腐っても真空
悲しくないし悩んでいるわけでもないし当然楽しくもない時間がきて、僕は何も答えが出せなくなってしまう。何の意味もないけれど呼吸は最低限に抑えてしまうし、それに応じて口を普段よりほんの少しだけ強くつぐんでいる。それでも一応は頭の中はある一つのことについて考えているのだけれど、やはり答えは出ないし、思考というよりはただ一点を見つめている時間も増えてくる。
正直にいえることといえば苦しいという一言なのだけれど、その苦しさはなんだか他人事に思えて自分ではあまり苦しいと思えない。でも他人が苦しんでいるのを見たら普通自分も苦しいはずだが、「そんな他人の苦しんでいる姿もオレは全然みていられるよ」っていう思春期の再発みたいな、薄情を纏うことによって一方優しさというアプローチについては無知である自分、なんならそこに今夜の気分の全ての元凶があるんじゃないか、そんな目星をつけてみたはいいが結局直視する気概はない。苦しいような気はするのだけれど、今はそこから距離をとって苦しみを緩和するだけが精一杯だ、と一度思考にケリをつけようとしたその1ティック後、しかしこの入り組んだ構造自体がもはや苦しみを証言しているようなものだし、むしろ自分の言葉ではなく結果として発生した構造に苦しさの代弁をさせてているという情けない事態もまた、やはり自責の燃料になってあっち側に寝返ってしまう。そう思って僕はここで考えるのを中断してただ自分にうんざりして、冒頭に書いた一点を見つめ続けるという時間に突入してしまうのだった。
誰かがここまで読んだとして、その誰かがさらに「いいから外に出ろよ」と思ったとする。それは僕も思う。その上でこんな状況になっているのには理由があって、ここからは、理由なんて微塵も興味もないよという人のためだけに説明します。つまり、本質か具体的な提案かということに尽きるはずで、本質によって動きだすほど人は安くないし結局は具体的な提案によって気まぐれを誘うしかないということなんだ。本質によって動きだすほど人は安くないし結局は具体的な提案によって気まぐれを誘うしかないという、ことなんだ。至極当然なことを一回も二回もいって、煙に巻こうとしています。特に自分という他人を相手に。あるいはこうして手の内を明かしたことによって、諦めてくれればそれでもいい。諦めるというよりは観念してほしい。なぜならこの面倒くさい性格は絶対に自分の口では言わないけれど面倒くさい性格のことが大好きでたまらないからだ。きっとずっと文句は言うし、うんざりするような日がこれからも続くだろうけど、だって考えてみて欲しいのは、面倒くさい性格じゃなければ今日は1000文字埋まってなかったぞということだ。全てのものがつまらないことを了承するのなら、むしろその面倒くさい性格には毎日助けてもらっているようなものだって。犬がしっぽを追いかけまわすようなものだって。