03 戦うという選択
5/8日 挿絵の追加
日が落ちて、森が暗くなった頃。私はラスウェルという騎士と話をした。
彼らはラスウェルが冒険者ギルドに発注した魔王城の偵察クエストによって集まり、森を進んでいる途中だったようだ。
彼自身はこのエグニア大陸の国家直属の騎士団長であり、アクリスとメイヤーはギルドのクエストを見て雇った腕利きの冒険者なのだそうだ。どうやらその二人も元国家騎士団であり、古くからの付き合いらしいことを聞いた。
また、ステータスやレベルの確認についても聞いてみたが、何の話なのかまるで理解されなかった。ラスウェルたちにこの世界がゲームの中であるという認識はなさそうなので、これ以上はあまり深く踏み込まない方が良いと思った。
「熱いから気を付けるんだ」
そう言って火で温めたスープを頂く。
どろっとしたトマト味のスープにはニンジンやジャガイモなどのなじみのある野菜が細かく入っているようだ。しっかりと味も感じる。
あの死にかけた時の激痛、食事。ここは間違いなくゲームの中か異世界であるが、同時に夢でもないのだということを私は受け入れなければいけなかった。
「このまま魔王城に乗り込んだりはしないのですか?」
この世界から戻る方法。ゲームだというなら、魔王を倒してクリアしてしまえばあるいは…?
「それは難しいな、勇者でなければ魔王には勝てないだろう」
「ハッ、どうだか…私は今でもアンタが勇者になるべきだったと思ってるわよ?」
勇者もやっぱりいるのか、と思った矢先にメイヤーが戻ってきた。
「見張りは?」
「アクリスが明日のこともあるから休んどけってさ。カッコつけちゃって…」
「ラスウェルさんも勇者候補だったのですか?」
「候補も何もラスウェルが勇者になるはずだったのよ。勇者選抜の闘技大会で優勝したんだから当然じゃなくて?」
私は思わずラスウェルを見た。つまりそれは世界で一番強い人間だったということなのでは…?
「アシュレのことをあまり悪く言うな。彼女は…俺の妹だ」
つまり勇者アシュレという存在が居て、その兄がこの目の前にいる騎士であるということ。
え、かなりすごい人なのでは?
いやでも国家騎士団の団長でラストダンジョン手前まで偵察に来る実力者となるとそれもおかしくはないのか。
「私はまだ納得してないのだけど?アンタはこの私に勝った。そして決勝でアシュレにも勝ったじゃない?
きっと誰しもがアンタが選ばれると思ってたし、それが望まれてたんじゃなくて?」
「勇者選抜が優勝者と確かに決まってはいなかった。他の要因があったんだろう。そしてアシュレが選ばれたんだ。俺だって自分が勇者に選ばれると確信してたし、勇者にならなければいけなかったんだがな…」
ラスウェルの表情が曇る。空気が少し重い。
「ならなければいけなかった…?」
「いや…兄としてだ。妹に勇者などという魔王と戦う過酷な宿命を背負わせたくはなかったんだ。今こうして魔王城の偵察に来ているのも何か妹の力になれないかと思ってのことだ」
「世界で一番強い騎士団長様が、実はただのシスコンだったわけよ。つき合わされるこっちの身にもなって欲しいもんじゃない?」
「いつも悪いな、こんな危険な任務を同行させるとなると君たちくらいしか…」
「ハッ…冗談だって、なーに真に受けて…」
パァンッ!
空が一瞬明るくなったかと思うと、花火でも上がったみたいに何かの破裂音が森に響いた。
一瞬にしてラスウェルとメイヤーが武器を抜いて空を見上げた。
「アクリスの閃光弾じゃない…?」
「黄色、警告…敵襲だ!」
「くそっ…!」
「待て、メイヤー!」
メイヤーが舌打ちをして走り出そうとするのをラスウェルが制止した。
「アクリスが…!」
メイヤーの先ほどまでの強気な態度から考えられないほど、焦燥から不安な表情を見せる。ラスウェルはそれでも掴んだ腕を離さなかった。
直後、何かがこちらに向かってくる茂みの音に二人は戦闘態勢に移る。出てきたのはアクリスだった。
「僕は大丈夫なのです!急いで離れるのです」
「敵の数は?」
「…1体なのです」
「だったら…!」
「僕だって、いつもなら1体程度で警告弾を撃ったりしないのです…!」
察しろと言わんばかりにアクリスがラスウェルをじっと直視した。
「すぐにここから離れる、町の方へ戻るぞ」
「「了解…!」」
ラスウェルが私の手を引いて背中に乗るように指示する。引っ張り上げられ、3人は暗い森の中を駆けだした。
だが、走り出して1分もしない内に、私の背中を何かが這いずるような、嫌悪感の塊のような感覚がゾクリと不安を呼び起こす。
「すまない、僕の判断ミスです!こんなに速いなんて…!」
「逃げきれないなら、迎え撃つしかないな」
そう言うと少しばかり森が開けた平原で足を止めた。
私を背中から降ろし、アクリスが私の肩を叩いてついてくるように手招きする。
ラスウェルとメイヤーが前線で、アクリスは弓で後方支援するようだ。
背中で感じた嫌な空気がだんだんと近付くのがハッキリわかると、森から1つの影が高く飛び上がり、ラスウェルたちの前に大きく土を巻き上げながら着地した。
暗くてよく見えないが、マント?もしくはローブのような布が揺らめいた人型の何かはゆっくりと顔を上げた。
……………そして、目が合った。
闇に包まれたフードの奥から淀んだ紫の目が見えた瞬間、ぐにゃりと世界がブレた。
テレビが故障したみたいに、色が分離し、ノイズが鳴るみたいに視界がぐらりと歪み始め、吐きそうになる。
アクリスも思わず頭を抑えて膝をついた。
魔力?
その概念すら知らない私でもハッキリと感じるほどの、何か強大なエネルギーのようなものが空間を支配しているように身体がチリチリと痺れるような気がした。
それほどまでにその敵の魔力が恐ろしく強いのだと分かる。
「アクリス、その人間を連れて逃げなさい!
こんな空間に居たら精神が狂わされちゃう!」
「ライジングブレイドぉ!!!」
その魔力に臆することなく、ラスウェルは前に踏み出し光の斬撃を放つ。
私にはいつ鞘から剣を抜いたかすら認識できないほどの剣技は、無数の光の刃となってモンスターへと飛んでいった。
モンスターは後ろに大きく飛び退いて回避する。
「行け!ここは俺たちで食い止めるぞ!」
ローブのモンスターが両手を広げると、地面に黒い泥のような影が身体から広がり、這い出るようにコウモリや狼、そして剣を持ったガイコツの戦士がぞろぞろと出てきた。
「召喚だと?なんだこのモンスターは?!」
「間違いなく魔王軍の主力じゃなくて?ヤバいわよコイツ」
狼がこちらに駈け出そうとすると、メイヤーが薙ぎ払うようにして大剣を振る。刀身が赤く熱を帯びて大気を弾くと小さく火花が散り、爆炎となって炎が広がった。
敵を私たちの方へと通さないように炎は私たちを分断しつつ夜の森を照らし出す。
だが、その炎から数匹のコウモリが抜け出してこちらへと飛んでくる。それをアクリスが弓で一発も外すことなく撃ち落としていく。
戦えてる…!
この人たちなら…と思った瞬間、炎の奥で何かの魔法が弾けた。
それはフードのモンスターによる氷の魔法で、周囲の草たちが氷の刃に、メイヤーの生んだ炎をかき消すように冷気の風が大気を凪いだ。
さらに魔術師はその冷気で宙に氷の剣のようなものを創造しようとしており、ラスウェルがそれを阻止しようと居合を放つが、魔術師はその氷の剣で斬撃を防いだ。
「コイツ、魔法使いじゃないのか?!」
ラスウェルも自分の剣技が見切られたことに驚く。だがそこにメイヤーが攻撃を重ねるように爆炎を発生させて斬りかかった。
その攻撃は氷の壁が阻むようにして魔術師へ届かない。
二人がかりでようやく対等に戦えているように見えたが、そこに影から召喚されるモンスターたちが絶えず出てきてはラスウェルたちやこちらへと向かってくる。
このままではいずれ…。
そう察した私はアクリスに告げた。
「アクリスさん逃げてください、せめてあなただけでも…!」
明らかに私が足かせとなっている状況。アクリスだけならこの場から逃げることも可能だったように思う。
彼もそれは理解していただろう。苦い表情を浮かべたがそれでも私のそばを離れることはしなかった。
だが、その時はすぐに訪れる。
「あぁ゛ッ…!!」
メイヤーの鈍い声が、氷の柱によって彼女の身体を貫いて打ち上げる。
糸が切れた人形に酔うにぐったりと四肢を垂らして…メイヤーの手から大剣がこぼれ落ちた。
「メイヤーぁぁ!!」
アクリスがとうとう耐え切れずに声を上げた。
どういう仲であったのかは想像するべくもなく、彼の目に私はもう映っていなかっただろう。
私に彼を引き留める術はなく、一人取り残された私を影のモンスターが狙わないはずもなかった。ガイコツの戦士が剣を振り上げてこちらへと近付いてくる。
逃げないと…そう思ったが恐怖で身体が動かなかった。また死ぬの?ゴブリンに殺されかけた時のことを思い出して身体が震える。
もうダメだ…。
思わず私は目を閉じてしまった。
だが剣は振り下ろされない、痛みは私を襲わない。
恐る恐る開いた目の前には、ガイコツの戦士に剣を突き立てられたラスウェルがいた。
私を守ろうとして庇ったのだ。
その刹那、剣が大気を裂く音がしてガイコツはボロボロと崩れ落ちるように霧散する。
「すまない、君を守れなかった…。どうか、逃げてくれ…」
ラスウェルは膝から落ちるように倒れ込んだかと思うと、ガラスでも砕けるような音と共に大きな灰のように砕け散り、霧散して消えた。
魔術師との戦闘ですでに瀕死だったのだろう。
私は灰を集めようと手を伸ばしたが、手に掴んだ灰はみるみるうちに小さくさらに細かく砕けて消えていく。
思考が上手く働かなくなった。
フィルターがかかったみたいに周囲の音もだんだんと聞こえなくなっていく。
恐怖も悲しみも怒りも、だんだんと感情が虚ろになっていく。
理解が心を拒もうとするが、そのかすかに聞こえる雑音にまたガラスが割れるような音が響く。命の消える音だ。
アクリスか、メイヤーか。
それを確認する気力も起きず、私はただ目の前に残ったラスウェルの白い剣を眺めていた。
あぁ…この感覚は以前にも覚えがある。母親が亡くなった日。どう受け取ればいいのか分からずに考えることを放棄した。。泣きじゃくる妹を見て悲しいという感情すら希薄な自分に嫌気がさしたが、同時に強く…。
強く…妹を守らなければと、その日に誓ったのだ。
『こんなとこで死にたくなんてない…!』
私はラスウェルの剣を手に取った。心に渦巻く何か良くないものが私を駆り立てた。
まだ何もこの世界のことを分かっていない。
妹が居るのかどうかさえ分かっていない。
剣を鞘から引き抜き、鞘を投げ捨てる。
思ったよりも剣というのは重いものであったが、刀身が淡い白い光を発し、その重さはラスウェルの意志を背負っているような気分さえして力が湧いてくるような気がした。
異世界に来たからと言って特別な力があったわけじゃない。
剣を抜いたら隠されたスキルを獲得したわけでもない。
それでも、一歩を踏み出さなければ奇跡は起きない…!
「あああああああッ!」
生涯で出したことのないような咆哮にも似た叫びを出して恐怖をかき消す。
自分を偽る。自分はこの世界にきた異世界からの戦士であると。
力の限りをその剣に込めて、魔術師に斬りかかった。何か剣の稽古を受けていたわけでもない私のその一振りはもはや叩きつけている感覚に近かったが、魔術師は氷の剣でそれを防ぐ。
金属音が鳴り響いて、剣が震えるようにして弾かれる。手が痺れるような感触がしたが、私はその弾かれるままに体を捻って逆側から斬りかかった。
………。
………………。
………………………。
どこか高揚したような気分で我を忘れた。
いや我を忘れようとしたんだ。
恐怖をかき消すように自分を奮い立たせて、どうにか体を動かして、無謀にも戦おうとした。
奇跡は起きない。起きるはずがない。
だって、何もないのだから。
冒険者ですらないような、村人が初めて剣を振っただけのこと。
私の2撃目は振るう間もなく、狼が私の身体を地面へと叩き伏せ、首元へとその牙を伸ばす。
急速に目の前が赤く点滅するみたいにチカチカして、死を理解する前に痛みが首を、手首を、腹部を…。
身体を粉々にするみたいに乱暴に引きちぎられる感覚。
脳がこれ以上の感覚を拒絶するように、ブツンッと視界が真っ暗になった。
終わりとはこうもあっけなく告げられるものなのだと知った。




