07話:ユイナ
「こーももーさまー」
まだ日が昇らない暗い時間、私は自分を呼ぶ声に目を覚ました。
夢でも見てた?
それにしては随分ハッキリと耳に残る声だった。
しばらくぼーっとしていると再び呼び声が聞こえた。
「うそっ、誰か来てるの?」
急いで起き上がり、まだ薄暗い部屋を歩いて戸を開けると、いつも遊んでいる子供が立っていた。
「おはようございます、こももさま。
早く会いたくて歩いて来ました」
満面の笑顔で話す子供。
私も釣られて笑顔になる。
「おはよう、随分早起きしたんだね。……あれ?他の子は…?」
「えへへ、1人だよ。このくらい1人でも歩け――」「だめっ!!」
思わず大きな声が出て、自分自身も驚く。
「……だめ。小さい子が、こんなところまで1人で歩いちゃ、だめ……」
子供はぽかんとした顔をしている。
「なんで? 村じゃ1人で歩いてるよ?」
「わかんない……でも、だめ。ね、お願い……」
子供の手を握り目を合わせて懇願すると、子供は頷いてくれた。
「…うん…ごめんなさい…」
「…うぅん、私も大きな声出しちゃってごめんなさい…。いま支度するから一緒に村に行こうね」
子供を椅子に座らせ、手早く支度を済ませる。
もし子供がいないことに両親が気づいたら大騒ぎするはず。
私は子供の手を引いて村へと急いだ。
〜〜〜
まだ村に入る前だというのに、大声が聞こえる。
間に合わなかったと思っていると村人がこちらに走ってきた。
「小桃様!いま呼びに行こうとしていたんです。
積んであった石垣が崩れて1人下敷きに…」
「わかりました!あ、あなたは広場に行って。
今日はお姉ちゃん遊べないって、他の子供たちに伝えてもらえる?」
子供は返事すると同時に走って行った。
村人に案内をお願いして怪我人の家へ向かう。
…あれ、この家ってたしか……
「あ…小桃様…」
出迎えてくれたのは涙ぐむリオナ。
その腕には先月生まれた子供を抱いていた。
「お母さんが…っ、お母さんが…」
リオナを子供ごと抱きしめて背中をさする。
このまま慰めてあげたいが、静かに身体を離し家の中に入った。
ベッドにはリオナの母親、ユイナが横たわっている。
傍らには真っ赤に染った布が散乱し、顔には血の気が全くない。
ユイナの手を取ると、その手はもう、ほんのり冷たい。
それでも指先が、小さく小さく動いた。
「……小桃様、来てくれたのね……ありがとう……」
「うん。ここにいるよ。ずっとそばにいるからね……大丈夫、怖くないよ」
ユイナは目を閉じたまま、かすかに頷いた。
しばらくの沈黙――
やがて、掠れた声がぽつりとこぼれる。
「……娘がね……子を産んだの……私の手で……抱き上げられたのよ……」
「うん…私も知ってる。あの子、ほんとうに立派に育ってくれたよね……」
「それだけで……もう……十分すぎるほどなの……
私の人生……こんなに幸せだったんだって……思えるの……」
一瞬、ユイナのまぶたが震える。
「……この手で……未来を抱けたのよ、小桃様……
私がいなくなっても……生きてくれる子がいる。
繋いでくれる命がある――それってね……それだけで、
私がここにいた意味が……あったってことなの……」
声が、細く震える。
「ほんとは、もっと見ていたかった……
あの子が母になるのを……孫が大きくなるのを……
でもね……"育て終えた"から……安心もしてるの……」
私は、強く頷いた。
まるで自分自身に刻み込むように。
「……小桃様……貴女だから……
貴女だけが、伝えられることがあるの……
娘に、村の子たちに……伝えてあげて。
それを聞けるだけで……みんながどれだけ救われるか、わかるから……」
視界が涙でにじむ。
泣いちゃいけない。いまは安心させてあげなきゃ。
だけど――だめだった。
心の奥底から、崩れるようにこぼれた想いがあった。
「……ありがとう……ずっと支えてくれて……
本当に……ありがとう……!」
その言葉に、ユイナはかすかに微笑む。
小さな、小さな、命の輝き。
「……でもね……でも……やっぱり、死にたくない……!
……娘を……あの子を……もっと見ていたかった!
小桃様……どうか……私の代わりに……
あの子を、見守ってあげてっ……!」
「お母さんっ……!」
後ろに控えていたリオナが、ユイナに泣きながらしがみつく。
私も涙で顔をくしゃくしゃにしながら、何度も頷いた。
「……あなたがいてくれて……本当に、よかった……」
ユイナは、最後まで笑顔だった。
そして――
村に吹き込む一陣の風が、畑の葉を優しく揺らす。
それと同時に、
母親の手から、そっと、力が抜けた。




