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今日から一日一回、朝六時に更新します。
ロディア王宮自慢の大広間。いたるところに花が飾られ、高い天上にはシャンデリアがきらめき、顔が映るほどぴかぴかに磨かれた大理石の床を踏んで、招待客が笑いさざめく。
やがて盛大な拍手に迎えられて、主賓であるヴラスタリ皇子と彼の婚約者が姿を現わし、主催であるロディア国王夫妻と王太子夫妻も登場する。
ヴラスタリ皇子と婚約者は、互いの銀髪が映える濃い紫色を基調とした衣装でそろえ、フェザーストン嬢は大粒の金剛石と紫水晶の首飾りと耳飾り、それにティアラを飾っている。
ロディア国王の挨拶がはじまり、まあまあ長い演説が終わると、次は王太子の挨拶という手順だった。しかし。
「父上、いえ、陛下。私の挨拶の前に、どうか私の妃の話をお聞きください」
金モールを飾った黒の盛装姿の王太子が、国王に一礼する。
彼の隣にいた王太子妃レイラが、国王の前に進み出た。
こちらも黒を大胆に用いたドレスで、ふんだんにほどこされた金糸の刺繍が豪華な印象を与える。黄泉帰って髪の色が変化した王太子妃は、ドレスの雰囲気もだいぶん変えていた。
「ご無礼お許しください、国王陛下。礼儀に反することは重々承知です。ですが、これはロディア王家と王国の行く末に関わること。みなさまにも、ぜひ聞いていただきたい話なのです」
王太子妃はドレスの裾をつまんで淑やかに膝を曲げ、国王もまずは「よかろう」と鷹揚な態度を示す。
「ありがとうございます」
礼を述べると、王太子妃はちらりと、夫と目配せし合った。
「それでは」と、背筋を伸ばして話し出す。
「みなさまもお聞きください。わたくし、ロディア王太子妃レイラは、ロディア王太子ルドルフ殿下との婚姻関係を破棄します。離婚いたします」
国王の顔がこわばり、客がいっせいにどよめく。高い天井が、そのどよめきを何倍にも反響させた。
「妃殿下! いったいなにを――――!!」
マレット男爵夫人が血相を変えるが、ジェラルディンはかまわない。
「理由は単純。ルドルフ殿下は、わたくしを愛しておられないからです」
なにか言おうとした男爵夫人や国王を、
「ただし!」
と、ジェラルディンは声を張ってさえぎる。
「それは殿下の責任ではありません。そもそも殿下がフェザーストン公爵令嬢との婚約を破棄してまで、わたくしを妃に望んだこと、それ自体が殿下の責任ではございません。殿下は、そのお心を他者に操られていたのです」
ジェラルディンの堂々とした言葉に、ふたたび大きなどよめきがあがる。
「お待ちなさい。操られていた、とはいったい――――」
瞳に狼狽と息子への心配をのぞかせ、王妃が話に割り込む。
「今からお見せします」
ジェラルディンは体ごとルドルフと向かい合った。
ルドルフは覚悟を決めた表情のまま、ずっと落ち着いている。
互いにうなずきあった。
ジェラルディンは右手をあげて盛装用のレースの手袋を外し、深呼吸する。
冷静を装っているが、内心では心臓が爆発しそうだ。
これでもし、自分の予想が外れていたら?
『愚かな王太子妃』と、恥と悪評の上塗りになるだけではない。
ルドルフも巻き込んでしまうのだ。
聖女候補の『奇跡の王太子妃』といえども、ただではすむまい。
(本当に…………大丈夫よね? 信じていいのよね?)
脳裏に、あの不思議な金髪の貴婦人の、優雅で威厳あるほほ笑みがよみがえる。
(あ)
いつの間にか右手に、はめた覚えのない黒の手袋をはめていた。
(行くしかないわ)
ジェラルディンは腹をくくった。
「失礼します、ルドルフ殿下!」
手袋がはまる右手を、直立不動のルドルフの胸元へ伸ばす。
指先が彼の衣装に触れた瞬間、『黒い光』としか表現しようのないものが放たれ、ジェラルディンの右手を吸い込んでいく。
ある者は驚愕の声をあげ、ある者は悲鳴をあげ、国王も仰天して、王妃は両手を頬にあてて卒倒しかける。
ルドルフもさすがに全身を硬直させ、彼の侍従であるテオドールはやめさせようと、ジェラルディンの肩をつかもうとする。
その寸前。
伝わってくる、固く長い、たしかな感触。
ジェラルディンは右手を引き抜いた。
「おお…………」
「なんだ、あれは!?」
観客たちの驚愕のどよめき。
ジェラルディンは国王に、いや、広間中の貴族にむけて右腕を高く掲げた。
「ご覧ください! これが、殿下を操っていたものです!!」
誰もが瞠目する。
掲げられた右手がにぎるのは、一本の暗い灰色をした小型の矢。
それをにぎる手を包んだ黒い手袋がはらり、と破れて消える。
ジェラルディンは矢を左手に持ち直すと、ふたたびルドルフに向き直って右手を挙げた。
「殿下。もう一度、失礼します」
胸を押さえていたルドルフがうなずく。
ジェラルディンは同じように彼の胸に右手で触れた。
いつの間にか二枚目の手袋が現れ、黒い光を放ちながらルドルフの胸の中へと沈んでいく。
ふたたび抜き出した時、ジェラルディンの右手には同じ形の金色の矢がにぎられていた。
はらり、と、また手袋が破れて消える。
ルドルフはかすかに呻いてふらついたが、堪えた。
ジェラルディンはロディア国王に向き直り、両手ににぎった矢を挙げて説明する。
「これが、ルドルフ殿下を操っていたものです。刺されば、激しい嫌悪に襲われる鉛の矢。そして、激しい恋心に囚われる黄金の矢。神話に語られる、恋の神の二本の矢です」
「こ、恋の神、ですって?」
「はい」
王妃のふるえる問いに、ジェラルディンはきっぱり答える。
「この二本の矢が、ルドルフ殿下にわたくしへの偽りの恋心を生じさせ、また、わたくしに嫌悪を抱くように仕向けたのです。すべては、この矢が原因です!」
「なんと…………!」
「まさか…………!?」
周囲がいっそうざわついて、ロディア国王夫妻も二の句がつげないままだ。
「ルディ…………」
ジェラルディンはルドルフをふりかえった。
「殿下。ご気分はいかがですか? どこか痛みは? めまいなどは?」
「いや。特になにも感じない。体調は普段どおりのようだ」
「気持ちは? わたしを見て、どう思いますか?」
ルドルフはジェラルディンを見た。まっすぐに。
「…………ルディだ。それ以上でも、以外でもない」
友愛を込めてはいるが、それ以上の響きはない落ち着いた声は、ジェラルディンにかつてのルディを思い起こさせた。
ジェラルディンは、心から安堵のため息をついた。
ロディア国王夫妻をふりかえる。
「ご覧のとおりです、国王陛下、王妃殿下。ルドルフ殿下は、わたしに特別な感情をお持ちではありません。それなのにこの矢を刺されたせいで、なりふり構わずわたしとの結婚を望むようになり、あの騒動が起きてしまったのです」
「なんと…………」
「では、そなたは正気に戻ったのですね!? すべては、操られていたせいなのですね!?」
呆然とする国王を放り出すように王妃が息子に駆け寄り、その腕にすがる。
「ご心配おかけしました、母上。もう大丈夫です」
「ああ、ルドルフ…………!」
王妃が息子の肩に触れ、涙をこらえる。
国王はさらにジェラルディンに問いを重ねる。
「しかし、何者が王太子にそんなものを。いったい、なにが目的で…………」
「それは…………」
ジェラルディンは言いよどんだ。動機に関しては、まだ証拠がそろっていない。
が、赤い瞳がちらり、とフェザーストン嬢を見てしまったのを、周囲も見逃さなかった。
「えっ…………」
観客の視線が、ロディア国王夫妻の顔が、銀髪の美姫に集中する。
「な…………違います!」
パトリシアは事態を悟って即座に否定したが、疑惑と動揺の空気はひろがっていく。
「まさか…………フェザーストン嬢が?」
「いやでも。もしや、ブラント殿下と結婚するために?」
「言われてみれば、あの求婚はできすぎでしたわ。皇国の皇子ともあろう御方が、あんなに唐突に求婚なさったうえ、すんなりフェザーストン嬢を連れ帰られて…………」
「無礼な! 私は潔白です!」
パトリシアは声をあげ、ブラントに向き直る。
「誤解です、ブラント様。私はなにもしておりません。あの矢が本物の恋の神の矢なら、どうして私がそのようなものを手に入れられるでしょう。誓って、私は無関係です」
「ああ、わかっているとも、私のパトリシア。君に非など一点だってあるものか」
弁解するパトリシアの手をとってうなずくと、ブラントは顔だけ観客へ向けた。
「無礼であろう、ロディア貴族たちよ! この私、ヴラスタリ皇国第二皇子の婚約者を罪人と疑うからには、相応の覚悟はあるのだろうな!?」
ヴラスタリ皇子の剣幕に、ロディア貴族たちも押し黙る。
ブラントはさらにジェラルディンを指弾した。
「奇跡の妃だの聖女だのと騒がれ、増長したか!? 卑しい平民風情が、パトリシアが罪人というなら、証拠を見せてみろ!!」
国王がジェラルディンを見やり、ルドルフがジェラルディンを庇おうと彼女の前に立つ。
ジェラルディンも唇をかんだ。
物的証拠はない。
ただ、今夜の宴は、ブラントとパトリシアを送る送別会を兼ねている。
明日には、二人ともヴラスタリ皇国へ出立してしまうのだ。
ゆえに、証拠が不十分でも今夜、国王たちの前で矢の存在を明らかにするしかなかったのだ。
おそらく今夜を逃せば、パトリシアを追及する機会は二度とはめぐってこない。
(こうなったら、問答無用でブラント皇子からも矢を抜いてしまう…………?)
実際に皇子からも黄金の矢を抜いてしまえば、誰もがパトリシアの嫌疑を確信するはずだ。
問題は、この状況で皇国の皇子に気安く接触できるか、という点。
皇子の周囲は侍従で固められ、ロディア王太子妃といえども、おかしな行動をすれば即、彼女から主人を守ろうとして、接近自体を許さないに違いない。
ジェラルディンが、じり、とブラント皇子の隙をうかがった、その時。
右手に違和感を覚える。
(え…………?)
気づいた時には、ジェラルディンの右手に、二本の黄色い水仙の花がにぎられていた。
反射的に右手の中指を見る。
指輪に咲いた黒い石の花がまた一つ、花弁代わりの黒い粒を失っている。
つまりは、この水仙も神の加護。
(でも、どういう意味が――――)
そこで思い出す。
黄色い水仙の花言葉は『私のもとに戻って』。
農耕の女神の娘がさらわれたあと、現場には黄色い水仙が残っていた。そのため、娘を失った女神の嘆きと悲しみの言葉が、黄水仙に宿ることとなったのだ。
(戻る…………私のもとに…………もしかして――――!)
ジェラルディンは花の本数を確認した。水仙は二輪。
二本の矢と二輪の花を一束にまとめ、祈る。
「戻って――――持ち主のもとへ!」
花がふわり、と浮いた。
「おお」と声があがる。
花に導かれるように、鉛の矢も宙に浮く。
そして花は飛んだ。
テオドールへ。
ジェラルディンは意表を突かれる。
が、花はさらに飛ぶ。
今度はパトリシアの背後にいた、ニナ・ノールズのもとへ。
「きゃっ…………!」
花と矢が眼前に飛んできた侍女は、悲鳴をあげてちぢこまる。
そして花は三度、飛んだ。
ブラント皇子のもとへ。
最後に甲高い金属音を響かせ、大理石の床の上に落ちると、ぱさり、と水仙も矢の上に落ち、すう、と消えた。
「ど、どういう…………?」
誰かの呟きにかまわず、黄金の矢も水仙に導かれて同じ順番で飛び、最後にブラント皇子の足元に転がる。
「いったいこれは…………」
ロディア貴族たちは目を白黒させる。
ジェラルディンも予想外だった。
矢が戻ったのは、パトリシアのもとではなかった。
(どういうこと? 矢を刺したのは、フェザーストン嬢ではなかったの? どうしてブラント皇子のもとに…………)
そうして、ひらめくように一つの考えにたどりつく。
「もしかして――――」
右手に三枚目の黒い手袋が現れる。
「動かないでください、フェザーストン嬢!!」
ジェラルディンは駆け出し、パトリシアの金剛石と紫水晶で飾られた白い胸もとへ、右手を伸ばす。
肌が触れた瞬間、黒い光が放たれ、彼女の胸にジェラルディンの右手が沈んでいく。
「やめろ!!」
ブラントが叫ぶ。
「…………あった!」
ジェラルディンはたしかな手応えを力いっぱいつかんで、引き抜いた。
何度目のことか、どよめきがあがる。
高々と掲げられたのは、パトリシアの胸から現れた黄金の矢。
ジェラルディンは叫ぶ。
「国王陛下! ルディ! フェザーストン嬢がブラント皇子と婚約したのは、令嬢の意思ではありません! 令嬢も操られていたんです!!」
「な…………」
ジェラルディンの右手にふたたび黄水仙が一輪、現れる。
ジェラルディンはその水仙と、引き抜いたばかりの黄金の矢を束ねた。
水仙に導かれて、矢は飛ぶ。
今度はテオドールは経由せず、まずニナ・ノールズのもとへ。
それからブラント皇子のもとへ。
三本目の矢が、ヴラスタリ皇子の足元に転がった。
「矢の持ち主はあなたですね、ブラント皇子殿下」
ジェラルディンが指摘し、その場にいた全員の顔がいっせいにブラントに向けられる。
「もともとこの矢は、本来の持ち主である恋の神から盗まれ、人の手に渡った、と聞いています。その『人』が、あなたですね、ブラント皇子。あなたはフェザーストン嬢に黄金の矢を刺して、彼女が自分に恋するよう仕向け、ルドルフ殿下に黄金の矢を刺して、殿下がわたしとの結婚を望むように仕向けた。そしてお二人の婚約は白紙となり、あなたは大勢の前でフェザーストン嬢に求婚し、皇国に連れ帰ったのです――――!!」




