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「なにも持参できる品がなくて、申し訳ありません」
「急な招待でしたからね。気にする必要はありません」
手ぶらを謝罪したジェラルディンの型通りの言葉に、ブリアンナ王妃殿下は鷹揚に応じる。
四十をすぎたはずの王妃は今も若々しく、洗練された華麗な艶やかさはいかにも『社交界の華』『宮廷に君臨する女主人』の趣がある。
「よい茶葉が手に入ったので、せっかくだから一緒に、と思って」
王妃が目配せすると、侍女がポットに湯を注ぎはじめる。
待っている間に世間話となった。
「体の調子は? 医師からは『異常なし』との報告が届いているけれど、本当に問題はないのですか?」
「おかげさまで。以前と変わらず過ごしております」
「今思い出しても、不可思議な体験だったわ。棺の中に横たわったあなたを、たしかにこの目で見たのに、天から声が降って来た途端、あなたは起き上がって…………あれから、もう十日なのですね。まだ三日くらいに感じるのだけれど」
「――――きっと、王宮の空気が忙しいからですわ」
王妃のおしゃべりを聞きながら、ジェラルディンはひたすら居心地悪い。
もともとジェラルディンとブリアンナ王妃の関係は良好ではない。
なにかされた、というわけではないが、とにかく別世界の住人すぎて、話が合わない、波長が合わない、どう対応すればいいのか見当もつかない。
早く終わってほしい、というのが本音である。
(そもそも、どうしてわたしを呼び出したのかしら…………)
ジェラルディンの知る限り、黄泉帰る前の王妃は常に高貴なとりまきに囲まれて、あちらからこちらに近づこうとする意志や様子は感じなかった。
急にお茶会に誘ってきたのは、ジェラルディンが聖女候補になったからか。それとも、もっと別の理由か。
ティーカップに赤茶色の液体が注がれ、芳香がただよう。
紅茶をいただき菓子をいただき、ひたすら窮屈な思いをこらえていると、ふいに王妃が切り出してきた。
「そういえば、ルドルフから聞いたのだけれど。離婚を申し出たのですって?」
(ああ、これだわ)
ジェラルディンは納得した。
と、同時に気合を入れた。
「はい。フェザーストン公爵にもお伝えしました。新しい王太子妃をさがしてほしい、と」
「まあまあ、気の早いこと」
王妃はゆったり優雅に笑う。
「まだ挙式から一年も経っていないでしょう。今はお互い、相手への理解に努める時期ではないですか?」
「お言葉ですが、ルドルフ殿下のお心は、すでにわたしから離れておいでです。王妃殿下もご存じのはずです」
「ええ、知っていますよ。ルドルフが毎日、大きな花束や贈り物を抱えて、あなたの部屋に通っているということはね」
ぐ、とジェラルディンは言葉に詰まる。
「不幸な行き違いがあったことは、承知しています。ですが、一度失ったことで、自分の中であなたがどれほど大きな存在か、ルドルフは理解したのでしょう。だからこそ、あなたのもとに日参している。そう、私はそう信じています。もう一度やりなおしたいという、あの子の真摯な気持ちに、応えることはできませんか?」
ブリアンナ王妃はわずかに首をかしげた。
女のジェラルディンからも見ても上品で、こんな状況でなければ即座に「はい」と返事してしまいそうな優雅さである。
「…………一度冷めた気持ちを戻すのは、難しいと存じます」
それができれば、決別せずに済んだ夫婦や恋人、友人や家族は少なくないだろう。
「おや。無理と思っていたことが、よく話し合ったり、再挑戦してみたりしたら、うまくいった、というのはよくあることですよ。大喧嘩も、若い頃にはよくあること。私も何度か、陛下と経験したものです。難しく考えずに、ひとまず試してみることです」
育ちの良い高貴な王妃様はなんてことないように助言してきて、
(そういうことではないんです…………)
と、ジェラルディンを内心で困らせる。
(平民の王太子妃との離婚だもの、願ったり叶ったりだと思ったのに…………)
ジェラルディンはどうでもよくても、未来の聖女は手放し難いのだろう。
王妃自身の本心はどうあれ、国のためなら私情は押し殺す、ということか。
(王族も貴族も大変だわ)
ほんの少し、ジェラルディンは王宮に生きる人々に同情した。
「アニスとリンゴのタルトのおかわりはいかが? それとも揚げ菓子がいいかしら?」
「あ、いえ、もうじゅうぶんです」
形式ではなく、ジェラルディンは遠慮した。
タルトも揚げ菓子も二人分にはじゅうぶんな量が用意されていたが、大半をジェラルディンが食べてしまった気がする。
成長期なのにろくに食べさせてもらえない日がつづいたせいか、黄泉帰ってマレット男爵夫人の体罰をうけなくなって以降は、食事もお菓子も、ついつい食べ過ぎてしまう癖がついた気がしていた。
「すばらしいタルトなのに、わたしばかりいただいてしまって…………」
気恥ずかしさと申し訳なさに襲われると右手に突然、ずしり、と重みを感じる。
「おや、それは?」
王妃に訊ねられ、ジェラルディンも己の右手を見た。
赤い皮がつやつやと輝く、大きな果実が乗っている。
柘榴だ。
「え…………」
いったいどこから、と驚き、気づいた。
(指輪…………!)
黒い石の花弁がまた一粒、消えている。
(じゃあ、この柘榴も神の『加護』…………?)
「まあ、立派な柘榴だこと。もしかして、それが手土産かしら?」
突然、出現した果実にも動じず、王妃は優雅にほほ笑んでいる。
「え、いえ…………」
「手土産があるなら、先に我々にお申し付けくださいませ。なにも、手ずから運ばれなくても」
マレット男爵夫人が慌てて寄って来て、早口で咎めるようにささやくと、ジェラルディンの手から赤い果実を奪う。
「あ、待っ…………」
「どうぞ」と、ジェラルディンが止める間もなく、男爵夫人は王妃付き侍女の一人に果実をさしだしてしまった。侍女が受けとる。
「あの。でも、ただの柘榴を丸ごと、なんて」
「おや、果実は新鮮なのが一番ですよ。せっかくだから、これはこのままいただきましょう。つやつや輝いて立派だこと」
実際、新鮮な果実は王侯貴族にとってもごちそうだった。
保存方法に限りがあるため、果実に限らず、遠くから輸入した食材は乾物や塩漬け、油漬け、はちみつ漬けなどに加工されているのが一般的だ。
果実も近隣で採れる品種以外は干しているか、砂糖漬けになっているのが普通だったから、果汁がしたたるほど瑞々しい品は、それだけで珍味に等しかった。
「お待たせいたしました」
侍女の手で割られた柘榴は厚い皮を剥がされ、高貴な女性が食べやすいよう、粒だけとなった姿でジェラルディンと王妃の前に置かれる。
「まあ。まるで本物の柘榴石のようだこと」
ブリアンナ王妃の感想には、ジェラルディンも同感だった。
白い皿の上で赤い実がきらきら、まさしく宝石のように輝いている。
王妃はそれこそ、宝石商が披露した珍しい宝石の指輪を自分の指にはめるように大事そうに、赤い粒を白い二本の指でつまんで唇に運んだ。
ぱあっ、と表情が変わる。
「なんと美味な…………! これは真に柘榴? こんなに瑞々しくて美味な粒を口にしたのは、生まれて初めて…………! まるで、天上の宝石を溶かしたような…………」
王妃の青い瞳もきらきら、宝石のごとく輝く。
二粒目、三粒目と、手の動きがとまらない。
ジェラルディンも、
(そんなにおいしいのかしら?)
と好奇心が刺激され、赤い粒をつまんだ。
口に入れて噛み――――後悔する。
(苦っ…………! 渋い! 苦酸っぱい!! まずっっ…………!!)
思わず吐き出しそうになり、とっさに口を手でおおったう。
(なんで、こんなまずいものを、平気で食べられるの!?)
王妃を見たが、彼女は本当においしいと感じているようだ。演技とは思えない。
(わたしの舌がおかしいの…………?)
ジェラルディンは耐えきれず、こっそり手元のナプキンに吐き出してしまった。
口直しに、紅茶にたっぷりの蜂蜜を混ぜて飲み、ようやく一息つく。
もしかして、と一つの仮説が浮かんだ。
(わたしが黄泉帰った人間だから…………? 普通の人にはおいしく感じるの? でも、これはどういう加護…………?)
昨夜の蝙蝠ヘの変身は理解しやすかった。けれど、この柘榴の意味はさっぱりだ。
けっきょく、不思議な柘榴のおかげでお茶会の本題はうやむやになり、「すばらしい土産でしたよ」と王妃からお褒めの言葉をちょうだいして、ジェラルディンは退席する。
私室に戻って窮屈なドレスから解放され、思いきり背伸びして大仕事を終えた気分に浸ったが、話はこれで終わらなかった。
「お、王妃様!?」
「王妃殿下! そのお姿は!?」
翌朝。何年ぶりかの清々しい心地で目覚めたブリアンナ王妃は、体中に英気がみなぎっていた。若返ったかのように体がかるい。
否。本当に若返っていた。
「なんと…………これが私?」
鏡の中から、驚きに青い目をみはってこちらを凝視する、二十代後半と思しき美女。
金髪はつやつやと豊かに輝いて、白い肌には艶とはりが戻り、唇は赤く濡れて、気になっていた細かなしわもすべて消え失せている。
様々な化粧品や魔術の品まで試し、それでもとり戻すことの叶わなかった若さが今、ブリアンナの目の前に映っていた。
「いったいどうして…………」
呆然と鏡を見つめながらも、夢でないと実感するにつれ、ブリアンナの頬や口元がゆるんでくる。
「もしかして…………」
昨夜、お茶会で給仕していた侍女の一人が声をあげた。
「あの柘榴のおかげではありませんか!? 王太子妃殿下の手土産の!」
「あ」と、他の侍女たちも声をあげる。
「まさか。いくら美味とはいえ、柘榴一つにそんな効果が…………」
王妃は否定したが、侍女たちは盛りあがる。
「ですが、それ以外に原因は見当たりません。あの柘榴以外は、お食事も日課の美容法も、すべていつもと同じでしたもの。違うのは、あの柘榴だけです!」
「そういえば、柘榴は女性の美に作用するとか。きっと昨日いただいた柘榴は、特別な柘榴だったのですわ。なんといっても、奇跡の聖女様からの贈り物ですもの!」
ブリアンナはにわかには信じがたかった。けれど侍女たちの言うとおり、たしかに他に心当たりらしいものはない。
では本当に、あの柘榴は特別な果実だったのか。あの妙なる美味はその証か。
断言はできないが、ブリアンナが若さをとり戻したのは事実だ。
ブリアンナは胸がはずむのを抑えきれず、何度も自分の頬をなで、鏡と見つめ合った。
ブリアンナ王妃が若返った、という話はまたたく間に王宮中に広まった。
ブリアンナ自身が積極的に人前に出て隠そうとしなかったのだから、当然だ。
中年になっても美しかった王妃が、かつての破格の美貌をとり戻した光景に、夫であるオーガスティン二世は瞠目し、人目もはばからずに妻を抱きしめて賞賛と共に口づけをくりかえす。
王妃が若返った理由についても、王宮の、特に女たちの間で噂になった。
「なんでも、王太子妃殿下が献上された柘榴を口にして、若返られたのだとか」
「なんてこと! 黄泉帰りの奇跡ばかりか、若返りの奇跡までおこされるなんて!!」
「やはりレイラ妃殿下は神聖な存在だ、ロディア王宮に聖女が降臨するとは、何百年ぶりだろう!!」
「ああ、私も一粒でいいから、その柘榴をわけていただけないかしら」
黄泉帰ってから毎日うるさかった謁見の申し込みや方々から届く贈り物が、この件をきっかけにいっそう、うるさくなる。
「母上から話は聞いたよ。やはり君は稀有なる存在、神秘の乙女だ。君という女性を娶れたこと、心から天上の神々に感謝しよう。君こそが私の真の運命だったんだ、ルディ」
ルドルフ王太子からもそう告げられて、ジェラルディンとしては、
「どうしてこうなるの…………!」
としか言いようがない。
ルドルフとの離婚を模索しているのに、これでは完全に逆効果だ。
あの柘榴をくれた指輪の贈り主は、なにを考えているのだろう。
(まさか、わたしを窮地に追い込んで楽しんでいる、なんてことは…………)
脳裏に恐ろしい仮説がよぎる。
ちなみに、お茶会で王妃が食べた柘榴の残りは、あまりの美味に、またあとで食べようと、所定の場所に厳重に保管されていた。
しかし王妃の若返りを目の当たりにした侍女たちが、盗み食いをもくろんでその場所をいくら探しても、赤い粒一つ、見つからなかったのである。




