第七十八話 衣装合わせのあと1 マリッジブルーとこじらせた承認欲求
仕事を始めてから初めての長期休暇はあっという間に幕を閉じ、仕事が再開した。
王太子殿下付きの秘書官として忙しい日々を過ごしながらも、結婚に向けてネリーネと会う時間はできる限り作っていた。
ドレスの進捗状況の報告を聞いた時は楽しそうにしていたし、マグナレイ侯爵家別邸に招待して使用人たちを紹介した時も、上に立つ物としてふさわしい……いや。若干ヒヤヒヤするくらい毅然とした態度で挨拶をしていた。
着実に結婚の準備が進んでいた。
俺とネリーネが結婚したあかつきには、はれて侯爵家の跡取りとして公表される。というのはまだ俺の心の中では半信半疑ながらも、現実味のある話として動き出していたはずだ。
──思い返してみても、ネリーネが今更「そんな事聞いていない!」とまっ青になって慌てふためく理由はわからない。
この結婚の背景を知らないなんて事はあり得ない。ネリーネ自身だって侯爵夫人になるために出来ることを増やそうと努力していたはずだ。
だというのにネリーネは衣装合わせが済むと、マグナレイ侯爵家の別邸を慌ただしく後にし、その後一度も会えていない。
手紙を出しても返事はない。
先触れを出さずに会いに来るなと言われていた言いつけを守らずに心配してデスティモナ邸に顔を出しても、ネリーネは出てこず、ミアが申し訳なさそうに首を横に振るばかりだ。
ネリーネに会うための取っ掛かりを作ろうにも、デスティモナ伯爵も仕事が立て込んでおり不在にしていることが多くお会いできない。
兄のハロルドなら王宮内で仕事をしているのだから話せる機会はいくらでもありそうなのに、すれ違いが多くネリーネについてなにも聞くことができない。
今日もデスティモナ邸に向かったが、ネリーネには会えなかった。
ミアがため息混じりに話すには衣装合わせをしたあの日からずっと塞ぎ込んでいるとのことだった。
結婚が迫った女性は『マリッジブルー』といって、結婚することに対して喜びに溢れていても、新たな家族を築くことへの責任感であったり、家族や愛着のある人物や場所と離れることに寂しさを覚えたりと情緒が不安定になるものらしい。
そうだ。いつも自信ありげなネリーネも、本来は素直で可愛らしい少女だ。不安に感じるのは当たり前だ。
デスティモナ伯爵家で愛情深く育てられたネリーネにとっては家を離れることは不安に思って当然だろう。
それに『叡智の神の末裔』として崇められる国内有数の名家の『やんごとなきマグナレイ侯爵家』を継ぐことへの不安を考えると塞ぎ込む気持ちは痛いほどよくわかる。
俺だって、俺みたいな男爵家の末息子が『やんごとなきマグナレイ侯爵家』を継いでいいものか考える。
どうせ他の奴に継がせる気だろうと斜に構えながらも、俺が継ぐ可能性は否定できない。むしろここまで来たら本気なのではないかとさえ思う。
本来なら俺が継ぐべきではない。いや、俺が継がないでいたら血の濃さで一番近いモーガンが選ばれることがあるかもしれない。そうすればマグナレイ一族の没落は待ったなしだ、など自問自答を繰り返す。
俺が跡取りになるにしろ、ならないにしろネリーネと二人なら乗り越えられる。
そう思っているのは俺だけで、ネリーネは俺のことを頼りにならないと思っているのだろうか。
誰かに認めてほしいという承認欲求は、ネリーネに認めてほしいという浅ましい独りよがりに姿を変え、俺の心でくすぶっていた。




