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黄泉帰りの妃  作者: オレンジ方解石


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「ここは…………?」


 気づくと花畑が広がっていた。

 赤、白、黄色。バラ、百合、アイリス。風信子(ヒヤシンス)ひなげし(ポピー)、アネモネ。様々な季節の色とりどりの花が雑然と、それでいて奇妙に調和して咲き乱れている。


「ここは楽園(エリュシオン)


 落ち着いた優雅な声に、ルディはそちらをふりむいた。

 花畑の中に白いテーブルが一台置かれて、秋の麦穂を思わす長い金髪の女性が一人、品よく座っている。彼女のむかいには一脚の椅子。


「お掛けなさい」


 女性はルディにむかいの椅子を示した。

 傷一つない真っ白な指先に、気品ただよう仕草。金細工の髪飾りや首飾り(ネックレス)に、金糸で縁取りされた黒い衣装。ひだ(ドレープ)をきかせたデザインはずいぶん古風な印象をうけるが、間違いなく上流の貴婦人だ。

 けれどルディに、この女性の記憶はない。

 ロディア王宮に来て、約半年。肖像画も用いて王侯貴族たちの人間関係を叩き込まれたし、実際に顔を合わせて記憶と照合したりもした。

 だがその記憶の中に、目の前の女性と一致する顔や名前はない。


「お掛けなさい。今時の地上のお茶会の作法を知りたいの」


 女性は「私の指示に従って当然」という口調でルディに告げてきた。

 悲しいかな、王太子妃などと呼ばれてそれなりの教育をうけても、ルディの根は平民。わけがわからぬまま、気づけば指示に従っている。

 空いた椅子に腰かけると、白いテーブルの上にはティーセットが二人分、置かれていた。


「さあ。お茶もお菓子も軽食も、用意は完璧。ちゃんと地上からとりよせた、地上の食べ物ばかりだから、安心していいわ。それで、これからどうすればいいのかしら?」


 貴婦人に問われ、ルディも自信のないまま説明をはじめる。


「わたしも何度も叱られたので、完璧とはいえないのですけれど…………」


 黒いヴェールで顔を隠した黒い衣装の女性がいつの間にかテーブルの脇に立っていて、ポットを持ちあげて、熱々のお茶をカップへ注いだ。

 作法通り、まずは軽食をつまむと、ルディはその味に目をみはった。

 王宮に来て、おいしいものは何度も食べたが、目の前の軽食はそれらを上回る美味で、まさに「頬が落ちそう」だ。

 ルディは何度も説明を忘れかけ、それでもどうにかこうにか、最後のケーキにたどりつく。

 たっぷりのクリームが口の中でとろけて、体内にたまった傷を甘く優しく包んで消していく。

 痺れるような癒しに、ルディはいつの間にか涙がこぼれかけていた。

 心地よい風。花の香りがルディを抱擁し、時間が不思議なほど穏やかに流れて、時間という概念そのものを忘れかける。

 傷つけられた記憶は遠く、別の世界に存在して、今ここにいるルディには届かなかった。

 ぼんやり風景をながめていると、黒衣の貴婦人がティーカップから口を離す。


「一通り覚えたわ。これで次のお茶会で、あの口うるさい王妃にあれこれ言われることもないでしょう」


「王妃さま、ですか?」


「そう。とても気位高い、天上の王妃。浮気も愛人も絶対に許さない、正当な結婚の守り手」


『愛人』の一言に自然、ルディは『寵姫』という単語を思い出す。


「でも…………時には正式な妃より、愛人のほうが幸せな時もありませんか? 少なくともわたしは…………愛人だったら、ここまで苦労することはなかった…………」


「愛して結ばれたのではないの?」


 貴婦人の問いに、ルディは途方に暮れる。

 愛なんて、そもそも存在したのだろうか。


「…………確かめる余裕なんて、なかったです…………」


「そう」


 ルディの返答に、貴婦人も独り言のように語る。


「…………私も似たようなものよ。愛を知る前にこの地にさらわれて妻となり、愛しているのかそうでないのか、明確にできないまま千年がすぎたわ」


「千年?」


 聞き間違えたかと思ったルディに、「ふふ」と、貴婦人はティーカップに口をつける。


「これでも大勢の求婚者がいたのよ。一族の間では『ひときわ美しい』と評判だったわ。色々な贈り物をいただいて…………とんだ贈り物もあったわ。槍よ」


「やり?」


「そう。武器の槍。戦いを司る方だったから、しかたない部分はあるけれど。若い娘相手に、槍はないでしょう。母上も呆れて、私も大笑い。誤解しないでね、その方とは今でもいいお友達よ? ただ、あまりに意表を突かれただけ」


「はあ…………たしかに驚くと思います」


 自分だって、そんな物を贈られたら面食らうだろう。使い方すらわからない。

 だが貴婦人は笑みを引っ込めた。


「でも、時々思うの」


「え?」


「もし、あの時、あの槍を受けとっていたら。あの時、笑うのではなく、使うことを選んでいれば。私はたやすくさらわれたりなどせず、今とは違う場所で、もう少し違う生き方をしていたのかもしれない――――」


 美しいまなざしが遠くをさまよい、ルディの顔に戻ってくる。


「そういえば、あなたも堅き槍(ジェラルディン)ね」


ジェラルディン(堅き槍)…………」


 己が名を呼ばれて、ルディは思い出した。


「あの、ここはどこですか? わたし、どうしてここに。わたしはたしか、崖から――――」


 口に出すと、ここに来る直前の記憶がよみがえりはじめる。

 貴婦人は「ふふ」と笑った。


「思い出さなければ、ずっとここにいても良かったのに。――――あなたは精霊の守護により、ここに流れ着いたのよ」


「精霊の守護?」


「そう。地下の精霊(ニンフ)。私に仕える地下の精霊の一人が、魔術を習っていてね。その魔術で作った守護石が、めぐりめぐって、湖に落ちたあなたをここまで導いたのよ」


 貴婦人は白い手をひらいて、ルディに見せた。

 黒い小さな石が乗っている。

 湖に飛び降りる前、ルディがドレスの胸元からとり出してにぎりしめた石だ。


「その石は…………先生が『お守り』だと…………魔術で作った守護石、って…………ここまで導いたとは、どういう意味ですか? ここは…………もしかして――――」


「王妃様」


 給仕をしていた黒衣のヴェールの女性が、金髪の貴婦人に一輪の黒いバラを差し出す。

 女性はそのバラを受けとると、くるりと一回転させてルディへ差し出した。

 ルディが思わず受けとると、それは生花ではなく、黒いビロードで作られた造花だった。

 貴婦人が説明する。


「黒魔術は黄泉の領域。だから魔術を行った者は、その結果が成功であれ失敗であれ、終わったあとは、魔術の守り手たる黄泉の女神に黒いなにかを捧げて、感謝を示すのが習わし。そうしないと無礼を咎められるわ。かつて、黄金のリンゴを与えられて望む花嫁を手に入れながら、感謝の祈りと供物を忘れたために、獅子に変えられた夫婦のように」


「え」


「供物はなんでもいいわ、黒ければ。神殿に捧げれば、ここに届くの。ヤギや猫を捧げる者もいるけれど、これは気の利いた一輪ね」


 労働を知らぬ貴婦人の白い指が、ルディの手の中の黒バラの花弁をなでる。


「とはいえ、今回の件は魔術とは無関係。神の道具だから、人間の魔術とは根本から別物。だから、このような供物は無用なのだけれど…………用いた者は違いがわからず、供物を寄こしたようね。問題は、その道具が、持ち主の意志で人間に下賜されたものではないという点」


「ええと…………」


 ルディは話が見えない。

 貴婦人が真正面からルディの瞳を見すえた。


「黄金の矢が二本。鉛の矢が二本。外界の侵入者が天上から盗んで、地上の人間に与えたわ。我々は地上に降りることも出ることもできない。ロアーの町のジェラルディン。あなたは我々に代わって盗まれた四本の矢を探し出し、持ち主に戻しなさい」


 ルディは貴婦人の瞳から目がそらせない。

 吸い込まれるような、巨大な力の中に呑み込まれるかのような、不可思議の双眸――――


「ただの娘には重荷でしょうから、あなたには私から加護を与えるわ。古の時代より、予言をうけた英雄の旅立ちには、神の祝福がつきものだものね。ほら」


 貴婦人がルディの手を指さすと、ルディは右手にひんやりした感触を覚えた。

 見下ろすと、右手の中指に銀色の指輪が輝いている。


「え、いつの間に…………」


「それから、こちらも」


 女性の白い指がルディの右手を四度、指さす。

 すると黒い手袋が四回、空中に現れてルディの右手を包み、見えなくなった。


「四本の矢に、四枚の手袋。それをはめていれば、刺さった矢を抜けるわ。さあ、()()()()()、我が(ジェラルディン)よ――――」


「え、あの…………っ」


 突風が吹きつけ、花が渦となってルディに襲いかかる。


「ついでに『美』もほんの少し、わけてあげるわ。かつて、美の女神すら求めた、黄泉の王妃の『美』を――――」


 ルディの意識が急速に遠ざかった。



 さあお行き、ジェラルディン

 堅き槍の名を持つ娘よ

 その胸に秘めるは絶望か鋼の刃か

 今一度、汝の運命に向き合い、証明して見せるがいい

 そなたの選択は、この黄泉の王妃が見届けようぞ――――





******





 まぶたの向こうに明るさを感じる。

 まばたきすると霞んだ視界が明瞭になり、目の前にある顔が判別できた。


「――――ジェラルディン嬢?」


 青味を帯びた灰色の髪に、白皙の整った中性的な顔立ち。

 澄んだ優しい水色の瞳が、驚いたようにこちらを見つめている。


「…………先生?」


 ジェラルディンはもう一度まばたきすると、自分が横たわっていることに気づいて、体を起こした。


「ジェラルディン嬢…………!」


「どうした、ルーク卿…………えっ!?」


 先生が驚きの声をあげ、彼の背後からこちらをのぞき込んだルドルフが目をみはる。


「なん…………!?」


「どういうことだ!?」


 どよめきがあがる。

 ジェラルディンが不思議そうに見渡すと、周囲にいたのは黒の装いで統一した貴族たちだった。よく見れば、少し離れた位置に葬儀用の黒いヴェールをかぶって、マレット男爵夫人も立っている。さらに離れた位置に国王夫妻もおり、神官たちも一様に黒衣をまとっていた。

 ジェラルディンは花に埋もれていた。

 白い上等の寝間着を着せられて細長い大きな箱の中に横たえられ、白い花を手向けられていたところだったのである。

 棺だった。


「ル、ルディ…………? 死んだはずでは…………?」


「よ、よみがえった…………!」


 ルドルフの呆然とした声に、貴族の誰かの声が重なる。


「王太子妃が死の国から戻ってきた! ()()(がえ)ったぞ! 奇跡だ!!」


 どっ、と衝撃がその場にひろがって空気をふるわす。

 寝起きでぼんやりしていたジェラルディンも、急速に頭が回転をはじめて状況を理解した。

 ここは王宮の敷地内にある、王族専用の神殿の礼拝所。


 どうやら自分は、死んで生き返ったらしかった。

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