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ロディア王国の南に広がる温暖な田園地方パパルナ。
そこに点在する小さな町の一つ、ロアーで。
踏み固められただけの市場の道に、玉ねぎに似た塊がいくつも転がった。
すかさず店内から太い女の声が響く。
「ルディ! 仕入れた球根のかごをひっくり返しちまったんだ、拾っておいておくれ!」
「はーい」
花屋から、淡紅色の髪をなびかせた少女が飛び出してくる。
「無礼な! 私に、地面に落ちた物を拾えと――――」
ほぼ同時に、怒りの声が道の端から飛んできた。
「えっ?」
「え?」
琥珀色の瞳と、初夏の新緑色の瞳が見つめ合う。
「もしかして…………君が、君も『ルディ』なのか?」
きょとんとした淡紅色の髪の少女は、事情を察して花がほころぶように笑った。
「ええ。本当は『ジェラルディン』だけど、長いから、みんな『ルディ』って呼ぶの。男みたいでしょ」
「あ、いや、そんなことはない」
「あなたも『ルディ』なんだ?」
「あ、ああ」
青年は一瞬躊躇し、けれど少女の屈託ない明るい笑顔につられて、名乗ってしまう。
「私はルドルフ――――ルドルフだ」
十五歳のジェラルディンと、十八歳のルドルフ。
この二人のルディの出会いが、大勢の運命を変えていく――――
「あっちのルディとは、どうなってるんだい、ルディ」
なぞかけのような台詞だったが、ルディは花屋の女将の言いたいことを察した。
「どうもしていないわ。ただ花を買っていくだけ」
「アンタはそうでも、向こうはそれだけじゃないだろう?」
数日前に出会った、同じ『ルディ』の愛称を持つ青年。
輝くような金髪に初夏の新緑色の瞳が美しい、ルドルフ。
花屋のルディと出会ってから、青年のルディは毎日のように店に来て、他愛ない世間話に興じては山のように花を買っていく。
彼のそういう態度に、年頃のルディも察するものがなかったわけではない。
けれど少女のルディは幼い頃に父を失っており、残された唯一の家族である母が病床にある以上、誰かと結婚して家を出るつもりは毛頭なかった。
「だいいち、ルディは明らかにいいとこの坊ちゃんじゃない。なおさら、どうにもならないわよ。彼の親だって、許さないし」
その程度の世知は、田舎娘のルディにもある。
女将さんも「まあねえ」と、あっさり同意、納得した。
そんなだから、青年のルディが、
「帰還の前に、記念に祭りで一緒に踊ってほしい」
と言い出した時も、田舎娘のルディは、これが最後か、と素直に受け容れ、ささやかな思い出を作って終わりにしたつもりだった。
祭りの二日後、母と住む小さな家に立派な馬車が訪ねて来るなんて、夢にも思わなかった。
ましてや、毎日顔を合わせていた青年が、この国の王子様だったなんて。
普通、考えるはずがない。
田舎娘のルディを王太子が望んだと知り、まず狂ったのは叔父一家だった。
「相手は王太子殿下だぞ? 次の王様だ! 結婚すれば毎日贅沢ざんまい、断る理由なんか、ないだろう!」
それが叔父の言い分だった。
叔父は普段、隣町に住んでいるが、実父のいないルディは、父親の許しを必要とする場面では、この叔父に頼るしかない。
叔父は、姪が王太子殿下に見初められたと知るやいなや、躊躇なく受諾を決めた。
今の時代、娘の結婚を決めるのは父親の義務であり権利であり、娘自身に口をはさむ権利はないのだ。
「姪が王妃となれば、父親代わりの俺も貴族の仲間入りだ! そうなりゃ、みんないい暮らしができる! お前たちも、もうかたい黒パンや、ジャガイモだけのスープで我慢することはない! これからは毎日肉を食って、白いパンにはちみつだって塗れる。ドレスだって着られるぞ、いいことばかりだ!!」
叔父が喜びの声をあげれば、叔母やいとこたちも歓声をあげて跳びはねる。
「ルディが王子様と結婚できるんなら、うちの子たちも貴族と結婚できるわよね?」
「そんな、待ってちょうだい」
異を唱えたのはエイダ――――ルディの母だった。
母はもともと血色の悪い顔をますます青くして、懸命に訴える。
「王都の王子様が、こんな田舎の娘を相手にするはずないわ。まして、お妃にだなんて。なにかの間違いよ、もしかしたら詐欺かもしれない。お断りしてちょうだい」
「なに言ってるんだ、エイダ、お前は馬鹿か!? こんな幸運、二度とないぞ!?」
怒鳴る叔父に対して母はとことん冷静だ。
「いいえ。仮に本物の王子様だとしても、田舎娘が王妃なんてありえない。そう言ってだまして、愛人にでもするつもりなのよ。結婚前の娘が一度でも愛人なんて経験したら、一生結婚できないわ。飽いて捨てられても、残りの人生は独りでひっそり暮らすか、修道院に入るしかないのよ? ルディにそんな生活はさせられない」
ロディアでは原則、離婚は認められない。そのためどれほど愛人が望もうと、囲っている男が正妻と別れて、愛人と再婚する可能性は極めて低い。
そしていったん捨てられれば、愛人を経験したようなふしだらな女を選ぶ男は、まずいない。世間の笑い者になるのがわかっているからだ。
閉鎖的で、日常の楽しみが旅芸人と噂話くらいしかない田舎の町なら、なおのこと。
「お願いだから、断って。きっと、なにか裏がある。悪い事件に巻き込まれるかもしれないわ」
「心配しすぎだ。俺はルディと一緒に王太子殿下に会って直接、話を聞いたんだ。市長だって保証した。あれは間違いなく王太子殿下で、ルディを嫁に欲しがってるだけだ」
「なら、ますます受けられないわ。王宮に行けば、きれいなお姫様が山ほどいるのよ。田舎娘なんて、すぐに飽いて捨てられるに決まってる」
「そんなことはない。ルディだって、ちゃんとドレスを着て化粧すれば、捨てたもんじゃないさ、なあ?」
叔父に同意を求められた甥は「うんうん」とうなずいたが、母は首を左右にふる。
「王妃様になるなら、賢さも必要よ。ルディは自分と私の名前くらいしか字を書けないし、数も百まで数えるのがせいいっぱい。王宮のお作法だって知らないのよ、無理に決まってるわ」
これは娘をけなしているわけではなく、このあたりの娘はこの程度で普通なのだ。
「勉強なら心配ない。殿下が、ちゃんと家庭教師をつける、と約束した」
「ちょっと勉強したくらいで、田舎の町娘が都のお姫様のようにやれるはずないでしょう。甘く見すぎだわ」
「いい加減にしろ、エイダ! 娘を幸せにしたくないのか!!」
業を煮やした叔父はテーブルを叩いた。
「ルディが王妃になれば、俺たちはいい暮らしができる! 母親のお前も、いい医者にかかって、いい薬が買える! ルディだって贅沢な暮らしができるんだ、なにが悪い!? 母親のくせに、娘の幸せを考えてやれないのか!!」
「考えているから、反対しているのよ。絶対うまくいくはずない」
「じゃあ、ルディをこのまま家に置いて、結婚もさせずにはした金で働かせて、母親の看病だけで一生を終わらせるつもりなのか!?」
「そんなつもりはないわ。でも今回の話は…………」
「今回の話を断ったら、俺たちの首が飛ぶぞ!!」
叔父の剣幕には、脅しや冗談は含まれていなかった。
「平民が王族に逆らって、無事でいられると思うか!? 無礼だ、不敬だと理由をつけて、全員死罪だ! ルディだけじゃない、母親のアンタや父親代わりの俺も含めた親戚全員が、だ!!」
「そんなことない、ルディはそんな人じゃないわ」
叔母や従兄弟たちがふるえあがり、さすがにルディも口をはさむが、叔父はさらに言い募る。
「仮に、王太子殿下が俺たちを罰しなくても、町の奴らが面倒を嫌がって、俺たちを追い出しにかかる。もし断って、腹いせにこの町だけ税金を増やされでもしてみろ、町中の人間から俺たちが恨まれるんだぞ!?」
ルディはぞっとした。
田舎の小さな町で、それは死刑宣告に等しい。
「とにかく、もう決めた!!」
叔父は立ちあがった。
「ルディは王都にやる! 兄貴がいない以上、ルディの父親代わりは俺だ! ルディの結婚相手は、俺が決める! ルディは王太子殿下にやる、俺が決めたんだ、女は黙ってろ!!」
いつもは隣町にいて顔を見せることもない叔父は、ルディと暮らす母に太い人差し指を突きつけて宣言すると、妻子を連れて出て行った。
市長の滞在する町長の家へ、縁談の返事をしに行ったのだろう。
二人きりになると、母は床に膝をついて泣きはじめた。
ルディは懸命に慰める。
「大丈夫よ、母さん。叔父さんに賛成するわけじゃないけど、ルディは優しい人だもの。きっと、いい夫婦になれるわ。あたしもがんばって、お妃さまの勉強をするから――――」
「そうじゃないのよ」
母は涙をぬぐいながら言った。
「人の心はね、人が思うより簡単に変わるの。今日が情熱的でも、明日もそうとは限らない。男の心はそういうものよ。もしかしたら男自身、変わるとは思ってないのかもしれない。あの人だって…………」
「あの人…………父さんのこと?」
母は少し迷い、けれど決意のまなざしで娘に話しはじめた。
「…………父さんはね、他に女ができて消えたの」
「っ!」
ルディは頭を殴られた気がした。
「でも母さん、父さんは狼に襲われて死んだんだって。近所の人たちも、言ってたのに」
「表向きはそうよ。あの日、父さんは仕事で隣町に行って、いつもより遅くなって。町を出たのは、日が沈む直前だったと聞いているわ。それで森を通った時、狼の群れに襲われたの」
「だったら…………」
「でも、死体は見つからなかった」
母の口調が変わる。
「父さんの遺体は見つからなかったの。あたしは、あんたを寝かせたあと一晩中、待って…………翌日の昼過ぎ、いつもの行商が来て『途中で拾った』って、血がついた父さんのシャツの切れ端を見せたのよ」
「…………」
「みんな驚いたし、すぐに男たちが集まって森へ向かったわ。でも父さんは見つからなかった。汚れたシャツの切れ端と、靴の片方が見つかっただけ。それで『死体は森の奥に引きずられて行ったんだろう』って。けっきょく、シャツの切れ端と靴だけ棺に入れて、埋めたのよ」
このあたりはルディも、母や近所の噂好きのおばさんたちから聞いて知っていた話だ。
けれど母はさらにつづきを話す。
「あたしも最初は、あの人が狼に襲われたんだと、不幸な事故だったんだと信じた。でも…………」
偶然、知ったのだと言う。
父が隣町で、酒場で働く若い女と親しくしていた、と。
女は借金を返すために働いており、返済が終われば故郷に帰るつもりだ、と日頃から語っていた、とも。
「…………噂、でしょ?」
「そうね。たしかな証拠はないわ。でも…………」
気になった母がある日、口実をもうけて隣町に行くと、すでに酒場に女はいなかった。
「少し前に、借金を返すあてができたので、辞めたんですって。そのまま故郷に帰ったらしいわ。――――ちょうど、あの人が狼に襲われて行方不明になった、すぐあとに」
「…………っ」
ルディは息を呑んだ。
淡々と語る母は、ルディが一度も見たことのない瞳をしている。
「もちろん、ただの偶然かもしれない。町の門番たちは、あの日、父さんは一人で町を出た、と言っていたし、あの人は本当にただ狼に襲われて、死体は今も森のどこかにバラバラに散ってるだけなのかもしれない。女だって、本当に金が工面できて、故郷に帰っただけかもしれないわ。でも…………いまだに考えてしまうのよ。父さんはなぜ、あの日に限って遅くなったのか。父さんの死体は、なぜ見つからないのか。あの女はどうやって金を工面して、本当に故郷に帰ったのか…………」
遠いまなざしで天井を見あげる母の姿に、娘はかける言葉が見つからない。
「とにかく」と、母は頭をふって話を変えた。少し褪せた淡紅色のおくれ毛がゆれる。
「男の気持ち一つに、すべてを任せるのは危険よ。愛しているから優しい男は、愛がなくなれば優しさもなくなるわ。まして王太子殿下は若いのよ? 若い人の心は燃えあがりやすくて、同時に冷めやすいの」
母の細い指が娘の、花屋の仕事で青臭い手を包む。
「王太子殿下との結婚なんて、絶対無理。きっと王宮の人たちに邪魔者扱いされて、いじめられる。そうなっても、母さんはあんたを守ってやれない。叔父さんもあてにならないわ。だから、あんたの口からきっぱり王太子様にお断りするのよ、ルディ。絶対にうけては駄目」
闘病生活ですっかりやつれた手に力をこめて何度もくりかえす母親に、田舎娘のルディは返す言葉が見つからない。
そしてそこまで忠告されても、ルディは王太子のルディを拒絶することができなかった。
王太子を愛してしまったからではない。
平民の娘に、王太子からの求婚を断る力など、あるはずなかったのである。




