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16 夢と幻

心が抜け落ちたみたいに何も考えられない。

いや考えたくない。


夜中に警察が来た。

母がビルから飛び降りて亡くなっていたのだと伝えに来た。それをテレビでも見るかのように聞いていた。

母の遺体がしばらくして家に運ばれた。私はただただそれを虚ろな気持ちで見ていた。

それはきっと私にとって2度目の母の死だったからなのかもしれない。


画家だった父のアトリエには頻繁に家族ではない誰かが出入りしていた。お仕事の人が来るのだから幼い頃から躾があった。2年後には妹が生まれ、私は見本にならねばならなかった。


「良くできたお子さんね」


よくそう言われた。泣いたり喚いたりしたらいけないの。お仕事の邪魔になってしまうから。私はお姉ちゃんなんだから、礼儀正しく振る舞うのは当たり前なの。

でも妹はよく泣く子供だった。その度に母は妹を背負って外へ行き、泣き止むまで家に帰ってはこれなかった。私はもう母に負担をかけるわけにはいかなかった。


中学生ももう終わる頃になると、父の仕事があまり上手くいっていなかった。お手伝いさんが一人減り、二人減り、お仕事の関係者が家に来ることも少なくなった。

父の吸うタバコの量が増え、酒を煽り、母を怒鳴る光景が以前にも増して、手をあげることも少なくはなかった。

高校生のころ、母が自殺未遂をした。

なんとか一命は取り留めたものの、母はその日から精神科の病院からでることができなくなった。

虚ろな母を見て、私たちを置いていこうとしたのだと思ってしまった。ここにいる母は死んでしまっていて、別の何かのように感じてしまった。


リストカットをする人、もう死にたいと病む人。人身事故で遅延する電車。

友人や見知らぬ誰かの「死にたがりは勝手に死ねばいいのに」という言葉。ただ構ってほしいだけなのだと言う。

分からなくはない、人は手首を切っただけでは死なないし、思春期の私の周りのそういう人間はこちらが見たくもないのにその傷を見せようとする者が多かった。不安定な精神に将来の不安が差し掛かる高校生では構ってほしいだけと疎んでしまう人がいるのも理解はできる。


でも、それが身内だったら?

あなたの大事な人がそうだったら?

同じように勝手に死ねばいいのに、と言える?


なんとも言えない気持ちになった。

でもどうすればいいのかなんて分からなかった。私に何ができたのか、何をすれば良かったのか…。

退院して、日に日に話さなくなる母。だんだんと、動かなくなる母。それをまた父が責め立てた。いつかくる日だった。


それが今日だった。

私には何もできなかった。何もしなかった。


悲しい?苦しい?


私がそんなことを言える資格なんてなかった。だって私は何もしなかったのだから。そんな自分が嫌で、どこか冷静に受け止めていることが気持ち悪くて嫌悪した。

心が抜け落ちていくみたいに虚ろになるのは、もう何も考えたくなかったからなのか。

それとも受け入れることができずに心が理解を拒もうとしたのか。

私はただぼんやりと母の死を眺めながら、私の代わりにといわんばかりに泣きじゃくる妹の声を耳に、私がもっとしっかりしなくてはと…守らなければと心に誓った。


それは本当に姉としての行動だったのか、母の死から逃避するための心の拠り所にしようとしたのか。それは今でも自分ですら分かってはいない。


「お母さん…」


不意に口からでた言葉。冷たい手が私の頭を撫でる。星が輝く暗い空と、焚き火の火がゆらゆらと光を照らしていた。

思考が働かない、暑くてダルい。

視界を、覆うように空にアシュレの顔が覗き込まれた。私はどうやら彼女の膝の上で横になっているらしい。


「まだ熱は下がらないですね、解毒は効いているようです。

グリフォンの毒は普通のポーションでは解毒できない特殊なものなのです。幸い解毒に必要なグリフォンの骨髄は採取できましたので、じきに治るはずです」


…骨…?

いや、あんまり考えないようにしよう。この不調は毒で、その解毒はしたけど完治まではまだ休まないといけないのか…。


「アヤ…お母さんと何かあったのですか…?」


心臓がドクリと鳴る。

悪夢を見ていた時に何か言ったのだろうか?


「眠っている間に唸ったり苦しそうでした。時々お母さんと言いながら泣いていたので、気になったのです」


アシュレは何かあったなら話してと言わんばかりに、優しく私の頭を撫でる。ひどく安心する。前に頭をこんなふうに撫でられたのはいつだっただろうか。

私が話さないでいてもアシュレはそれ以上聞いてくることはなかった。話したくないというわけではなかったが、母の死に関しては私の中でもどう向き合えばいいのか、まだ分かっていないのだ。

悲しめばいいのか、強くあらねばならなかったのか。私は後者を選ぼうとして一先ず蓋をして、そしてどう蓋を開ければいいのか分からなくなってしまった。


「忘れてしまいたいのです?」


話すつもりはなかったのに、ぽつりぽつりと、母が自死したこと、どう向き合えばいいのか、わからなくて話しにくいのだと、考えていたことが口から溢れていた。

忘れたいなんて思ったことはない。でもいつまでも、それを悲しんでいてもお母さんだってそんな私を望まないだろう。

でももう何年も昔のことだ。普段は忘れてしまっていることもある。夢を見るように当たり前に朝食を作ってくれる母がいて、でもふとそのキッチンにはお母さんは居なくて、時々その当たり前を確認して涙が溢れる。

蓋をしてちゃんと、向き合っていないせいだろう。曖昧なままにしてうやむやにして、ホントはふっと家に帰ってくるんじゃないかと思ったりして。そんな不安定な受け止め方をしているからいつまでも消化不良になってしまっているのだろう。


「アヤは…どうにも多くを自分に課しているように見えるのです。悲しむべきではないのだと、忘れるべきことではないのだと。

この二つはおそらく相容れないものです、アヤは両方ともを自分に課しているように見えるのです」


アシュレもまたどこか虚を見るように炎を眺めていた。


「でも、無理に捨てる必要はないかもしれません。私にだってどう受け止めていいのか分からない事はあるのです。

普段は考えないようにしていますが、本当は考えなければいけないこと。たまに不安になることもあるけれど、付き合っていくしかありません。いつかは向き合って受け止めることができるかもしれませんから…」


普段はあまり悩んでいたりしていたようには見えなかったが、お兄さんが死んだことについてだろうか?

私が死を伝えてから数日。元の世界ならお通夜も葬式もとっくに終わっているだろう。だが、アシュレはそういったことをするでもなく次の町へと旅立った。考えないようにしたかったのか、勇者としての責務が悲しむ間すら与えなかったのか…。

そんな風に考えながら私はまた眠りについていた。


目が覚める。

まだ早朝の淡い陽気がテントに照らされ、鳥のさえずりが微かに聞こえてくる。

ダルさはなかった。寝すぎたような頭の重さを少しだけ感じたが、昨日のように酔った感じはしないし、熱もすっかり引いたようだった。アシュレを起こさないようにテントから出てみることにした。


昨日の夜に横になっていたであろう焚き火の後があり、少しだけ離れたところにもう一つテントがあった。

男性が二人で何か話している。


「やぁ、毒はもう大丈夫そうか?」

「おはようございます。はい、もう大丈夫だと思います」


効いて良かった、と男は頭を掻いた。


「あなたが毒を治してくれたのですか?」

「グリフォンの毒はかなり稀でね。通常の解毒薬や状態異常ポーションでは治癒できないんだ。なにせ材料にグリフォンの素材が必要になるからね、倒せる者も少なければそもそも遭遇することがあまりないモンスターで調達が難しいんだ」


グリフォンはアシュレでも苦戦していたモンスターだ。

太刀打ちできる者は確かにこの世界でも多くはないのだろう。


「解毒の方法は知っていたが、役に立つ機会は初めてだったからね。

治ったなら何よりだよ」


私は二人に頭を下げる。

この世界にはどうやら事前に材料の準備がないと治癒できないものが存在する、というのはかなり重要な情報ではないだろうか?

アシュレとこうして旅を続けていればあわよくば毒を食事に混ぜることも難しくはないし、その時に解毒の材料がすぐに調達できなければ死は避けられないのではないだろうか。

次に魔王城に戻ったらメレディスに聞いてみることにしよう。そこまで考えてアヤは一つ思うことがあった。


「もしかしてなんですけど…グリフォンの毒のように簡単な薬では治せない、クリスタル化するような状態異常ってありますか?」


特別な封印のようなものとも思っていたが、石化という状態異常はわりとゲームでも見かける。もしあのクリスタルのようにカナが封印されているのが石化と似た状態異常だとするなら…解く手段というのも存在するのではないかと思った。


「クリスタル?あ…いや、()()()のことか?」

「あるんですか?」

「確かにある…。俺が知ってるのは100年前にあった町ごと結晶化したっていう…」

「あぁ、聞いたことあるな」


町ごと…?

二人の話を聞くと、100年前。つまり前回の魔王が復活したときの事である。魔王の手によって町が一つ氷漬けにもなるように生き物も建物も全て結晶となってしまったらしい。

その町は今でも保護区として管理されており、未だに結晶化したままなのだそうだ。治す手段はまだ判明してないが、同じように石化の状態異常の類いであるならば、治す方法さえ分かれば助かるかもしれないからだ。


魔王だけが行使できる特殊な力。まず間違いなく妹が封じられているのはその力だと思う。


「お、勇者様だ」


そんな話をしているとアシュレが山道から歩いてきていた。いつテントから起きていたのだろう?

アヤが声をかけようとした、その時だった。






ゾワリ…と、身体の内側を何かが蠢くような気味の悪さと恐怖が私の思考を止めた。


そこにいるのは間違いなくアシュレであったはずだ。

あの凛々しくも強く、昨晩は私の身を案じて不安を親身になって聞いてくれていたアシュレから想像もできない虚ろな目がイヤに不気味で恐ろしかった。


本当にアシュレなのか?


たとえ苛立っているようなことがあったとしてそれをこんなにも露骨に表情や態度に出す人間ではないと思っていた。



「おはようです」


アシュレはアヤにそう言った。


まるで幻覚でも見ていたかのように

いつものアシュレがそこには立っていた。


優しい笑みを向ける少女の剣士。

寝起きで少し機嫌が良くなかった?

陽射しの影のせいで機嫌が悪そうに見えてしまっただけ?

何かを見間違えていたかのように違和感はすぐに消えてしまっていた。


「なにも買わなくていいからね。ここのダンジョンはすぐに抜ける予定だから、アヤも準備しておいてね」


アシュレはいつも通りに見える。

だが、まだどこか違和感を覚えた。

それが具体的には分からないけれど、アシュレらしくない…そんな気がした。

些細な違和感だったのか、先程の見間違いの時に感じた恐怖が抜けきっていなくて警戒してしまっているのか自分でも良く分からない。


私は準備を済ませてテントを出る。身体が重い感じはするが、おそらくは戦うこともできるはず。

アシュレの元に戻ると何かを大量に購入しているようだった。

それは大量に袋に詰められた筒状の爆弾だった。10、20…もっとある?


「アシュレ、それは…?」

「必要になるかもしれないですので…」


アシュレは扱いには気を付けるようにといってそれらを私の荷物に詰めた。


「これも飲んでおいて」


アシュレはポーションのような薬を渡してきた。

やけに冷たい感触が容器を通じて伝わる。

一息に飲み干すと、冷たさが喉を通り胃に入ると同時に血管を通して全体に冷気が脈動するような感覚に恐怖を感じた。

何を飲まされたのかとアシュレを見ると、同じものを飲み干してカバンを持ち上げて渡してくる。


「このダンジョンは熱気が強いからこれを飲んでおけばある程度耐えれるようになる。

さあ、行くよ」


そう言ってアシュレはダンジョンの入口へと向かっていった。

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