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「わたしの母と人生を返して!!」
叫びながら妃がぶつかってきて、にぎっていた刃が王太子の服を裂いてその下の皮膚を切り、かたい肉に届く。赤い滴が床に飛び散る。
「うぐ…………っ」
王太子は呻きながら腹を押さえて膝をついた。
「なんと…………妃殿下がご乱心だ!! であえ、であえ!! 侍医を呼べ!!」
ひかえていた侍従が慌てて王太子に駆け寄り、警備の兵を呼ぶ。
血に濡れたナイフをにぎりしめていた王太子妃は、高価なドレスに返り血が散っているのにもかまわず、凶器をその場に投げ捨てた。刃は甲高い金属音を響かせて、石の床に転がる。
入り口に兵士が駆けつけ、広間の惨状に絶句した。
「妃殿下を捕らえよ! 侍医を呼べ!!」
侍従が王太子の傷口を押さえながら、兵たちに命令する。
王太子妃はドレスの裾をひるがえすと、反対側にある王族専用の通路へ飛び出した。
「妃殿下! お待ちを!!」
あまり広くない廊下を駆け抜けると、窓の大きな居間のような一室に突き当たる。
「レイラ妃殿下! 抵抗はおやめください!!」
さほど広くない部屋に、武器を持った屈強な兵士がなだれ込んできた。ざっと五人。
出入り口は、彼らが飛び込んできた扉のみ。
「レイラ妃殿下、どうかおとなしく…………」
投降を呼びかける兵の言葉を無視して、レイラと呼ばれた少女は大きな窓を開ける。
窓の外にはバルコニーがあり、バルコニーの下は夕陽に輝く湖面だった。
落ち着いた足どりでバルコニーに出る。
「王太子妃殿下!? なにを…………!」
兵士が制する間もなかった。
うら若い妃は男たちの視線にかまわず、湖から吹く風に裾をあおられながら、歩きにくい小さな靴を脱いで、裸足をバルコニーの手すりに乗せる。
そのまま手すりの上に立つと、淡紅色の髪をなびかせた。
ドレスの胸元から黒い小さな石をとり出し、数秒間それをにぎりしめる。
「先生――――ごめんなさい」
ぽつりと呟くと、ふたたびその石を胸元にしまい、夕暮れの空にすべてをゆだねるように腕をひろげて胸をはった。
「母さん――――あたしもいくわ――――」
一滴の涙と共にこぼれた言葉。
「レイラ妃殿下!!」
兵たちの前で少女は手すりを蹴り、その身を虚空へ投げた。
細い体が吸い込まれるように湖面に落ちて、水飛沫があがる。
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ジェラルディン――――
『堅き槍』の名を持つ娘よ
その胸に秘めるは絶望か鋼の刃か
今一度、汝の運命に向き合い、証明して見せるがいい
そなたの選択は、この黄泉の王妃が見届けようぞ――――




