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ブラント皇子の送別会の宴から一週間。
連日、事情聴取がつづき、ジェラルディン自身も国王直々に話を聞かれて、ようやく全貌が見えてくる。
まとめると、次のような流れが見えてきた。
まず、ブラント皇子が何者かから例の黄金の矢と鉛の矢を二本ずつ、手に入れる。
皇子はパトリシア付きの侍女で、パトリシアとの付き合いも長くて信頼の厚いニナ・ノールズ子爵令嬢に黄金の矢を一本、渡した。そしてニナは、ルドルフ王太子付きの侍従であるテオドールにその矢を渡し、テオドールはルドルフの胸にその矢を刺した。
テオドールは愛らしいニナに恋心を抱いており、彼女の気を惹きたいあまりに、不審を抱きつつもニナの頼みをきいてしまったのである。
「ニナが言うには、ただの『おまじない』だと。フェザーストン嬢からの、ルドルフ殿下の健康と幸運を祈るささやかなおまじないで、だけど本人に知られたら効果がないので、殿下が眠っている間にこっそり、矢の先で殿下の胸にかるく触れてほしい、と…………触れるだけだと言われたのに、実際に殿下の胸に触れさせたら、矢が勝手に殿下の体内に…………っ」
それがテオドールの証言だった。
そして黄金の矢が体内に入ったルドルフは、偶然出会った一介の田舎娘ジェラルディンへの強烈な恋心に囚われ、パトリシアとの婚約を破棄すると言い出したのである。
するとブラント皇子はもう一度、ニナに黄金の矢を渡し、今度はパトリシアの胸に触れさせるよう命じる。
ニナが命じられたとおりにすると、ルドルフの心変わりに傷つき嘆いていたパトリシアは一転、ブラントへの恋心でいっぱいになり、彼のあの劇的な求婚をすんなり受け容れたのである。
そしてブラントは最後にニナを通じてテオドールに鉛の矢を渡し、自分たちが帰国したあとにそれをルドルフに刺すよう、命じた。
もはや引き返すことのできなくなったテオドールが、命令どおり鉛の矢をルドルフに刺すと、ルドルフはジェラルディンを嫌悪するようになり、挙式後の不仲へとつながったのだ。
ちなみに、黄泉帰ったジェラルディンの部屋から黒バラの造花を持ち去ったのも、テオドールだった。ルドルフからの見舞い品を届けた際に盗んだのだ。
テオドールは矢の正体を知らなかった。
ただルドルフの変心を目の当たりにして、あの矢の力を認めないわけにはいかず、「なにか黒魔術の道具に違いない」と確信して怖れ、黄泉の国に住まうという魔術の女神に供物を捧げずにはおれなかったという。
そうしなければ祟られる、呪われると恐れたのだ。
その際、ニナの名を残したのは、ニナから預かった品であり、彼女が矢の持ち主だと誤解していたからにすぎない。偽名を残せば「神に偽りを述べた」と、自分も彼女も呪われるかもしれない、と不安になったのだ。
ロディア国王は、ブラント皇子に四本の矢を渡したという盗人の捜索も家臣に命じる。
その件に関しては、
「発見は難しいと思います」
としかジェラルディンには言い様がなかった。
盗人の人相も名前もなにも判明していないし、あの貴婦人の言葉を信じるなら、神々のもとから貴重な道具を盗むほどの存在だ。普通の人間に探し出せるとは思えない。
「そうだとしても、なにもしないわけにはいかない」
ルドルフはジェラルディンに、そう説明した。
いるとわかっている以上、放置もできない、というわけである。
事情聴取はつづく。
ニナ・ノールズ子爵令嬢は左右を兵士にはさまれて、国王をはじめとする重臣たちの尋問をうける。
「ニナ…………どうして、あなたがこんなことを…………っ」
パトリシアの声には涙の響きが混じっていた。
彼女にとってニナは、たんに同年代の侍女というだけでなく、幼い頃から共に成長してきた幼なじみのような存在だった。そのニナが自分を陥れるような行為をしたという事実は、パトリシアにとって受け容れがたい現実だった。
むろん、フェザーストン公爵にとっても一大事である。
ニナ・ノールズには特に入念な事情聴取がくりかえされた。
ブラントに置いていかれたニナは特に抵抗せず、問われるままにつらつら白状していく。
「殿下に頼まれたからです」
「頼まれれば、そのとおりにするのか? いくら相手がヴラスタリ皇子とはいえ、お主を雇っているのはこの私、フェザーストン公爵で、パトリシアは私の娘だ。そのパトリシアに正体不明の怪しげな道具を用いる、その危険性が本当に理解できなかったのか?」
「危険だろう、とは思いました。ばれたら大変なことになるかもしれない、と」
「ならば、何故! いったい、どれほどの報酬を約束されたのだ!?」
「…………寵姫にしてくださる、と」
ニナの声も瞳も重く暗い。
「子爵令嬢では皇子妃はさすがに無理だけれど、寵姫なら問題ない。パトリシア様がブラント殿下の妃になれば、パトリシア様の侍女として、私もヴラスタリ皇国について行く。そして私に形式上の夫を用意し、頃合いを見て寵姫として皇宮に呼ぶ。そう、おっしゃられたんです。私一人が寵姫として皇国に行けば、出し抜かれた形になるフェザーストン公爵やパトリシア様が快く思わないだろうし、ロディアに残る私の親も嫌がらせをうける可能性がある。だから、まずパトリシア様を妃に迎え、そのあとで私を寵姫として迎える手筈にしよう。妃の侍女が女主人の夫の愛人になるのは珍しいことではないから、と」
信頼していた侍女兼友人の言葉に、パトリシアは絶句する。フェザーストン公爵やルドルフ、その他の大臣たちも同様だ。
たしかに、王妃や王子妃付きの侍女が、女主人の夫の『お手付き』になることはままある。一夜の戯れに終わることもあれば、気に入られて愛人に昇格することもあるし、妃側としても、政敵の息がかかった女が夫に接近するくらいなら、信頼する侍女が夫の関心を惹いてくれていたほうが都合がいい。
なので「パトリシアがブラント皇子の妃になったあと、ニナがブラント皇子の愛人に」という計画は、一定の説得力を持つものではある。しかし。
「ニナは…………あなたは、それで良かったの? 私がブラント殿下の妃になって、自分は愛人で…………本当に、そんなことを望んだの? 私は覚えているわ、ニナは『愛人など持たない、物語のように私一人を愛しつづけてくれる殿方がいい』と言っていたのに…………」
ニナは無言。
「そんなに…………そんなに、殿下を愛していたの? だったら何故、他の女と殿下を結びつけるような真似を…………いえ、身分違いということは理解しているわ。でも、ニナがそういう打算的な恋愛をするなんて…………」
「…………おかしいと思うんですか?」
「ええ、おかしいわ。私の知るニナは、物語や演劇のような運命の恋にずっと憧れていて、政略結婚や不倫は『不誠実だ』と嫌っていた。周りがどう言おうと、自分は運命の人と愛しあって結婚して、不倫や浮気とは無縁な家庭を築くと、いつも言っていたもの。私はよく覚えているわ。ニナが、ブラント殿下の言うような方法を、進んで受け容れるとは思えない。…………なにか事情があったのではないの?」
「事情、とは。たとえば?」
「弱みをにぎられて脅迫されていたとか、逆らえば実家を潰すと脅されたとか…………」
ニナは首をふった。
「特にそういうことは」
「では…………では、本当に殿下を愛していたの? 愛していたから、殿下の指示に従ったの?」
「おかしいですか?」
「そんな…………」
パトリシアが愕然とあとずさって、ルドルフが彼女の肩を支える。
かわりにフェザーストン公爵が進み出た。
「そなたは、そんな言葉を信じたのか。パトリシアを皇子の妃に差し出せば、自分を寵姫にしていただけると。そんなに理由でパトリシアを、我々フェザーストン家を裏切ったのか。それが我が公爵家に、ひいてはロディア王家に弓引く行為だと、まったく気づかなかったのか」
「…………」
「たとえ愛人といえど、ヴラスタリ皇子の寵姫となれば、そなたよりもっと格上のヴラスタリ貴族の令嬢とて、そう簡単になれるものではない。ましてブラント皇子は、皇帝になる可能性も高かった立場。なおさら寵姫にも高い条件が求められる。妃の侍女なら召されるという単純な話ではない。ブラント皇子は寵姫の肩書を餌に、そなたを利用しただけだ。皇子の目的は、最初からパトリシア一人だった、それがわからぬのか。そなたは、あの皇子にだまされた。あの皇子の口車にのって、我がフェザーストン公爵家とパトリシアを裏切ったのだ!!」
「知っていますよ、そんなこと!!」
フェザーストン公爵の怒りの声に、爆発するような憤怒の声が返ってきた。
「殿下が私をだまして利用したこと、そんなのわかっています!! でもじゃあ、私はどうすればよかったんですか!? 殿下を信じる以外、どんな道があったって言うんですか!!」
ニナの目から次から次へと涙があふれて、しとどに頬を濡らしていく。
「私だって、わかっていました! 殿下は私をからかっているだけだ、口先だけの言葉だ、って! でも、それで何度もこっちが断っても、殿下はあきらめてくださらなかった! 逆に『無礼な』って怒りそうになって! 侍女頭に相談しても『その程度もかわせないなら、王太子妃付きは務まりませんよ』なんて言われるだけで、侍女仲間に相談しても『自慢なの?』って言われて、誰も助けてくれなかった!! 相手は大国の皇子で、こっちは格下の国の中流貴族の娘! 逆らったら何をされるか、わからないんです! だったら、もう受け容れる以外の、どんな選択があったって言うんですか!?」
ニナは腕をふり、拳をにぎりしめて吐露する。
「私だって、断れるものなら断りたかった! 愛人なんかじゃなく、私一人を愛してくれるすてきな殿方と運命の出会いをして、幸せな結婚をしたかった! 愛人なんて、しょせん男の気分次第、寵愛が失せたらそれっきりで、正式な妻や妃のように守られている立場じゃない! いくら皇子でも、そんな立場はごめんです! でも、あんなに権力を持つ相手に、どうやって断れって言うんですか!!」
ニナの悲鳴は、ジェラルディンの胸をもえぐる。
「あなたには、絶対にわからない」
幼い頃からの友人の口から吐き出される、初めて聞く、血を吐くような言葉に立ち尽くしたパトリシアを、ニナは憎しみにも似たまなざしでにらむ。
「有力な家柄と父親をお持ちで、幼い頃から家に守られ、王太子殿下に愛され、父親にも国王陛下にも王妃殿下にも可愛がられてきたお嬢様には、高貴な方々の顔色をうかがいながら、ささいな会話にもいちいち言葉を選んでへりくだって接しなければならない、私たち下位の者の気持ちなんて、絶対にわからない。せめて、信じて受け容れるしかなかった側の気持ちなんて…………っ」
ルドルフに支えられたパトリシアは絶句し、公爵もさすがに押し黙る。
力なく床に膝をついてうなだれた少女に、ジェラルディンが歩み寄った。
「そう…………かもしれません」
ニナの前に膝をつく。
「信じるしかないんですよね。『この人は嘘を言っていない』『この人は本気でわたしを愛している』って。だって本気だったら、嘘だって決めつけるのは申し訳ないし。かといって嘘だったら、わたしはだまされているだけ、利用されて捨てられるだけの存在だ、ということになりますもの。身分が低くても人間ですもの、道具扱いなんて嫌ですよね」
ニナが虚ろな表情で顔をあげる。
「少し、わかるかもしれません。わたしも似たような状況だったから。逃げられないなら、せめて前向きに受け容れようと…………『本気で愛されている』『この人は絶対に裏切らない』って。もしかしたら、本当に嘘でない可能性もあるわけですし。『たぶん嘘だ』って思いつつも…………『もしかしたら』って、明るい未来を夢見ました。そうでなければ…………やってられません」
ジェラルディンは苦く笑い、彼女は気づかなかったが、彼女の背後で、パトリシアの肩を支えるルドルフが苦し気に眉根を寄せる。
ニナの瞳にかすかに光が戻る。
「わたしも、あなたの立場だったら、同じ道を選んでいたかもしれません」
だから泣かないで、とハンカチをとり出して濡れそぼった頬にそっと触れれば、ニナはぽつり、ぽつりとこぼしていく。
「わかっていた…………殿下が私を利用していることくらい…………殿下にとって、私は名もない侍女の一人。弄んで捨てても、支障のない存在。私は中流の出だから、殿下のような高貴な方に声をかけられただけで光栄なんだ、私みたいなのが殿下の言葉を真に受けて信じるほうが馬鹿なんだ、って…………」
「それは違います」
ジェラルディンの隣に膝をついたのはユージーン・ルーク卿だ。
「『あんな高貴な方と、一晩ご一緒できただけで光栄』とか『結婚できるはずないのに、信じたほうが悪い』というのは、だまされた側が心の折り合いをつけるために、せめてそういう風に考えて、自分を慰めるための言葉です。だました側が免罪符として口にしていい言葉では、けしてありません。ブラントは悪意を持って、あなたをだました。悪いのはブラントです。それだけです」
きっぱりと言い切った横顔は、誰を想っているのか。
「あなたが間違えたとすれば、上司に相談しなかったことです。周囲の理解を得られなかった時、臆病になってしまうのは人間の自然な心の動きです。ですが、もしフェザーストン嬢に話していれば、きっと力や知恵を貸してくださっていたはずです。身分に差はあれ、あなた方の間には、それだけの積み重ねや絆があったのではありませんか?」
ユージーンがフェザーストン嬢をふりかえり、ニナもつられて、お嬢様を見あげる。
パトリシアもニナの瞳を見つめ返して、しっかりとうなずいた。
「…………っ!」
ニナの表情に人間味が戻り、ふたたび涙があふれる。
少女は部屋中に響くほどに大泣きし、しばらくとまることはなかった。




