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【懐かしき八月二日】


 00



 みんなにはないしょだよ。



 01



 朝の5時。

 僕は異様な静けさに、布団から飛び起きた。

 なにかあったのか? 知らない間に世界が滅んだのか? なんて荒唐無稽な想像すらして――我に返る。


「……って、そうか、実家だったか……」


 そりゃあ、いつものアパートじゃないんだから当たり前だ、と慌てた自分を笑う。

 行き交う車のエンジン音。

 隣の部屋にすむ住人の生活音。

 そういったものはここにはない。

 布団から這い出て、庭へ出る。

 薄明るくなってきた空の下、小さな鳥がぱたぱたと跳び去っていった。あれはメジロだろうか。

 まだまだ早い所為か蝉の声はあまり聞こえず、僕と同じ早起きの何匹かが小さく鳴いているだけのようだ。

 のどかな風景に心が安らぐようだ。

 そのまま縁側に腰掛け、ぼぉっとしながら景色を眺め続ける。

 だんだんと山向こうから朝の日差しが広がって、やがて山頂から太陽が顔を出した。光に浸食される、とでも言うべきか。陰で暗緑色だった稲が日に照らされた緑へと変わっていく様子は圧巻だった。

 とはいえ真夏八月の日差しは強く、じりと僕の顔を射す。僕は立ち上がると、のどの渇きを潤しに台所へ向かう。


「あら、あんた起きるの早いわね」

「目が覚めちゃってさ」


 台所には母がいた。

 朝食の準備をしているようで、湯気をくゆらせる鍋には煮干しが沈んでいる。そういえばインスタントではない味噌汁は久しぶりだなぁと、不健康な感想が浮かんだ。

 父さん自慢の自家製米も炊かれている。


「もうちょっとだから座って待ってなさい」

「んー」


 グラスに氷だけ入れて、ばりばり噛み砕く。

 冷たすぎる食感に、頭が冴えてくる。油断するとアイスクリーム頭痛を引き起こすので注意が必要だが、冷たくのどを潤せる。

 氷の欠片を口の中で転がしながら、机へと突っ伏す。

 目をつぶれば、味噌汁の具材を切り刻むリズミカルな音と、煮立った鍋の蓋が鳴る音が混じり合う。

 何だか。

 何だか、何もかもが懐かしく思えてくる。まるで十年前を想起させるかのようだ。

 一人暮らしをしていたからといって、帰省しなかったのは去年一年だけのことだし、これほどまでに感情を揺らす理由はないのだけど。


「朝っから辛気くさい面してんじゃないよ」


 思考の海に沈んでいた僕の目の前に、お椀が置かれる。

 顔を上げると、母さんがでこぴんを食らわせてきた。


「いてぇ」

「ほら、さっさと食べちゃいなさい。お腹に物を入れれば気分も明るくなるよ」


 ご飯に味噌汁、きゅうりとかぶのぬか漬けを添えて。

 なんともまぁ、さっぱりした朝食なことで。

 ……自然、のどがゴクリと鳴った。


「いただきます」


 茶碗をもって、きゅうりへ箸を伸ばす。

 ばりんと小気味良い音を立てると、酸味が舌を焼いた。


「……すっぱい」

「あら、それがうちの味よ」

「あぁ、うまい」


 あつあつのご飯を口に含む。向こうにいても米は大量に送られてきたから、この味だけはいつもの味だ。


「そういや、父さんは?」

「ん? あの人はまだ寝てるよ。農家のくせに朝遅いんだから」

「そっか」

「それよりあんたが早い方が驚きよ。父さんと対して変わらないくらいの朝寝坊だったじゃない」

「一人暮らししてるとそうも言ってられなくてね」

「まぁ、健康的でいいことよ」


 母さんと雑談しながら、三皿を空にする。

 そのあと適当に身支度をしていると、母さんに話しかけられた。


「あら? どっか行くの?」

「あー、うん、ちょっと散歩」

「遅くなんないようにね」


 了解、と軽く手を振って玄関の戸を開けた。



 折角帰ってきたことだし、神社にでも行ってみようかと思いながら歩き始めた。

 もちろん、簡単な現実逃避をしに。



 02



 家を出て、坂を下り川を渡って商店の横を歩き切り通しを進み母校の中学を通り過ぎて曲がりくねった道の先に、神社はある。

 オオナムジノミコトだとかいう神様を祀った神社。


「おじゃましまーす」


 50段程度の階段を上り、門の敷居をまたいだ先にお社が見えた。


「しっかしまぁ、相変わらず誰もいないなぁ」


 三方を木々に囲まれた神社は、人の気配がまったくしない。ある意味神聖さがあふれていると言えるのだろうか。ちなみに神主さんの姿も無い。

 玉砂利を踏みしめて水場に向かう。じゃくじゃくと独特の音が鳴る。

 風化しかけた看板にかかれた作法通りに、手を清める。冷たい水が体に染みて心地よい。

 蝉達も活動を始め、風で木の葉がこすれる音を伴奏に、アブラゼミやらツクツクボウシやらが大合唱している。暴力的なほどの夏の象徴だ。

 とりあえず五円玉を賽銭箱に放り込む。良いご縁がありますように、と。出来れば合格との縁を。鈴を鳴らして、これといって具体的に祈ったりせずに二礼二拍手一礼。

 形式だけ正しく済ませて、境内をふらふらと歩く。

 神社の裏の森ではカブトムシやクワガタがよく取れる。昔はよく早起きして取りに来たものだった。


「ん?」


 樹液が漏れ出ている傷を探しながら歩いていると、途中で奇妙な形の石を見つけた。

 山、という字のように三つ叉に削れた一抱えほどの石。

 どこかで見たことのある石だ。

 記憶を掘り下げて、考える。


「……あ、これ秘密基地の目印だ」


 秘密基地。

 たしか、中学生の頃につるんでいた馬鹿二人と一緒に作った秘密基地。

 そこへ向かう道の目印に変な形の石を置いたはずだ。


「そうだ、そんなもん作ったなぁ……どうなってるかな」


 もう、四年くらい前に行かなくなった基地。

 神社の裏手の森の中にある、打ち捨てられた小屋を補強し整えたなかなかに豪華な物だったはずだが、放置されて朽ち果てていたりするのだろうか。

 思い立ったが吉。目的もなくぼんやりと神社に向かってきただけなので時間も気にしなくて大丈夫。と、いうことで秘密基地へ行ってみることにした。

 がさがさと草をかき分けて道無き道を進む。

 受験勉強で衰えた体力では少しきつかったが、息を切らしながら何とか先へ先へと。

 記憶にあるより朽ちている倒木を乗り越え、今またいだ窪みは作った落とし穴だっただろうか、最後に茂ったススキを踏み倒した。その先。


「はは……かわんねぇなぁ」


 土台も置かない掘っ建て小屋。小屋といっても四方の柱に屋根と壁を付けただけの簡単なものだ。

 屋根に何枚か乗っている枯れ葉や、壁に空いた大穴まで同じ。

 小屋の左に抜けた先に見える川もさらさらと記憶通りに流れている。

 変わらない。

 何も変わらない、僕たちの秘密基地だ。


「あぁ……だけどちょっと疲れた……」


 ばくばくと暴れる心臓と、新鮮な空気を求め膨らむ肺をなだめながら、小屋へと入って休むことにする。

 あのときのままだったら、三人で必死に作った木のベンチがあるはずだ。成長した僕の体には少し小さいかもしれないが寝転がることくらいはできるだろう。

 扉もない小屋の入り口をくぐった、ところで。


「え……!?」

「あ……?」


 中で、本を読んでいた少女と目が合う。

 明るい茶色の目を眠そうに垂れさせたセーラー服の少女。黒縁眼鏡に縁取られ、同じ色の黒髪がさらりと揺れた。なかなか整った顔立ちをしているが、色白の肌が不健康そうに見えて、可愛らしさを半減させている。

 もっとも、今はその顔が驚きに彩られているのだが。


「きっ」


 少女が小さく、だがはっきりとした恐怖をにじませて声を上げる。

 僕はその理由を瞬間理解できずに、


「きゃあああぁぁぁあああああっ!」


 少女の高い悲鳴と、飛んでくる目覚まし時計らしき物を確認してから、やっと気がついた。

 木々の深いところにある小さな小屋、恐らくそう人がこないだろう場所。

 そこに、息を切らした汗だくの、もう大人といって差し支えない年齢の男がいきなり入ってきた。

 そりゃ、不審者にしか見えねぇな。

 そう、頭の中で呟ききる前に、



 僕は顔面に堅い衝撃を食らって後ろに倒れた。



 03



「本当に申し訳ありませんでした」


 目の前では地に膝を付けて深く土下座する少女がいた。もちろん、先ほど悲鳴をあげた少女だ。頭を擦り付けんばかりに僕を不審者と勘違いしたことを謝り続けている。

 別に僕は女の子を平伏させて悦ぶような変態ではないので困惑しておろおろしまくっている。


「も、もういいから、頭上げて、ね?」

「本当ですか? 怒ってません?」

「怒ってない、怒ってないから!」

「……はぃ」


 しょぼんとした顔で体を起こす少女。目を必死にそらして、なおかつちらちらとこちらを窺っている。なんというか、中学生らしい反応だ。

 そういえば、見覚えがあると思ったら彼女の着ているセーラー服は僕と同じ中学の制服だ。ということは彼女は僕の後輩なのだろうか。


「あ、あの……」


 少女が不安そうな声を出す。しまった、じろじろ見つめたまま黙り込んだままだった。


「何でもないよ、安心して。そのセーラー服が僕の母校の物だなぁと思ってただけだから」

「え、あ……先輩、なんですか?」

「うん、もう四年前だけどね」


 秘密基地の記憶につられるように中学の思い出が脳内に浮かぶ。

 三方が山に囲われた、自然に溢れすぎた中学。この神社からそう遠くない中学だ。

 特に面白味のないところだったが、喧噪からはほど遠く静かに勉強できるのは利点だろうか。ごくまれに通る車の駆動音さえ際だって聞こえる静かさだ。

 ともあれ、四年前だと関わりが無い。名前を残すような功績も無いから、精々町中ですれ違った可能性があるかないかくらいだろう。それでも、記憶に残っていたりはしなさそうだが。


「先輩地味ですもんね」


 何を思ったのか、少女からそんな台詞が飛び出した。

 あれ? 予想外に失礼な子だな?

 再び少女を見つめるが、申し訳なさそうに俯くばかりで先ほどの失礼な言葉は影も形もない。


「どうしたんですか先輩? 間の抜けた顔をしていますけど」

「…………いや、何でもない」

「そうですか?」


 とろんと垂れた眠そうな目には一切の悪気もなさそうだ。

 若干……若干気にくわないが、まぁいいだろう。

 それより、一番聞かなければならないことがある。


「どうしてここに?」

「えっと、それは私の方こそ聞きたいことなんですが……先輩はどうしてこの小屋を知っているんですか?」

「ここは昔、僕が秘密基地として使ってたことがあって――」


 少女に軽く説明をする。

 話を詰めてみれば、どうやらこの子もたまたま小屋を見つけて、静かに本を読めるからと通っていたらしい。確かにこの小屋は涼しいし、本を読むのにはなかなか適したところだろう、


「なるほどなるほど、先輩の思い出の場所と言うことですね」

「そういうことだね」

「あ、でもそういうことなら、私ここにこない方がいいんですかね?」

「いや、別にかまわないよ」

「そうですか、蹴り出されたらどうしようと思いましたが、安心しました」

「お前の目には、僕はそんなに鬼畜に写っているのか!?」


 こてんと首を傾げる少女。どうやら天然のようだ。


「あぁ、すみません、私の言葉がなにか気に障りましたか……?」

「え、いや別に……」

「分かってはいるんですよ? 口が悪いとよく言われますし、そのせいで友達皆いなくなりましたし……ははっ」

「ご、ごめん」

「いえいえ、先輩が謝ることなど何もありませんよ、はははは」


 つまりこの少女は友達のいない独りぼっちで、この基地で寂しく本を読むしかないからここにいたわけなのだろうか。


「いえ、寂しくなんてありませんよ何言ってるんですか」


 ついでに強がりのようだ。目の端が濡れている。


「先輩は失礼ですね」

「お前だけには言われたくねぇなぁ」


 何にせよ。


「他に居る所が無いのならこの基地でゆっくりとすればいいんじゃないか……っても、別に僕のものじゃないけどな」

「そうさせてもらうことにします。色々過ごしやすいように整えましたし、その苦労が無にならないなら幸いです」


 部屋の中を見渡してみれば、僕らが作ったベンチには座布団が置かれ、見慣れない真新しい本棚や小さな机、さらにはコップや歯ブラシ、タオルケットなどもある。


「……お前、ここに住んでんのか?」

「流石に水道が通ってませんから、それはないですよ。まぁ夜を過ごしたことは何度かありますが」

「いくら何でも女の子が一人なんて危ねぇから」

「大丈夫ですって、凶暴な獣が居るわけでもないです。それに平和ボケなこの田舎に不審者なんて見たことありませんし」


 平和ボケはどっちだ、と言いたくなる少女の様子に


「油断してっと取り返しがつかないことになるぞ」

「うるせーですね」


 少女は初めて、明確に表情を変えて言った。


「『こんな』田舎なんて何もありませんよ。牧歌的だとか言えば聞こえは良いですが、ただ退屈で平凡で停滞してる面白味も何もない町です」

「…………」

「何ですか」


 僕は、彼女の気持ちを知っている。

 なぜならそれは僕が四年前に感じて、町を飛び出したときの感情だから。

 田舎の雰囲気をつまらないと吐き捨て、まだ見ぬ理想の都会への憧れのみを大きくさせる。きっとこの町の若者の誰もが通る感情だから。

 だから痛いほど分かるし、その結果も知っている。


「……都会もそんな良いもんじゃないよ」


 思わず忠告のように呟いてしまったのはその所為だろうか。


「……っ、せ、先輩に何が分かるんですか」

「分かるよ。少なくとも君より四年分は」

「う、ぐ」


 少女は眉間にしわを寄せながら、立ち上がる。僕の悟ったような言い方はお気に召さなかったようだ。

 手早く荷物をまとめると、少女は背を向ける。


「……気分が悪くなりましたので、帰ります」


 そのまま数歩、歩いてから足を止める。

 半身だけ振り返った少女は、木漏れ日にちらちらと照らされて、綺麗だと感じた。


「最後に一つ」

「何だ?」

「お前だなんて呼ばれるのは好きではありません。私の名前は×××××です」


 そして僕の返答も待たずに、スカートを翻して歩き始めた。


「そうか……僕の名前は×××××だよ」


 聞こえたかは分からないが、僕はその背に言葉を投げかけた。

 じぃじぃとアブラゼミの声がうるさかった。大人げない僕をあざ笑っているのだろうか。ミンミンゼミも後に続いた。



 これが。

 僕こと×××××と、少女×××××の最初の邂逅だった。


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