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黄泉帰りの妃  作者: オレンジ方解石


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 数日後。ジェラルディンは王宮の書庫にこもっていた。

 王妃と柘榴の一件以降、ますます謁見の申し込みが増え、自室にいると贈り物や見舞いの手紙がひっきりなしに届いて鬱陶しいので、逃げてきたのである。

 王宮内の書庫は王族専用で、王族以外の人間は特別な許可がない限り入れない。

 隠れるにはうってつけの場所だった。

 侍女や女官たちも伴わず、久々に一人きりになれたジェラルディンは調べ物に没頭する。

 テーマはむろん『黄金の矢』と『鉛の矢』についてだ。

 とはいえ、進捗は芳しくない。

 閲覧用の机にめぼしい本を積み上げ、一冊一冊、目を通していたが、先日ルーク先生と話した以外に、これといった手がかりになりそうな情報は見当たらなかった。


「記されているのはどれも、神話にちなんだ内容ばかり…………武器はもちろん、歴史上にも関連しそうな記述はないし…………」


 ついでに神の加護――――柘榴と蝙蝠についても調べてみる。神話上では、蝙蝠は地下の世界と結びつく存在であり、柘榴も、地下の王にさらわれた穀物と農耕の女神の娘が、地下の国の柘榴を食べたために地下に戻ることを許されず、地下の王の妃になった、という神話がある。

 つまり、どちらも地下に関連する存在なのだ。

 さらには水仙、蛇、松明も地下の王妃の象徴らしい。

 ジェラルディンは自身の右手の中指にはまった指輪を見下ろす。


(つまりあの花園は、地下の国…………? でも、空があったような気が…………)


「うーん」と唸りつつ、読み終えた本を数冊抱えて(マレット男爵夫人が見たら、また『それは侍女の仕事です! 王太子妃のすることではありません!』と雷が落ちただろう)、席を立つ。

 もとの場所に戻そうとすると、本棚のむこうから人影が現れて、ぶつかりそうになった。


「きゃっ!」


「危ない!」


 ジェラルディンが落としそうになった本の山を、はちあわせた人影が手を伸ばして、とっさに支えてくれる。


「!? ルーク先生!」


「レイラ妃殿下?」


 灰色の長髪に優しい澄んだ水色の瞳の、ユージーン・ルーク卿だった。

 ジェラルディンは慌てて謝る。


「すみません、ルーク先生。いらっしゃるのに気づかなくて」


「いえ、妃殿下こそお怪我はありませんか?」


「わたしは大丈夫です。先生のおかげで本も落とさずに済みましたし。先生こそ、お怪我は?」


「問題ありません。しかし、妃殿下はどうしてここに? 書庫の管理係の役人からは、おいでとは伺っていなかったのですが」


 王太子妃が書庫を訪れているなら、役人から一言あって当然である。それ以前に、王太子妃の使用中は、王族ですらない外国人の入室など許可されなかっただろう。

 ジェラルディンは気まずそうに視線を落とす。


「その…………こっそり入ったので、役人は知らないはずです。秘密にしてください」


 身をちぢめるジェラルディンに、ユージーンも事情を察する。


「なにかと騒がしいようですね、お察しします。この本は棚に戻せばいいのですか?」


 ユージーンはほほ笑むと、ジェラルディンから本の山を優しく奪って、彼女が遠慮する間もなく所定の位置に戻していく。

 ジェラルディンが訊ねると、彼は貴族位を持つ大学の教授から紹介状を書いてもらって、この書庫に入る許可を得ているとのことだった。


「次は、いつロディアに来られるかわからないので。ほとんど日参しています」


 そう笑った彼は、やはり勉強が好きなのだろうな、とジェラルディンは眩しく思う。


(わたしも、こんな風に楽しく勉強できたらいいのに…………)


 今の境遇では夢のまた夢に思える。


「そういえば、先日の調べ物は解決したのですか?」


 ユージーンに訊ねられ、ジェラルディンは少し焦った。

 これといった新情報は得ていないし、そもそも詳細を説明できないので、どうしてもあやふやな説明しかできない。

 けれどユージーンは無理に根掘り葉掘り訊き出そうとはせず、そこから話題はなんとなく、恋の神の矢によって悲劇を迎えた男女についてとなり、その矢の威力についてとなった。


「そもそも持ち主である恋の神本人が、うっかり矢で傷を作って、人間の女性に恋してしまうなんて…………強力にもほどがあります。いっそ、効果をなくすことはできないのでしょうか?」


 ジェラルディンとしては何の気なしに放った問いだったが、ユージーンは「うーん」と真面目に考え出す。


「基本的に、神の力を人間が無効化する術はありません。ただ…………」


「ただ?」


「以前、少し学んだ魔術では、神の力を借りて行使した魔術は、その神より強力な神の力を借りて封じる、という考え方があるようです。あくまで一時的に封じるだけで、魔術を無効化したり、効果をなかったことにできるわけではないようですが」


「より強力な神…………たとえば、神々の王などでしょうか?」


「そういう場合もありますが、その神を生み出した親の力を借りる、というのが一般的なようです。親の名や象徴(シンボル)を媒介に、一時的に抑えるようですね」


「親、ということは…………恋の神だと、戦神と美女神…………ですよね?」


「ええ。戦神の象徴は雄鶏、美女神だと鳩、白鳥、バラ、罌粟(けし)、リンゴなどですね」


「親の名前や象徴…………」


 なにかの役に立つだろうか。

 ジェラルディンは頭の隅に刻んでおくことにして、以前、侍女や男爵夫人に囲まれた再会では出せなかった、別の話題を口にする。


「あの。ルーク先生からいただいた、黒い石のお守りのことなのですけれど」


 前回のユージーンの帰国の際、ジェラルディンは彼からお守りをもらっていた。

 大事にとっておきたくて、マレット男爵夫人に見つからぬよう、いつも慎重にドレスの中、下着の胸元に隠しておいたのだけれど。


「黄泉帰りの時の騒ぎで、どこかに行ってしまったらしくて…………せっかく先生がくださったものなのに、申し訳ありません」


 正確には、あの花園で出会った不思議な貴婦人が持っていた。けれど話して信じてもらえるか、わからない。ジェラルディン自身、いまだ半信半疑な出来事なのだ。


「気にしないでください。()()はもともと、そういう物です。無くなったというなら、ちゃんと役目を果たしたのでしょう」


「…………? そう、なのですか…………?」


「あの石は、ジェラルディン嬢の無事と招福を願ってお渡しした品です。ですから、あなたが無事に戻ってこられたなら、それで充分なのです」


 優しい水色の瞳が、本当に切実に心配していたことを証明するかのように、澄んだ光をたたえてジェラルディンを見つめてくる。

 ジェラルディンは言葉に詰まった。

 ロディア王宮に来て、いったい何人がこんなに真剣にジェラルディンのことを案じてくれただろう。少なくとも以前のルドルフは、そうだったと思うのだけれど。

 ジェラルディンは痛切に思った。

 彼になにか、せめてお礼をしたい。

 けれど今のジェラルディンには、誰かにあげられるような自分の物はなかった。

 化粧室には、ルドルフから贈られた宝石がまだたくさん保管されているし、黄泉帰ってからは、貴族たちからの多種多様な贈り物が部屋に山積みになっているけれど、あれらを贈るのは違う気がする。


(他に、わたしのものなんて…………)


 なんとなく右の中指をなでる。

 すると、指輪にはめられている黒い石が一粒、ゆるんだ気がした。


(え?)


 確認のため、もう一度なでると、石が一粒、ぽろりと外れる。


(どうして…………)


 不思議ではあったが、ジェラルディンは決めた。

 本物の神の加護の一つだ。そこらの宝石よりよほど稀少だし、ルーク先生からうけた恩や優しさには、それだけの価値があると思う。


「あの。代わりにこれを。先生からいただいたお守りの、お返しです」


「――――よろしいのですか?」


 ユージーンはかなり迷った様子だった。

 けれど最終的には礼を述べて黒い小さな粒を受けとってくれ、ジェラルディンはほっとする。


「そろそろ戻りましょう。誰かに見つかるといけません」


 ユージーンは自身の目的だった本をさがし出し、ジェラルディンも彼の背中を見送って、王太子妃の部屋に戻った。

 ユージーンに少しだけ恩を返せた気がして、胸があたたかい。





 それからしばらく、進展のない日がつづいた。

 特に、黄金の矢二本と鉛の矢一本については、その在処について見当がついているものの、残る鉛の一本はわからないままだ。


(順当に考えれば、フェザーストン嬢が持っていると思うけれど…………)


 肝心のフェザーストン嬢が国外である。


(ルドルフ殿下とブラント皇子から矢を抜く。たぶん、これは可能だわ。あの女性の言葉を信じれば、見えないけれど、わたしの右手には矢を抜くための手袋がはまっているはずだもの。問題は、その矢がフェザーストン嬢の仕業だ、と立証できないこと…………)


 今の時点では、あくまで「フェザーストン嬢がもっとも怪しい」という可能性の話にすぎない。一介の田舎娘相手ならともかく、格上の皇国の婚約者を確たる証拠もなしに追及すれば、最悪、ヴラスタリ皇国とロディア王国の外交問題に発展してしまう。


「だけど、本当にフェザーストン嬢が元凶なら…………」


 白日のもとにさらして、一発殴るくらいのことはしたい。

 その程度のことはしなくては気が済まないし、する権利はあるはずだ。

 ジェラルディンは、今回の件で本当にふりまわされた。人生を大きく破壊されたのだから。

 そう、もんもんと悩んでいた彼女に、大きな好機が訪れる。





「ブラント皇子殿下が、ロディアに?」


「うむ。前回の交換留学を機に、本格的に両国間の大学の連携を進める話が出ている。その件で参るそうだ」


 国王専用の応接室で。ジェラルディンはルドルフと並んで長椅子に座り、一人掛けに座った国王から知らされる。


「要は、物見遊山です。評判の、奇跡をおこした神秘の妃を確認したいのでしょう。皇国にまで噂が届いているそうですからね」


 向かいの長椅子に座った王妃がティーソーサーを手に、優雅にほほ笑む。

 若返った彼女は、外見に合わせてドレスや装飾品もぐっと華やかになり、ますます艶麗な美貌が引き立っている。冷めかけていた夫の愛が再燃したという噂も、さもありなん。

 近頃ではオーガスティン二世と並ぶと、夫婦というより父娘に見える時すらあった。


「あちらも()()()を伴って参られるそうです。万事、滞りなく支度を整えてお迎えしなくてはね。なんといっても、こちらは奇跡の妃がついているのですから」


 一見、ありきたりな確認の言葉に聞こえるが、深読みすればこれは、


「ロディア王太子を捨て、ロディア王家の体面に泥を塗って出て行った公爵令嬢に負けたら、承知しませんよ」


 という意味だろう。

 客観的に見れば、悪いのは、一方的に婚約破棄を宣言してフェザーストン嬢を捨てたルドルフのほうだが、フェザーストン嬢はロディア国王からの「ロディア王女としてヴラスタリ皇国に」という養子縁組の提案を断り、フェザーストン公爵令嬢の身分のまま皇国に嫁いでしまったため、それまでの同情のまなざしは一転、ロディア貴族中のひんしゅくを買っている。

 フェザーストン公爵も「皇国と陰で結託しているのではないか」と、痛くない腹をさぐられつづけて肩身がせまいようで、養女(むすめ)であるジェラルディンに今後の復権を託しているのが、痛いほど伝わってくる。

 それはともかく。


(フェザーストン嬢がロディアに戻って来るなら、矢のことを追及できる…………!)


 渡りに船だった。

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