不要な科目が多い』と認められました。まさに現在、ロディア王妃の地位におられる御方が、です。それでも『必要だ』と主張するのですか?」


「それは…………っ」


「ルーク卿が言うには、あなたは故意に科目を増やすことでジェラルディンの休む時間を奪い、彼女が失敗したり追いつめられたりするように仕向けて、ジェラルディンを鞭打ったり罵倒したり、追い出す口実を作っていたのではないか、と」


「ち、違います! 私は、私はただ、レイラ妃殿下を良き王太子妃に、と…………!」


「良き王太子妃に、と願うなら、食事を抜いたり鞭打ったりは逆効果ではないですか!!」


「いいえ! 口で言ってもわからない愚か者には、鞭が一番です!!」


 頑固なマレット男爵夫人の主張に、パトリシアは「はあ」と頭痛をこらえる表情になる。


「あなたのような方が、一時でも王太子妃の教育を受け持っていたなんて…………王妃殿下は優れた御方ですが、この件に関しては、あの方の判断は明らかに間違いでした。もう、けっこうです」


 パトリシアはルドルフに目で確認し、ルドルフもうなずいて椅子から立ち上がる。


「私も忸怩たる思いだ、マレット男爵夫人。母上の信頼するあなたを信用して、地方視察に赴いたというのに、そのあなたがルディを…………いや、そもそもは私の我儘で…………」


 ルドルフは一瞬、苦悩の表情を浮かべると、マレット男爵夫人の目をまっすぐ見据えて宣言する。


「マレット男爵夫人。今後、そなたが生きている間のそなた自身、およびマレット男爵家全員の王宮への伺候を禁じる。これはすでに国王陛下、王妃殿下も承知された最終決定だ」


「えっ…………」


 パトリシアが説明を加える。


「あなたがマレットの家名を、なにより大事にしていたことは承知の上です。であればこそ、そのマレットの家名と伝統に消えない汚点を残した愚かな人間として、残る人生を一族中から恨まれてすごしなさい。話は以上です」


「お、お待ちください!!」


 マレット男爵夫人は血相を変えてパトリシアにつかみかかろうとするが、即座に左右の腕を、部屋の隅にひかえていた侍従につかまれ、執務室の出口へと引きずられて行く。

 唯一自由になる口で、男爵夫人は懸命に弁解した。


「どうか、ご理解ください! 私があの平民めに与えたのは、ただの体罰です! 教育です! 躾の範疇です!! 虐待などでは、断じてございません!! 私は王妃殿下から、教育係の役目と権限を授かった者ですよ!? その私が、生徒の不真面目な態度や成績不良を叱ることの、なにが悪いのです!? どうか、ご再考を――――――――!!」


 執務室を出て行くまで、マレット男爵夫人は己の考えを変えることはなかった。

 パトリシアもルドルフも重いため息をつく。





 王太子の執務室から放り出されたマレット男爵夫人は、その足でブリアンナ王妃へ謁見を求めた。王妃に助けを求めて、自分の正しさを認めてもらうためだ。

 そもそも自分をあの平民の教育係に任命し、『任せる』と言ったのはブリアンナ王妃だった。

 であれば王妃には、自分の罷免や王宮からの追放を、王太子に撤回させる義務がある。

 そう確信したのだが、顔なじみの女官は冷然と言い放った。


「王妃殿下は『会う必要はない』との仰せです」


「そんな! ちゃんと私の名を出したのですか!? 私はあの方の命令で、とんだ被害をうけたのですよ!?」


「王妃殿下からは『事情はすべて王太子から聞いている、王太子の命令に従うように』『今までご苦労でした』とのことです。『真摯に己の罪と向き合えば、追放を解かれて、ふたたびこの王宮で顔を合わせる未来もあるでしょう』と」


「罪…………? 私のいったい何が、罪だったというのです!? すべては、王妃殿下のご命令で――――!!」


 女官の合図で警備兵が駆け寄り、男爵夫人の左右をはさんで、引きずるように王宮の門の外まで連れて行く。男二人は突き飛ばすように彼女を道端に放り出すと、さっさと門の中に戻って行った。


「お、お待ちなさ――――!」


 マレット男爵夫人の叫びも虚しく、目の前で高い門が音高く閉じられる。


「こんな…………こんな…………っ。私はマレット男爵夫人、マレット家は建国からつづく功臣の一族で、二百年の歴史がある名門で…………っ」


 男爵夫人は何度も門を叩いたが、反応がないと思い知ると、ふらふら歩き出した。

 ひとまず男爵家に戻ることにしたが、足取りはいかにも危うく、空は夕暮れに支配されて、今にも真っ暗に塗りつぶされそうだ。

 コツ、と靴音が耳に届き、マレット男爵夫人はのろのろ顔をあげた。


「お久しぶりです、マレット男爵夫人」


「貴方は…………!」


 青味を帯びた長い灰色の髪、水色の瞳、優し気で中性的な顔立ち。


「ユージーン・ルーク…………!」


 男爵夫人は目をみはり、ついで狼のように歯をむく。


「よくも…………! よくも、王妃殿下や王太子殿下に、あのようなでたらめを!! 貴方の虚言のおかげで、私が、マレット男爵家がどれほどの被害を被ったと…………っ!」


「おや、虚言とは? 私は事実を述べただけですが」


 澄まして首をかしげたユージーンは、早々に本題に入った。


「言伝をお持ちしました」


「言伝ですって!? 王妃殿下ですか、王太子殿下ですか!? もしや、国王陛下…………!」


「エイダ夫人からです」


「エイダ? 誰です?」


「ロアーの町のエイダ夫人。ジェラルディン嬢の母君です」


 ユージーンの長い灰色の髪が、さあ、と黒く変化する。さながら闇に染まるように。


「私の母は黄泉の王妃に仕える女官、地下の精霊ニンフの一人でして。その縁で私も時折、地下と地上の使いを頼まれるのです。この度はエイダ夫人の案内を仰せつかりました」


「いったい、なにを…………」


 怪訝そうに顔をしかめたマレット男爵夫人の前で、ぼう、と宵闇がゆがむ。

 白っぽい灰色の、透けるような影が現れた。


「え…………」


 影は女の形をしていた。中年の女の顔だ。

 やせ細った体に、ばさばさの髪、こけた頬。一方で眉は吊り上がり、目は憤怒と憎悪に爛々と燃えて、さながら魔物のごとくだ。


「ひっ…………!」


 よくも、と風をふるわすような声が、マレット男爵夫人の耳に届いた。


「ど、どういう仕掛け!? いったいこれは――――!」


「お怒りなのですよ、エイダ夫人は」


 ユージーンの声は冷ややかで、闇そのものが語るかのようだ。


「病により落命されたあと。黄泉で、エイダ夫人は王宮での出来事を知りました。ご自分の大切な一人娘が、どう扱われたか。あなたがジェラルディン嬢を、どう扱っていたか。すべて」


「!?」


「本来、死者が地上に戻ることは、自然の理に反する行為です。ゆえに当初は、私が言伝を預かる予定でした。ですが黄泉の王妃のご意向により、ジェラルディン嬢の功績に免じて、母君ご()()が直接、あなたのもとに赴くことを許されたのです。――――エイダ夫人は、愛する娘を鞭打ったあなた(マレット男爵夫人)に、せめて直接、怒りを伝えねば気が済まない。そう、おっしゃっています」


「な――――なにを馬鹿げた、これは何の仕掛けです!? いたずらは、およしなさい!!」


「いたずらかどうかは、ご自分でお確かめください」


 真っ青になって後ずさるマレット男爵夫人に、黄泉から帰ってきた死者の魂が襲いかかる。

 亡霊は、よくも、よくも、とくりかえしていた。


『よくも、わたしのむすめを。ルディを。わたしのむすめにひどいことを。よくも、よくも、わたしのむすめをきずつけたな。ぜったいにゆるさない、ゆるさない、ゆるさない――――!!』


「ひっ! ひぃああぁぁあっっ!!」


 男爵夫人は情けない声をあげて両腕を左右にふるが、亡霊は消えない。手応えがない。

 つまり実体がない。

 実体がないなら、実害もない。

 ならば無視すればいいだけだが、そうもいかない。


「エイダ夫人は、あなたに言いたいことが山ほどあるそうです。黄泉の王妃の意向により、すべてを伝え終わるまで、()()()に留まることを許されています」


 冷然としたユージーンの口ぶりだが、マレット男爵夫人の耳には届いていない。男爵夫人は必死に叫んで、亡霊に訴える。


「おやめなさい! 消えなさい! 私は違う! 私のせいじゃない!! 王妃殿下が! 王太子殿下が、あの娘を!! 私は悪くない、すべては、あの娘が不出来だったから! 私はただの教育係で――――!!」


『ぜったいにゆるさない――――死んでも許すものか――――――――!!』


 魔物の形相で亡霊がマレット男爵夫人にまつわりつく。


「来るな!! 私のせいじゃない――――!!」


 マレット男爵夫人は走り出した。

 宵闇の奥へ足音と悲鳴が消えていき、灰色の亡霊がそのあとを追いかける。

 ユージーンは一つ息を吐き出すと、すう、と髪がもとの色に戻った。





 この日以降、ロディア王宮で、マレット男爵夫人の姿を見ることはなかった。

『マレット男爵家』の姓を名乗る人間が伺候することも、少なくともルドルフ国王の代では許されなかった。

 追放された心痛からか、男爵夫人の髪はまたたく間に真っ白になり、日々『消えろ』『許して』『私のせいじゃない』『卑しい亡霊め』と虚空へ叫んでは腕をふりまわし、時には手当たり次第に物を投げるような奇行をくりかえすようになる。

 追放処分の件もあり、名実ともに家の恥となった彼女は、家族の手でマレット邸最奥にある半地下の貯蔵庫だった石の部屋に監禁された。

 しばらくは叫び、壁を叩き、髪をふり乱してわめきつづけていた彼女だが、ある朝、下働きの女がわずかばかりの食事を持って行くと、嘘のように静かだった。

 自分で自分の喉を絞めて事切れていたのだ。


「そういえば、最近は誰かに首を絞められる幻覚を見ていたようですが…………」


 下女の証言から、家族は「正気を失い、自分で自分の首を絞めたのだろう」と結論付けて、この件は終わった。

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お母さんの愛情すごいなあ
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