0-1 転校生×歓迎
物語の始まりは、とある男の子がトンネルの先にやってきたこと始まった。
あるいは監獄。あるいは化け物の住処。あるいは──楽園。
地元住民ですら近寄らない、トンネルを抜けた先。
世間からもっとも忌み嫌われたそこに、一人の青年がやってきた。
七月三日。本格的な夏を目前に控えた日のことだった。
「えーっと、あー、鳴瀬稲葉、です。どーぞよろしく……」
白けた空気と冷めた視線。
とても転校生を迎えるとは思えない教室の雰囲気に、転校生当人でもある稲葉も困ったように愛想笑いを浮かべるしかできない。
どこをどう見たって、歓迎されていないことが丸わかりだ。
ちらっと横目で見た担任すら、いつものことだと溜息を吐くばかりで、早々に期待することをやめた。
「それじゃ、席は──新城、あいつの隣だ。新城、あと頼んだぞ」
そう言って担任は、どこか投げやりに一人の青年を指差した。
担任に指差された、少し明るめの髪色をした平凡そうな青年は、人好きのする笑みを浮かべて手招きしている。
「初めまして、鳴瀬君。新城新木です。よろしくお願いしますね」
「おう、よろしく」
新木の隣の空席に座りながら、差し出された手を握り返した。
その手は稲葉の手よりもわずかに大きく、少し冷たかった。
超常的な能力を持って生まれた人々を、世間は畏怖と嫌悪を込めて異能者と呼んだ。
稲葉が転校してきたここは、そんな異能者──通称『EX』達を収容する学園都市、その中枢機関『裏霧学園』である。
「とまあ、どうです? 一日を過ごしてみた感想は」
すでに人もいなくなった教室で、隣に座る新木が頬杖をつきながら問いかけてきた。
机に突っ伏していた顔をのろのろと上げて、ぼんやりと新木を見つつ、今日一日の出来事を振り返ってみる。
「おかしくね?」
その声は疲れきっていた。
あの後、席に着いてからは、まるで転校生などいなかったかのように、当たり前のように授業が始まった。
前の学校で習っていなかったところは新木を頼りながらも、支給された真新しい教科書を開いて真面目に授業を受けていた、はずだ。
「(そりゃあ漫画みたいに休み時間に転校生への質問攻め~とか、ちょこっとは期待したけどさぁ……)」
そも、ここがEXの巣窟ならプライバシーなどあってないようなものかと、途中からその考えは改めた。
裏霧学園に通う生徒の中には心を読むようなEXもいるらしいので。
「なあ、授業中に停電したり、爆発音がしたり、突然自習になるのって、おかしいよな?」
「…………?」
「おかしいんだよ!!!」
何言ってるんだこいつ、と不思議なものを見るかのように首を傾げた新木に、思わず机を殴った。
一つ一つだけなら非日常的ではあるが、ありえなくはないかもしれない。しかし、それが毎時間起きていたらどうだろう。
しかも新木たち生徒は、さもいつものことだと言わんばかりに平然としていれば。
「普通はさ、授業中に停電なんてしないんだよ……っ」
「それは……そうなんですね」
「爆発音がしたりしたらさ、もっと騒ぐもんなんだよ……っ」
「あぁ、あれ中等部の方でしたからね」
そういう問題じゃない! そう叫びそうになった。
稲葉たちのいる高等部と、新木曰く爆発音がしたらしい中等部とは都心の三駅分くらい程度の距離があるらしいが、そもそもそれだけ離れていても音が届いている方が問題ではないだろうか。
「外がどうなのかは知りませんが、ここではこれが日常ですから、慣れてくださいね」
「慣れろって……」
慣れるのだろうか。
思わず遠い目をする。
「さて、それじゃあ僕らも帰りましょうか。寮などの説明は本部から受けていますか?」
「説明? 部屋の場所は聞いたけど」
「なるほど。全く説明を受けていないんですね」
「……やっぱ寮も普通と違う感じ?」
思わず引き攣った笑みを浮かべてしまった。
一方、新木はきょとりと目を瞬かせたが、すぐに取り繕ったような笑みを浮かべる。
「普通がどういうものか僕は知りませんので、鳴瀬君の問いには答えられません。……まあ、ここでの生活は長いので、詳しいことは道すがら説明させていただきましょう」
「──ぁ」
ここで初めて、新木との間にある埋めようのない差異に気が付いた。
稲葉が裏霧学園での普通をまったく知らないように、新木もまた裏霧学園の外での普通をまったく知らないのだ。
それは偏に、をするこの学園都市から出たことがないことを示していた。
「まず寮ですが、裏霧学園には全部で六つあります」
続けられた新木の説明から、その詳細を知る。
学生寮は初等部男子寮と女子寮、中等部男子寮と女子寮、高等部男子寮と女子寮の六つらしいが、すでに高等部生である稲葉が生徒はともかく初等部寮と中等部寮に関わることは、一部例外を除きほぼないらしい。
ちなみに高等部女子寮と関わることはもっとないらしい。
「そして寮の部屋割りですが、これは学年ではなく階級で決められています」
「階級?」
聞きなれない言葉に首を傾げて新木を見る。
「……やっぱり、その説明も受けていませんよねぇ」
視線を受けた新木が呆れたように溜息を吐いたが、その感情の矛先は本部の人間に対してのようだ。
小さな声で「本部仕事しろよ」と新木が毒吐いたのが聞こえたが、聞こえなかったことにした。
「この裏霧学園は全生徒を下からD、C、B、A、Sの五つにランク付けしています。転校してきたばかりの稲葉君は、おそらくC。学生証を見れば書いてあるとは思いますけど……」
「おっ、マジだ」
学生証の階級と書かれた欄にはCと記載されていた。
「これってなんか意味あんの?」
「階級によって変わるものは、ほぼすべてです。寮の部屋や食事といった日常生活に関係するものから────いえ、これ以上は蛇足ですね」
「……てことは、階級が上がれば上がるほどいい暮らしができる感じ?」
言い淀んだ新木を問い詰めることはしなかった。
ここでの暮らしが長い新木が言うのをやめたのだから、今日来たばかりの自分が知るには早すぎるのだろう、そう判断したからだ。
「一応は。まあCランクは基本中等部生の階級ですから、鳴瀬君も必須条件を満たせばすぐBランクに上がると思いますよ」
「え、なに、Cって中坊のランクなの」
思わずまじまじと自分の学生証を見るが、見たところで階級の欄の表示は変わらない。
「それで寮の説明に戻るわけなんですけど、Cランクの部屋は一階、Bランクになれば二階と、階級が上がるごとに階層も上がり部屋も広くなります」
「んじゃDはどこに住んでんの? 地下とか?」
「高等部でDランクは見たことないですけど、その場合は屋根裏ですかね。空き部屋はない筈なので」
「……ちなみに、階級が落ちることは?」
「ありますよ」
「(落ちたくねぇ!)」
すぐにBランクに上がるとは言われたが、屋根裏に住むのは嫌だと早々にランクを上げることを決意する。
「それでは続きは食堂でしましょうか。今ならそれほど混んでないでしょうし」
気が付けば寮の前。
広々とした玄関を、当たり前の顔をして通り過ぎる新木を見ながら足を止める。
他の生徒は早々に自室の戻っているのか、それともどこかに出かけているからか、稲葉たち以外の人影はない。
「……なあ、なんでここまで親切にしてくれんの? 面倒見よすぎねぇ?」
迷うことなく寮まで帰ってこられたのは、新木が一緒に帰ってくれたからだ。
それ以前にも、新入りを寄せ付けない教室の空気の中、新木だけが気にかけてくれた。
それは教師に指名されたからかもしれないが、だからと言って寮に帰ってからも面倒をかけるのは、稲葉からしても申し訳なかった。
「そうですね。打算、でしょうか」
「打算?」
「そう。今後、鳴瀬君にはお世話になると思いますので、今のうちに恩を売っておこうと思いまして」
そう言った新木の顔には、人好きのする笑みではなく、意地の悪そうな笑みが浮かべられていた。
今日一日一緒にいて初めてみたその表情に、つられて似た顔をする。
「ふーん。そんなら、そのお世話する日まで頼らせてもらうわ、新木」
「! ええ、どうぞ頼ってくださいね、稲葉君」
「んじゃ手始めに敬語やめね?」
「これは癖なので無理です」
「絶対ェ嘘じゃん」
数歩先にいた新木に追いついて、真顔で返された嘘に笑う。
「では、食堂で」
事前に部屋の場所については教えられていたので、部屋を教えてもらう必要はないと階段前で一度新木と別れ、早々に食堂で再会する。
そして愕然とする。
「え、階級で変わるって、ここまで?」
稲葉の前にあるのは、鮮やかに彩られたワンプレートランチ。
成長期の男の子でもお腹が減らないよう考えられているのか、がっつりと食べ応えのありそうなメイン料理と山もりの白米、栄養バランスの考えられた副菜たち。
これだけ見れば十分満足な一食なのだが、比較対象が悪かった。
隣に座る新木の前に並べられているのは、一汁三菜には留まらない、どこの料亭のメニューだと言わんばかりの御膳料理だった。
「そりゃあ、CとAじゃ差がありすぎるでしょ」
「うぉ!?」
背後から投げかけられた少し間延びした声に肩が跳ねる。
ガタリと音を立てて新木の正面に座った青年は、そのまま新木の食事を勝手につまみだす。新木の小鉢を片手に自分のだろう箸で淡々と食べている青年を見て、なにかが引っかかった。
「食堂に来るなんて珍しいですね」
「新木がなんか面白そうなことやってたから」
「そうでしたか」
この黒い髪をしたダウナー系の青年をどこかで見たような気がしたのだ。
そしてその答えは真横から与えられた。
「稲葉君はまだ話したことなかったですよね? 彼は水無月琳。僕らと同じ一年です」
「ああ! クラスメイトか!」
合点がいったと稲葉が頷く。道理で見たことがあるわけだ。
「そゆこと。ま、仲良くしなくていいよ」
「またそういうことを言う」
「事実じゃん」
「琳も今後、稲葉君にお世話になることになりそうなんですから」
琳が箸を止めた。
稲葉のことなど眼中にないと見向きをすることもなかった琳の視線が、初めて向けられた。
「(めっちゃ疑ってるぅ。ま、新木が言ってる世話云々は俺もよくわかんねぇんだけど……)」
「ねえ」
「んぁ?」
「異能は?」
「…………雷」
詳細は言わなかった。
琳はもちろん新木の異能すら聞いていないのに、自分の異能だけ知られるのはあまり気分がよくないからだ。
「──なるほど、対問題児ね」
「さすが琳。すぐわかりましたか」
「うん、前言撤回。よろしくね、今年中は」
「は? おい、ちょ、お前の異能は────」
自分だけで納得して席を立った琳に思わず声を上げたが、それは当たり前の如く無視された。
立ち上がり引き留めようとした腕は、目標を失って宙ぶらりんのままふるふると震える。
「なんっだあいつ! お前のメシ勝手に食べてっただけじゃねぇか!」
琳の出ていった先を指差し、新木に吠えた。
「どうどう」
「俺は馬かっ!」
苛立ちを隠すことなく荒っぽく椅子に座り直す。
「琳はコミュニケーションをとるのが下手くそですからね」
「あれはもう、下手くそとかそういうレベルじゃねーだろ」
「そうですか? ここの生徒は誰しもあんな感じで──性格悪いですよ」
「……笑ってそう言うお前も大概だわ。で、あいつはなんのEXなんだよ」
「さすがに僕から言うのは憚られますね」
困ったように笑う新木に、それもそうかと納得する。
「新木の異能は?」
「──内緒です」
「(それ強い奴のセリフじゃん)」
「それより、食べないと冷めますよ」
箸を置いた新木の前にあった皿は、どれもすでにすっからかんだ。
琳が一品食べていたとはいえ早すぎないだろうか。そう思ったが、食堂に来てから話に集中しすぎて、自分の箸がまったく進んでいなかったことに気が付いた。
慌てて白米を掻っ込めば、新木から「喉に詰めないでくださいよ」と含み笑いが飛んでくる。
「(これ食ったら、あとは風呂入って寝るだけだな)」
慣れない一日が終わりに近づいていることを実感した。