崩れる檻 ―記憶の叫び―
第34話では、京司の屋敷で“月下香”に導かれたサラが、
断片的な記憶を取り戻しました。
けれど、その記憶はまだ全てを語ってはくれません。
今回――幼い頃に出会った“少年”の姿が、
サラの心に鮮やかに蘇ります。
蓮の優しさと、その左手に刻まれた傷跡。
それはサラの過去と、今を繋ぐ大切な鍵でした。
眠りの中で――私は夢を見ていた。
お姉ちゃんの声。
優しくて、あたたかくて。
「……サラ……」
けれどその声に重なるように、
冷たい少年の視線が私をじっと見つめる。
(この瞳……どこかで……)
胸の奥が冷たく締めつけられた瞬間――
「……サラ」
現実の声で目を覚ました。
京司さんが私のそばに座り、
心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫だよ。もう、君は一人じゃない」
そっと手を握られた瞬間、
張りつめていた心が少し緩む。
でも、どうして……。
「どうして……こんなに私を気にかけてくれるんですか?」
自分でも驚くほど、
弱い声が口からこぼれていた。
京司さんは小さく息をつき、
静かに私の髪を撫でる。
「サラ……今は何も考えずに休むんだ」
その声は深く、優しさで満ちていた。
――真実を知ったら、私は壊れてしまう。
そんな予感を、京司さんが抱えていることを
私はまだ知らない。
部屋の隅。
蓮さんが、ずっと心配そうにこちらを見ていた。
「……蓮さん。どうしてそこまで……?」
前にも抱いた疑問が、
また口から漏れてしまう。
蓮さんの瞳が一瞬だけ揺れる。
そして、彼の心に幼い日の記憶が蘇っていた。
――孤独な少年だった自分。
愛なんて知らずに育った孤児の自分。
施設の近くにある温室のある家。
その庭の片隅で泣いていたとき、
小さな女の子が駆け寄ってきた。
「もう……泣かなくていいよ」
少女はビー玉を差し出した。
太陽に透かして「すごくキレイ」と笑ったその子――。
それがサラ、あなただった。
その瞬間、初めて心に灯ったぬくもり。
今も蓮のポケットには、
あの日もらったビー玉が大事にしまわれている。
(サラさん……あの時から、俺はずっと……)
蓮は声に出さない。
けれど、その眼差しが全てを語っていた。
一方その頃――。
暗い部屋に一人座る玲司。
スマホの画面を睨みつけ、
低い声で呟く。
「サラ……お前は俺のものだ」
胸の奥で、壊してしまった“過去”の断片が
狂気のように蘇る。
奪われたもの。
二度と戻らないもの。
――それでも、彼は執着をやめなかった。
京司の家。
私はベッドに横たわりながら、
ゆっくりとまぶたを閉じた。
甘い“月下香”の香りが漂う。
その香りに包まれると、
胸の奥に眠っていた記憶が少しずつ蘇っていく。
――幼い頃の私。
お姉様と一緒にビー玉で遊んでいた。
「ねぇ、お姉様。見て!すごくキレイ」
光にかざしたビー玉は、
太陽を閉じ込めたみたいにキラキラ輝いた。
私たちは顔を見合わせて笑った。
そのときだった。
庭の木陰に――
一人の少年が立っていた。
泣いているように見えた。
肩を震わせて、視線を落としたまま。
「ねぇ……何してるの?」
思わず声をかけた。
けれど、少年は答えなかった。
私は近づき、彼の手を見て――
息をのんだ。
左手に、折檻のような傷跡が残っていたのだ。
「……痛い? 大丈夫?」
胸の奥がきゅっと苦しくなった。
小さな私の手から、ビー玉をひとつ取り出す。
「これ、あげるから……もう泣かないで」
差し出されたビー玉を、
少年は驚いたように見つめ――
やがて、そっとその左手で握りしめた。
そのとき、彼の瞳に
小さな光が宿った気がした。
――そこで記憶は途切れる。
私は、はっとして目を開けた。
隣に立っていた蓮さんの左手に、
視線が吸い寄せられる。
(……あの時の少年……?)
確かに、あの時と同じ場所に――傷跡。
心臓が早鐘を打ち、
唇が震えながら小さく声を漏らした。
「ねぇ……蓮さん。……私を覚えている?」
蓮さんの瞳が、大きく揺れた。
そして、驚いたように見開かれ――
ゆっくりと首が縦に振られた。
その瞬間。
胸の奥に、幼い日のぬくもりが重なった。
蓮さんがずっと優しく、ずっと守ってくれた理由。
――あの日のビー玉と、あの傷跡が、
全てを繋ぎ合わせていた。
その夜。
屋敷の外に、ひときわ強い車のライトが差し込む。
暗闇の中、建物を見上げるひとりの影。
玲司さんだった。
「サラ……そこにいるんだろ」
不気味に笑いながら大声で叫んでいた。
その低い声は夜に溶けていった。
――崩れかけた檻に、再び狂気の影が迫っていた。
第35話では、サラが幼い頃に出会った“少年”の記憶が甦り、
蓮の存在と深く結びついていることが明らかになりました。
サラを守り続ける蓮の想い。
それは単なる任務ではなく、ずっと昔に芽生えた絆だったのです。
一方その頃、玲司もまたサラへの執着を募らせ、
ついに屋敷の影へと近づきつつあります。
物語はさらに加速し、運命の歯車が大きく動き始めます。
完結まで、残り5話。最後までどうぞお付き合いください。




