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【諦めた八月一日】


 00



 毎日が宝探しだった、あの頃。



 01



「どうせなら夏に家帰ってきなさいよ」


 そんな電話が母からかかってきたのは、八月一日のことだった。

 僕が住む都会はじりじりと暑苦しく、安アパートに設置されている壊れかけのエアコンは気温より若干涼しいだけの風を吐き出している。


「そんなこと言ったって勉強しなきゃいけないし」

「別に予備校とか行ってる訳じゃないんでしょ、家で勉強すればいいじゃない。それに、こっちの方が涼しいわよ」

「んー、そうだけどさぁ」

「良いから帰ってきなさい。去年のお正月から帰ってないんだから。たまには顔見せなさい」

「…………」

「浪人しちゃったからって、そんな根詰めるのは良くないわよ」


 母の言葉に、何も言えなくなる。

 確かに、気分転換にはなるだろうか。あそこは都会に比べて遙かに空気が綺麗だし、喧噪からはかけ離れた場所だ。


「……分かった。帰るよ、母さん」


 僕は渋々帰宅することを決めた。


 僕が受験に失敗した、翌年度。

 世間では夏休み真っ只中の暑い日のことだった。



 02



「……帰ってきたな」


 電車を乗り継いで揺られること計二時間。

 辺りの景色は都会と一変し、木々と田んぼが視界の大部分を占めている。蝉の声が嫌になるほど聞こえ続けることや、三階建て以上のビルがないことに懐かしさを覚える。

 一年半ぶりに帰ってきた。

 僕の町だ。


「にしても……こっちも変わらず暑いなぁ」


 都会よりはましだけれど、それでも動かずに突っ立っていると汗がにじんでくる。

 郷愁に浸るのもそこそこにバス停に向かう。当然ながら、ロータリーなんてものはない。そもそもそんなものが必要なほど車なんて通っていない。


「つまりはバスの数も少ないって事だよなぁ」


 時刻表をみてみれば、我が家の近くに行くバスは一日二本。一本目は既に出発しており、二本目は三時間は後だ。


「三時間かー、歩けない距離ではないからどうしようか」


 暑い中歩くことを考えると気が滅入るが、それでも一時間も歩けば家には着くだろう。

 閑散とした駅前のコンビニでペットボトルのお茶を買っていく。コンビニの涼しさは都会と変わらなかった、当たり前だが。来客が少なすぎるのだろうか、対応する店員の顔に退屈の文字が浮かんでいた。

 会計も早々にマンガ雑誌を読み始めた店員を後目に、再度炎天の下へ繰り出す。

 手に伝わるペットボトルの冷気が心地よい。


「さぁて、それじゃたらたらと歩き始めますかねぇ」


 キャップを捻ると、しゅっと空気の抜けた音がした。

 アスファルト舗装すらされていない、踏み固められた土の道を歩く。これも都会と田舎の違いだったなぁ、なんて物思いに耽る。上京した当初は、どこもかしこも真っ黒に染まった道を見て、いちいち驚いていたのだったか。

 今思えば、恥ずかしいほどに『おのぼりさん』だった。

 まぁ、それも三年間の高校生活のうちに慣れてしまったけれど。


「むしろ、こんな田舎道の方がよっぽど驚きの光景だからなぁ」


 道の左手を眺める。

 燦然と輝くのは太陽に照らされた向日葵の黄色い花だ。もはや黄色い壁となっているそれは、眩しいほど一面に広がっている。抜けるような青空とのコントラストは、ある種絵画のような光景。

 おそらく花農家の畑なのだろうが、幼い頃はそんなこと何も気にせずに迷路のような向日葵の下を駆けめぐっていたのを覚えている。

 道の右手に振り返る。

 青々とした稲が風に揺られて濃淡を作っている。水を抜く時期なのだろう、乾いた水田で稲の根を伸ばしているようだ。あぜ道で区切られた田んぼの均等なようでそうでない、都会に住む人たちが『田舎』と呼ぶ景色そのままが広がっている。

 草の匂いがふわりと鼻をくすぐって、僕の記憶を刺激する。


「あぁ、うん、()()()()()()()()()()()


 五感で味わう全ての空気に対して落ち着きを感じてしまったことが、すとんと胸にはまった。

 たぶんこれはもうやり直しのきかない感情で、僕のこれからの可能性を一つへし折ってしまったんだろう。

 かすかなプライドがじくりと疼いた。

 テレビに映る都会の華やかさに憧れ、雑誌に載せられた都会の便利さを羨み。中学三年生で「こんな田舎にいられるか!」とかいいながら都会の高校を受験した、そんなバカな餓鬼のプライド。

 結局は空気の汚さや食材の高さに幻想を折られ、さらには大学受験に失敗したことで粉々に砕かれたプライド。まるで『都会』から拒絶された感覚だった。

 そんなプライドの欠片達が、小さな抵抗と大きな諦念を込めて鳴いた。


「結局は、まぁ、僕は都会に合わなかったってことなんだろうな」


 若干の勾配のある道を登ってゆく。

 両足に加算された負担に、気持ちもまた滅入ってくる。

 暗い気持ちを振り払うように()()()に自分を叱咤する。

 田舎暮らしを夢見て挫折する人のように。僕も都会暮らしを夢見て挫折しただけのことだ。

 三年暮らして合わなかったんだから、きっとこのまま諦めて、家業の米農家でも継いで暮らせば、幸せに生きられるんだろう。田舎すぎるここは限界集落になってしまうかもしれないけれど、僕には関係がない。平々凡々の日々が待っている。

 きっと僕の人生はそう決まっている。

 足を止めて、自分を思いっきり鼻で笑ってやった。


「まぁ……そういうことで」

「なにぶつぶつ言ってんだい、馬鹿息子が」


 ぐちゃぐちゃの気持ちを一言に込めて、吐き出す。


「ただいま、母さん」

「はいはい、おかえんなさい」


 僕は、我が家に帰ってきた。



 03



 荷物の詰まった鞄を下ろして、縁側へと腰掛ける。

 この家は曾祖父ちゃんの時代から受け継がれてきたそうで、テンプレートな純和風家屋だ。瓦葺きに畳の部屋、縁側に引き戸の扉。食事はちゃぶ台。ベッドなんて大層な物はなく、押入に敷き布団が納められている。唯一家電が大量にある台所のみが異彩を放っていた。

 ちなみにトイレは未だに汲み取り式である。水道整備したんだからトイレも変えてしまえばいいのに、と常々思っていた。

 今もそれは、変わらないようだ。


「あー、畳の匂いだー」


 慣れ親しんだ、懐かしい香り。

 家だけでなく、そこらじゅうで感じる。人の匂いはしないで、土と葉っぱの匂いがする。コンクリートではない、木の匂い。立ち並ぶ食い物屋はもちろん田舎にはなく、つまり漂う食べ物の匂いも無い。

 自然な香りで満たされている。

 ここでは、僕は周りから浮いていない。

 高校での価値観の違いによる、馴染めない空気は存在しない。

 僕が僕のままで居られて、奇妙な目で見られないそんな場所だ。


「あんた、どれくらい居るつもり?」


 がらりと、麦茶を持った母さんが障子を開けて僕のところに来た。


「んー、まぁ、一ヶ月――世間の夏休みが終わるくらいかな」


 今のところは。

 そう心の中だけで付け足して、母さんから麦茶を受け取り、答える。


「そ、ならのんびりしてきなさいな」

「ん」


 優しく甘やかすように掛けられた言葉は、潰れた心に毒のように染み込む。

 ともすれば溺れてしまいそうなそれ、今の僕にとっては抵抗できないものとなる。

 心の中では、厳しく突き放し激励を送って欲しい気持ちと無条件で慰められて逃げ道を作って欲しい気持ちがせめぎ合う。

 戦況は大分後者に有利だけれど。

 そんな僕に母さんは微笑んで話しかける。

 苦悩なんて全部見透かされているんだろうな、と一年半振りの母さんを見て思う。


「お昼は食べたの?」

「いんや、まだ食べてない」


 部屋に掛かっている古い時計を見る。

 時計の針は12時半を指していた。ちょうどいい昼飯時だ。


「そうめんでいい?」

「いいよ、腹減ってるから多めにお願い」

「はいはい」


 涼しげな風の吹く縁側で蝉の鳴き声を聞きながら食べるそうめんも、なかなか風流だろうなと、体を倒して寝転がる。



 ふいに、風鈴がちりんと歌った。

 何となく、惨めな僕を笑われた気がした。


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