クリスマスアルコール②
【寒いから先にお店入ってて!】
のラインをもらってから約十分後、息を切らして千夏先輩が現れた。
「ごめん、待たせちゃったね」
ベージュのコートについた雪を手で払いながら私の向かいの席に座る。
ポニーテイルに結われて毛先が巻かれた暗めの茶髪にナチュラルなメイク。ちょっと赤めの口紅がアクセントになっていて可愛い。
私の憧れの先輩だ。
学年の関係もあって一年しか一緒にいられなかったけど、ときどきこうして会ってくれるのはとってもありがたいし、嬉しい。
「時間は守るようにしてたんだけど、ホントごめん」
「いいえ、全然大丈夫です。私から急に誘っちゃいましたし」
「そっか。なら、セーフってことにしておこう」
ニコリ、と笑う千夏先輩。
素敵な笑顔。私がどれだけ真似しても、近づこうと練習しても私にはできない笑顔。
「今日お仕事でしたよね。あと、予定とか大丈夫でしたか?」
「仕事は大丈夫だよ。年末だからちょい忙しかったけど」
言うと先輩は通りかかった店員さんを呼び止める。
「すみません。オーダーいいですか?」
勢いよく通り過ぎようとしていた店員さんは急カーブを描いて私たちの席の前で止まった。
「はい。お伺いします」
「ビールで良い?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃあ、生中二つください。あとフライドポテトもお願いします」
「かしこまりました」
そそくさと去っていく店員さん。平日だけれど大勢のお客さんがいるため忙しそうだ。
千夏先輩はコートを脱いでシャツの袖を捲る。そして、テーブルに両肘をついて顔の前で手を組むと、いらずらっぽく言った。
「で、私のクリスマスの予定、気になる?」
「すみません。やっぱり、この後から何かありましたか?」
腕時計で時間を確認する。夜の九時前。社会人のクリスマスは九時以降に始まるっていうのが一般的だったりするのだろうか?
「ぷふっ」
「?」
「相変わらず真面目だね、結衣ちゃんは」
「どういうことですか?」
「クリスマスに予定のある人がこんな時間に後輩と居酒屋にいると思う?」
「あまり思わないですけど、もしかしたら無理して来てくれたのかなって」
「そうだったら、私超頑張り屋さんだね」
あはは、と柔らかい笑みを浮かべる先輩。私も同じように笑おうとするけれど、表情筋に違和感がある。無理して笑おうとしているわけじゃないけれど、うまく笑えていない気がした。
「ん、何かあったかな?」
千夏先輩がのぞき込んできた。この人、人の心の機微を感じ取るのがうまいというか、そういうことに無意識的に敏感だから、どうやらバレたようだ。
「あ……はい」
私は曖昧な相槌を打っただけで黙ってしまった。
聞いてほしい話があったから先輩に来てもらった。けど、まだ心の準備ができていなかった。
「まあ、とりあえずっ」
運ばれてきたビールのジョッキを千夏先輩が掲げる。合わせて私もジョッキを持った。
「クリスマス負け組の集いを始めましょう」
きんっ、とガラスがぶつかる音が響く。
「くー、二日連続のお酒は効くねー」
「昨日も飲んだんですか?」
「うん。中学からの友達とね。その子もクリぼっちでさ、二人でやさぐれて深夜二時までやってた」
「二日連続でお酒にしちゃってごめんなさい」
すごいな。私じゃ二時までとか絶対もたないや。
「いいって。会えただけでも嬉しいし」
そう言ってもらえると、私もとても嬉しい。
「でね、その子お酒超好きで超強いんだよねー。私はその子ほど強くないから飲むっていうよりも話していたんだけど。結衣ちゃんはお酒大丈夫だったっけ?」
「大丈夫ですけど、そんなに飲まない方だと思います」
「ホントに? でも、実はいけたりして?」
「居酒屋とかあんまり来ないんですよね」
「じゃあ、なんで今日誘ってくれたの?」
それは。
「たまにお酒飲みたくなるときがあるんです」
「ふーん」
千夏先輩はポテトにケチャップをつけてそのまま口に運んだ。
「やっぱり、何かあったんだ」
「……」
「自分から言ってごらん。結衣ちゃん、もっと自分で話作れるようにならないと」
「はい」
わかってはいるのだけど、なかなか難しい。
私なんかが話してもいいのかなって私なんかの話に興味持ってくれるのかなって、そういう不安があるんだ。
「私に聞いて欲しいんでしょ? だから、呼んだ」
「はい」
その通りです。
「今日はせっかく結衣ちゃんから誘ってくれたんだし、好きなだけ話して大丈夫だよ?」
自然に落ちてきた唾をごくり、と飲み込む。その余韻を消すためにビールを一口喉に流し込んだ。
大丈夫。
千夏先輩だからきっと、いや、絶対大丈夫。
私なんかが話しても大丈夫。大丈夫。大丈夫。
「実は相談っていうか、聞いて欲しいことがあるんです」
「うん」
千夏先輩の返事に包容力を感じる。
「ええと、その」
言葉に詰まる。
「……あの、その」
言いたいことは決まっているのに、なんて言い出せばいいのか、わからなくなった。
「……なんていうんだろ」
「学校のこと? それとも、恋のお話?」
優しい笑みで先輩の問いかけ。
「……後者です」
結局、先輩の言葉に助けてもらうことになる私だった。
「別れた?」
「いいえ」
「そういえば結衣ちゃん彼氏いなかったか」
自分から言い出せなかったことにしょぼんと俯いてしまう。これじゃあ、コミュ障じゃん。
「じゃ、振られた?」
横に首を振る。
「まあ、結衣ちゃんは自分から告白するタイプじゃないよね」
「はい」
と、俯いたままの私の口の中に突然、ケチャップの味が広がった。
顔を上げると、千夏先輩がいたずらっぽく笑いながら私の口にポテトを突っ込んでいた。
「いつもやられてる側だから一回はやってみたかったんだよね、これ」
「ふえ?」
戸惑いながらも、モグモグとポテトを食べきる。
「どういうことですか?」
「いやー、昨日一緒に飲んでた子がいつも私にやるんだ、ポテト攻撃。ちょうど今の結衣ちゃんみたいに相手から視線を外しちゃってるときとかよくやられる」
「そうなんですか」
「うん。私の場合は酔いが回ってふわふわしてるときが多いんだけどね」
「へえ」
こういうときになんて返事をするのか正解なんだろう。少なくとも今の私の返しは間違いだ。だって、会話途切れちゃったもん。
私から誘っておいたくせに全然しゃべれないし、会話も詰まらせちゃうし、本当に申し訳ない気持ちになる。
そうして、こんな自分が嫌だ。
また、顔が俯いてしまった。
「結衣ちゃん、大丈夫だよ」
と、先輩の優しい声。
「話してごらん。だって、せっかく呼んでくれたんだよ。珍しく結衣ちゃんから誘ってくれた。頼りにされてるのかもって、正直嬉しかった。私で力になれるなら、ちゃんと結衣ちゃんの話聞きたいな」
「はい」
顔を上げる。
視線の先には私が憧れている可愛くて優しい先輩がいる。
「ありがとうございます」
ゴクリ、と能動的に唾を飲み込んだ。今度はビールはいらなかった。
「その……、失恋しちゃって」
思ったよりもはっきりとした声で言えた。
「でも、告白して振られたとか別れたとかじゃなくて、なんていうか……」
「なんていうか?」
「友達も同じ人が好きだったから、その子のこと応援しちゃって……」
昨日送られてきたラインの画像を思い出した。
友達とその彼氏が映ったクリスマスツリーの写真。
私も好きだった人の笑顔の写真。
そして、私の大切な友達の笑顔の写真。
「その子と友達じゃなくなるのが嫌だから身を引いたとかじゃないんです。ただ、本当に応援したかった。気づいたらどうしたらうまくいくかってアドバイスしてました」
「そっか」
「はい。でも……」
わずかに喉の奥が熱くなる感覚を覚えた。
喉が痛くなりかけるのを堪えて言葉を続ける。
「私も同じ人が好きだった」
「うん」
「言い出せなかったんです。勝てないっていうと言葉がおかしいかもしれないけれど、あの子の方があの人とお似合いな気がしたから。私じゃ無理かなって。でも、一番怖かったのは……」
話しているうちに口の中が乾いて来てしまった。
アルコールで口を潤す。
「怖かった?」
「はい。たぶん、怖かったんだと思います」
そう。
私が私の恋から身を引いてしまったのは、怖いことがあったから。
「恋を叶えようと頑張って、ダメだったときのことを考えたら私も好きだって言えなかったんです。でも、これは友達が同じ人を好きじゃなくても変わらなかったかもしれない」
「どういうこと?」
「私だけがその人を好きだったとして告白しても、振られるかもしれない。ダメかもしれない。それが怖かったんです」
結局、私は望みのために積み重ねた努力が無意味になってしまうのが嫌だったのだ。
服を着飾って、髪を整えて、お化粧して、積極的に彼とお話しして。
そういう頑張りすべてが台無しになってしまうのが怖かった。
だから、あの子が同じ人を好きじゃなくても、私はきっと私の想いを誰にも言わなかったでしょう。
告白なんてできなかったでしょう。
だから、私の恋はどのみち失恋へ変わる運命だったのだ。
そう。
「結局、頑張ったことが何もなかったも同然みたいになっちゃうのが嫌なんです。それが怖いんです。また私の願いは叶わなかった。また私の祈りは届かなった。私の期待は許されなかったって、そう自分に失望したくないんです」
身勝手ですよね、と私は嗤った。
「それならあの子の恋が叶う方がいい。あの子には常に笑顔でいて欲しいから」
これは偽善でも独善でもなくて、本当の気持ちだ。
私の想いとは矛盾していたけれど、本当なんだ。
きっと。
「だから、あの子の恋を応援することにしました」
と、ここで私の喉が震えるのがわかった。
昨日の写真がまた目に浮かんだ。
嬉しそうなあの子の笑顔は私も嬉しい。
嬉しいのだけれど、喉が震えて熱くなる。
「……」
しばらく私が言葉を発せないでいると、静かなトーンで千夏先輩が言った。
「で、結衣ちゃんが応援した結果、その友達はその彼と付き合うことになった」
私は黙って頷いた。
「なるほど」
ビールに口をくけて先輩は言う。
「それで結衣ちゃんはきっとホントに良かったって友達を祝えたんだろうけど、でも、同時に悔しさ、これは違うか、多分、後悔のような……うーん。残念っていうのかな、そういう気持ちもある」
再び私は首を縦に動かす。
「もしかしたら、私も彼の隣で笑えたかもしれないっていう」
「はい」
たった二言の言葉の振動が大きかった。
泣きそうだって、おそらく伝わった。
「私もあんな風に笑ってみたかったなあって。こんな私が何言ってるんだよって話ですけど」
ポテトを食べて涙が落ちそうなのを誤魔化す。
ポテト美味しい。ケチャップ美味しい。ポテト美味しい。
「不戦敗の方が自分に都合が良いんです。言い訳も融通がきくし、何より傷つかないで済むから」
「でも、結衣ちゃん、泣いてるよ?」
ポテト作戦は失敗のようだった。
目頭が熱い。喉の奥よりも熱くなっていた。
頬に雫が流れるのを感じた。
ケチャップに涙が混ざって、ポテト美味しくないや。
「はい」
「それは傷ついてないの?」
たぶん、傷ついてる。
それだから、泣いてる。
でも。
「でも、頑張ってダメだったときの傷に比べればずっと、ずっと耐えられます」
ぽたぽた、と涙が落下する。
「本気で好きだったのに?」
「……うん」
私はみんなと違って心のどこかが捻じれているから。
だから、こんなことを言ってしまう。
だから、こんなことになってしまう。
友達と同じ人を好きでい続けることに抵抗があるから身を引いた、なんて高校生とか大学生にありがちな理由じゃなくて、もっと捩れた理由が心にあってしまうんだ。
究極的に言えば、負けるのが嫌いなんじゃない。
負けるのには慣れているから、それが怖いんじゃない。
繰り返しになるけれど、努力が無駄になってしまうのが嫌なんだ。
どうせダメなら初めからやらないのと同じ。
これは恋だけに限った話じゃない。
勉強でも運動でもなんでもそうだ。
私が頑張れない理由。ただの言い訳。
こんなふざけた思考回路、誰にも言えなかった。
誰にも打ち明けられなかった。
けど、今、千夏先輩が聞いてくれた。
それだけで心の棘が一つ取れた気がした。
「好きでした。きっと、本気で」
絶対本気で好きだった。
けど、本当の気持ちを心の外にまで伝えることはできなかった。
それはどうしてだったのか。
その理由が千夏先輩への言葉の中で見つかった。
ずっと自分の中で考えていたことだけれど、誰かに聞いてもらったことで初めて意味を持ったようだった。
結局は私には直すべきところがいっぱいあるんだなって、そう感じる。
大切な気持ちは無駄にしてしまったけれど、そんな教訓を得られたという意味では全く無駄な経験じゃなかったのかもしれない。
なんて。
これも自分に都合の良い言い訳だね。
「すみません、変なこと言って」
「ううん」
すっと千夏先輩の右手が伸びて私の頭の上に乗った。
「よしよしー」
「せ、先輩?」
「頑張った、頑張った。よしよし」
「えーっと」
先輩の頭なでなでに私が困惑していると、先輩は微笑んだ。
「結衣ちゃんが自分の気持ちとか考えとかを話すことって今までなかった気がするからさ」
言われてみると確かに。
こういうことを人に話したことはないかもしれない。
「だから、ホントは何考えてんのかなー、どう思ってるのかなーって不思議だったんだけど」
「す、すみません」
「ううん。結衣ちゃんのことが知れてよかった」
でも、と千夏先輩は人差し指を立てた。
「結衣ちゃんの心がどういう風に培われてきたかわからないから簡単には言えないし、言葉もこれで合っているのかわからないけどさ」
「……はい」
「もっと、自分を大切にしないとダメだよ。傷つく自分が嫌だからって、全部見なかったことにしちゃうのはダメ。それで泣いちゃうんじゃ、私はどっちもおんなじだと思うな」
私の頭に乗っていた先輩の手が私の目元に移された。
「叶わない努力はそりゃ辛いものだし、願ったものは手にできないけどね」
私の涙が先輩の指に攫われる。
「でもね、頑張らないと望みは永遠に叶えられない」
「はい」
それは、わかってる。
ずっと、わかってた。
けれど、そんな信念を自分だけで作り上げるのは私には難しかった。
そういう気持ちを心の中で意識へかざしてもいつもいつも途中で見えなくなってしまったから。
でも、千夏先輩の言葉のおかげで心の土台が出来上がった。
あとは私次第なのだろう。
「それに結果が望み通りではなくっても、努力は全部消えたりしない。ちゃんと次に繋がっていく。それに気がつくこともあるし、気がつかないこともあったりする。あとで『あのときやってて良かったー』とかね」
くしゃり、と先輩が笑った。
「はい」
私も自然と笑みが零れた。
自分だけじゃ肯定できなかった考え方をようやく受け入れられた。
抜けた心の棘は一本だけじゃなかったみたいだ。
今なら先輩みたいに笑えるかもしれない。
「もう、大丈夫?」
ぽんぽん、と頭に触れる感覚で私の心は落ち着いていく。
いつしか、私の涙は止まっていた。
「はい。ありがとうございます。気持ちが晴れました」
「うん。なら良かった」
「千夏先輩が来てくれて本当に良かったです」
社交辞令なんかじゃなくって、思ったことを素直に言ってみた。
「ふふ。だったら、嬉しい」
照れたように笑う先輩。
と、ぐうーっと私のお腹が鳴った。
私は先輩とは別の照れ笑いを浮かべる。ちょっと恥ずかしい。
「なんだかお腹減っちゃいました」
「おっ、結衣ちゃん戦闘モード?」
千夏先輩が私の空になっていたジョッキを傾けた。
「ビールもいつの間にか空いてるじゃん」
「じゃあ、焼酎いっちゃおうかな」
「焼酎っ⁉」
「はい」
「お酒で一番好きなのは?」
「焼酎です」
私の返事に目を丸くする千夏先輩。
「結衣ちゃん、焼酎好きだったっけ?」
「最近好きになりました」
焼酎の味が結構好きだったりする。お酒の匂いはあまり得意じゃないのだけれど、あれだったら飲める。さすがに深夜二時までは体がもたないだろうけど。
「結衣ちゃん、絶対お酒強いじゃんっ!」
「そんなことはないと思いますけど」
「去年はフレンチとかイタリアンとかごはんメイン系ばっかり行ってたから気づかなかったのか」
ポン、と千夏先輩が手を叩く。
確かに、お酒をばんばん頼むようなお店には先輩とはあまり行かなかったかもしれない。
「まだリミットを知らない結衣ちゃん。……肝臓もつかな」
「肝臓さすってるんですか?」
「うん。二日連続酒豪を相手するスペックがあるか確認中」
しばらくお腹をすりすりしてた千夏先輩は、
「いける気がするっ!」
と、勢いよくメニュー表を広げた。
そんな先輩が可愛らしくて思わず微笑みが零れた。
「クリスマス限定メニュー⁉ 当てつけじゃんっ! よし、結衣ちゃんこれいってやろう!」
先輩がメニュー表を私の方に向けた。
それはクリスマス限定メニューということで通常メニューの刺身盛り合わせコースにドリアとクリスマスケーキをプラスした料理文化がめちゃくちゃに錯綜した内容だった。美味しそうだから個人的にはありだけど。
「あ、いいですね。ケーキ可愛い」
「よーし」
腕まくりをして先輩が店員さんを呼ぶ。
「すみませーん」
店内は未だに大盛況でがやがやしている。
最初に来たときは喧騒のなかで思いつめたような心持ちだったけれど、今は気持ちも晴れて楽しくなってきた。
全部、千夏先輩がいてくれるおかげた。
心の底から感謝。
あとでもう一度言葉で伝えないとね。
「おー、焼酎だあ」
私の前に焼酎、先輩の前にはハイボールが運ばれてきた。
「焼酎を前にしてカシスオレンジはいけなかった」
ビールならまだワンチャン、と先輩がテーブルを軽くグーで小突く。
「好きなの飲んでください」
「いや、私の周りお酒強い子しかいないってことが判明したから頑張る」
千夏先輩がハイボールのジョッキを掲げた。
私も焼酎の入ったグラスを上げる。
「じゃあ、クリスマス女子会二回戦始めまーす」
「はーい」
からん、と小気味良い音が響く。
二五日の夜は始まったばかりだ。