消える
ここで働くようになって半年。
たまに簡単な依頼の手伝いもできるから、楽しい。
「カトリナは行かないの?」
「虫が嫌いだから無理よ。
大半が森の中だもん。
クモの巣ですら、近づきたくないわ。」
「楽しいのになー、もったいない。」
「楽しいだと。気に入ってもらえていいのだが。」
ギルドマスターは、書類を見ながら何の気なしでつぶやいた。
「いっそうのこと、体を使う剣術や柔術の訓練でもしますかね?」
と、こちらも同じく深い意味はなく、つぶやいた。
「え?」
ギルドマスターは驚き、書類から目を離してギルド付き剣士の顔を見ている。
「へ?」
剣士は、相手がそんなに反応するとは思っていなかった。
「その手があったか。」
と、続いて言われるとも思っていなかった。
お昼時、今日はそれほど人が来ないので、みんなで食べている。
「リアもだいぶ慣れてきたから、本格的に受付の方も覚えてもらおうか。
そうすれば、カトリナが急用でいなくても気にせず休めるようになるし。」
とギルドマスターはカトリナを見て言った。
カトリナは何か心当たりがあるのか、コホン!と言って、
「そうですね。すでに少しずつ引受書を見て整理したり、ボードに貼るのを手伝ってもらっていますから、それで内容は分かるようになりつつあると思います。
でも、細かいことは教えないとわからないですよね。」
「じゃあ、今みたいに、人があまり来なさそうな時に教えてやってほしい。
よろしく頼むよ。あと、」
今度はギルド付きの剣士を見て、マスターは続けた。
「リア、時々依頼を手伝いに行ってるが、もう少し体力があればいいのになあって思ったことはないかな?」
「そうですね。三日前に行ったあの依頼は、ラリービーっていうしつこいハチに追われ続けましたから。走って振り切ることもできるらしいのですが、その時はもう、歩くのもへとへとだったので。」
「おかげで材料としていただいたけれどね。三十匹もいたから、いい量だったよ。」
と魔法使いが言った。
どうしようもなくて、そのままハチを引き連れて、ギルドまで帰ってきたから。
「体力づくりだな。」
「そうかい。じゃあ、出番なしだな。」
「剣士よ、体力作りは、私かおまえさんのどちらか手の空いている方が見てやるんだよ?」
ギルドマスターは、そんなつもりじゃなかったーと言っている剣士を無視して言った。
「今日は昼から少しだけ。明日以降は様子を見てやっていこう。」
「そんなに体がかたいとは思わなかった。」
「私よりもかたいわよ?」
暇だったのでカトリナも一緒に体操をしている。
しかし、腕を引っ張ってもらうと、思ったほど曲げられなかった。
「立って。足を曲げずに、前かがみになって。・・・もっと曲がらないかな?」
剣士に言われて、その姿勢をとったけれども、てのひらが膝のあたりまできたところで止まってしまった。
「道のりは遠そうだな。毎日やれば少しずつ曲げられると思うから、無理せずやっていこう。」
メニューを書いた紙を渡された。
「ここ限定な。家ではまだやっちゃだめだ。
厳守だぞ?」
ギルド付きの剣士に、くぎを刺された。
そんなにかたくて、危なっかしいの、私?
「剣士さん、私はどうですか?」
とカトリナが聞く。
「家でやっても問題はないけれども、リアに合わせてあげて。
それから、二人とも、いい加減に名前で呼んでくれよ。」
「レオなんとか、レオタード?あれ、レオ・・・なんでしたっけ?」
「レオナルトだが、レオでいい。」
思いっきり、ため息をつかれた。
次の日、よたよたしながら、ギルドに着いた。
「おはよう・・・筋肉痛か?」
あまりによたよたしているから、ギルドマスターでなくてもわかっているだろうけれども。
「おはようございまず・・・大して動いていないのに、めちゃくちゃ痛いです。
カトリナは元気そうですね。」
「あれでそんなに痛くなるの?」
「私だってそう思ってるわ!予想外です。」
そんな状態だったけれども、少しだけ昨日と同じものをやった。
一週間続けると、痛いけれどもそれなりに慣れた。
その次の週は、さらにやるものを増やして二週間続ける。
このころには、カトリナは飽きてしまって脱落していった。
私にも飽きられると困ると思ったのか、走ったり飛んだりするものも足されていった。
その様子を見ていたギルドマスターが、
「少しは自分の身を守れるようにしないと、一緒に行く人たちが必ず守ってくれるとは限らない。」
と言ったせいで、剣の重みにも慣れるようにと、同じぐらいの重さの棒のすぶりもすることになった。
二カ月たつと、ずいぶん体がやわらかくなり、持久力がついてきたような気がする。
「やわらかくはなったな。」
前にかがんだら、手のひらが地面に着いた。
「かなりですよ。膝あたりだったんですから!」
今日は朝から魔法使いさんがいない。
「依頼を五つ引き受けて行ったよ。しかも、難しいものばかり。
さすがに、今日中は無理じゃない?」
昼ご飯を食べて、いつもの練習というか、だんだん剣を使う時間が増えてきた稽古を終えたところで、魔法使いさんは戻ってきた。
四時だから、いくつかを明日にしたのだろうと思っていたら、
「五つ全部だ。」
と、報告書を出してきた。
裏で、鑑定をしてもらっている間に言われた。
「これで最後だからな。」
どういう意味?
報酬を渡す。
ちょうど終わりの時間になった。
ぎりぎりで戻ってくる人もないので片づけていると、
「リア、カトリナ、終わったらこっちへ。そのまま帰らないで。」
とギルドマスターに言われた。
受付前のいすに、適当に腰かけた。
魔法使いさんが妙にかしこまっている。
「実はな、しばらくここを離れることにした。
めぼしい依頼がないからではなくて、自分自身の事情でだ。
普通は一人、もしくは複数人でギルドを渡り歩く。
勇者たちと組んで世界のあちらこちらをめぐり、巨大な力と戦っていた時代が終わって、これといってするものがなく、流れ着いたのがこのギルドだった。
ギルドマスターは勇者ではないけれども、それに匹敵する力を持っていて、活躍したから、伝説のギルドマスターって呼ばれている。
どんな人なのか知りたくて来たというのもあるが。
十年。同じところにいすぎた。
ギルド付きになってもよかったのだが、一つ解決しないといけないことがある。
それが解決しないことには、どうしようもない。」
ほかの人たちは、静かに聞いているだけ。
でも、私はどうして今行こうとしているのか聞きたかった。
すっと脳裏に、光っている人の姿が浮かんだ
「解決して、戻ってくる気があればここへまた来るさ。
それに、世の中に私クラスの魔法使いはいる。そいつもここへ来そうだからな。
退散するよ。」
「家まで送ろう。宿がリアの家方向だからな。」
手を軽くあげると、カトリナが手を大きく振って、お元気でと言っていた。
「なぜ今なのかって思っているだろ?」
「はい。」
こちらから質問する前に答えられちゃった。
「元勇者の限界が来ているからな。
今、はっきりしないと、完全に神の世界に行ってしまうかこちらに戻れるかというところだから。」
「あれ?神格化したとか言われていませんでしたか?」
「存在を消さないための一時しのぎだ。
その期間が過ぎると単に神になってしまうから、その人自身の存在がなくなる。
それがもう遠くない。
はっきりさせるには、元勇者が死んだところへ行かないといけないから。」
転落したところに居合わせたのだろうか?その場所に行くのはつらいはず。
でも、行かないといけない。
「・・・会わせてくださいね、こちらに戻ったら。」
「どうして、それを選ぶと思うの?
一緒に神格化されて、違う世界に旅立つという選択肢も、何もせず神になってしまうのを眺めるだけという選択肢もあるのに?」
「自分ならそれを選ぶから。
ごめんなさい、人それぞれ、その時次第ですよね。
私のわがままな希望です。忘れてください。」
大通りから私の家へ向かう小道のところに来た。
「じゃあ、ここで。」
「魔法使いさん、お元気で。
無理しないでくださいね。
それと、本当にさっきのは忘れてください。お願いします。」
「ああ。」
家の方に向かって歩いて、振り返るとまだ立ってこっちを見ている。
もう一度手を振って家に向かった。
『優しいね。彼は選ぶから。』
周りを見たけれども何もない。
魔法使いさんがいなくなった。
でも、なぜか前より人がたくさん来るようになった。
「どこかで言ってるのかもな、ここは依頼が多いぞって。」
「そうですか?ほかに行ったことがないから。」
レオさんが言った。
「だってな、今までは人手がなくて、ある程度たまると、私と魔法使いで大量に片づけていたから。
しかも、簡単なものではなく、中以上のランクのものをな。
それを、今はしなくていい。それだけ人が来ているんだよ。」
ボードをながめながら、貼られてある紙が消えていくのを見て、何となくさみしくなった。




