第六十二話 二度目のデート3 婚約者が可愛すぎて生きた心地がしない
デスティモナ家の使用人が街への買い出しなどに使う馬車に乗り込む。実家の馬車よりも立派だ。
俺の前にはネリーネがミアと座り、ダニーが馬車を操る。
「いいですか。今日のネリーネ様はデスティモナ家の使用人です。休暇で恋人と街に来ているという振る舞いをなさってくださいね」
「そうですわね! 使用人なら婚約者よりも恋人の方が相応しいですわよね!」
素直なネリーネは『恋人』と言う単語に嬉しそうに目を輝かせ、ワクワクした様子は隠しきれていない。いつものようにふすふすと鼻息荒く胸の前で拳を握り締めている。
「言葉遣いも気をつけてくださいね。とにかく貴族のお嬢様だとわからないようになさってください。攫われたりしたら大変です」
「ミアったら、心配性ね。こんな地味な格好してたら誰も貴族の娘とは気がつくわけないのではなくて? 攫われるわけがありませんわ」
まったくわかっていないネリーネにミアは困った表情を浮かべる。
今日は俺に断りもなく、心配したダニーとミアが護衛を兼ねて俺たちを遠巻きから見守ることになっていた。
昨日までの俺であれば過保護だと馬鹿にするところだが、目の前のネリーネを見たらミア達の心配は手に取るほどよくわかる。
普段の毒花令嬢の姿をしたネリーネであれば、攫おうにも悪目立ちしているため、目撃証言も多くなるような街中で攫わないだろう。
だが、今のネリーネの姿だと道行く人は誰もデスティモナ家の令嬢だとは思わない。誰にも気付かれずにこの国有数の大富豪であるデスティモナ家の令嬢を攫うことができるのだ。
……それに万が一ネリーネがデスティモナ家のご令嬢だと気が付かれなくても、こんなに可愛いらしい少女が無防備に歩いていたらガラの悪い輩に絡まれたり、最悪連れ込み宿に引き摺り込まれることだってあるかもしれない。
ひ弱な俺では万が一があったらネリーネを守り切れる気がしない。
俺は二人がついてきてくれるのを心強く思った。
ミアはネリーネを説得するのを諦めたのか、俺に向き直る。
「ステファン様も今日はくれぐれもネリーネお嬢様をお嬢様扱いしないように。いいですか。街で知り合って恋に落ちた貴族の屋敷で働くメイドと役人です。恋人らしく振る舞ってくださいね」
「あ。あぁ」
「そうですわ! 今日はネリーネとお呼びになって? ネリーネ嬢なんて呼んだら周りに気がつかれてしまいますもの!」
いいことを思いついたとばかりに期待を込めた視線で美少女が俺を見つめる。
呼んでいいのか? 心の中でずっとそう呼んでいたが、いざ口に出すのは緊張する。
いや。本人がいいと言っているんだ。何を遠慮する必要がある。
俺は深呼吸をして決意を固めた。
「……ネリーネ」
「……ひゃっ! ひゃい!」
自分で呼びすてろと言ったくせに、返事が裏返っている。
「……ほっ……本当の恋人同士みたいですわ……」
俺から呼び捨てにされて照れたネリーネは、可愛い独り言をこぼすと、握りしめたおさげを振り回して身悶えている。
可愛い。
あぁ、もう。可愛いのはわかったから、おさげを寄せ集めて顔を隠そうとするな。
そんなことしても可愛いだけで真っ赤な顔は隠れていない。
可愛いすぎて呼吸がままならない。今日一日こんなネリーネと過ごすのか?
無理だ。生きた心地がしない。
狭い馬車の中、ミアのため息が大きく吐き出された。




