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説教臭い話と説得力のある話の境界線の話

作者: 遊海 実

正直言って、説教臭い話は嫌いである。


娯楽として楽しみたいのに、社会悪の告発だの、環境対策への提言などを押し付けられると辟易してくる。

実際、なろう界隈では少ないんですが、どうもテレビドラマって、その傾向が強い気がする。


一方で、物語を書く人間としては、楽しませることは最大の目的ではあるが、出来ることなら、読んだ人間の人生観や価値観を変えて、少しでも読んでくれた人の人生が良い物になってくれる様な話を書きたいと思う。


そういう説教臭い物語と、人生を変えられる様な説得力のある物語の境界線はどの辺にあるのだろうと考える。


まず、説教臭い話で最悪なのは言いたい事がセリフ、そのままで出てくる場合。

あの時、あなたの警鐘に耳を傾けていればとか言うセリフとか出てると、はいはい環境問題に警鐘を鳴らしたかったのねと醒めてしまう。


勿論、登場人物が物語の自然な流れの中で素直な気持ちとして出した様に見えれば、それ程、抵抗は感じないんですけどね。

その流れから不自然であったり、わざわざ口にするセリフかなと感じてしまうと、説教臭いと感じるんですよね。


次に説教臭く感じる物語と言うと、物語の中の社会悪の告発とかかな?

主人公が正義となり、戯画化した社会悪に対峙する様な物語。

こういう物語にも、説教臭さは感じても、説得力って感じないんですよね。


だって、現実の悪とかって、そんなに解りやすく存在しないでしょ?


ワイドショーの中では、問題を単純化して、正義の名の下にイジメを繰り返しているみたいだけど。

マスコミは売るのが仕事だから、耳に痛いけど正しいことなんて、ほとんど言わないし。

政治家も、当選しなければいけないから、嫌われる様なことは言いにくいし。


そんな中で、ドラマの中だけ正義の味方面して、社会悪を斬っても醒めるんですよね。


まあ、なろうで、これに一番近いのは追放系かな?

本当は価値のある者を見る目のない連中が、追放して、追放された先で成功する話。

こういうのを読んで、本当は自分は優秀なのに認められないと自分で思っている人が満足するんでしょうかね。


この辺は匙加減で、あまりバカな理由で追放されちゃうとやっぱり醒めちゃうんだけど。


一方、心や人生観を変えられる説得力のある物語というと、どういうものだろう。


まず、言いたいことを台詞にするのはダメだよね。

台詞にならなくても、物語の中で、実感させることの出来る気持ち。

その上で、独りよがりでない価値観を伝えることが出来るお話かな。


一体、どうすれば、説得力のある物語が書けるのか。


皆さんの意見を聞きたいです。

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