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黄泉帰りの妃  作者: オレンジ方解石


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「フェザーストン公爵と、その侍従五名。王妃殿下付き女官二名に、侍女が二人。大臣からの使者八名に、国王陛下直属の使者――――みんな、用件は『お見舞い』だけれど…………」


 さらに王太子殿下の侍従三名に、ルドルフ王太子本人。

 ざっと二十三名の名前と地位が記されている。

 王太子妃の応接室に入ることを許されず、扉の前で贈り物を侍女に預けて帰った者も含めれば、倍以上の人数に増えるだろう。

 ジェラルディンはページをめくった。

 例の黒バラがなくなった日に、王太子妃の私室に通された人間たちの記録だ。

 念のため、来訪者の応対を担当する女官にも確認したが、名簿と齟齬はない。

 ジェラルディンは、読み書きを学んでいてよかった、とつくづく実感した。


(来客は全員、応接室で応対したし、こちらの許可なく私室に入るのは無作法かつ、防犯面からも許されない行為ではあるけれど…………)


 来客中は、侍女たちやマレット男爵夫人の意識もそちらに向かう。その気になれば、周囲の目を盗んで私室に侵入し、あのバラを持ち出すくらいは不可能ではないだろう。


(応接室から侍女たちの控え室を通って私室に入り、バラを盗んで隠して、また応接室に戻ってきて…………バラの場所はすぐわかるし、数分もあれば可能なはず。男性なら上着の中、女性ならスカートの中にでも隠してしまえば、傍目にはわからないでしょうし…………)


 とはいえ、二十三人は多すぎる。


(もう少し、特定のための証拠か情報がほしい…………)


 名簿とにらめっこしていると、侍女が知らせてきた。


「王太子妃殿下。お客様がお見えです」


 ジェラルディンは名簿を置き、応接室にむかった。

 心が浮き立つ。

 扉が開かれると、花器に活けられた大量の花に囲まれて、懐かしい笑顔がこちらを見た。


「ルーク先生」


「お久しぶりです、ジェラルディン嬢。いえ、レイラ妃殿下ですね。体調はいかがですか?」


「お久しぶりです、先生。体は特に問題ありません。ジェラルディンでけっこうですわ」


 言いながら、ジェラルディンは先生に椅子を勧める。

 二人が着席すると召使いがティーワゴンを押して来て、侍女がジェラルディンと客人に茶葉を確認し、それぞれの希望に応じた茶葉と湯をポットに注いで、しばらく待つ。

 紅茶を注いでお茶菓子の皿をテーブルに置くと、侍女と召使いは一礼して壁際にさがった。

 彼女ら以外にも、マレット男爵夫人と数人の侍女たちが部屋の隅に立ち、王太子の伴侶たる王太子妃が夫以外の男性と二人きりにならぬよう、目を光らせている。

 彼女らは監視役であり、いざという時には「二人きりではありませんでした」と証言する証人でもあるのだ。

 ジェラルディンとしては正直、ルーク先生と二人で話したい。

 ルドルフとの離婚を決意した以上、いまさら他の男性と噂が立とうと気にしないし、むしろ離婚しやすくなるのでは? とすら思う。

 ただ、先生を悪い噂に巻き込みたくはないし、これで噂になった場合、よりひどい目に遭うのは身分の低いほうだと、王宮で暮らした今では理解しているので、見張りを許している。


「お健やかな様子で安堵しました。先日葬儀でお会いした時は、顔色が悪く見えましたので」


 青味を帯びた灰色の髪に、澄んだ優しい水色の瞳。

 中性的な顔立ちにほほ笑みを浮かべて、先生――――ヴラスタリ皇国ルーク伯爵令息ユージーン・ルーク卿は穏やかに語る。

 懐かしいその笑顔に、ジェラルディンの胸もじん、と熱くなった。





 ユージーン・ルークはルディの恩人だった。

 皇国の有名大学で学ぶ皇国人だが、ヴラスタリ第二皇子のロディア遊学にともない、ヴラスタリ皇国とロディア王国間では交換留学が行われ、その留学生の一人としてロディアを訪れた。

 そこでルドルフ王太子と面識を得て、やがてルディにも紹介された。

 そして当時のルディの王太子妃教育が進んでいないことをルドルフから聞くと、


「ためしに、私に預けていただけませんか?」


 と申し出たのだ。


「私が教えてみます。勉強というのは日々の積み重ねも大事ですが、順番や効率も重要です」


 そう主張したユージーンに、二ヶ月間という期限つきで、ルドルフはルディを教えることを許した。

 当然、マレット男爵夫人は大反対する。


「いくら王太子殿下のご紹介といえど、若い殿方が年頃の娘を教えるなんて!!」


 表向きはそう主張したし、貴族間ではそれなりに説得力のある理由ではあったが、実際は、この頃すでに男爵夫人のルディへの体罰がはじまっており、それが露見することを怖れたのだ。

 ユージーンは真の理由こそ知らなかったものの、


「王太子殿下のご命令です」


 と、ほほ笑んで譲らず、マレット男爵夫人もルドルフの名を出されれば固辞はできず、最終的には受け容れざるをえなかった。

 むろん、体罰の件は明らかにできない。そのため、


「未来の王太子妃を、若い殿方と二人きりにするわけにはまいりません」


 と口実をもうけて、ユージーンがいる間はルディにべったりはりついて離れなかったわけだが、とにもかくにも、ルディの教育係は一時的にマレット男爵夫人からユージーン・ルーク卿へと交代した。

 そしてこれが飛躍的な効果をもたらした。

 ユージーンはまず、ルディの使っていた教本とノートすべてに目を通して、授業の進み具合とルディの理解の程度を把握し、彼女の一日の予定表や、授業の進行予定を教師一人一人から聞いて確認する。

 そして、


「まずは休息をとりましょう。最低でも、今の倍以上の睡眠時間を確保するべきです」


 と提案した。

 マレット男爵夫人は即座に眉をつりあげ、却下する。


「そんな余裕はありません! 今ですら、目標の半分にも達していないのですよ!?」


「ですが、この量を一年で終わらせるのは、大人にも困難です。そもそもロディア王太子妃教育に、この量と内容は本当に必要ですか? たとえば、このワスティタス古語」


「不見識な! 外国の大使とその夫人のもてなしも、王妃の役目! 幅広い言語を習得しておくのは、当然の教養でしょう!!」


「ですがワスティタス古語は、約二百年前にコロモス帝国の侵攻をうけて滅んだワスティタス公国の公用語で、現在では、当時の首都があったワスティタス地方に住む一万人前後の間にのみ残る、いわば田舎の方言です。当のワスティタス地方の住人すら、ワスティタス古語と帝国語を併用しており、帝国語を習得していれば、すぐに困ることはないでしょう。王太子妃とはいえ、ワスティタス地方から遠く離れたロディア王国に住む方が、いそいで習得すべき言語とは思えません」


「うぐ」とマレット男爵夫人が言葉に詰まる。


「こちらのエリモス式作法も。これはエリミア小国に伝わる作法ですが、正確には、エリミア小国の国教であるクファール教の儀式でのみ用いられる作法で、その儀式もクファール教徒でなければ参加できません。外国人がクファール教に改宗する際は、最低でも十年以上エリミア小国に住み、毎日クファール教の礼拝所に通って、行事のたびに規定の寄付や供物を捧げ、それでも審査で落とされることがあるほど、厳格な宗派です。他国の王太子妃が参加する機会があるとは、とうてい思えません」


「し、しかし」


「それから、こちらのアステリ数学とナウタ数学ですが。女性もある程度は算術を習得しておくべき、という考えには賛同しますが、アステリ数学は天文学者が星と星の距離を測るのに用いる算術、ナウタ数学も船乗りが海上で進路を確認するために用いる高度な算術で、やはり王太子妃が優先して学ぶべき教科とは思えません。必要な時には、専門の学者に任せたほうが正確な数値が出るでしょう」


「ぐぐぐ」と、マレット男爵夫人の顔が真っ赤になり、額に青筋が走る。


「こちらに、習得の必要性や優先度が低いと思われる科目をまとめました」


 ユージーンは一枚の紙をマレット男爵夫人に手渡す。

 紙にはずらりと、十以上の科目が記されている。

 そして一科目ずつ「何故、いそいで習う必要がないのか」を、ていねいに説明していった。

 ユージーン・ルーク卿の博識には、呼び集められていた教師たちもそろって目を丸くし、さすがのマレット男爵夫人も反論の余地が見つけられない。


「…………以上の観点から、これらの科目はいったん授業を中断して、その時間を別の授業、もしくは休息にまわすべきと判断します。ですが誤解しないでいただきたいのは」


 と、ユージーンは言葉を付け足した。


「これらの科目が絶対に不要であるというわけではない、ということです。学問においては、どんな科目にもそれぞれの良さや必要性がある、それが私の信条です。ただ『良きロディア王太子妃になる教育』という観点から判断した今回、これらの科目の優先度は低いと結論付けました。それだけです。逆に、たとえばこれがワスティタス地方に嫁ぐ令嬢の教育であれば、ワスティタス古語は最優先で覚えるべきでしょう。そういうことです」


 そう、ユージーンは教師たちを励ました。

 そうして科目の削減を認めさせたユージーンは、ルディの新たな勉強計画と毎日の予定表を作成する。


「…………こんなに少なくていいんですか!?」


 渡された計画書と予定表を見て、ルディは涙が出そうになった。

 最近では四、五時間が常態化していた一日の睡眠時間が、毎日八時間以上、きちんと確保されている。


「ダンスや楽器の科目も削りました。今はまず、幅広く習得するより、定番のステップや楽器を確実に覚えてください」


 ジェラルディンは何度もうなずく。


「使われている教本もすべて確認しました。何冊かは変更しましょう。基礎が身についていないうちから大学の専門書を用いても、知識として活用することはできません」


 次々指示を出していくユージーンを、ルディは信じられないものと出会った気分で見つめた。暗闇に光を見出した気分だった。

 そして、その直感は間違ってはいなかった。

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地味にプロローグで存在は認識されてた先生ようやく登場か
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