【再びの八月三日】
00
きのうぶりのなかなおり。
01
「「あ」」
小屋の中へ入ると、僕と×××××の視線と声が合った。
×××××は気まずそうに目を逸らし、手元の本に落とす。服装は昨日と変わらず夏服セーラーで薄手の白色は清潔感がある。
「……今日も来たんですか。先輩、休みなんですか?」
「悲しいことに毎日が休みで、毎日が休みじゃないよ」
「どういうことですか?」
「さぁね」
怪訝そうな×××××に言葉を濁す。
浪人したわけなので通学も通勤もしなくて良い毎日休日だが、かといってだらだらしないで勉強せねばならぬので休みとは言い難い。
「先輩はよく分からない人です……」
×××××は諦めたように溜息を零す。
「呆れてるけど×××××もぼっちで夏休みなのに暇なんだろう?」
「ぐっ……」
「かといって家に帰るのも家族の目が痛いし、ここで時間つぶしてるんだろう?」
「むぐぐ……っ」
「うん、僕も友達多い方じゃないから気持ちは分かるよ。一人で遊ぶことは別に構わないけれど周りの目が辛いんだよね」
どうやら全て図星のようで、眉を寄せこちらを睨んでくる。
「そうやって何もかもを見透かしたように言う先輩は苦手です。仲良くもないのに何となく馴れ馴れしい口調は癇に障ります。達観してぼんやりとした目は気味が悪いです。疲労を隠そうともしない猫背はこちらまで気が滅入ります」
「つまり?」
「私はあなたが好きではありません」
思い切りの拒絶を叩きつけられた。
「いいだろう? 仲良くしようぜ」
「何でですか……別に私じゃなくても良いでしょう」
「そりゃぁ――」
それは。
きっとこのまだ幼い少女×××××に昔の僕を幻視したからだろうか。無知故の偏った考えを持った行動。それを夢見る少女だと言い放ってしまうのは僕の心配からくる物だ、もちろん僕と同じ道を進んだところで僕と彼女は違うのだから同じ結果にはならないだろうが。僕は適応できなかったが、彼女ならもしかしたら都会に馴染んで楽しく暮らしていけるのかもしれない。だから大きなお世話なのかもしれない。
だけど、僕はこの少女に同じ思いをして欲しくないから……。
と、言う理由を、僕は伝えない。
「結局何ですか? 突然黙り込まないでくださいよ先輩、不気味です」
「そりゃぁ、×××××のことを気に入ったから」
だから適当な言葉で誤魔化す。
「き、きに……いったって……」
×××××は急に顔を赤く染めて慌てはじめる。
「あ、別に一目惚れとかじゃないからな」
「な、なら勘違いするようなこと言わないでくださいよ!」
「いや、大したことは言ってないと思うんだが……初心だなぁ」
「うるせーですねっ! 友達少ないってことは異性との交流も少ないに決まってますよねっ!」
「可愛い顔してるんだから、告白されたりとかしないの?」
「か、かわっ……!」
「あーでもその病的な白い肌で可愛さ半減だよな」
「上げて落として楽しいですか!? 私で遊んでますよね絶対!」
「あはは、悪い悪い」
「確実に悪いと思ってない!」
求める通りのリアクションをする×××××。ついつい意地悪をしたくなってしまう。もちろん、本人はそんな楽しみ方をされて心外だろうけれど。
「あはははっ!」
「笑うんじゃねーですよ!」
×××××の怒声と、僕の笑い声が山に響いていった。
02
「拗ねるなよー、悪かったって、僕が悪かったから」
「…………」
×××××は完全にそっぽを向いてしまい、僕の言葉には一切反応せずに窓際――といってもただの壁の穴だが――で本を読んでいる。まぁ、時折目だけでこちらをちらちら窺っているから、本気で気を悪くしてしまったわけではなさそうだ。薄い朱に染まった顔が可愛らしい。
「そうやってつーんとしてるのも可愛いよな」
「な……っ!」
「無視しきれないところもまた可愛いんだよなぁ、初心で」
「…………」
「顔あかいぞー」
「っ、本当しつこいですね! 何なんですか先輩!」
「えー、仲良くしようぜー」
「私はしたくありません!」
ぎゃーぎゃーと言い合い続けて、
「よし、やっとこっち向いたな」
「うっ」
「話するときはきちんと顔を見合わせた方が楽しいからな――って、あぁ! ほらそっち向かない!」
僕の言葉に、×××××は顔を思いっきりしかめながら渋々体の向きを戻す。
×××××は僕に指を突きつけて、「何にやにやしてるんですか」と不平を口にしてから大きな溜息をついた。
「わかりました……分かりましたよ、先輩の暇つぶしに付き合ってあげます」
「えー、暇つぶしって言うか友達?」
「分かりましたよっ! はい、私と先輩は友達です仲良しです! ……これで良いですか?」
「そんなに嫌そうに言って……まんざらでもない表情のくせに」
「えっ……うそっ、ちゃんと……」
慌てて頬に手を当てる×××××。もちろん何にもなっていない、本当に嫌そうな顔だった。
だけど、
「うん、嘘。まぁ、気持ちよく引っかかってくれたな」
「せんぱっ、この……っ、鎌を掛けましたねっ!」
「平気平気、久しぶりの友達で嬉しかったんだよね」
「馬鹿にしてます!?」
「してるしてるー」
「ちょっとでも取り繕ったらどうですかねぇっ!」
むぅむぅ唸りながら手を僕に叩きつける×××××。
「ふぅ……はぁ……」
「お疲れさまー」
「誰の所為で、っ……いえ、もう先輩の話をまともに聞くのはやめましょう」
「ありゃ」
「何が楽しいのか知りませんが、私が反応すればするほど先輩の益になるみたいですから」
「つんとした可愛い女の子の表情って崩したくなるよね」
「共感は出来ません」
「ちぇっ」
あからさまにいじける僕に、もう一度溜息をついて×××××は言う。
「で、気まずい空気を変えて友達になろうとして――道化を演じた本題は何ですかね?」
「ばれてーら」
「ばれますよ。先輩ってそういうこと言わない人ですよね、性格的に」
「そういうことって?」
「そ、それは……その、か、可愛い……とか」
「自分より幼い女の子の恥じる姿って背徳感覚えるよね」
「はい、とっ……!? へ、変態! なぁ、何考えてるんですか!」
「えー? 何を考えてると思ったの?」
顔を真っ赤に茹で上げながら、もじもじを足を閉じて黙り込んでしまう×××××。
どうやらなかなかの耳年増なようだ。
「ぅ……って、違う! また話が逸れてます! 違います本題、本題です! もう先輩は黙っててください! 私の質問以外答えないでください!」
「…………」
「返事くらいはしてください!」
「分かった」
「はぁ、疲れます……」
仕切り直しです、と眼鏡を押し上げ×××××は真面目な顔をする。
その澄まし顔を崩すためのちょっかいを出したくなったが、何とか耐えた。自分でも気持ちが悪いくらい、心の中がうずうずしているが。
「で……先ほどの質問の答えを。早く」
話を逸らしたものの、彼女はどうしても僕が言うのを避けている僕の気持ちを言わせたいようで、つんとした顔で僕を見ている。
「……さみしそうだったから」
「は、っ。なにを」
少女の表情が痛みにひび割れる。
「っていうのは嘘でー!」
「ふ、ざ! っけないでくださいよ!」
またもやおちょくられた怒りの陰に少し安堵が混じっているのを、僕は見逃さなかった。だから言いたくなかったってのに。
「嘘なら嘘で、本当の理由は何ですか。言っておきますけれど、次に嘘吐いたら二度と話を聞きませんからね」
「分かったよ。あー……まぁ、これは誤魔化すつもりもからかうつもりも無いってことを前提にしておくけど。単純に×××××が気に入った。だから、友達になりたいの」
「……今度こそ本当ですか?」
「疑り深いなぁ、おい」
「信用されるような言動をしてきたのか、先輩の胸に聞いてみてください」
「いや、実際な? 友達ってのは勝手に出来るもんじゃなくて、自分から友達になりにいかないと関係は結ばれないんだぜ? もしいつの間にか友達になってた、とか感じても、それは意識的か無意識かに関わらず行動の産物なんだよ」
「やけに熱弁をふるいますねぇ」
「実体験だからな」
そう、実体験。
高校入学当初は苦労したもんだ。田舎出身、一人暮らし、米農家の息子、とか会話のきっかけはいくらでもあったっていうのに、何となく合わないノリと話題に後込みしていたら、数週間後には他のグループたちからあぶれていた。
幸いにも、勇気を出した結果仲間内には滑り込めたが、内心ひやひやしていた。
「なに感傷にふけってるんですか。格好付けないでください」
「感傷って割には悲しすぎる話題だけどな」
「知りませんよ」
閑話休題。
「先輩の言い分は把握しました」
「おう」
「で、ですので……」
もじもじと、指をつつき合わせる×××××。答え難そうに口をぱくぱくと開閉させている。
「と、友達になる、のは……やぶさかではないのですけれど」
「ほぉう」
「あ、ちょ! にやにやしない! やめてください!」
「いやいや凄いなぁ、マジで。僕、今思春期の男子並にきゅんとしちゃったよ」
「やーめーろーっ!」
「そういうの同級生相手に簡単にするなよ? 絶対勘違いさせちゃうから」
「し、しませんから! そんな学校でなんて!」
「どうかなぁ、完全に素の反応だったじゃんか」
「それでもです!」
ちなみに学校ではしないけれど僕相手ならする、という意味にもとれる台詞だったことは指摘しないでおこう。
あまり遊びすぎると、まだ好感度低そうな今の関係では、本気で嫌われてしまいそうだし。
もう遅いとかは考えない。
「まったく、先輩のそういうところ大嫌いです」
「そうか……」
ちょっと深刻そうに落ち込んでみると、途端に慌てて不安な顔になってしまう×××××。こうやって、憎まれ口をたたきながらも根はとてもいい子だというところも、気に入っているのだ。
そうして、僕らの友人関係は始まった。
03
「よし、それじゃあ何して遊ぼうか」
「どうして二人で遊ぶこと前提で話を進めようとするんですか!」
早速叱責を食らってしまった。
ベンチに座った×××××を、地べたに腰を下ろしている僕は見上げるけれど、なかなかに冷たい目で見下ろし返された。黒縁眼鏡がいい感じに無表情を際立てている。
「友達がいて、そこが夏休みなら普通遊ぶだろう」
「あいにく、普通ではありませんので。ぼっちでしたし」
「自虐よくない」
「うるせーです」
「いいじゃんいいじゃん遊ぼーよー!」
「その口調やめてください気持ち悪い。背中がぞわぞわします」
「ひどいっ」
すでにお決まりと化してきたやりとりを経て、話を進める。
「それでは、これから普通になるとしようぜ! 遊ぼう!」
「嫌ですよ、疲れるじゃないですか。暑くてただでさえ動くのが億劫なのに」
「ダレてばっかりだと夏バテするぞ。っていうか、×××××のそのなまっちろい肌どうにかしようぜ。病み上がりみたいだし、不健康だ」
「余計なお世話です! 私は外で動くのが苦手なんです」
「中学生は健康的に焼けてたほうが魅力的! 僕の持論だけど!」
「それならそういう子を探してナンパでもしててください。私はこのままで不満はないんですからね」
ああ言えばこう言う、のらりくらりと躱す×××××。強情だ。
ここは恥ずかしがるようなことを言って、無理矢理に話を進めてしまえば。
「先輩、悪巧みしてませんか」
「し、してない」
「嘘吐き」
×××××が大きく重く溜息を吐く。呆れたような面倒くさそうな雰囲気だ。諦観も混じっているかもしれない。
眠そうな垂れ眼をぎゅっと閉じる。
「分かりました。分かりましたよ。遊んであげます」
「なんでそんな生意気な従兄弟をあやすみたいな雰囲気なのさ」
「従兄弟の方がまだ可愛げがあります」
とはいえ従兄弟と遊ぶことも少ないですが、と×××××。
どうやら本格的に人と遊んだりする経験が少ないようだ。貴重な青春を無駄にしている、と言えるほどに僕も青春しているとは言えなかったけれど。
「それよりですね、さっきも言いましたが先輩暇なんですか? 遊んでていい人なんでしょうか?」
「ぐふっ」
突然の言葉のボディーブローが僕を打ち抜いた。クリーンヒットだ、ガードすら出来なかった。
確かに余り自覚無い行動をしているし、×××××には伝えていないけれど、浪人生には言っちゃいけない台詞だ。
「……大丈夫ですか?」
「オ、ゥ……平気だ。大体八割方自分のせいだからな」
「相変わらず変な先輩です」
四つん這いに頭を垂れ、額を地面につける。生ぬるい土はあまりいい感触ではない。
×××××が奇異の目をだんだんと気持ち悪いものを見る目に変えてきているが、気にせずに考えを巡らせる。
僕は、どうしたいのだろうか、と。
浪人生をしているのは口だけなのではないか。形式的に惰性で再び受験しようとしているのではないのだろうか。
勉強は一応夜にしているとはいえ、日中はだらだらしたり、家事や家業を手伝ったり、ここへ来て×××××としゃべったり。まぁ、まだ二日目だけれど。
僕は、まだ都会に行く気があるのだろうか?
「随分と深刻で陰鬱で辛気くさい顔ですね」
「最後のいらない」
「口が悪いのは癖です」
「……んー、まぁいいか」
「なにがです?」
「悩むのやめた」
「それがいいですよ。煩悶するのに体力も時間も無駄になりますから」
「学生がそれを言うなよ。悩み苦しみ考え続ければ、答えが出ようが出まいがいい経験になる。若いうちはよく挑みよく悩め」
「爺臭い意見ですね。あとそういった考えは私嫌いです」
「さよけ」
失敗していいのは十代、挫折できるのは二十代、だなんて聞いたことがあるけれど。
そう考えると、僕はいい感じに失敗と挫折を経験できたのではないだろうか。だなんて、現実逃避。
「ということで遊ぼうぜ!」
「結局話は元に戻るんですね」
「あたぼうよ、夏休みなんて遊び尽くさなきゃ損損」
「……はいはい」
そういえば、こんなに意気込んで夏休みを楽しもうとしたのは何時以来だろう。高校では部活まみれの二年間と勉強漬けの一年間で、友達と出かけたりしたけれど、そこまで必死ではなかった。
小学校振りかもしれない。中学では大人ぶったり、高校受験でなんだかんだでつまらない夏を過ごしていたのだったか。そんな気もする。
「真剣に遊ぶんなら、しっかり予定表つくらなきゃな」
「真剣すぎます。それに私の予定も考えてください」
「何かあるの?」
「…………ありませんけど。宿題くらいですけれど!」
いじけながらぷいと顔を背ける姿は、可愛らしくてつい吹き出してしまう。
「どーせぼっちで陰気な可愛くない女子ですよ」
「いや、可愛いよ?」
「お世辞なんていらないんですよ」
どうにも信じてはくれないようだ。遊びすぎた。
きらきらと木漏れ日がまぶしい秘密基地。
『ぼくら』の秘密基地は、人が変わってもまたぼくらの秘密基地になって。
こうして話しているのも懐かしい香りがするようで。
笑みが零れる。
「あ、また笑いましたね!」
「違う違う! ×××××を笑ったんじゃない!」