走り出す想い、動き出す気持ち
溝田はスピードをあまり出さず、安全運転する。
「……小葉さ」
「はい」
「最近、鉗子(歯を抜く器具)のミス減ったよな」
桜子は驚いた顔で溝田を見た。
「まだ完璧じゃないけど。逆に鉗子しか持ってこないときが増えた」
「うっ……」
「物は合ってるけど、上下逆のやつ持ってくるときもあるし」
桜子はうつむく。
「すみません……」
「アシストついたかと思ったらバキューム変なところに置いてるし、まだライトもちゃんと当たってるときが少ない。被せ物磨いてるときもエアー当たってないし」
「……っ」
桜子は涙をこらえる。
信号待ちで溝田は桜子をチラッと見た。
溝田は小さく溜め息をつく。
(やっぱり溝田先生嫌い)
桜子は溜め息をついた。
「……でも、頑張ってるのは知ってる。あのメンツで良く続けてるなって」
「え……?」
「小言言われながら辞めずにいるのはすごいと思う」
「っ……!」
桜子の目から涙がこぼれる。
「グスッ……っ……」
溝田はコンビニの駐車場に入ると、奥に車を停めた。
「大丈夫か」
「大丈夫……」
「それ……口癖にするなよ」
溝田はシートベルトを外した。
「そうやって溜め込むな」
「……わたし、サンドバッグなんですって。そういう存在も、必要だって……」
「……」
溝田は目を伏せた。
「それで、丸く収まるなら、わたしはーー」
グッ
桜子は目を丸くした。
溝田に抱き寄せられたのだ。
顔を彼の胸板に押し当てられ、そっと頭を撫でられた。
「たまには吐き出した方がいいぞ。じゃないと、ダメになる」
「グスッ、グスッ……」
「俺が……になってやる」
「えっ?あの……今何て……」
桜子は顔を上げた。
「……だから、その……」
溝田は目をそらす。
「小葉のサンドバッグに……。いや……違うな」
ボソボソ言っていて、桜子は不思議そうに首を傾げた。
涙はいつの間にか止まっている。
「俺には気を遣うな。たまに話聞いてやるから。愚痴とか」
「え……」
「いつも文句ばっか言って、恐がらせてごめん。でも、小葉はコツをつかめばできる人だと思ってて」
桜子は驚いた顔をした。
「スマホ貸して」
「へ?」
「いいから」
桜子はしぶしぶスマホを渡した。
溝田は彼女のスマホで操作をする。
少ししてスマホを返した。
「何かあったら連絡していいから」
「へ?」
「愚痴送ってきてもいいし」
溝田はシートベルトをすると、車を走らせた。
「!」
メッセージアプリに溝田のアカウントが登録されていた。
「あの……!」
「サンドバッグとか言うな。サンドバッグにされないように頑張れよ」
「溝田先生……」
トクン
トクン
トクン
心臓の動きがいつもより早い気がする。
「……」
桜子は溝田のアカウントを見た。
温かいものが胸の中で広がっていく。
(っていうかさっき抱きしめられたよね!?頭撫でられたよね!?しかも顔が胸に……!)
桜子の顔が赤く染った。
(夢だったのかな?いや、確かに感触?はあった!現実だったと思う!ど、どうしよう!)
手がわずかに震え出した。
『目的地に到着しました。音声ガイドを終了します』
「あっ、すみません、ありがとうこざいました!失礼します!」
桜子はそそくさと車を降り、家に入っていく。
「……すみませんも口癖なんだよ……」
溝田は溜め息をついた。
「すみません」「大丈夫」が口癖なところが性格が如実に現れている。
引っ込み思案で、常に人に気を遣っていて、自己肯定感が低くて。
だから、心配で目が離せない。
自分が面倒を見てやらねばという気持ちになってくる。
その気持ちがいつの間にか恋愛感情へと変わりつつある。
しかし
「恐がられてんだよな……」
障壁は高い。
どうしたら崩れてくれるのか。
溝田は大きな溜め息をつきながら、車を出した。