プロローグ1 俺の苛烈な婚約者はいつでも問い詰めてくる
俺──ステファン・マグナレイは居心地が悪い部屋の窓際で、朝からずっと所在なく本をめくり時間を潰していた。
天井近くまで高さがある大きな窓からは、神々がいた遥か昔、魔除けのために植えられた伝説が残る七竈の木に赤い実が鈴なりになっているのが見える。
「旦那様。ネリーネ様がドレスをお召しになったとメイドから報告があがりました。アクセサリーは旦那様から渡されますか」
「えっ? へいっ! わっ⁈ イテッ!」
呼ばれ慣れない『旦那様』の呼びかけが後ろから聞こえ振り返ると、入り口近くにいたはずの執事がいつの間にか背後に回っていた。慌てた弾みに本を足に落とし、間の抜けた声を出してしまった。
「いかがなさいますか」
片眼鏡をかけた執事は呆れた様に片眉を上げて見下ろし、こちらの返事を待っている。
……行くべきなのか? 俺は本を拾い、腕を組んで考え込んだ。
今日は朝早くから養父に出された条件よって決めらた婚約者であるネリーネ・デスティモナが花嫁衣装の試着のため訪れていた。
服飾店からの請求書に目を剥いていたら、花嫁衣装なら安い方だと屋敷の使用人達から苦笑いされたのは記憶に新しい。
それが慰めなのか事実なのかは女性にドレスの贈り物などした事がないのでわからない。ただ日頃からジャラジャラギラギラと華美な宝石と豪奢なドレスで着飾っているネリーネの花嫁衣装の仕上がりは恐怖でしかない。
いつも以上に絢爛豪華なドレスだったらまるでサーカスのピエロだ。式当日に衝撃を受けるより今受けておいた方がいいだろう。
想像しただけで憂鬱になり、たまらず吐き出したため息は静かな部屋にいつまでもこだまするように錯覚する。
女性の服装に疎いためネリーネに「好きな様にドレスを仕立ててよい」などと言ってしまった手前、どんなドレスでも今更口出しできない。
ネリーネは、派手な化粧に服装と誤解されやすい性格が災いして『社交界の毒花』などという嬉しくもない二つ名で呼ばれている。周囲はネリーネを疎み、常に陰口を叩くチャンスを虎視眈々と狙っている。
せめて俺くらいは似合うと褒めてやるか。
そう思って向かった先に待っていたのは予想とは異なる婚約者の姿だった。
派手でゴテゴテとしたケバケバしい毒花はそこにはいない。
純白の花嫁衣装を身に纏ったネリーネを見つめる。
大きく胸元をあけネリーネの身体に沿っていた張りのある生地は膝で柔らかな薄手の生地に切り替わり、裾は後ろに向かい楕円のように広がる。黄金色の髪の毛はねじってまとめられていて、背中を惜しげもなく披露している。
化粧は相変わらず派手なままだが装いが違うだけで、毒花どころか……
ゴクリと喉を鳴らしネリーネを眺める。
「……どうかしら」
「えっと……思ったよりも粗末なドレス……って違っ……」
ネリーネの姿に動揺し、うっかり口をついて出た言葉を訂正しようとした刹那、高らかに鼻で笑われた。
「粗末? 貴方がいままで女性に贈り物をした経験がないのはわたくしも察しておりますけど、そもそも物の価値すらわかってないとは微塵も思いませんでしたわ。請求書は見たのでしょう? 貴方でも払えそうな金額に抑えましたから宝石を散りばめるどころか刺繍やレースを施す事まではかないませんでしたし、生地も値段を考えるとふんだんには使えませんでしたけど、国内最高峰の針子を抱える服飾店に最高級の絹繻子織で依頼したオート・クチュールを粗末だなんて口を滑らせるのは物の価値がわかってないと言って回る様なものだわ。二度と口に出さないのが貴方のためよ? それにしても王宮では貿易に関わる書類を取りまとめる書記官をしているのでしょう? 物の価値がわからなければ、書類に書かれた品名と数と金額の整合性に気がつけないわ。今まで仕事は出来ていたの? 書記官というのは清書だけしていればいいのかしら? 貴方は将来有望な上級官僚候補と自画自賛していますけれど、そう思っているのは貴方だけじゃないの? 心配だわ」
そう言って眉を顰め、俺を睨み付けて澱みなく問い詰めるのは、粉うことなき『社交界の毒花』だった。