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「ぶ、無礼者!!」
ブラントは腕をふって声をはりあげた。
「平民風情が、なんの証拠があって私を犯人扱いする!? 不敬だぞ!? 我がヴラスタリ皇国の前には、田舎同然の小国の王太子妃が偉そうに!!」
白皙の美貌に血をのぼらせ、冷ややかな銀髪をふり乱すように、ブラントはジェラルディンを怒鳴りつける。
ヴラスタリ皇子の言い草に、ロディア貴族たちも国王夫妻も、いっせいに不快そうに眉をしかめ、唇を引き結ぶ。
ジェラルディンも、これだけでは、まだ証拠として弱いか? と自信を失いかけた時。
鳥が目に留まった。
ブラントがベルトにはさんでいる小剣、その鞘に彫られた鳥だ。
王宮では、限られた者にしか帯剣が許されない。
ブラントはその数少ない許された者であり、鞘には二羽の鳥、雄鶏と白鳥が彫られている。
ジェラルディンは思い出す。
少し前に、ルーク先生が教えてくれた話。
人間に神の力を無効化する術はない。
ただ、その神の親の力を借りて一時的に封じることは可能。
恋の神の親は美女神と戦神。
美女神の象徴は白鳥、そして戦神の象徴は雄鶏!
「もしかして――――」
右手に再度、違和感。
即、確認すると、ひんやりした長い感触が右腕に巻きついていた。
近くにいた貴婦人たちがジェラルディンの右腕の異変に気づいて、恐怖の悲鳴をあげる。
「ブラント皇子!!」
ジェラルディンは叫び、右腕をふった。
ブラントに向かって黒い大きな蛇が飛ぶ。
「うわああぁぁ!!」
恐怖の声をあげたブラントの首に黒い蛇はしゅるり、と素早く器用に巻きついた。
「殿下!!」
ブラント付きの侍従たちも仰天し、まわりの貴族たちもいっせいに離れる。
しゃーしゃー、と威嚇する蛇に慌てふためきながら、ブラントは抵抗の術を求めて腰をさぐり、鞘から小剣を引き抜くと、その鋭い先端で蛇を刺す。
すると蛇はふっ、と姿を消した。
「…………いない?」
「消えた…………?」
騒ぎが嘘だったかのように、長い姿は消えている。ひんやりした胴体の重みも失せて、鱗の一枚も残っていない。
侍従たちは安堵の表情を浮かべ、ブラントも掲げていた武器をだらりとおろす。
すると近くにいたロディア貴族が訊ねてきた。
「ブラント殿下、その、そちらは…………」
ブラントは手元を見下ろし――――青ざめた。
王太子妃レイラが鋭く質問する。
「ブラント殿下。殿下が無関係ならば、今、その手にお持ちの品を、どう説明するのですか?」
礼服用の白い手袋と、それがにぎる小剣の柄。
柄の先には銀色の刃――――ではなく、鉛色の矢じり。
「なるほど」と、レイラ妃はうなずいた。
「盗まれた矢は黄金と鉛が二本ずつの、合計四本。最後の一本は、どこにあるのかと思っていたのですが…………小剣に偽装して持ち歩いていたのですね」
考えてみれば、自然なことだった。
人の心を操るような強力で有益な道具を、そこらに放置するわけがない。
かといってブラントほど身分が高いと、安易に部屋に隠すのも危険だ。掃除のための下男や、世話係の侍従が四六時中出入りするのだから。
そこで、常に携帯して持ち歩くのが一番確実で安全と判断したのだろう。
ブラントの白皙の美貌が怒りと羞恥で真っ赤になる。
「ブラント殿下、余からも説明を求めたい。殿下がこの件に無関係というなら何故、殿下がその矢をお持ちなのか」
ロディア国王が進み出て、王太子も妃をその背に庇う。
「殿下…………」と、ブラント付きの侍従たちも不安視そうに主人を見る。
「っ、無礼者!!」
ブラントは吠えた。
「田舎の小国風情が、歴史ある大国の皇子になんと不敬な!! 外交問題になるぞ!!」
「殿下。もはや、そのような言い分は通りませぬ」
ロディア貴族をかき分け、一人の老年のヴラスタリ貴族が現れる。
ロディア王宮に駐在する、ヴラスタリ皇国の大使だ。
むろん第二皇子とも面識があり、大使は皇子に詰め寄った。
「ヴラスタリ皇子ともあろう御方が、友好国の王太子の婚約者に懸想して、怪しげな魔術を用いて心を操り、婚約破棄にまで持ち込んで目当ての姫を連れ帰ったとは。皇帝陛下のお耳に入れば、陛下とてお許しにはなりますまい」
「なんだと!!」
「すぐにロディア国王と王太子に謝罪を。むろん、フェザーストン嬢と王太子妃にも、です。皇帝陛下にもご報告して、しかるべき謝罪の言葉と品を…………」
「黙れ、不忠者!!」
ブラントは、白髭の大使をふり払った。
「この私に、ヴラスタリ皇国第二皇子たる私に、田舎の小国程度の王太子に頭を下げろと申すか! それがヴラスタリ貴族の言葉か! 真の皇国人なら、いかなる状況であれ、まずは皇子たる私を守り、味方するのが義務だろう!! 貴様は皇国人としての誇りがないのか!? まして私は、次代のヴラスタリ皇帝となる存在だぞ!?」
「殿下…………」
老齢の大使は苦渋に白い眉を寄せる。
自国の大使を見放し、ブラントは自身の婚約者をうながした。
「帰るぞ、パトリシア! 気分が悪い! このような見え透いた茶番、付き合っておれるか!!」
隣に立っていたパトリシアの腕を乱暴につかみ、引っぱっていこうとする。
そのブラントの手を、パトリシアはふり払った。
「パトリシア?」
ブラントが怪訝そうにふりかえる。
「この卑怯者!!」
ぱあん! と、ブラントの頬に平手打ちが飛んだ。
(きれいに決まった)
ジェラルディンを含めて、目撃した誰もが同じ感想を抱く。
パトリシアはブラントを叩いた右手を、わなわなとふるわせた。
「なんて…………なんて卑劣な。呆れてものも言えません、こんな悪辣な男が、歴史と伝統あるヴラスタリ皇国の第二皇子だなんて!」
「な…………!」
「帰国されるなら、お一人でどうぞ。私はもう、二度と殿下とご一緒しませんわ。ロディア王国人の誇りを、見くびらないでくださいませ!」
吐き捨て、ぷい、と、そっぽをむいたパトリシアを、懐かしい声が呼ぶ。
「パトリシア嬢、君は…………」
「ルドルフ殿下…………」
ルドルフを見たパトリシアのすみれ色の瞳が潤む。
「殿下…………申し訳ございません、殿下。わたくしはロディア王国人として、殿下の婚約者として、とりかえしのつかない過ちを…………っ」
「いや、いいんだ! いいんだ、パティ…………っ!」
「殿下…………っ」
泣き出しかけるパトリシアの細い肩を、ルドルフが大きな手で支え、フェザーストン公爵も娘に歩み寄って、そっとその背をなでる。観客の中には早、もらい泣きしはじめる者もいる。
見守っていたジェラルディンの胸も心底かるくなった。
「パトリシア…………っ。ええい、もういい!!」
ブラントは吐き捨てた。
「その愚かな男が良ければ、そうするがいい! 私は帰国するぞ!!」
「そうは参りませぬぞ」
身をひるがえしたブラントの四方を、武装したロディアの警備兵がとり囲む。
王妃や王太子妃、公爵令嬢といった女性陣は壁際へ下がるよう、指示をうける。
コツ、と足音を響かせてロディア国王オーガスティン二世が進み出て、重々しく告げた。
「いかに友好国の皇子といえど、我が国の王太子妃や、王太子の元婚約者に危害をくわえたと判明した方を、黙って帰すわけには参りませぬ。殿下には帰国を延期していただきます」
「なんだと!?」
「ヴラスタリ大使もよろしいな?」
白髭の皇国貴族は苦し気にうなずく。
「遺憾ですが…………致し方ありますまい。私からも皇帝陛下に一部始終を報告せねば」
「貴様っ! 皇国人でありながら!」
「殿下には客室に戻っていただく。警備の人数を三倍、いや、五倍に増やせ。それから大臣は全員、緊急で会議を――――」
「おのれっ!! 貴様ら、この私を誰だと思って――――!!」
秀麗な顔をゆがませブラントが叫んだ、その時だった。
とうとつに視界が黒く塗りつぶされる。
「何事だ!?」
誰もが虚を突かれ、あちこちで貴婦人の悲鳴があげる。
「灯りが、どうして急に――――」
真っ暗だった。
風もないのにシャンデリアの灯がいっせいに消えて、窓からも月明り一つ射し込まない。
どんどん悲鳴が増えて、「動くな!」だの「落ち着け!」だの大声が飛ぶ。
ジェラルディンもわけがわからず動揺した。すると。
「ブラント殿下! こちらへ!!」
(え)
突然、青白い炎が燃えあがって、ジェラルディンの視線を引きつける。
(あれは――――)
宙に浮く青白い炎に導かれて、ブラントが走り出す。
人々が怯えうろたえる中、ブラントは一直線に大広間の出入り口へむかい、視認できるその背を、何故か追いかける警備兵の誰もが捕まえることができない。
大広間の出入り口では、細身の人影が棒を掲げて待機していた。
「こちらへ」
人込みから脱出したブラントを、その人影が誘導する。
ブラントを先導した炎は人影が掲げていた棒の先に宿って赤い松明となり、その明るさでブラントを助けた人物の顔が見えた。
長い髪に、男性としては細身の体つき。優し気な中性的な面差し。
(ルーク先生――――!?)
ユージーン・ルーク卿だった。
「早くしろ!」
ブラントにせかされ、彼と共に、ユージーンは青白い松明を掲げて廊下を走り去ってしまう。
(どうして、先生が…………)
ジェラルディンは思い出した。
地下の王妃を象徴する、五つの物。
柘榴、水仙、蝙蝠、蛇。そして――――
松明。




