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隣の席の女の子のささやくような歌声がオレにだけ聴こえてくる。

作者: フリオ

(あ、ヤベ。教科書忘れてるわこれ)


 忘れ物に気づいたのは音楽の授業が始まってすぐのことだった。筆箱と資料集だけを小脇に抱えて、一番必要な音楽の教科書を忘れてしまった。音楽の教科書は置き勉をしているからロッカーにはあるんだけど、取りに行くのも面倒くさい。


(どうしよっかな。まあ、なんとかなるか)


 もともとそういう性格だったので考えたところで、まあいっかとなってしまう。リコーダーを忘れたとかではないし、音楽の教科書を使わないような日もあったし、いざとなれば見せて貰えばいい。わざわざ取りに行く必要はない。


「はい。じゃあ教科書の20ページを開いて」


 チャイムが鳴り終わり、音楽の先生から指示が飛んだ。運の悪いことに今日は教科書を使う内容の授業みたいだ。先生は「みんなでカントリーロードを歌います」と続ける。ちょうど歌詞がうる覚えの曲だった。こうなったら、人に頼るしかない。


「恩田さん、教科書見せてくれる?」


 オレは隣の席の恩田さんに話しかけた。


「え、あ、はい。どうぞ!」


 恩田さんは教科書をオレの胸に押し付ける。

 いきなり話しかけたから、驚かせてしまったようだ。


 恩田さんはいつもビクビクしている小動物のような女の子だった。その実態はただのちょっとした陰キャなのだが、まあ陰キャにも様々な種類があって、心の声と外面が乖離しているようなタイプの陰キャだった。だから、声の抑揚や音量のバランスがちょっと変。反射的なときは大きな声になるし、自発的なときはボソボソと耳を澄まさないと聞こえない声でしゃべる。


 今も陰キャ特有の変な状態になっている。

 教科書を見せてほしいと言っただけなのに、これではまるでオレが女の子の教科書を奪っているかのようだった。オレは恩田さんが押し付けた教科書をできるだけ優しく押し返す。

 恩田さんは首をコテンを傾げて、疑問符を浮かべた。

 

「それだと恩田さんが見えないでしょ。恩田さんが見ているのを、横から見せてもらうだけで良いから」

「あ、なるほど」

「じゃあ右はオレが持つから、左は恩田さんが持って」

「はい!」


 オレは恩田さんと教科書を半分こする。

 教科書の20ページには英語のカントリーロードの歌詞と簡単な楽譜が描かれていた。勝手に日本語のカントリーロードだと思っていた。危なかった。恩田さんに借りていなかったら、オレだけ日本語で歌い出すところだった。多少ミスったところでクラスメイトはギャグとして処理してくれるだろうけどね。


「せっかくだから誰かにお手本を見せてもらおうかしら。そうね。鏑木くん、お手本をお願いできるかしら」

「オレですか? 分かりました」


 先生からお手本を頼まれる。一年生のときに合唱コンクールで張り切ってから、先生はオレのことがお気に入りだった。人前で歌うのは好きだから、こうやって先生に指名されるのは嫌じゃない。英語の発音は苦手だけど、歌は人並み以上にできる。


「さん! はい!」

「カントリーロード~♪ ていくみーほーむ~♪」


 先生のアコースティックギターに合わせて、カントリーロードを英語で歌う。教科書は恩田さんに見せてもらいながら歌詞をなぞっていく。サビを歌い終わると、クラスメイトから拍手を貰える。


「鏑木流石だな!」

「鏑木くんって歌上手なんだね」

「お父さんが有名な歌手って聞いたことある!」


 賞賛の声を上げて口元がニマニマしてくる。父さんが有名な歌手というのは本当だ。若くして死んでしまったけど、少ない時間で圧倒的な存在感を見せていた。目立つのが好きなのは、父さんではなく母さんからの遺伝だろう。母さんは元アイドルだった。

 オレが目立ったせいで、オレに教科書を見せている恩田さんもついでに目立っていた。肩をすぼめて恥ずかしそうにしている。恩田さんは目立つのはあんまり好きじゃないみたいだ。


「素晴らしい歌声でした」

「ありがとうございます」


 本当は歌じゃなくて楽器、とくにベースやドラムなどのリズムを刻むような方が得意なんだけどね。父さんや母さんに比べてオレの歌は普通。それがちょっとだけコンプレックスでもある。クラスメイトは素直に褒めてくれるからとても嬉しい。だけど、こういう場所でカントリーロードをチョロっと歌うだけで、クラスメイトたちをひっくり返すくらいの歌声が欲しかった。褒めるじゃなくて、絶句が欲しかった。


「じゃあ、鏑木くんのお手本通りにみんなで合わせて歌いましょう」


 合唱のときは、一歩だけ後ろに下がるのを意識する。

 恩田さんと一緒に教科書を見る。


「さん! はい!」


 みんなのカントリーロードが重なった。

 大きな声で歌う人。できるだけ個性を出して歌おうとする人。音痴な人。リズム感がない人。源キーが出ないからオク下で歌う人。色んな人の歌声が混ざって、結果的には良い歌になる。

 その歌をひっくり返すように、隣からささやくようなカントリーロードが聞こえた。オレはギョッとして隣を見た。恩田さんは一生懸命教科書を見て、歌詞をなぞるように歌っていた。

 

 衝撃だった。

 きっとオレにしか聞こえていない。

 そのくらい小さな歌声だった。

 オレは絶句した。

 

 隣の席の女の子の囁くような歌声に、オレのカントリーロードは止んだ。




◇◇◇

 


 恩田美緒さんは遠くの地区から電車で30分かけて高校に登校していると言っていた。そのほかにも席替えで隣の席になったことで恩田さんについて分かったことはいくつかある。一つ目はかなりの陰キャだということ。ボソボソ喋るし猫背だし、人に話かけられると過剰に反応して空回りしている。容姿は普通の女の子って感じだけど、前髪がちょっと伸びて眉毛が隠れたことで、四月よりも陰キャ感が増した。

 二つ目は歌がとても上手いということ。


「鏑木くん、カラオケくるよね?」

「うん。オレも参加する」


 部活動が一律で休みになる水曜日にはクラスのみんなでカラオケに行くことが多かった。歌うことが好きなオレもかなりの頻度で参加している。幹事を務めるのはギャルの来栖さん。父親がカラオケ屋さんのオーナーらしい。


「恩田さんは?」

「わ、わたしは、いい、です……」

「そっか。来たかったらいつでも参加していいからね?」

「は、はい。ありがとうございます」


 うーん。

 来てほしいような来てほしくないような。

 恩田さんの歌を聞きたいというのもあるけど、みんなに知られたくないという独占欲もある。


「じゃあ、またあとで!」

「うん」


 来栖さんは参加者の確認に向かった。

 オレは机で荷物をまとめる。

 国語の教科書をリュックに仕舞ったとき、ふと今の気持ちを本人に直接言ってしまおうと思った。


「恩田さん」

「え、はい」

「音楽の時間ありがとね」

「あ、大丈夫です」


 まずは会話の流れを作るために、教科書を見せてくれたことに対するお礼から入る。そして、さもそれに関連した音楽の話題ですよというように、恩田さんの歌声の話に持っていく。


「恩田さん、すごく歌が上手だよね」

「え……、え!?」

「あはは。何その反応。マジで上手いよ」

「は、初めて褒められた」

「今まで人前で歌ったことなかったの?」


 恩田さんはコクリと頷く。


「恩田さんの素敵な歌声をみんなにも聞いて欲しいからカラオケに来てほしいって思いもあるけど、オレだけが恩田さんの歌を知っているっていう優越感があるんだよね。独占欲っていうのかな」

「えっと……、ありがとうございます」


 うわ。なんか急に恥ずかしくなってきた。

 こんなこと言うのやめておけばよかった。


「じゃあ、オレはカラオケに行くから。また明日。来栖さんも言ってたけど、いつでもカラオケに来ていいからね」

「……今日は止めておきます。わたしの歌声は秘密です」

「あはは。歌詞を書く才能もあるんじゃない?」


 オレはリュックを背負って教室を出る。

 廊下では数人のクラスメイトが待っていた。

 一足先に廊下で待っていた来栖さんは、オレの顔を見てアハッと笑う。


「なんか、顔真っ赤なんですけど」

「……やられたね」

「誰に? どうしたのさ?」

「陰キャっていうのは、内側に言葉を溜めてフツフツ煮詰めて、それだからポロっと零れた言葉が激熱だったりするんだよ」

「なにそれ? 下手くそなポエム?」

「……対抗したんだ。オレに作詞の才能はないみたい」

「何言ってんの? 音楽一家の息子さんでしょ?」


 とにかくオレは恩田さんにやられてしまった。

 あんな歌声を聞いたら、男だったらいちころだ。

 絶対にみんなの前では歌わせないと心に決めた。



◇◇◇



 翌朝、いつものように遅刻ギリギリで登校する。毎朝同じような時間に登校しているせいで信号機と踏切の遮断機の周期を完全に把握していた。左肩にだけカバンをかけながら教室に入り、自分の席に向かう。

 

「おはよう」

「……おはようございます」


 自分の席に大人しく座っている恩田さんに挨拶をする。

 会話をするだけで頬が火照るのを感じる。

 昨日の熱が冷めきっていない。


 教室はとてもざわざわとしていた。

 用意してきた話題を消費するようにクラスメイトは会話をしていた。

 朝読書の時間になっても、みんなの会話は終わらずに教室は騒々しかった。

 青春小説の表紙をカバーで隠して読んでいると、隣の席からハミングが聞こえてきた。


「……え?」


 隣を見ると、恩田さんが顔を真っ赤にしながら鼻を鳴らして音楽を奏でていた。

 恩田さんはオレの視線に気づいてハミングを止め、顔を赤く染めながら口を開く。


「ファン第一号に対するサービスです」


 オレは慌てて青春小説を閉じた。

 勢いよく閉じたのでパタンと音が鳴った。

 その音がスタートの合図だった。


「わたしの歌が好きなら、少しだけ聞かせてあげます」


 オレの高校生活は、恩田さんの小さな歌声と共にあった。

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― 新着の感想 ―
投稿お疲れ様です! 序盤から面白くて、思わず続きを探してしまいました。過去作も面白かったので、滅茶苦茶楽しみに応援してます!
甘酸っぱい青春小説が始まったなと思いました。個人的にも音楽が好きなので、そういった方面でも話が広がるのかなと感じて期待大です。
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