再会のアリス①
「入学おめでとう。諸君」
記憶が混濁し、意識が曖昧となる。
霞んだ視界を明瞭にするために、袖で目を擦る。
何があったんだっけ?
そうだ。
アリスだ。
アリスが、死んで、それで、
それで俺は――――。
ずきりと軋む頭を手のひらで抱える。
は?
そんな疑問が出たのは当然。
どういうわけ俺は椅子に座っていた。
闇夜にいたはずなのに屋内にいる……どころか照明の光がまばゆくて、敬礼のように手のひらで日陰を作った。
明順応が完了して、視界に飛び込んできたのは大勢の人だった。
ドーナツ型の円形ホールに制服姿の者たちが密集して座っており、ある者はくつろいで足を組み、ある者は姿勢よく着席している。それぞれの態度はバラバラだが、反面、一様にして中心部に目をやっていた。視線の先に引っ張られるように目をやると、講義室によくある壇上が中心部に置かれていた。その天井には4枚の液晶が東西南北に向かって掲示してある。
半径にしておおよそ50メートル。
ここはスタジアム形式の広々とした講堂だったのだ。
一目でスタジアムではなく、あくまでもスタジアム形式の講堂と断言できたのは、この場所を知っていたから。
この講堂は半年も前に、奴らの襲撃によって瓦礫の残骸になったはずの講堂。
そう、残骸になったはずの学園の講堂だ。
ここまで思考と視界をめぐらせても、何も把握できない。
アリスの亡骸はどこだ。
俺はどうなった。
あのあと一体なにがあった。
飛び飛びになる思考を咎めるように、ずきりと再びこめかみのあたりが痛む。
そうだ、俺は。
何かを思い出せそうだった節に、横から声がかかった。
「? ねえ、君ってば顔が暗いよ?」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
聞き覚えのある鈴のような声音だ。
なんで、生きている。
額から汗が滲むのを感じる。
ボブカット風の少女。
透き通るような銀髪は結晶のようで、雪のように真っ白な肌。2つが合わさり、白のイメージを強める。線の細い鼻立ち。泣きぼくろが一つ、右目の下あたりにある。
白を基調として、ミニスカート風にした異質な改造制服を身につけている。
白銀の少女。
その白を見間違えようもない。
俺はそいつを知っていた。
「ほんと、どうしたの? ボクのことを死んだ人を見るような目で見てくるなんて」
“死んだはずの幼馴染”なのだから。
「ルン、なのか?」
「?? そうだけど、ホントに大丈夫? 顔色も悪いし、目つきも悪いよ、あ、君の目つきが悪いのは元からか」
ケタケタと笑うルン。
すでに殺したはずのルンがなぜ、笑っている。
そうだ。
ルンは"俺が殺した"。
この手で疑う余地もないくらい確実に殺したはずだ。
その首をナイフで斬り落とし、奇麗な顔をぐちゃぐちゃに引きちぎり、喉を切り裂き、脳天を拳でうがったはずだ。蘇りを許さないほどに、原型すら残さないほどに、彼女の狂気と悪意ごと叩き潰したはずだった。
殺したはずの化け物が、当たり前のように生きている。
おかしいだろ。
なんでだ、どうしてだ。
焦りが俺の心中をかき乱す。
そもそも、この講堂に介しているのはざっと見30000人以上の学生であり、すでに殺したはずの顔がいくつもあった。
死んだはずの生徒に死んだはずの幼馴染、そして、
「君たちの入学を心より歓迎しよう」
という強い言葉と、
電光掲示板で東西南北の4方向に表示されている
『入学式』
の文字、
目を凝らせば、壇上で立っている若い男は墓の下にいるはずのメロス校長先生だ。
死人たちが生き返った?
ゾンビ?
幻覚?
死に際の走馬灯?
色々と推測を立てるが、どれも腑に落ちない。
肝心な答えに行きついていないような気がする。
「ねえ、どうしたの。おーい」
銀髪短髪の悪魔の声が、俺の鼓動を早める。
幼馴染の狂乱。
友の死。
教師の死。
最愛の恋人の死。
あれらはたしかに現実だった。
夢で済まされるほど、生易しい悪夢ではないし、痛みでもない。
俺は手のひらを握る。ただし、これも現実だ。
間違いなく現実だということを、手のひらの感触、異質な空気感、すべてが教えてくれる。
まさかの可能性がよぎる。
【書き直し】
思い出されるのは、俺のなかにいるもう一人の俺。
もし、そうだとするならば、
「おい、ルン」
「……なんか今日の君は口調が強くて怖いなあ。で、どうしたの」
「今日は何年の何月何日だ?」
「本当に大丈夫? 記憶喪失にでもなった?」
「いいから、答えてくれ……」
今すぐ殺してやりたい激情を、歯を食いしばって堪える。
推測が正しければ、この状況は最悪だ。
「逸歴の135年。4月3日。入学式だよ」
そうか。
結論は出たな。
忘れもしない。
「幻想学園の入学式」
俺の年齢は16歳。
高校生活の始まり。
3年前にタイムリープをしてきたらしい。
――――
入学式の間に、思考をめぐらせて情報の整理を進めた。
疑いようもない事実としてタイムリープをしてきた。
未来から過去へと精神だけを飛ばして戻ってきた、というよりかは【書き直し】をした、というのが堅実的な考察だろう。
もう一人の俺は、この力が【書き直し】だと言ったのが証拠だ。正しい情報だと断ずるためのエビデンスとしては少々弱いが、何も信じないで突き進むと必ずその隙を奴らに利用される。何かを信じることで、考察と思考を深め、奴らが生み出す狂気と混沌に対抗する必要がある。
思考を深めることで、付け入られる隙をなくす。
で、だ。
この権能が【書き直し】であるするならば、この力は世界の在り方そのものを否定する力ということになる。
うーん。だいぶわかりにくいな。
もう少し嚙み砕いて言語化しないとすっきりしない。
俺自身がやり直すのではなく、世界そのものに対して『事象自体をなかったことにする力』という認識しておこう。
俺自身か、世界そのものか。対象が異なるという相違点だ。
やり直すのと、なかったことにする。結果だけ見ればたいした違いはないように思えるが、力の解釈を誤ると、大きな失敗の要因になりかねない。
敵を知る前に己を知るところから。
どの程度の力量なのか、どのくらいのことができるのか、目分量でもいいから推定しておかないと、過信して転ぶ。
自身を律し、相手と向き合え。
こういう考え方はアリスから学んだんだよな。
懐かしい思い出が蘇り、頬が綻びそうになる。
「君ってば機嫌が悪いの?」
「そういうわけじゃないよ」
「だったらどうして、さっきからボクを無視するのさ」
無視するに決まってるだろ。
悪魔のように醜くて、サイコパスな本性を隠した怪物め。
まともな人間のふりをしやがって。
ルンがやったことは許されないことだ。間髪入れず、めった刺しにやりたいところだが、犯行未遂の状態で殺すのは些か抵抗があるし、まだ彼女を光の道に連れ戻せるのかもしれない。
あの悲劇は起こしていない。
まだ絶望の入り口に立った段階。
救えるのであれば、救ってやりたいというのが本音だ。
しかし、最優先はアリスだ。
もしも、あの頃と同じようなことをしようとしたら、発覚したタイミングで俺は彼女の喉を切り裂く。
何度だって殺す。
今はまだ時期じゃないというだけだ。
「なんか君の目が今日は怖いな」
ちっ。
この感じだと疑ってきてるな。
面倒なやつめ。
こちらの意図を汲み取られる前に、仮面をかぶるか。
「ご、ごめんな。少し緊張してて」
あの頃と同じように、仲のいい幼馴染を演じてやるよ。
「そっかあ、緊張してたんだ。君って意外と緊張するタイプだよね」
「そ、そうだな」
「ボクが君の緊張を癒してあげようか」
「いらないよ。大丈夫だ」
「ふふ、照れちゃって、本当はボクに癒してほしいんだろ。えい!」
「そんなこと頼んで――――ッ何のつもりだ!!」
ルイは背後から、抱き着いて、胸を押し付けてくる。
背中に当たる柔らかな感触。
だがな、勘違いしないでもらいたいのが、まったくもって嬉しくないということだ。
巨乳などどうでもいい。
俺が欲しいのはペタンコの感触だ。
アリスが胸につけている洗濯板だ。
アリスにこんなことをされたら鼻血をだして気絶する自信があるが、銀髪のこの馬鹿だと話は別。
興奮するどころか、蕁麻疹が出そうになる。
堪えろ。
我慢だ。
殴りたい衝動を拳を握ってこらえる。
「ルン! 離れろ!」
「やだもーん」
なにがやだもーんだ。ぶっ飛ばすぞ。
「わかった。明日飯をおごるから離れろ!」
「ほんと!? ダストのオムライスがいい!」
「分かったっての!」
「やったあ、君ってば太っ腹! 総理大臣!」
咄嗟にデートの約束をしてしまう。
ふざけやがって。
こいつにオムライスを食わすくらいなら、アリスにオムライスを食べさせてあげたい。
アリスを甘やかすのにお金を使いたい。
なんで、てめえに金を使わなきゃいけんのだ。
しかし、ここは我慢。彼女と敵対するのはあまりにもリスクが高すぎるため致し方ない応急処置だ。前世と同じような行動を取ることで、上手いこと彼女が暴走するタイミングを後ろにずらさなくては。
嫌な記憶を思い出しそうになり、俺はかぶりを振って叱咤する。
以前のような幼馴染を演じる上で、敵愾心は隙になりかねない。
バレたら間違いなく殺される。
今の俺では、こいつに勝てない。
「ルン、そういえば用事があるんじゃなかったっけ?」
一緒にいたくない。
一秒でも早く離れたい。
とりあえず処理しておくことにした。
「なにか……あ、そうだ! 入学式終わったら友達と待ち合わせしてたんだった!」
「約束なら行け!」
「うん!! 明日の奢り、忘れないでよね!!」
ルンは手を振りながらどこかに去っていった。
昔は感慨深く、元気な奴だな、なんて言ったんだっけ。
本性を知らなかったから言えることだな。
昔の記憶に唾を吐きかけたい。
それに、だ。
今は彼女のことなんてどうでもいい。
俺が大切にするべきなのはたった一人の女の子だ。
この講堂の前で待っていれば再会できる。
あの時のことは今でも覚えている。
ルンに連れられた勢いで講堂を出たせいで、鞄を会場に忘れたのだ。
結果、全生徒が解散した中で、俺だけは忘れ物を取りに戻ってきた。
それがきっかけだった。同じように会場に忘れ物をした生徒が一人だけいたのだ。
夕暮れ時。時刻にして17時半。
俺と彼女は再会することになる。
「あ、あんた! まさか昨日の変態ッ!!」
声が聞こえてくる。
耳心地のいい幼げな高音。
懐かしい声で、最愛の声だ。
心が沸きたつ。
歓喜に魂が震える。
一滴の涙が頬を伝うが、それを拭って無かったことにする。
「昨日はよくもアタシの裸を覗いたわね!」
俺たちの最悪にして運命の出会い。
「あんた、あたしと決闘しなさい!!」