おとぎ話:椿
この前テレビを見ていたら、童話は外国のもので、おとぎ話は日本のものって言ってました。童話はメルヘンの訳語ですからね(たぶん)。椿はヨーロッパにもあって、デュマ・フィスの「椿姫」とか、それを元にしたヴェルディのオペラとかありますが、どうも和風の花って感じがします。日本のはヤブツバキって言って、学名もCamellia Japonica(日本の椿って意味ですね)なんだそうです。そういうことで、今回は日本のおとぎ話ってことにしました。
昔々あるところに庄助さんというお百姓さんがいました。庄助さんはもう30を過ぎているというのにまだ嫁ももらわず、母一人子一人で小さな田んぼを耕して暮らしていました。
冬の終わり頃のことです。身体の具合が悪く臥せっている母親の代わりに、庄助さんは川で大根を洗っていました。手がかじかんで息を吹きかけていたら、水底を細いきれいな魚がすいっと通ったかと思うと、絣の着物を着た若い娘の姿が川面に映りました。振り返ると娘はお山の方をぼんやり見ています。いつの間に来たのだろうと思いながら、庄助さんも雪をかぶったお山を眺めます。
里に春が来て、つくしやよもぎが顔を出すとお山の雪も溶け始め、黒い馬の形が現れます。そうすると田んぼの代かきの季節です。でも、今年はまだ里にも雪がたくさん残っていました。
「おめえ、どっから来ただ?」
どうしておとぎ話では、こういうどこの方言だかわかんない変なしゃべり方をするんでしょうね。まあ、『君はどこから来たんだ?』なんてNHKのドラマでもしゃべらないような標準語でも困りますが。……娘が返事します。
「わかんね」
「記憶喪失け?」
あのね、庄助さん。あなたはおとぎ話の主人公でしょ? なんで記憶喪失なんて言葉を知ってるんですか。だいいち結論が早すぎますよ。合コンで前に座った女性に「結婚式はやっぱりチャペルでね」ってシベリアみたいなギャグをかましてるみたいですよ。
「わかんね」
「名前はなんだ?」
「わかんね」
「これからどうすんだ?」
「わかんね」
何を訊いても「わかんね」ばかりで、庄助さんは困ってしまいました。よく見ると着物の着方もなんか変で、あちこちに泥まじりの雪がついています。悪さでもされて呆けてしまっているのかと不憫に思い、家に連れて帰ることにしました。娘の足取りはちょっとふらふらしていて、道端に咲いていた寒椿に引っかかりました。花が一輪、ぽとりと雪の上に落ちました。
家と言っても、土間の真ん中に囲炉裏があって、蓆を敷いて母親が寝ているだけです。庄助さんが娘のことをぼそぼそと説明するのを母親は身体を起こして聞きます。
「そうけ、そうけ」
何だか勝手に一人合点しています。
「おめえさん、ずっとここにいろ。庄助の嫁になってくれろ」
息子と同じように性急な結論を導き出しています。ただ母親は娘の腰の辺りの肉付きを見て、子どももいっぱい産めるし、野良仕事もよく働くだろうという算段はちゃんとしていたんですけどね。
「わかった」
なんでここだけ「わかんね」じゃないんだって思いますが、娘はそんなことで庄助さんの家にいることになりました。名前がないのはかわいそうなので、小春という名前を付けてやりました。
小春はよく働きました。ご飯の仕度、洗濯、着物の繕い、野良仕事、体の弱い母親の世話……朝から晩まで休む間もなく働いて、不平一つ言いません。貧しいお百姓ですからチャペルで結婚式を挙げれるわけもなく、村のみんなが庄助んとこの嫁って呼べばそれで結婚成立です。しかし、春になって、夏になって、秋が来て、また冬が来ても、子どもはできませんでした。当てがはずれた母親の顔が曇ります。
あっという間に3年が経ちましたが、やっぱり子どもはできません。体の調子もだいぶよくなった母親は小春につらく当たるようになりました。小春は柿の木のそばでしくしく泣きます。庄助さんは家と柿の木の間をおろおろ行ったり来たりします。こういうときはどっちの側に立つかはっきりした方がいいように思うんですが、なかなかそうできないんですね。どっちの言うことにも「だな、だな」ってうなずくので、こじれるばかりでした。
母親は跡継ぎを作れないような嫁はいくら働き者でも要らないと思ったんですね。ひどい話ですが、田んぼを代々引き継いでいくしかないお百姓としては、そう考えるのはわかんないこともないですね。で、小春を追い出すよう庄助さんにしつこく言います。でも、小春が好きですからいくら母親の頼みでも「うん」とは言いません。
「もう少ししたら子もできらあ」とはぐらかします。
「できなんだら?」
「そんときは仕方ね」
「じゃあ、春のお彼岸までだぞ。ええか?」
話の成り行き上、庄助さんはうなずくしかありませんでした。秋の終わり頃のことでした。
雪国の長い冬もその時ばかりは庄助さんにはあっという間に過ぎました。お彼岸にはぼた餅を作りますが、貧しい庄助さんの家ではそんなわけにはいきません。そば団子に少しお米を混ぜるくらいがせいぜいです。
ところが彼岸入りの朝のことです。庄助さんが起きてみると朝いちばんに起きるはずの小春の姿が見えません。竈にはには火が入っていて、囲炉裏のそばには本物のぼた餅が二つ置いてあります。
びっくりして外に出て、小春を探します。春めいてきたとは言え、どんよりとした雲が厚くたれ込めている下を村はずれまで走っていくと小春の小さな背中が見えました。
「小春!」
「世話になっただ。ホントお世話に」
深々とお辞儀をします。
「行くでね! おっかあはおらが何とかするけ」
「子の産めねぇ嫁は去ぬしかね」
「そんただわかんね。二本松の松んとこも5年めにできただ」
「おら、ホントは狐なんだ。ずっと前におまえさんに罠にかかってるところ助けてもらった子狐なんだ。子どもさできる道理はねえ」
「DNAが違ったんけ?」
あのね、庄助さん。いいところなんだからわけわかんないこと言わないでください。
「んだ。はなから無理なの承知で来ちまって申し訳ね。おら、庄助さんのことが……」
小春は言葉を切って、もう一度お辞儀をすると、くるっと向こうを向いて歩き始めました。
「待ってけろ!おらもおめえのこと」
あわてて追いかけようとした庄助さんは雪道に足を取られ、滑りました。一斉に寒椿の花がばあっと落ちます。
すぐに顔を上げましたが、お山の麓まで続く道のずっと遠くを何度見ても、小春の姿は見当たりませんでした。雲の合間から何本もの光の筋が一面の雪を照らしています。