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黄泉帰りの妃  作者: オレンジ方解石


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 翌日から、さっそくルディの生活が変わった。

 食事の時間は料理に集中して味わえるようになり、マレット男爵夫人に見張られて、役に立つかわからない遠い異国の作法の練習をする必要はなくなった。

 ダンスも楽器の演奏も、手をひろげすぎたせいで、どれがどの手順だかこんがらがっていたのが、一種類のステップ、一種類の楽器を、時間をかけて練習できるようになる。

 勉強も一科目に費やせる時間が増えたことで、理解度が高まった。

 なによりユージーンの教え方がうまい。

 彼自身はすべての教科を担当したわけではなく、授業そのものは担当の教師に任せていたが、常にマレット男爵夫人や侍女たちと共に学習室の隅にひかえて、ルディが躓いたり、教師が説明に詰まったりすると、さり気なく近づいてきて、わかりやすくかみ砕いて教えてくれる。

 その教え方も巧く、どの教科も説明できて、ひかえていた侍女たちのほうが、


「聞いているうちに、なんとなく覚えてしまったわ。ルーク卿のお話がわかりやすいんだもの」


 と、話し合うほどだった。

 ユージーンはさらに、ルディが出席する舞踏会や夜会、お茶会などの回数を削った。

 国王夫妻やその周辺といった、どうしても欠席するわけにはいかない、ごく一部の集まりをのぞいて、すべてに欠席の返事を出させたのだ。

 マレット男爵夫人はカンカンに怒った。


「なんてことを!! 社交は貴婦人の基本! まして王太子妃ともなれば、国内すべての貴族と良好な関係を築くことが義務ですよ!? それを欠席だなんて!! もう見逃せません! 王妃殿下にご報告して、貴男は罷免していただきます!!」


 スカートをつかんで靴音高く学習室を出て行こうとするマレット男爵夫人を、ユージーンはすばやく前にまわり込んでさえぎる。


「社交が王太子妃に不可欠であることは、私も理解しております。ですが、だからこそ今は欠席が最善です。無理に出席しても、今のジェラルディン嬢では望む結果は得られぬでしょう。それはマレット男爵夫人が一番よく理解しておられるのでは?」


「そ、それは」


「ああ。それとも逆でしょうか? マレット男爵夫人は誰よりジェラルディン嬢の優秀さを理解しておられるため、どのような集まりに出席しても、他の令嬢たちにひけをとるはずがない、と。なるほど、ジェラルディン嬢の教育を一手に担ってこられたのは、男爵夫人です。これまでのお茶会や舞踏会での結果は、すべて男爵夫人の教育のたまもの。王妃殿下をはじめ、王太子殿下も国王陛下も、宮廷中の誰もが夫人の教育係としての才覚を認めていることでしょう」


 ぐ、とマレット男爵夫人は唇をかんだ。

 実際には、ルディはどの夜会やお茶会でも、貴婦人や令嬢たちから距離を置かれ、作法やダンスなどに対する自信のなさから、不必要に緊張しては失敗の回数を増やして、ますます周囲から不評を買い、本人も自信を失う悪循環におちいっている。

 その事実を、常に付き添っているマレット男爵夫人も理解していないはずがない。

 ルディが失敗するたび、男爵夫人はルディの不出来を責めて体罰をくわえてきたが、それで一時的に男爵夫人はすっきりしても、教育係としての評価が上がるわけではない。むしろ下がりっぱなしだ。

 マレット男爵夫人の中で葛藤が生じた。

 自分の権限は渡したくない。けれど、このままでは自分の評価は下がりつづけてしまう。

 男爵夫人の最終目標は、低位にとどまりつづけるマレット家の再興。

 評価が下がりつづけては、それが叶わなくなってしまう。

 苦悩するマレット男爵夫人に、ユージーンは優しく説いた。


「ルドルフ殿下のご命令もあります。今は私のやり方に従ってください。もし、私のやり方で結果が出なければ、その時こそマレット男爵夫人の出番です。殿下も納得なさるでしょう」


 黙り込んだ男爵夫人を置いて、ユージーンはルディに説明した。


「いったん人前に出る機会を減らしましょう。空いた時間は練習時間にまわします」


「…………いいのですか?」


 マレット男爵夫人はあんなに怒っていたけれど。


「はい。しばらく人前に出る回数を減らして、ジェラルディン嬢の印象や記憶を薄めましょう。そのうえで、うんと上達したジェラルディン嬢を皆様に見ていただくのです。そのほうが、強く印象に残せて効果的です」


「そういうものですか?」


 ルディには判断のしようがなかったが、人前に出る機会が減るのは大歓迎だ。

 今の彼女にとって社交は晒し物、笑い者になるだけの行為にしか感じられない。

 嘲笑や無視、冷遇の機会が減るなら、願ったり叶ったりだった。





 特に嬉しかったのは、食事と休息が確保されたこと。

 ユージーンは、


「勉強にも休息は必要です。しっかり食べて眠らないと、頭は働きません」


 そう言いきって、ルディがきちんと眠ること、食事をとることをとても重視した。

 なにより、彼は一度も体罰をふるわなかった。

 ルディが間違えても、どこを間違えているのかきちんと説明し、怒鳴ることも蔑むことも食事を抜くことも、ましてや鞭をふるうことなどけしてなかった。

 ルディは安心して机にむかうことができ、その安心感がさらに授業に対する意欲を引き出す。

 体罰への不安がなくなれば、新しい知識を知っていく授業は興味をかきたてられたし、よく休んで食べられるようになったおかげで集中力もあがって、授業中にふらふらすることもない。

 気づけばふた月がすぎて、ルディの成績は飛躍的に改善、上達した。

 基本的な読み書き計算は言うに及ばず、ダンスも楽器の演奏も、歴史も地理も古語も外国語も、貴族の令嬢に必要な一般教養は平均以上にまで引き上げられる。

 そして国中の貴族が招待された国王主催の大舞踏会で。

 ルディはルドルフ王太子にエスコートされて出席した。

 ドレスはもちろん、装飾品も髪型も、この日のために選りすぐった。

 マレット男爵夫人は、


「王太子妃の威光を示すためです」


 と、大ぶりのぎらぎら光る宝石ばかり大量につけさせて、ドレスもいかにも高価で派手なデザインのものばかり選んできたが、ルディのほっそりした小柄な体型にそれらの品はそぐわず、かえって幼稚で頼りない印象を強調して、野暮ったく見せるばかりだった。

 ユージーンはルドルフに頼んで、彼の伝手でセンスのよさに定評のある貴婦人と仕立屋を呼び、彼女らの指導のもと、一からルディにふさわしい装いを選びなおす。

 大きな宝石はやめて、真珠をはじめとする小さくて可愛らしい印象の髪飾りや首飾り(ネックレス)を数点だけ。ドレスも真紅や黒はやめて、ルディの淡紅色の髪と初々しい雰囲気が映える、薄い水色の清楚なデザインを。

 そうしてすべての準備を整え終わると、等身大の鏡の中にはいままでのどのルディとも異なる、これまででもっとも可憐で上品なルディが映っていた。


「すばらしい。見違えるようだよ、ルディ。今夜の主役は間違いなく君だ、薄紅色(ピンク)ひなげし(ポピー)の妖精姫」


 迎えに来たルドルフは恋人の姿を一目見て絶賛し、彼にエスコートされて大広間へ姿を現すと、招待客からは驚嘆のどよめきがあがった。


「あれが、あの田舎育ちのお嬢さん? 本当に?」


「しばらく顔を見せないと思ったら…………見違えるようだわ、別人が成りすましているのではないの?」


「大変身だ。こうして見ると、なんと愛らしい。フェザーストン嬢のような令嬢然とした威厳や高貴な雰囲気はないが、世俗に染まっていない妖精のような清純さがある」


「ルドルフ殿下が執心するはずだ。あの無垢な清楚可憐さは、男にはたまらないだろう」


 貴族たちは驚きながらも口々に賞賛の言葉を口にする。

 さらにルディは、大広間の中央でルドルフと踊っても、大臣やその夫人たちから挨拶の言葉をもらっても、令嬢たちから(珍しく)話しかけられても、令嬢らしいほほ笑みを維持したまま、完璧にちかい受け答えを返してみせる。

 あまりに可憐にかろやかに踊りつづけるルディの姿には、独身の子息たちも刺激されるものがあったようで、ダンスの申し込みの列さえできたほどだ。

『ロディアの月女神』と謳われるフェザーストン公爵令嬢とそのとりまきも、この時は文句のつけようもなく、きゅっと唇を引き結んだまま壁の花になっていた。

 ロディア国王すら、


「見事だ。今回はルドルフの審美眼の正しさを認める他あるまい」


 そう、敗北を認めて乾杯の音頭をとり、王妃も「まことに」と、消極的にだが賛同の意を示して、大舞踏会は大成功に終わった。

 ルディは舞踏会のあと、涙混じりにユージーンに礼を述べる。


「ありがとうございます、ルーク卿。ルーク先生。すべて先生のおかげです」


 こんなに達成感に満たされたのは、王宮に来てはじめてだ。

 いつも自分が劣った出自の、不出来な人間のように思わされてきたのに。

 けれどユージーンは、いつもの優しい笑顔であたたかく答えてくれる。


「私一人の力ではありません。他の教師の方々と、なによりジェラルディン嬢ご自身の努力のたまものです。周囲がどれほどせっつこうと、本人がやる気にならなければ、結果は出ません。今回の結果がすばらしかったのは、それだけジェラルディン嬢が努力した証です」


 優しい返事にルディは胸がじん、と熱くなる。

 けれど長い目で見た場合、この時の成功がルディにとって幸いだったかは、評価のわかれるところだった。

 この大舞踏会でルディに対する国王や貴族たちの評価はくつがえり、結果として、ルドルフ王太子の婚約者として認められる一因となったのだから。

 この数週間後。

 ブラント皇子がフェザーストン公爵令嬢に求婚、早々とヴラスタリ皇国に連れ帰ってしまったため、一気にルドルフ王太子とルディの婚約が決定する。

 同時に両国間の交換留学も終了して、ユージーンもヴラスタリへ帰国せざるをえなくなった。


「お別れです、ジェラルディン嬢。最後にこちらを。幸運のお守りです」


 別れの挨拶に来た時、彼がそう言って差し出したのは小さな黒い石だった。

 つやつやと輝くそれは黒玉(ジェット)黒瑪瑙(オニキス)と思われたが、王太子妃の持ち物としては地味な品だ。

 けれどジェラルディンには、どんな宝石より優しくて大切な一粒に思えた。


「どうか、ルドルフ殿下と末永くお幸せに。ヴラスタリの空の下から、あなたの幸せを祈っています」


 そう言い残して、ユージーンはロディア王宮を去って行った。

 ルディの教育係はふたたびマレット男爵夫人に戻る。

 ユージーンは自分の作成したルディのための勉強計画を夫人に渡し、休息や睡眠、食事をきちんととることの大切を、口を酸っぱくして伝えていた。

 けれどユージーンが王宮を去った途端、離宮は元どおりとなる。


「大舞踏会は、まあ最低限の成功だったといえるでしょう。ですが王太子妃の役目は、あれで終わりではありません。今後ますます大きな責任を負うことになります。気を抜いている暇はありませんよ。できるとわかった以上、これからはより完璧な妃を目指して、いっそう努力していただきますからね」


 マレット男爵夫人はそうルディに宣言し、教師も侍女たちもあっという間に夫人の言いなりに戻り、離宮にはふたたび男爵夫人の罵声や金切り声が響くようになる。

 ユージーンが厳選したはずの科目は翌日からどんどん増えていき、体罰も復活して、気づけば増えていたはずの体重もふたたび落ちはじめていた。

 ルディはまたもや疲労と空腹に苦しめられながらも、ユージーンからもらった黒い石のお守りは常にドレスの胸元にしまって、マレット男爵夫人に見つからないよう隠しつづけたのだ。

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