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黄泉帰りの妃  作者: オレンジ方解石


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15

「ルディ、ルディ。すまない、ルディ。私が野の花を手折ったばかりに…………」


 ロディア王族専用の神殿の礼拝所。

 祭壇の前に置かれた棺を前に、ルドルフ王太子がふるえる声で白いバラを手向ける。

 その涙が偽りとは思わないが、


(いまさらだ)


 とも、ユージーンは思う。

 権力の前に平民は無力だ。たとえ純粋な気持ちであろうとなかろうと、下位の女は高貴な男の気持ちにふりまわされなければならない。

 その事実に気づかずにいたなら、この王太子はよほど冷遇され放置されつづけてきたか、幸せに守られてきたかの、どちらかだ。

 死者への献花を許されたユージーンは棺の前に立ち、手に持っていた白バラをそっと、哀れな少女の顔の横に置いた。

 少女は別れた頃よりさらに痩せて、王太子妃などというたいそうな肩書は、まったくそぐわない。

 どうして間に合わなかった、とユージーンが何度目かの悔恨の衝動に襲われた、その時。


『目覚めよ』


「え?」


「ん?」


 貴族や神官たちが顔を見合わせる。

 はるか高みから降り注ぐような声。


『そなたの命は、まだ尽きておらぬ。目覚めよ、ジェラルディン――――』


「誰だ!?」


 あちこちで誰何の声があがり、列席者の大半が天井を見上げて、警備の兵たちも槍をかまえたり剣の柄に手をかけたりするが、天井には有名な画家が手掛けた宗教画が広がるばかりだ。


「今の声は、どこから…………」


 ざわざわと落ち着きない雰囲気がひろがる。

 棺のかたわらのユージーンも思わず天井を見あげていると。


「う…………ん…………」


 かすかなうめき声が聞こえた。

 ユージーンは棺をふりかえる。

 白いバラに埋もれて横たわっていた少女の、青ざめていたまぶたが開いて、日が出るように琥珀色の瞳が露わになった。


「…………先生?」


「ジェラルディン嬢…………!?」


 少女はゆっくり体を起こした。

 普段、多少のことでは動じないユージーンが、さすがに仰天する。


「どうした、ルーク卿…………えっ!?」


「なん…………!?」


 ユージーンの背後から棺をのぞいたルドルフ王太子やその侍従も、驚きの声をあげる。

 どうやら目の前のこの光景は、ユージーンの夢や幻ではないようだ。


「どういうことだ…………!?」


 葬儀をとりしきる大神官や、列席していた国王夫妻や家庭教師の夫人、離れて並んでいた貴族たちも順々に棺の状況を理解していき、どよめきがひろがっていく。


「王太子妃が死の国から戻ってきた! 黄泉帰ったぞ!!」


「奇跡だ!!」


 誰かが叫ぶと、おおっ、と興奮の声が礼拝所の壁をふるわせた。


「先生。わたし…………?」


 淡紅色の髪の少女が戸惑うように、一番近くにいたユージーンに声をかける。

 ユージーンも困った。

 死の国から戻ってきた人間にかける言葉は、学んだ記憶がない。

 とりあえず挨拶から入ることにした。


「ええと。おはようございます、ジェラルディン嬢。それと、お久しぶりです…………でしょうか?」


 顔が勝手に笑みを作るのがわかる。

 もう一言、付け足した。


「…………もう一度、会えてよかった。ジェラルディン嬢」





「大丈夫ですか? ジェラルディン嬢。立てますか?」


 ルーク先生の優しい声と懐かしい顔が目の前にある。

 ジェラルディンは久々に安堵感を覚えた。

 思えば、この広い壮麗なロディア王宮で、真に味方と信じられたのは彼だけだった。


「ルディ、君は本当に…………っ」


「殿下、まだお近づきになられては」


「ジェラルディン嬢、ひとまずこちらを」


 おそるおそる棺に歩み寄るルドルフを、侍従たちが慌てて止める。

 ユージーンが着ていた黒い上着を脱いで、薄い寝間着一枚のジェラルディンへ差し出した。

 ジェラルディンはそれを受けとろうと、手をあげる。


「ひっ!!」


 短く悲鳴をあげて、どすん、と王太子付き侍従のテオドールが尻もちをついた。ジェラルディンを凝視する瞳と表情には恐怖が浮かんでいる。


「おや、そのバラは?」


 ユージーンがジェラルディンの手元を見て言った。

「え?」と、ジェラルディンも自分の手を見下ろす。

 棺の内部を埋め尽くした白いバラの上に、黒いバラが一輪。


「これは…………」


 天鵞絨(ビロード)でできた黒い花弁に、ジェラルディンも記憶が刺激される。

 さらに気づいた。

 右手の中指に銀の――――いや、黒と銀でできた指輪がはまっている。

 黒瑪瑙(オニキス)黒玉(ジェット)か。種のように小さな丸い黒い粒が五つ、花の形に並んだデザインで、ユリの葉のような細長い銀の葉が一枚、添えられている。


(あの時、言っていた『加護』――――?)


 あの不思議な金髪の貴婦人の言葉がよみがえる。


「立てますか?」


 黙り込んだジェラルディンの肩に上着をかけてくれた先生が、ジェラルディンに手を差し出した。

 本来は夫であるルドルフの役目だろうが、ルドルフはこちらを警戒する侍従に囲まれて、ジェラルディンに近づけない。

 ジェラルディンはユージーンの手を借りて立ち上がった。ぱさぱさと、寝間着をおおっていた白いバラが落ちる。


「おお…………」


 奇跡を確認しようと、棺のすぐ手前でひしめきあっていた貴族たちが息を呑む。


「なんと…………真に…………」


 立ち上がったジェラルディンの姿を一瞬、さあっ、と黒い影が包んだ。

 と、思った時には影はすでにジェラルディンから離れて空中にかき消えている。

 影がジェラルディンの全身をなで、すうっ、と晴れていく。

「おおっ!」と、何度目かの驚愕の声があがった。


「ジェラルディン嬢…………」


 先生の声と視線で、ジェラルディンも気がついた。

 肩や腕、胸をおおう長い淡紅色だった自分(ジェラルディン)の髪。

 春の野に咲くひなげし(ポピー)に例えられるそれは、真っ黒に染まっていた。


『ついでに『美』も分けてあげるわ――――』


 ジェラルディンの脳裏に、あの貴婦人の言葉が響く。





 ロディア王太子妃レイラ・フェザーストン公爵令嬢。

 療養中、不慮の()()で湖に落ちて落命した彼女は、神殿での葬儀の最中、神秘の声に導かれて()()(がえ)りを果たす。

 さらなる美を得て死の国より帰還した王太子妃を、人々は『奇跡の妃』と讃えた。

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