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にくつぎ人形  作者: のっぺらぼう
にくつぎ人形
7/16

#07

妙に気怠(けだる)かった。夕べは何時に寝たのだろうかと上手く働かない頭で考えつつ、紗綾は、手が自由であれば手で押し開きたいほど重く、動かし難い(まぶた)を開いた。どうして手が自由にならないのか、その時は考えが及ばなかった。開いた瞳に初めに映ったのは白塗りの天井で、自宅アパートの部屋も天井と同じ色であるにも関わらずどこかに違和感を感じ、紗綾はしばしの間仰向(あおむ)けで考え続けたが、結局違和感の正体は(つか)めぬままに、のろのろと顔を横に動かし、そこで明らかに自宅ではないと確信した。控えめな光沢を放つ木彫りの卓と椅子が、紗綾の横たわるやや高さのあるベッドの脇に(しつ)えられており、卓の中央には淡い色合いの糸で刺繍が(ほどこ)された布が敷かれ、その上に小指の先程の色とりどりの硝子玉が入った小さな硝子の鉢が置いてあった。実用一辺倒の紗綾の部屋にはそれらのような調度類は一切存在していなかった。

自分はまだ寝惚(ねぼ)けていて夢の中にいるのかと紗綾は疑った。身体の各部が動かし(にく)いのも夢の中であると思えば納得は出来るが、それもやはり何か違う気がして、紗綾は腕を支えに上半身を起こそうとして、走った鋭い痛みに全身を硬直させた。夢の中では有り得ない痛みに、ゆっくりと視線を、痛みの走った箇所、左腕のに移動させた紗綾の目に、細い管が入って来た。若干靄掛(もやが)かっているものの頭が働き、それが点滴のチューブだと判断すると同時、紗綾は痛みの原因がその管の先の注射針が己の左腕に刺さっているせいだと理解した。何故、点滴が、と考えるより先に、軽い金属音が立ち、空気が動いた。卓と椅子の更に向う、分厚い木製の扉が開いて笹の葉のような形状の金魚が一匹、すい、と入り込んで来た、と思った。それが金魚を思わせる色合いの帯締めだと分かったのは一瞬遅れてからで、その朱と金の混じった帯締めを締めた老女が入室し、その後に漆黒の裾の長いスカートに純白のエプロンの二十代半ばの女性が続いた。金属製の、病院でよく見る銀色のワゴンを押していた女性と紗綾は、そこで目が合った。女性が中途半端な格好で全身の動きを止めたため、足かどこかがワゴンに当たり、かしゃん、という小さな音が静かな部屋に響いた。

「え…あの…?」

女性は目を丸くしてワゴンを手放すと紗綾に近づいて来た。間近でその姿が(とら)えられる様になり、紗綾は当初メイド姿だと思ったその服装が、いつの時代だと思うような、丈が(くるぶし)近くまである古典的な看護師姿なのだと気付いた。頭にこれまた古風な看護師帽を(かぶ)っている。紗綾がぼんやりその服装を観察していると看護師は紗綾の顔の前に手をかざした。

「起きています」

およそ自分の喉から漏れたのだとは思えないほど(かす)れ、弱々しい声が出た。看護師はまだ余地があったことが驚かれるほど更に目を見開くと、ワゴンにぶつかりそうになりながら部屋を横断し、扉を乱暴に開けて廊下に飛び出して行った。遮音性に余程優れているのか足音が(ほとん)どしなかった分、扉の開け閉めで(きし)む蝶番の音が酷く響き、紗綾は扉が壊れるのではと内心で心配になった。紗綾と同意だったのかどうかは()れないが、老女も乱暴に扱われた扉を見つめていたが、ふと気付いた様に紗綾を振り返った。紗綾の目にも老女の姿形がはっきりと映り、ここに至ってこの老女についての一切を記憶が紗綾の脳裏に(よみがえ)った。紗綾が『落花』を引き取りに、宮園(みやその)累香(るいこう)の工房兼邸宅を訪れた際に案内役を務めていた老女だ。

そこまで思考が進むや否や、紗綾は飛び起きた。正確には飛び起きようとして失敗し、(こぶし)一個分くらいの距離を上がったところで、後頭部が硬めの枕の上に落ちた。注射針がずれたのか、目覚めてから以降、最も明確な痛みが左腕に走った。

「『落花』は!?」

紗綾の叫びは、実際には言葉になっていないうめきとも悲鳴とも付かないようなもので、意味が通じたのかどうか、老女は慌ててベッド脇にまで来ると(なお)も身体を起こそうとする紗綾を押し留め、意味無く何度も(うなず)いた。

「お待ちを、お待ちを…」

老女が何度繰り返した頃か、先程の看護師が開け放たれたままの扉をくぐって戻って来た。

「すぐに医師(せんせい)がいらっしゃいます」

言うと、老女に代わって紗綾を寝かしつけた。看護師の言とは裏腹に、医師がやってきたのはその後、数十分を()てからだった。その頃には紗綾は、自分のいる場所が自宅でも病院でもなく、累香(るいこう)の工房兼邸宅であると老女から聞き出しており、質問攻めに遭った老女は、医師と入れ替わりに部屋の外に出されたときには、疲労困憊の体であった。

医師が紗綾にあれやこれやの診察と処置を(ほどこ)し、ようやく立ち去ったのは、それから更に数十分後の事だった。医師が看護師を(ともな)い部屋を出ると、今度は老女ではなく祥雨(しょうう)が入って来た。また自転車で転んだのか定かでは無いが、右手の指先から手首と肘の間辺りまでが包帯で覆われており、そのため左手で椅子を引くと、紗綾の横たわるベッドの脇に腰を落ち着けた。医師の診察の後、看護師の対処で背の下に柔らかいクッションを入れられ、半身を起こした状態の紗綾と祥雨(しょうう)はちょうど目線が同じくらいの高さである。紗綾は祥雨(しょうう)の顔を真っ直ぐ見据(みす)えつつ尋ねた。

「『落花』は…?」

筋肉が落ちているせいで、起き上がっているだけでも疲労が蓄積されていく。それでも紗綾は微動だにせず祥雨(しょうう)の顔を見つめていた。祥雨(しょうう)は、紗綾の問い掛けに答えるより先に一つ、溜め息を()いた。

「…何があったかは覚えていらっしゃるんですよね」

「わたしの同僚が何をトチ狂ったのか、うちに放火に来たんです」

紗綾は即答した。記憶は全て鮮明にある。国立(くにたち)は間違っても作田を手に掛けたのが紗綾だと気付いてはいなかったが、何故か狂気の矛先を紗綾に向けて来たのだった。

「覚えていらっしゃるんですね。はい、その通りです。(ちな)みに今日が何日かは想像が付きますか?」

紗綾は祥雨(しょうう)の問いにやきもきしつつ答えた。

「先程、医師の説明がありました。あれから十ヶ月近く立っているそうですね。もう春だと。怪我の治療が終わってもわたしの意識が戻らなくて、実家の父母の都合とか色々あって、ここに、宮園(みやその)さんのお宅で療養していたと。…どうやってうちの親を説得してここに引き取る事を納得させたのか知りませんが」

「貴女の部屋で見つかった遺体(、、)が、うちの従業員だから、と言いました。従業員は嘘ですが、『落花』が元々うちの生まれだという事は事実ですから」

「遺体…遺体に、見えた、ということは…『落花』は…」

「お気付きだと思っていましたが。『落花』は、ひとの肉を()いで造られています。そのため燃えてしまうとまるでひとの遺体の様に見えるのです」

「燃える…じゃあ、『落花』は…」

「残念ながら、焼失しました」

間があった。紗綾の頭部が崩れ落ちるように垂れた。しばらくの沈黙の後、紗綾は両手で顔を覆った。

祥雨(しょうう)が、再度声を掛けて来たのは、かなりの時間が過ぎてから、紗綾が落ち着いた、というより激情が去って半ば放心状態になってからであった。

「ちょっと(よろ)しいですか」

祥雨(しょうう)は一旦椅子を立つと、部屋の隅から大きめの手鏡を取り出して来て、紗綾の顔が見える様に(かざ)した。祥雨(しょうう)が片手が使えないため不自由そうに動くのを目で追っていた紗綾は、億劫そうに(かざ)された鏡に目を移した。目が()れぼったく顔色は蒼白、横に流して一つにまとめている髪型も含め、いかにも病人といった風情だが、それでも切れ長で長い睫毛に縁取られた大きな瞳と肌理(きめ)の細かい肌を持ち、すっと通った鼻筋と触れ心地が良さげな唇の、美女の顔があった。紗綾は目を(しばたた)かせた。鏡に映る誰かの顔も同じ様に(まばた)いた。紗綾は、既に点滴の管を抜かれていた腕を力なく上げ、指で己の頬の辺りをなぞった。淡い桜色の爪のついたしなやかな指が鏡の中で同じ様に動いた。

「ひ…っ」

紗綾は息を呑み()()った。鏡の向うにある祥雨(しょうう)の顔が、少し微笑んだ。

「これ、これ…」

指差し、鏡と祥雨(しょうう)を交互に見やる紗綾に、祥雨(しょうう)は告げた。

「貴女です。酷い火傷でね。形成が必要でした」

紗綾は呆然と祥雨(しょうう)の笑みを見た。紗綾の新しい容貌の出来に満足しているのか、紗綾の驚きを(たの)しんでいるのか、それとも全く別の理由か、計り知れない笑みだった。

「『落花』がね、望んだのです」

「…」

「一部、『落花』です。『落花』に使用していた部位を流用しています」

「…」

「お話しましたように、元はひとの肉を()いでいますのでね、生きている人体へも使う事が出来るんです」

「『落花』を解体して、わたしの修理(、、)に、()てた、と」

紗綾の言葉は静かで、瞳が、陽炎(かげろう)が立った様に揺らめいた。元はただ黒いだけだった瞳だが、今は若干異なる色合いになっている。炎にやられてそこにも手を入れたせいだが、祥雨(しょうう)はいちいち説明しなかった。

「望まれましたので」

紗綾は祥雨(しょうう)に掴み掛かりかけたが、筋力が落ちている手は空を切った。紗綾は両手を膝の上について上半身を支えると、祥雨(しょうう)()めつけた。

「…わたしの姿形などどうでもいい。どうして『落花』を優先してくれなかったの。大体、わたしは『落花』の購入者に過ぎないけれど、でも、『落花』はあなたの…」一旦、言葉を切ると紗綾は唇を噛んだ。「あなた、なのよね…『落花』の製作者は。曾祖父(ひいおじい)様では無く」

祥雨(しょうう)は鏡を膝に下ろすと軽く息を()いた。

「実際的な問題として、『落花』は焼けてしまった部分が多過ぎました。『落花』より貴女を()ぐ方が簡単だったのです。『落花』を使用していると言いましたが、本当に一部です。後は手持ちの材料です。『落花』が上に(おお)(かぶ)さって火から(かば)う形になっていたので、貴女は焼け落ちた部分が少なかったんですよ」

少しの間、紗綾は無言だったが、不意に笑い出した。

「わたしは、累香(るいこう)の作品になったということ…?」

累香(るいこう)と私は別人ですよ。『落花』は私の作で、累香(るいこう)の名で出していますが。貴女が私の作品かどうか、は…まあ、私の作品だと言わせて頂けるのなら有り難いですね」

紗綾の笑いが激しくなった。そのまま息が途絶えてしまうのでは無いかと思えるほどに紗綾は笑い続けた。息も絶え絶えながら紗綾は言葉を(つむ)いだ。

「で、わたしは、いつ、どこに、展示されるの?」

祥雨(しょうう)は苦笑した。

「展示など致しません。お好きなようになさってくれて結構です。言いました様に、私は『落花』の望みを叶えただけです。貴女はまだしばらく療養が必要だと思いますが」

紗綾は笑みを収めると再び項垂(うなだ)れた。

「…『落花』に会いたい」

沈黙が落ちた。祥雨(しょうう)も苦笑を収めると、じっと紗綾の様子を見守っていた。春疾風(はるはやて)が窓枠を揺らして音を立てた。

「…『落花』の造り直しも、可能と言えば可能なのですが…」

祥雨(しょうう)(つぶや)いた。紗綾は顔を上げた。赤みの差した美しい顔を見やりつつ、祥雨(しょうう)(うなず)いた。

「『落花』の骨組みは残っているんです。骨組みさえ残らないような大火であったら貴女も生きてはいない訳で…」

紗綾に話しているというより、己に言い聞かせているような祥雨(しょうう)の口調だが、紗綾の瞳は輝きを増した。

「問題は材料です」

祥雨(しょうう)は、包帯の無い側の手で紗綾の頬に触れた。(ほの)かな体温が紗綾の頬に伝わった。

「つまり、ひとの骨肉その他部位、なのですが、『落花』は最上級のものを使用していましたが、それらの在庫は全て貴女に使ってしまったんです。当たり前ですが、そう簡単に入手出来る代物では無いので、必要な分だけ集めるには相当時間も手間も掛かります。貴女が手伝って下さるのなら少しは楽になるかも知れませんが」

「手伝います!」

紗綾は即答していた。祥雨(しょうう)の顔に笑みが浮かんだ。

「そう、そうですね」(たの)しそうに祥雨(しょうう)(つぶ)いた。「それでは、まず、ご家族に連絡を。目が覚めたとご報告しなければ。そう、ご家族にも、顔、というか容姿が変わるということはお伝えしてあります。そもそも病院で全身に包帯を巻いた貴女を見ていますし、顔が変わっていても奇異には思われないでしょう。話しはそれからです」

窓が、また音を立てた。紗綾は、ふわりと、笑った。

第一部分の完結になります。

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