第五十四話 満ち足りた日々13 毒花令嬢が可愛いのは俺だけが知っていたい
「随分と楽しそうだね」
「きゃ! お兄様ったら驚かせないで!」
お坊ちゃんが現れて、王太子殿下の婚約者様を後ろから抱きすくめる。突然話に割り込んできたお坊ちゃんにネリーネ嬢は怪訝そうな視線を向けた。
今日は海向かいの隣国との交易について両国で決議をとる。つつがなく終われば俺たちが今取り組んでいる仕事も終焉を迎える。最後の後片付けが終われば、しばらくの休みの後、元いた部署に戻るか新たな部署に移る予定になっているのだ。
その決議の場に王太子殿下と参加していたはずのお坊っちゃんが戻ってきたということは……
今日の日のために今まで身を粉にして働いてきた。みんな期待でうずうずしている。
「どうしたの? みんなして僕のこと見て」
わかっているくせにクソガキはすました顔してはぐらかす。
「エリオット。何している。もったいぶらずに伝えたらどうだ」
「やだなぁ。みんな僕よりも殿下から直接聞きたいはずだよ」
少しだけ遅れて戻ってきた王太子殿下に窘められて肩をすくめたお坊っちゃんは、抱きすくめていた王太子殿下の婚約者様を解放して拍手を始める。俺たちも釣られて拍手をした。
「本日決議案は採択され、海向かいの隣国との交易について国家間の交渉は終焉を迎えた。みなの尽力によるものだと考えている。感謝する。後は貴族院を通じて領主達への通達ですべき仕事は終わる。もう少しだけ力を貸してくれ」
拍手に応えた王太子殿下はゆっくりと言葉を紡ぐ。俺たちは控えめな歓声を上げた。
部屋の中が、にわかに浮き足立つ。
王太子殿下はいつもの執務机に戻り、俺たちも自席でやるべき事をしようとするが、ペンを走らせる音はいつもの焦燥感はない。
「わ。美味しそうなクッキーだね」
暢気な声が部屋に響く。いつもなら睨みつけるところだが、お坊ちゃんの暢気な声も今日は気にならない。
「ネリーネ様が差し入れにお持ちくださったのよ」
「休憩時間にでもと思ってお持ちいたしましたの。トワイン侯爵家のご令息様はいま召し上がります?」
ネリーネ嬢はそう言うと部屋の隅で控えていたミアに声をかけ給仕を指示する。
「あぁそうか。はじめまして。エリオット・トワインです。ステファンから貴女の話を聞いていたものだから初対面に思えずに挨拶が遅れてしまいましたね。エリオットでもエリーでもお好きな呼び方でどうぞ」
胡散臭い微笑みを湛えて、芝居がかった口調と仕草で挨拶をした。
チッ。やっぱり気に食わない。
「わっ私は、デスティモナ伯爵が娘、ネリーネ・デスティモナですわ」
……ネリーネ嬢の頬がほのかに赤い。
え?
そうか……
そうなのか……ネリーネ嬢も……あぁいう愛想の良い優男がいいのか……
もじもじと身悶え始めたネリーネ嬢の姿に心が冷えていく。
「あっ。あの……エリオット様」
「はい。なんでしょう」
「あの……」
あぁ……見たくない。聞きたくない。
そうだ。
歳の離れた冴えない俺よりも、ネリーネ嬢より年下とはいえ一歳しか変わらない、地位も名誉もある顔のいい男の方がいいに決まってる。
ネリーネ嬢は胸元に飾っていた俺の贈ったブローチを小さな手で包み込む。まるで見せない様に隠す様に。
やめてくれ。
俺の願いをよそにネリーネ嬢はお坊ちゃんに睨むほど真剣な眼差しを向ける。
「あの! ステファン様がわたくしの話をしてくださっていたのですか⁉︎ ステファン様が私のことを……? あの……あの……あぁ! どうしましょう! どんなふうにおっしゃっていたのかお聞きしたいけど、わたくしステファン様にわがままばかり言っておりましたからお聞きするのが怖いわ……。あぁ……そうでしたわ。何を自惚れているのかしら……つい心配して言い過ぎてしまいますし、ステファン様のことを困らせてばかりですもの……きっと……きっと……」
期待いっぱいに瞳を輝かせ頬を紅潮させていたかと思うと、急に自信なさげにしょんぼりとする。最終的にはいつも通り顔を皺くちゃにして泣きそうになるのを堪えている。見かねた王太子殿下の婚約者様がネリーネ嬢のことを抱きしめた。
あぁ……可愛い……
どうして俺は可愛いネリーネ嬢のことを疑ったりしたのだろう。
虐げられてきた人生を送ってきた俺は、ネリーネ嬢がいまは俺に好意があってもずっと続く自信がない。
他のやつにネリーネ嬢の可愛さを知られたら奪われてしまうに違いない。
奪われたくない……
俺のネリーネの姿を誰にも見せたくないし、誰にも声を聞かせたくない。
俺の心の中に独占欲が芽生えた。




