転生農民、戦場に散る
戦国時代に転生するも、コミュニケーション不足から知識を活かせない、空回りする名もなき敗者の物語です。
バッドエンドとなっています。
「一郎! 貴様、何をしているッ!」
地を割るような父親の怒声が飛んだ。鬼の形相で納屋に飛び込んできた父親の手には、土のついた鍬が握られている。
「父ちゃん、これは籾を塩水につけて、強い籾と弱い籾を…」
俺が「塩水選」の有用性を説こうとした瞬間、父親の分厚い拳が、俺の顔面を捉えた。
視界が火花を散らし、鼻の奥で鈍い音が響く。
「誰に断って、その貴重な『塩』を水にぶちまけた! この大馬鹿者が!」
父親は、水桶に溶けていく僅かな白いつぶてを、絶望的な目で見ている。
「多少、言葉を早く覚えたからと神童だ何だと持て囃したのが、そもそもの間違いだったわ!」
蔑むような視線が俺を射抜く。この時代の農民にとって、塩は血と同じ価値があるのだ。
俺は鼻血を拭いもせず、必死に訴えた。
「違う! これは、より良い『実り』のために必要な投資なんだ!」
「投資だと? ならば草をむしれ! 土を耕せ! 畔の石を取り除け! 泥水でも汲んでこい! 貴様にやれることは、いくらでもあるはずだ!」
(何故だ! 何故、この転生者である俺の言うことを理解しない!)
「どうなさいました? 外まで大きな声が響いておりましたぞ」
騒ぎを聞きつけたのか、村の庄屋が顔をのぞかせた。
「こ、これは庄屋さん。愚息が貴重な塩で悪戯をしておりまして、つい…」
父親が恐縮して頭を下げる。チャンスだ。
俺は庄屋に詰め寄った。
「庄屋様! 俺には未来の知恵がある! 俺の言う通り、籾を選別し、田植えは一定間隔で行い、あの『後家殺し』を使えば、収穫は倍以上になりますぞ!」
「後家殺し」という不吉な単語を聞いた瞬間、庄屋と父親の顔がこわばった。
(※風で籾を選別する「唐箕」のことだが、その呼び名は最悪だった)
「……一郎。お前、何か悪いものでも食ったか」
庄屋が、気味の悪いものを見る目で俺を値踏みする。
「父御殿。あの子の奇行は、狐か何かが憑いたのかもしれんな。村に災いをもたらさぬよう、よく見張っておくことだ」
「は、ははっ! 申し訳ございません!」
二人は、もはや俺の言葉を一切聞こうとしなくなった。
(愚民どもめ! 俺は百姓仕事で終わる器ではない!)
その日を境に、俺は労働の一切を放棄した。泥にまみれる村の共同作業にも参加せず、親のすねをかじるだけの存在に成り果てた。
村人たちも、口先ばかりで働かない俺を「厄介者」として扱い、あからさまな「村八分」状態が始まった。両親も、もはや諦めの目をしている。
何故だ。小説なら、農業改革なんてチート知識の初歩なのに。あいつらのせいで、俺の計画が台無しだ。
もういい。百姓仕事など、まともな人間のすることではない。
戦で手柄を立てる。そのためには、やはり「武器」だ。
武器といえば、「三間半の長槍」と「硝石作り」に決まっている。
俺はまず、裏山の樫の木を切り出し、家の納屋にあった古槍の穂先を盗み出し、日中は槍作りに専念した。
夜になると、家をこっそり抜け出し、村の共同便所(溜池)へ向かう。村の大切な共有財産である『下肥』を、桶で何往復もして盗み出した。
家の裏手に掘った穴に、盗んだ人糞尿を叩き込み、大量の藁で覆う。これを来る日も来る日も繰り返した。
当然、腐敗臭とアンモニアの入り混じった悪臭が日増しに強くなり、風向きによっては村の中心部まで漂うようになった。
畑に撒く肥料の臭いとは明らかに違う、異様な方法で積み上げられた「汚物の山」。
それをついに発見した村人たちは、絶句し、恐怖に顔を歪めた。
「な、なんだこれは! 穢れを恐れぬ所業だ!」
「この強烈な臭い…吐き気がする!」
「あいつだ! 一郎の奴が、夜な夜な何か運んでいた!」
「井戸水が汚染されたらどうするんだ!」
「こんな呪いみたいなことをすれば、作物が病気になるぞ!」
激怒した庄屋が、村人たちを引き連れて俺の家に怒鳴り込んできた。
「貴様ァ! 村の宝である肥料を盗み、あまつさえ、あのような呪詛めいた汚物をこしらえるとは! 万死に値するぞ!」
俺は、薄笑いを浮かべて言い返した。
「うるさい! これは『硝石』と言って、天下を取るために必要な『火薬』の材料だ! 貴様ら愚民には分からんだろうがな!」
その一言が、最後の一線を越えさせた。
俺の行動は、村人たちにとって「共有財産を盗み、禁忌を犯し、異臭をまき散らし、理解不能な『戦ごっこ』にふける狂人」のそれとしか映らなかった。
「あいつは、もはや人ではない」
「そうだ、叩き出せ!」
俺は村人たちに取り押さえられ、納屋に押し込められた。
「その、化け物じみた槍も納屋に入れておけ。外に出すな」
その日から、日に一度、重湯のような粥が差し入れられるだけの、薄暗い幽閉の日々が始まった。
幾日か経過した、ある日のことだった。
村が異様な緊張感に包まれている。納屋の外から、男たちの怒声と、女たちのすすり泣く声が聞こえた。
やがて、納屋の戸が乱暴に開け放たれた。
「殿様からの『陣触れ』だ」
庄屋の疲弊しきった声が響く。各村から男を一人、武具持参で差し出せという、事実上の「人身御供」の命令が下ったのだ。
働き手を一人失えば、この貧しい村では複数の家族が冬を越せないかもしれない。
重い沈黙の中、村人たちの視線が、一斉に俺に集まった。
彼らは、俺を人身御供とし、厄介払いすることで合意したのだ。
納屋から引きずり出され、久々に浴びる陽光に目がくらむ。
幽鬼のような姿になった俺は、しかし、ついに自分の「本当の舞台」が来たと目を輝かせた。
「俺が行く! 俺が手柄を立てて、貴様らを見返してやる!」
村人たちは、その言葉に一瞬、呆気に取られた。
最初に動いたのは、父だった。
彼は、馬に乗った取り纏めの侍の前に這い出るように進み、額を泥にこすりつけた。
「お侍様! お願いでございます! 息子の…この、愚息めを、どうか、どうかお使いくださいませ!」
声は震えているが、その目には息子への情愛など微塵もない。「厄介者」をやっと引き取ってもらえるという、かすかな安堵と諦めが浮かんでいた。
父親の異様な様に、侍が怪訝そうに眉をひそめる。
すかさず、庄屋もその隣で土下座した。
「お侍様! 恐れ入ります! あの者は…その、少々、夢見がちでございまして。口ばかりは達者なのですが、まともに働かず…」
「そうだ! あいつは『ごけごろし』とかいう不吉なもん作るとか言い出して!」
「大事な塩を水にぶちまけて遊びやがった!」
「肥やしを盗んで、呪いをかけようとした!」
堰を切ったように、村人たちから俺への日頃の不満が噴き出す。
俺は、その光景を腕組みして眺めた。
(フン、愚民どもめ。俺の才能に嫉妬しおって。俺が手柄を立てて戻ってきた時、どんな顔をするか見ものだ)
侍は、すべてを察した。
(なるほど。村の「厄介者」か。どこの村にも一人はいるものだ。だが、この目つき…使い道はある)
庄屋は顔を上げ、涙ながらに決定的な言葉を言い放った。
「お侍様! 恐れながら申し上げます! あやつは、もはやこの村の者とは一切関わりございません! もし、あやつが戦場でいかなる失態を演じようとも、どうか、どうか村とは無関係のものとして、ご容赦を! この通りでございます!」
村人全員が、侍に向かって一斉に土下座した。
侍は、冷たい目で俺を値踏みする。幽閉されて痩せてはいるが、目つきだけは常軌を逸してギラついている。「囮」にはちょうどいい。
「面を上げい!」
侍はわざとらしく大きな声を張り上げた。
「貴様らの必死の願い、確かに聞き届けた! 村一番の勇士を差し出すという、その心意気、見事である!」
侍は馬から降り、俺の前に立った。
「貴様が、村一番の向こう見ずか! よかろう!」
「貴様に『一番槍』の誉れを与えよう! 見事、敵の大将首を挙げれば、この俺が直々にお館様へ推挙し、侍大将にしてつかわす!」
「ははーっ!」
俺は、人生で初めて他者から公に認められた喜びに、震えた。
侍は、口の端を歪めて笑った。
(せいぜい、敵の矢と鉄砲玉を吸う「的」として、派手に死んでくれよ)
村人たちは、土下座したまま、誰一人顔を上げなかった。
俺の「天下取り」への道は、村人たちの安堵のため息と、侍の冷笑の中で、ついに幕を開けた。
「いいか、小僧! 貴様が狼煙だ!」
戦場に着くと、取り纏めの侍は、俺の背中を強く叩いた。
「あの丘の向こうに敵の伏兵がいるはずだ。貴様があの馬鹿槍を振り回し、派手に暴れ、敵を引きずり出せ! 貴様が栄えある『一番槍』だ!」
「おお、任せておけ!」
俺は、これが「囮」や「生贄」であるとは夢にも思っていない。
(一番槍! なんて甘美な響きだ! 小説通り、ここで敵の大将の首でも取れば、一気に侍大将だ!)
俺は、自作の三間半の長槍を引きずるように持ち、丘へと駆け出した。その足取りは、戦場の殺伐とした緊張感とは無縁に、浮ついている。
「者ども、構えよ!」
侍は、俺の姿が丘の陰に消えると、ニヤリと笑い、本隊の足軽たちに槍を構えさせた。
(あの馬鹿が引きずり出した敵を、ここで一網打尽にしてくれるわ)
丘を駆け上がると、視界が開けた。いた。敵兵が十数名、こちらを警戒している。
「我こそは、村一番の勇士、一郎なり! 覚悟!」
俺は槍を掲げ、叫んだ。
(来た! 敵が俺の挑発に釣られた!)
敵陣から一騎、騎馬武者が砂塵を上げて突撃してくるのが見えた。俺は歓喜に震えた。
(よし、小説で読んだ通りだ! 騎馬武者相手には、槍の穂先を馬の顔に向け、突撃の勢いを殺してから、乗り手を突き落とす!)
俺は、自慢の三間半の長槍を構え直そうとした。
だが、その瞬間、現実が牙を剥いた。
(……重いッ!?)
頭で理解していても、樫の木をろくに乾燥もさせずに作った、バランスの悪い「ただの木の棒」は、幽閉明けの貧相な腕力では持ち上がらない。
穂先が地面についたまま、必死にもがいている間に、騎馬武者の地響きはすでに目の前に迫っていた。
「あ……」
彼我の距離がゼロになる。
騎馬武者は、俺を道端の虫ケラでも見るような冷たい目で一瞥すると、何のためらいもなく、その腰の剛刀を抜き放ち、横薙ぎに振り抜いた。
ザシュッ。
俺は、自分が何をされたのか理解できなかった。
視界がぐるりと横に回転し、さっきまで自分が立っていたはずの下半身が、血を噴き出しながら崩れていくのが見えた。
(あれ……なんで……こんなはずじゃ……)
(塩水選も、後家殺しも、硝石も、全部、正しかったはずだ……)
地面に叩きつけられた生首の目が、最後に映したのは、丘の向こうから「待ってました」とばかりに鬨の声を上げ、突撃してくる侍と足軽たちの姿だった。
(ああ、そうか……俺は……)
そこで、転生者・一郎の二度目の人生は、誰の記憶にも残ることなく、無慈悲に終了した。
貴重なお時間をありがとうございました。
自分が転生したら、聞き齧りのチート知識に振り回されて失敗する、そんな思いつきから書いてみました。




